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いじめられ家族のいじめ対策

「妹はオレが守る!」

写真の、ちいさい背中が、そう言っているでしょ?
私の妹は幼い頃から小学校低学年時代にかけて、ひどくいじめられていた。3月末日生まれなので同学年内ではもっとも未発達であってもおかしくないのだが、まさにその通り、同級の子の中で際立って発達が遅く、ぼーっとしていた。それがとても可愛いのだが、周りからは実にさまざまないじめを受けていた。それを見るに耐えかねて一度だけ「お前ら殺すぞ!」と兄である私が関与してしまってからは、よけいにいじめられた。兄として、無性に腹がたった。「いいもん、いいもん…」としゃくりあげながら流れる妹の大粒の涙、そして妹を毎日徹底的にいじめた子たち3人の名前は、半世紀以上経っても姓名ともにはっきり覚えている。

オフクロ、親父のいじめ体験

おふくろが、自身の苦い体験をこう語っていた。「1歳にならない間に戦争で父親を亡くして以来、気が強かった私は継父とうまくいかずに養女に出され、父無き子、母からも捨てられた子として、さまざまな形でいじめを受けてきた。」と。
父もまた、いじめられっ子だった。淡路の山のてっぺん近くの貧農の4男として生まれ、兄貴たちを戦争にとられ、小学生の頃から作物運搬のリアカーを引いて(ときには幼い妹を乗せて)5キロの坂道を毎日往復していたそうだ。それゆえ、海で泳いだことがない。泳げなかったのに、それでも海軍への入隊を希望していると言ったら、学校で激しいいじめを受けたという。海岸沿いの町の子たちは、泳ぎが達者。泳いだことのない(当時泳げなかった)山男の親父は彼らにいじめられ、ばかにされてボコられた後、顔を腫らして帰っても、母に心配をかけまいと、そして「やられたなんてかっこわるくて言えなかった」という。

自分自身の愚行と後悔

で、自分はどうか。父親の度重なる遠距離の転勤にともなう転校による言葉の違和感、越生(こしお)という名前を逆さ読みすると「おしっこ」。小学校低中学年時代は身体も極端に小さく、「おしっこちびり」とからかわれても、必死になって友達ににじり寄り、転校する度に訪れた本格的いじめの危機をぎりぎりで切り抜けるのが精一杯だった。そんな切迫した日々のあと、私は小学校3年生からは一つの小学校に定着し、いじめを受ける側からなんとか解放された。するとおそらくは自分の身を守るための手段だったのだろうか、逆に2人の同級生をいじめてしまったことがある。反省すべき、恥ずべき、できれば消したい自分の過去だ。このことは、中学、高校、大学、社会人となっても、心の片隅にずっと気になっていた。

消えない罪、消えない心の傷

だから私は、小学校の同窓会には、毎回必ず、ずっと出続けた。「あのときのいじめ」を詫びたかったからだ。そのうちの一人とは、その後幸いサシで飲むことができ、昔話ついでに詫びることができた。しかし、もう一人とはまだ会うことができていない。中学校以降、いじめに加担した覚えはないが、この小学校のときに犯した罪の意識は、これからも消えることはないだろう。
私自身や、妹がいじめを受けたころのことは、もちろん思い出したくない。
いじめられた体験は、一生忘れることはない。しかし、いじめっ子をしてしまっても、心というものが人間にある以上、その愚行を忘れることはできない。やってしまえば、あとは悔いることしかできないのだ。いじめた相手の一生消えない傷、その後の人生を落とした暗い影を元に戻すことはできず、一生涯、罪の意識から解放されることはなく、後悔し続けるのだ。

私は、家族や自らの中に蓄積して来た多くの「いじめ体験」から、その体験から得られたものを子どもたちの世代に伝え、なかなか無くならないどころかネット等の手段でますます陰湿化する「いじめ問題」に対峙していく。

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