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岡口裁判官の訴追状を読んで

岡口裁判官の訴追は、2021年6月16日になされた。
訴追されているのは、被害者遺族に関する表現と、犬の飼い主に対する表現である。今回は、被害者遺族に関する表現について、検討する。
訴追状の問題点は、果たして訴追された表現が本当に侮辱に当たるのか、ということ。そして、本来であれば時効となっているものまで訴追の対象となったことである。
内容を検討してみたが、岡口裁判官の説明権や釈明権さえも侵害するような内容である。

殺人事件の遺族について訴追されているのは、概略、以下の通りである。以下のような表現行為を行い、「侮辱」をしたと認定されている。
(1)・2017年12月13日に投稿した、「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男 そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性」という文言に、東京高裁の判決文を添付した、判決文ツイート。
(2)・同月30日の、「今回問題になったツイートは、フェイスブックでもつぶやいていましたが、こちらは、削除要請がなかったので、そのままになっています。」というツイート
(3)・2018年3月15日の「「内規に反して判決文を掲載」したのは俺ではなく東京高裁(^-^)」というツイート。
(4)・2018年9月11日に司法記者クラブでの取材に応じて答えた「あの方の場合はダイレクトでツイッターで削除してくださいっていう話があったのでその場で削除いたしました」などという発言。
(5)・2018年10月5日、「遺族には申し訳ないが、これでは単に因縁をつけているだけですよ。」という見出しをつけて記載した文章を投稿した。
(6)・2018年10月下旬に受けた週刊現代のインタビューへの答え。遺族が4回傷ついた内容を変えているという趣旨。
(7)・2019年3月21日、ブログに「審理のために、平穏であるべき遺族自身を担ぎ出したという経緯になっている」という記載を投稿した。
(8)・2019年11月12日、フェイスブックに投稿した「(遺族は)アップのリンクを貼った俺を非難するようにと、東京高裁や毎日新聞に洗脳されてしまい、いまだに、それを続けています」という、洗脳発言。
(9)・2019年11月15日、FaceBookに載せた謝罪文
(10)・2019年11月18日、「「洗脳発言」報道について」というブログ記事。洗脳発言を行った理由について説明している。

このように、訴追状の内容は、遺族が「不快に感じた」「傷ついた」と述べている表現を、手当たり次第に盛り込んだような様相を呈している。
しかし、本当に悪質な表現であろうか?侮辱が成立する以前に、表現が問題となるのは
・悪意があった
・客観的に見て、平均的な感覚の人間が傷つくような表現である
という条件を満たす必要があるのではないか。
なお、民法的に侮辱が成立するためには
・社会通念上許される限度を超える侮辱行為。一般通常人の平均的な感覚に照らして、相当性を逸脱していること。
・単なる不快感や嫌悪感ではない、名誉感情(自己評価、自尊心など)が害されている。
ということが条件となるようだ。

(1)についていえば、単に判決文を、その争点となる内容と共にツイートしたに過ぎない。このような表現となったのは、性的殺人という事件の深刻な実相を表現し、被告人が「当初から、被害者を殺害した後に姦淫行為に及ぶ意思であった」ということが法律的に重要な意味を持つからであった。このような事情であるから、表現に悪意は含まれておらず、侮辱の意思もない。事件を茶化した内容でもない。また、どこに被害者や遺族を非難誹謗中傷した文言があるのか。平均的な感覚の人間が、この文言を見て傷つくことはないであろう。「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」等というのは、単なる事実の記載であり、事件の概要を伝えるために必要な内容であって、これを見て性的好奇心を感じる人間は、普通はいないのではないか。主観的に性的好奇心を煽る意図はなく、客観的に見ても、性的好奇心を煽る内容ではない。
なお、遺族はこのツイートの直後に、「なぜ私たちに断りもなく判決文をこのような形であげているのですか?法律に触れない行為かもしれませんが、非常に不愉快です」と投稿している。感じたのは、「名誉感情の侵害」ではなく、不快感ではないのか。岡口裁判官の悪意がなく、特段傷つく内容ではない表現に、遺族が不快を感じ、怒りを募らせた、というのが真実ではないか。

(2)は、第三者に、フェイスブックの投稿を紹介した内容にすぎない。どこに悪意が内包されているのか、侮辱的な内容があるのか。理解しがたい。また、遺族に向けて発信されたものではなく、そもそも侮辱が成立しようがないのではないか。

