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霧の國の感想を真面目に書いてみた

2019年2月10日から12日まで横浜中華街の外れの劇場で開催された、冨士山アネットさんのイマーシブシアター(没入型劇場)「霧の國(https://fujiyamanet.wixsite.com/fognation)」に参加してきた。最近流行り(?)のイマーシブシアターとは一線を画し、ストーリーを役者が先導し、観客がそれに追従する作品ではない。という意味でも、"体験型”ということだったが、あえて私がいうと"参加型”だったと思う。何を言っているか分からないだろうが、この話は後編で。

Twitterに書いた最初の感想

明日まで開催、冨士山アネットさんの「#霧の國」 外枠的私の感想。この作品はイマーシブシアターですが、観客が先導されていく物語を追従するというより、まざまざと提示される環境という物語を歩く作品でした。状況を飲み込もうとする能動性、状況に寛容であろうとする受動性の両面が求められていると感じました。観客は観客でなく、演者でもなく、蚊帳の外でもなく、主人公でもモブでもなく。物語の・・・マクロでいえば「裸の王様」で王様を歓迎する国民、ミクロにいえば「白雪姫」で白雪姫を殺そうとする狩人でした。私にとっては。ファンタジーであることは、間違いありません。詳細な感想は別途書いていますが、入国後の私は色々な発見があって、私は芸術が国を変えると思ったクチで間違いありませんでした。ちなみに未入国の方、怖くはないですが視界は良好なほうがいいので、普段眼鏡のかけ外しをスイッチしている方は、かけといた方が良いです。

これ以降の記録は存分にネタバレを含みます。乱筆だし、突然の情緒表現登場など、読みにくいと思い・・・ますことだけ、断っておきます。あと、長い。8,000字くらいあります。それでも読みたいよ!と言っていただける方はこの先へどうぞ。

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霧の國、1人のAtmosの記憶

(時系列順に記憶をたどって、思考の旅をする。ひたすらに当時の出来事を並べたてた文章。と、写真)

最初に、演出上の承諾書以外に、入国の為の資料を書く。名前、性別、国籍、仕事、何しに霧の國へ入国するのか、そして「私にとっての"良い國"とは何か」を黄色い紙に書いていく。ここでふと思ったのは、そもそもこの公演が英語対応(翻訳者の立会いがあるので、海外の方も楽しめる。現に私の回には海外の方がいた)なので、この黄色い紙にも英語表記があるわけだけども、書いている私は「出国なのだから英語のほうがいいのかな?」と変な心配をして、黄色い紙には英語と日本語の両方の表記をした。さすがに最後の「私にとっての"良い國"とは何か」を英語で書くことはしなかったが、なんとなく出国とは日本語以外の国に行くのだという感覚が最初にあった。

黄色い紙を持って、持っている荷物のほとんどを預け、出国ゲートという名の扉前へ。「入国は初めてですか」に「はい」と答えて、出国を待つ。薄布のポシェットにはライトが1つ。撮影可能と聞いていたので、スマホをカメラモードにして入れておく。事前に動きやすい服装を指定されていたので、動きやすい靴と服で着た。何をするのかは一切不明だった。

出国には約12人ずつ部屋に進められ、これからのことについて説明を受ける。といっても、マスクの着用が必要であること、ライトを使うことや緊急時・体調不良時の反応について指導があり、ポシェットについた札の赤色と青色で列を分けられる。自分は赤の16番。意味は知らない。

一通り説明が終わると、赤の列・青の列からそれぞれ1人ずつ、言い換えれば2列になった先頭から順に奥の部屋へ入るように指示された。我々の足元には奥の部屋へ伸びる、赤い線と青い線。「白い枠線の中まで来たら枠内で自由にくつろいで下さい。枠からはみ出てしまうと、他の方にぶつかります」と言われており、自分は赤の札なので赤い線をライトで照らして進んでいく。

