続・絶望の覚書です

ただいまの時刻、2:51

日々に追われていて忘れそうになったけど、今日は6月1日。


2020年6月1日、渡辺麻友さんの引退発表がやってきた。突然の出来事で、驚きすぎて、でもそんな予感は少しだけあって、そして悲しくて、やりきれなくて、想いを文字にした記憶がある。

支離滅裂で、何言っているのか分からないけど、まだその絶望は私の中に居座っていて、私が応援できる範囲に渡辺麻友さんはいないんだなと苦しくなってしまう。


本当に、好きなものを食べて、好きな舞台を見て、幸せに生きてくれればそれでもう何もいらないんです、しかしああもう、繋がりは思い出しかないんだ、懐かしむことでしか想いを発散できないんだ、” (2020/6/3)


きっと、今は1人の人間として、悠々と生きているだろうから、騒ぎ立てるようなことはもちろん、名前を出して、言及することもあまりよいことではないのかもしれない。

ただ、ずっと一番大好きだった人を忘れたくないから、動画を見て、曲を聞いて、写真を見て、必死に懐かしみ続けている。

誕生日はお祝いし、渡辺麻友さんが好きだと言っていたものも見るようにしている。どこかに渡辺麻友さんとの繋がりを抱いていようとしている。


そうやっている限り、少なくとも存在を忘れることはない。しかし、感じることができるのは、過去の渡辺麻友さんの思い出でしかない。時間は進み続けているのにも関わらず、渡辺麻友さんへの想いは前に進まず、そこだけ止まっているみたい。

思い出すたびに苦しんでいるから、段々慣れてきて、忘れてきて、そうやって過去のものになろうとしていることが嫌で、また思い出そうとして、負のループに入ってしまう。

ただただしょうがない事実でしかない。これから先、ずっとその時の渡辺麻友さんを見ることは叶わないのだから。


私にとって渡辺麻友さんって何だったんだろう。私の初めての推しメンで、かつ一番大好きな人。何にも勝るアイドル。子供だったからとかいろんな理由はあるかもしれないけど、ただただ好きで、それ以上でもそれ以下でもなくて、こんなに純粋で特別な感情を抱く人はもうきっといない。

積みたい、産みたい、顔面国宝、推ししか勝たん、認知が欲しい、レスが欲しい、独り占めしたい、そんな言葉はなかったけど、そんな感情は全然なくて、ただ、アイドルでいるまゆゆが好きだった。それだけだった。

だから、アイドルを卒業した時はすごく悲しかったのは確かだ。


それから、2018年のCDTVにそのまま出演して、ロングスカートの衣装と、どこか吹っ切れた表情で歌った『守ってあげたくなる』は、もう渡辺麻友さんであった。アイドルとしてのマイクはもう置いてきたという事実を打ち付けられて眠れなかった記憶がある。

そこから、渡辺麻友としてのベストアルバム発売、ファンクラブの設立があり、アイドルではない、渡辺麻友という1人の女優を応援できるという事実に舞い上がっていた記憶がある。とても自然な表情をしていて、そして女性としての魅力がマシマシになっていく姿を見て、48Gから離れて、渡辺麻友さんを応援していこうと決意したのもこの時であった気がする。


そして、「アメリ」の舞台が決まり、これが渡辺麻友が舞台で輝いていくスタートとなるのだなと、謎の感想を抱きながら喜々としてチケットを取った。

そして、2018年5月19日。受験生になったがこれが最後と決め、1人で初めて東京まで向かい、1人で初めて舞台を見た。

あまりいい席ではなかったが、その鮮やかな舞台、そして、渡辺麻友が登場したシーンは、文字通り鮮明に覚えている。


ミュージカル特有の歌声で歌う渡辺麻友さんは、もうアイドルではなくなっていた。それが悲しくてなのか感動してなのか、涙を流しながら、見逃すまいと必死に目で追っていた。

