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曾祖父を忘れられない話 前編

102歳まで生きたひいおじいちゃんがいた。晩年は、超パワフルおじいちゃん的な感じで市から表彰もされたすんごい人だ。
 ひいおばあちゃんに先立たれて数十年、ひいおじいちゃんは過疎化の進む田舎のデカい家に一人で暮らしてたのだが、ママチャリで数キロ先のスーパーまで買い物に行ったり、畑で野菜を育てたりして、ほぼ自力で生活していた。とんでもない生命力である。
  第二次世界大戦には海兵として潜水艦に乗っていたらしい。自分の知ってる人が戦争経験者、しかも兵士として戦ったなんて現実味がないが、年代的には当てはまるし事実だ。語り草によると隣の潜水艦が魚雷に沈められたり、泳いで逃げたりした事もあるらしいが、終戦まで生き延びた。やはりとんでもない生命力である。だがどうやら僕には引き継がれなかったらしい。ひょろひょろで肺に穴が空くし、すぐお腹がぶっ壊れるし、固い肉を食うと100パーセント消化不良になる。
  そんな親族の英雄ひいおじいちゃんとその子孫であるクソザコナメクジこと僕の話だ。

中学生になったばかりの頃、僕はブリヂストンの変速付き自転車を買ってもらった。これがめちゃくちゃ乗り心地が良くて、いい自転車だった。小学生の時から自転車に乗るのは好きだったが、子供だけで学区外に出ては行けないという規則があった。しかし、中学生になり規則から解放されて新しい相棒も手に入れた。世はまさに大チャリンコ時代である。既に反抗期が始まっていたこともあり、家にいるのが窮屈に感じていた僕は、滑車を走るハムスターのように目的もなく自転車で駆け回った。しばらくすると自分は自転車だけで何処まで行けるのか試したくなった。オープンワールドのゲームをプレイしてる時に「これ何処まで行けんの?あの奥に見えるデッカイ城とかも行けんの?」てなる感じだ。ほな行ってみよ。ということで、その日僕はただ愚直に北に進んだ。
  1時間ぐらい進んだところで、今走っている道に見覚えがあることに気づいた。母の車に乗せられてひいおじいちゃんの家に行くとき、いつも通る道だった。ひいおじいちゃんはとんでもない生命力でお馴染まれているので、会いに行く頻度はそれ程高くなかった。せいぜいお盆に墓参りに行く時と、お正月にお年玉を貰いに行く時くらいだ。話は逸れるが、現代の子供はある程度自分のお金を持てるようになると、親族がお年玉に見える時期がある。僕のデータによると大抵、高齢になるほどお年玉の金額は上がる。つまるところ、僕にとってひいおじいちゃんは最上級のお年玉、金一封そのものだった。
僕は進路を変えて、金一封様に会いに行くことにした。決してやましい気持ちは無い。無いと言ったら無いのだ。


後編に続くんじゃよ👴

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