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さようなら球児

藤川球児が、また打たれた。
今季5試合に登板。1イニング限定なのに、4試合で失点。今日を含めて2試合をひっくり返された。もはや、クローザーではない。
そんな悲惨な試合、残酷な被弾を見ていて、ファンとして思ったことが二つあった。

ありがとう球児

一つは、これまでどれだけ球児にいい思いをさせてもらったか、という感謝の気持ちだ。不思議に逆転された悔しさなどは全くなく、これまでの登板の出来からか、ああやっぱりかという納得。それと同時に「ありがとう球児」という感情が湧いてきた。

先発して7回まで無失点、勝ち投手の権利を失ったにも関わらず阪神先発西勇輝は、打たれてベンチに下がってくる藤川を、満面に敬意を表して迎え、ねぎらった。なんとも立派な態度であった、さすがエースである。自分の不運をよそに、ゲームセットの瞬間までチームを鼓舞して応援し続けた姿も立派だった。阪神タイガース投手陣の精神的支柱が、藤川球児から西勇輝にバトンタッチされた瞬間のように、私の目には映った。

ご苦労様、球児

もう一つの気持ちは、藤川球児本人もおそらく感じたであろう、引き際、潮時の寂しさだ。矢野監督もまた、トドメのホームランを打たれた直後に、迷うことなく球児をベンチに下げた。これまた、おそらくは監督としての重たい決断、球児を今後ストッパーから外す、その決断をしたのだと思った。

ボクシング不撓不屈の輪島功一がショットガンアラバラードの滅多打ちに沈んだ瞬間、大相撲最強大鵬が細身貴ノ花に屈し、その息子貴乃花の若さが千代の富士に引導を渡した、その歴史的瞬間をまさに見た思いがした。

「ご苦労様、球児」と言うほかない。

公平な、あるべき、新しい競争へ

何もプロ野球だけでなく、どんな世界でもプロとして報酬を得る世界は、ある意味非情だ。力が衰え、役に立たなくなれば、現場を去らねばならない。

かつて、現場には、グラウンドには、「ゼニが落ちている」と言ったのは、今年お亡くなりになったノムさんであり彼の恩師であった鶴岡一人であったが、もはや球児は、一イニングなら0点に抑えることができる後世にバトンを渡さねばならない。

グラウンドに落ちているゼニは、公平に奪い合われるべきものだから。
それが、プロの世界であるのだから。

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