このコロナ禍を逆手に取るために

このコロナ禍のメリットを挙げてみた。

家族と過ごす時間が増える。 
本が読める。
体力が温存出来る。
物事をじっくり処理出来る。
いままでの落語をしゃべれたことに感謝出来る。
ネタが増える。
稽古も出来る。
掃除が出来る。
絵も描ける。
会う人が限定出来る。
悪口を言わなくなる。
交通事故が減る。

まだ探せばいろいろあるだろう。「時間の使い方」をここまで強制的に考えさせられる期間はここ100年の中で初めてのことだ。現人類にとって最初の経験になることを世界中がリアルタイムで直面している。「自分の行動が直接世界中にコミットする事態」なんてワクワクしてきませんか。
よく考えてみたらあの慶應の研修医の不始末だって、あれ若い彼等にしてみれば充分なる反省をしさらには体力を回復させ現場で復帰することができれば自らが疫病経験者としてのリアルな体験からより説得力の強い防止策を訴えることができるとも言える。いや、無事に快癒し不始末を糾弾した上での話だけれども。非難とか否定からはほんと何も生まれない。人類は完璧ではないのだから、だとしたらよりしたたかにより面白真面目で生きてゆくしかない。天からの奇跡を待つのではなく、地道な積み重ねが集合知となって確実に世の中を変えてゆくと信じるしかない。

つまりこれを機会に「しくみ」を変換させてゆくべきなのだ。
かつては既存のしくみに当てはまるように自らを仕向けられる人が重宝がられたはずだが、これからは自らしくみを作れる人しか生き残れない。しくみが変わればシステムや基準が変わり、そしてやがては世界が変わる。以前まではそれは一部のカリスマに委ねられたフィールドだったのだが、いまや全人類にそのチャンスが舞い込んで来ている状況なのではないか。

時間はフリーウェイトだ。頭の使い方、見方の変え方でいくらでもトレーニング方法は思いつく。ダンベルだけで数十種類のトレーニング方法があるのだから。ほうっておいたって漬物石にもなる。
誰もが洞察力を高められる時代ということは誰もが哲学者になれる時代なのだと思う。

目の前のことを極める。そしてそれが人のためになっているか。落語家ならば常にくだらない、面白いことを伝えているか。亡己利他。

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