(3)は、東京高裁への反発が混じっているかもしれないが、単なる状況の説明である。遺族に対して悪意がこもっているわけでもなく、特段遺族に対して侮辱するような内容ではないし、また、遺族に向けて発信されているとも、とることはできない。

(4)は司法記者クラブでの取材に応じた発言であり、自らの見解を伝えたものに過ぎない。どこに侮辱や、遺族への悪意があるのか。どこに傷つく要素があるのか。訴追委員会は、裁判官は自らの主張を行い、見解を述べる権利すらないと言っているに等しい。あるいは、人は、遺族と異なる見解や意見を持ち、それを表明することも「遺族が傷つくから」許されないのか。

(5)は、岡口裁判官は、今回の騒動についての意見を集め、他人の行ったツイートを転載していた。そのうちの一つに過ぎない。つまり、「因縁をつけているだけ」という記述は、岡口裁判官の意見ではない。転載が、特段、悪意や侮辱的な意図をもって為されたとは取れない。遺族に批判的な意見を転載したからといって、侮辱ともならないであろう。批判的な意見が即座に侮辱となるのであれば、自由な意見も思想も、持つことができなくなる。

(6)も、単に取材に答え、自らの疑問と見解を述べたに過ぎない。遺族の主張が変わっていると認識していたことは罪ではないし、侮辱でもない。その疑問と見解を述べることも、罪でもなければ侮辱でもない。平均的な人間が読んで、傷つくような内容でもない。

(7)も、自分の認識を述べたものに過ぎない。特段侮辱的な内容でもなければ、悪意がある内容でもない。これが問題あるというのであれば、「人は、遺族の関係する事柄について、遺族と異なる見解や意見を述べる権利はない」と言うようなものだ。

(8)は、いわゆる洗脳発言である。これはそもそも、内輪に向けての発言を岡口裁判官のミスで公開してしまった内容であり、遺族へとむけられた表現ではなかった。なので、侮辱の意図を欠いている。
また、「洗脳」という発言は、東京高裁や毎日新聞はともかく、遺族を批判する内容ではない。印象だけで、表現が大々的に騒がれているとしか感じられない。
なお、不幸なことに被害者の命日に投稿されているが、これは別の弁護士のブログ公開と共に投稿したからであって、純然たる偶然である。

(9)は、自らの見解を付した、単なる謝罪文である。侮辱の意図があるか、悪意を伴っているかは、遺族が謝罪に納得できるか否かとは別の話だ。岡口裁判官の言い分に納得いっていない以上、謝罪文を見せられても不快に感じるかもしれないが、だからと言って、謝罪という行為が侮辱となるわけもない。また、内容自体に、平均的な人間が、傷つくような表現があるわけでもない。

(10)も、洗脳発言をした理由について説明した文章である。説明に過ぎないのだから、遺族の見解と異なっていても侮辱にはなりえないし、悪意も含まれていない。平均的な人間は、説明文を見て傷つくこともないであろう。

以上検討したように、訴追内容の大半は、説明ないし釈明を、侮辱と強引にこじつけたものとしか言いようがない。問題視されている(1)、(5)、(8)にしても、実態は上記のような発言であり、特段侮辱の意図が込められていたり、平均的な人間が傷つくような内容ではない。当然ながら、民法における侮辱の成立要件である、相当性の逸脱も見られない。
全体を一個の行為としてみることはできるか?すべて単発的な行為であり、全体を一つの行為として見ることは、到底、不可能だ。判決文の説明、取材に応じる、見解の表明、内輪の愚痴、謝罪・・・これほどバラバラな行為が、どうして一個の行為となるのか。
そして、これらの悪意のない、本来であれば傷つく要素のないバラバラの行為が、一個の大きな侮辱行為と映るのであれば、ずいぶんと見方が偏っているのではないか。

このように、岡口裁判官の訴追状は、事実認定以前に、物事への受け取り方に、かなり問題があるように思える。そのような訴追をされては、裁判官の人権や身分保障上、問題があるのは当然である。しかし、訴追状の内容が、実質的に「遺族と異なる見解を持つことを許さない」内容である以上、岡口裁判官の訴追は、一般人の思想の自由、表現の自由をも侵害する結果となりかねない。
岡口裁判官が弾劾されれば、市民社会に、後々まで悪影響を残すであろう。


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