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線が走る先の扉を開けると、暗くて広い空間に出た。煙い・・・ではなく、霧か、視界が曇って見える。白い枠の描かれた黒い床、に収まるライトを片手にした数人、ゴミ袋の山、ビニールの張られた大きな立方体が空間の隅に置かれていた。青い線の人は扉に入ってから直ぐに右へ折れていき、私の進む赤い線はゴミ袋の前を通って立方体の前を通って、勿体つけて白枠内へと到着した。白枠は広いが、どんどん後ろから人が収まってくる。なるほど、白枠の外側を勿体つけて赤い線・青い線が走っているから、「枠からはみ出てしまうと、他の方にぶつかります」。

空間には頭上からサーチライトのように周辺を泳ぐ明かりの他に、人々の持つライトしかない(写真は個人的に、私が見えていた明るさや視界にしている)。人は増えていくが、何しろ2人ずつしか入ってこないので時間がかかる。手持ち無沙汰になった人が立方体を観察したり、天井を見上げたり、知人と一緒に来ている人は雑談をしたりしている。知り合いはいるが、一人できた私は「自由にくつろいで下さい」といわれていたので座って待っていた。

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なかなか始まらない。体感、5分以上は空間に進展がなく、既にいた人たちからもなんとなく『何もはじまらないぞ』という空気感が伝わってくる。海外の方4人(ちなみに80%の確率でノルウェー人なのだが)も、困惑気味に立っている。「怖い」という声も聞かれた。このとき、ここが日本であることを忘れてしまったような気がする。頭をよぎったのは、コンテナにつめられた異国の労働者の気分だった。 

突然、頭上から降ってくる声。人とは選択を繰り返して人生をすごしている、という話が始まる。聞き入っていると、事は早急に動き出す。ここまで入国という言い方をしていたが、そういえばこの公演は国を作るのだった。国の話が出てきてようやく、この空間が国作りの地盤であることに気が付く。白枠の両端、立方体と垂直に赤い線・青い線があるので、自分の色の線の上に立つように指示される。実は白枠線の中にはこれまた立方体とは垂直に、赤い線と青い線の間で平行して白い線が、原稿用紙の罫線のように数本走っている。

そこからは、唐突に意識調査が始まった。選定とは言われないし、これをする理由はこの時に特段の説明はない。空から降ってくる声の質問に、YESであれば目の前にある白い線へ一歩進む。一歩一歩進んでいくと、白枠中央に黄色い一本の線がある。これに到達すると、立方体の中に入れるという。質問の内容は例えば「芸術では世界を変えられない」「One for All, All for One」「貧しくても、ファストファッションには手を出さない」「水道から安全な水が出ても、飲料水を買う」等。印象的だったのは、「All for One, All for One」(だったと思う)と聞いたときに、自分ともう一人(海外の方)しか動かなかったこと。だったと思う、というのはあの場のほとんどが意味の理解に時間がかかっていたように感じたから。

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立方体には11人しか入れない。黄色い線に行き着いた人から、立方体に入っていく。11人が入ると立方体の入り口は閉ざされ、こう説明される。「今、その中にいる人たちは意識調査の結果、意識の高い国民として選ばれた人たちです。」立方体の外にいる人たちは祝福の拍手を、立方体の中にいる人たちは外に向かって手を振ることを言い渡される。この国に、格差ができた。

立方体は白い枠線の中央に動かされ(この立方体は接地面以外に透明ビニール、背面だけ白色のビニールが張られ、接地面は何もなく、木枠だけの軽い装置なので人の手で場所や角度が変えられる)、まずは立方体の中の人の話から始まった。意識の高い国民は、立法体内の空気が綺麗であると告げられるのでマスクを取り、炭酸水が振舞われ、乾杯をする。次に立方体の外の人は、2列に並ぶように指示され、立方体の中の人のために椅子を運ぶよう要求される。椅子の、バケツリレー。立方体の中にはCAを思わせる女性が2人(うち1人は通訳)、立方体の外には研究所の防護服のような白い服をまとった人(都合、以降は「指示者」と呼ぶ)が作業指示をする。

