NewJeans "Attention"は何度見ても鳥肌が立つ。
深夜眠るのがめんどくさくてYouTubeをあてもなく見てたんだけど、カムバックと日本デビューの報告を受けてまたなんとなくAttentionのMVを視聴した。
…もう素晴らしい。言葉にできない。そこにただ、その世界が存在していて、評価なんて行為は、その大きさに比べたら小さすぎる。
ただ今回新しく思った事は、「ただ良い、それはそれだけで良いもの」という事。
誰かがILLITに対してこれは作られたチル・日常感・リラックスだ、と言っていたがその源泉であり始まりでもあるnewjeans、およびそのプロデュース全体に対してもそれは言える。だがそれで良いのだ。完璧に練られた「なんか良い」は「途轍もなく良い」になり得るのだ。
例えばAttentionにはHype Boyと比べて「なんか良い」シーンがいくつかある。
冒頭のライブハウスにて鏡に置いた指の上に口紅でハートを描くシーン、ヘリンが車からiPhoneを落とすシーン、そしてラストの少年の飛び込み、とか。その後の海に沈んだiPhoneも含め、これらはDittoやOMGのような意味故のシーンではなく、その「なんか良い」ほうのシーンだと思うのだ。物語という一貫性はありつつも、デジタルネイティブが暮らす夏、一片の汚れもない潔癖なる純粋性、夏の心地よい熱気、10代の昼下がり。それがAttentionにおける「なんか良い」の理由だと思う。要は世界観を意味としている シーンであり、その意味は言葉ではない。言い換えにより作られたシーンではなく、言葉によって表現できない世界を、言葉でないもので起こしたのだ。
そういう制作の仕方は誰にでも出来るものではないと思うが、もしその人に譲れない理想の世界があって、その感覚を頼りに実現できる力とその方法が分かっているのなら実現出来るのだろうと、Attentionを見た後に考えた。
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