恋愛ストーリーではあったが、俳優さんとのキスシーンはなく、これでオタクはまだ死なないと安堵していた。


世界には素晴らしいミュージカルはたくさんあるが、私はこの日のこの「アメリ」がずっと一番好きであると思う。


それからは、着々とドラマが決まったり、CMがあったり、時代劇に出たり、供給は少なかったものの、ファンクラブのブログでは人間味あふれる姿が見られて幸せになっていたり、受験期の私を支えていたことは間違いない。

時代劇では、私の好きな山本耕史さんと共演されていて、これは私のためのドラマなのではないかと、異常なほど喜んでいた。


そして決まった「なつぞら」の出演であった。それもかなりメインの役であった。朝ドラに出たことで、ああこれから女優として活躍し続けるのだろうなと、数年前の深夜ドラマ「さばドル」を思い出していた。これが最後になることも知らずに。


忘れてはいけないのが、2019年9月24日のファンクラブイベント。最後と言っていたかどうか定かではないが、おそらく最後だからと行ったのだろう。

懐かしい曲から、新しく知った曲もあって、アイドルの時からどんどんレベルアップした歌唱力に度肝を抜かれ、企画ではっちゃける姿がとttttttっても可愛くて、プリンプリン体操なんて、ここは天国かというほど可愛い世界が広がっていて、最後には本人がお見送りしてくれて、本当に幸せないベントであった。

そうだ、ファンクラブはここで終わりになったんだっけ。一つのつながり絶たれたようでどこか寂しかったが、もう幸せに生きていてくれれば、それでいい。それを応援し続けたいと思ったのもこの時期でっただろう。

それは、きっとこの時期に書かれたブログの中に「元気に生きてね、私も生きる」とあったからだと思う。そのどこまでも優しく、それでいて心強い言葉にどれだけ助けられたことだろう。SNSの更新頻度が明らかに下がっていっても、渡辺麻友さんは私たちに、生きるといってくれたから、元気に生きているのだろうという思いにさせてくれた。


2020年に入ると、あまりにも表に登場しなくなってしまい、そのままコロナ禍になった。何か思い煩っているのかもしれない、どうか幸せに生きていてほしいと思っていても、それは、応援という名の私の想いの押し付けなのではないかと、考えていた。

幸せに生きていてくれればそれでいい、って、一見優しい言葉に見えて、相手に対するエゴである。本人の生き方は本人のものなのに、それに対して、幸せとか、いい悪いの価値を願うだけならまだしも、言葉にすることは重い行いであると思う。なんて、そんなことをなんとなく思っていた。


そして、1年前の発表である。


当時は、その時の感情を吐き出すことしかできなくて、卒業からの思い出を記すことなんてできなかった。できるようになっているということは良くも悪くも先に進めているということなのだろう。


こうして振り返ってみて思うことは、やっぱり渡辺麻友さんは私が生きるうえで、とても大きな存在で、そしてこれからも存在し続けるのだろうということだ。それが全てではないけど、生きる意味の何%かがそこにはあっただろうし、目標でも原点でもある、もう、なんだかよくわからない。

私が歳を重ねる度に、その当時の渡辺麻友さんを思い出して、改めてその凄さを噛みしめることになるだろう。少なくともあと5年は。

携帯の壁紙だってまだしばらくは変えられない。こうして変化から逃げ続けていることも良いことではないかもしれないが、まだまだ、思い出に浸り続けていたい。こんなに好きな人でも、それ以外に方法がないのだから、それぐらい許されるだろう。


何がしたいのか、何になりたいのか分からない。思い続けたとして、届くことも叶わなければ、それが返ってくることなんて諦めた方がいい。けれど、これからどう気持ちが動いていくかもわからないから、意地でも固執し続ける。そう思うのもエゴであるのかもしれないが。

それが、今までの私の感情に対する誠意でもあり、そして、渡辺麻友さんのファンであった身としてできることなのではないかと思う。


これからも元気で生きていよう。そして健康でいてくれたらいいな。

よく1年生きました。

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