椅子を立方体に運びいれて初めて、立方体内の白色ビニール面に霧の国の説明が入る。概要はこうだ。「霧が急に立ち込めたこの国を、人々は霧の国と呼ぶようになった。独自のエネルギー確保、独自の産業を遂げた。意識の高い国民はCloud、それ以外の労働層をAtmosと呼ばれる階級に分かれた。」簡単に言えば、立方体の中にいる人々がClouds(雲)、立方体の外にいる人々はAtmos(atmosphere:大気?)である。私は、Atmos。これを否定する根拠もなければ、この時点において差別的であるという考えも特に浮かばない。ただ1つ言えることは、CloudsとAtmosの住む環境に空気の差があるということだけは理解した。

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一頻りの概要が終わると、我々労働層のAtmosは働く為にラジオ体操をする。立方体のビニール越しに、Cloudsがクラッカーを食べながらこちらを見ている。ラジオ体操中に指示者が、「あの空間は、異常時には全員が避難できるようになっている」と、この時に言っていた気がする。体操が終わると、レインコートが配給される。立方体の周りに集合し、挨拶の仕方(右手は左手の下、へその上。足は肩幅、お辞儀は1.5m前を見ながら45度)、「Fog for All, All for Fog」と舌の噛みそうなスローガンを大きな声で言わされる。言っている対象は虚空ではなく、あくまで労働を与えてくれている(と主張される)Clouds宛て。「お疲れ様でしたぁ!」と1.5m先の立方体内の床を見ながらいう。そしてまた、「霧の国のエネルギーは霧から生成されている」という、教育的動画として白いビニールに投影される。

動画が終わると、Atmosの労働。労働とは、この国の片隅に詰まれた有毒物質を運ぶこと。立方体の周りにゴミ袋が積まれると、Cloudsが物珍しそうにこちらを見ている。「手で触れてはいけない」と指示者に命令され、4人1チームになって手を使わず、身体を寄せ合って国の外(入国のときに通った赤い線のルートを態々通って、入国時に通った扉まで)へと、ゴミ袋に詰まった有毒物質を運ぶ。終わると、今度はもっと大きなゴミ袋の塊を、今度は6人1チームで運ぶことになる。熱い。レインコートで身を寄せ合って荷物が落ちないように力み、赤い線はおよそ70~80m。手を使わないで赤い線上を歩き続けるには、私には声を掛け合うか、一番近しい人間の背中を押し引きして動かすことしか思いつかなかった。比較的うまく運べたチームだったように思う。ちらりと白枠の中央に鎮座した立方体の中を見ると、Cloudsが輪になって座りマイクをまわして何かを話している。

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また労働が一頻り終わると、動画を見る。霧の国の独自産業がいかにすばらしいのかを、ただ立法体内に映し出された内容を見る。また、動画が終わる。すると、「これから、Cloudsからありがたい言葉がある」と指示者に言われる。「Cloudsにしていい質問は1つだけ。『それはなぜですか』。これ以外に言ってはいけない。我々がCloudsに意見を言うことは許されない」そうですか・・・と、Clouds1人あたりにAtmosが4人ほど割りあたってビニール越しに、私は1人の男性の目の前に座る。このとき、初めて近くで立方体を見て、ビニールの薄さ、声の通りやすさに驚いた。男性はにこやかに「僕たちは、君たちを助ける為に、この国を豊かにするために話し合ったんですよ」という。概して、こうだった気がする。「君たちにも平等を与えたりして、Cloudsと同じ環境で住めるようにしてあげたい。でも、そうすると働く人がいなくなって国が立ち行かなくなると言われた。だから、結論はまだ。」まだなのか。と思ったが、言える事は1つしかない。「それはなぜですか?」「いや、なぜかAtmosの人たちは働かなければならなくて、」「それはなぜですか?」「なんか、そういわれたんですけど、」「それはなぜですか?」小首をかしげながら、こちらは『それはなぜですか?』と必死ににこやかに、これしか言わない。時に同じ男性から話を聞いていた人に向かって、「なぜですかね?」などといいながら、男性の話を聞く。

男性の言葉が詰まったころ、事件は起きた。突如サイレンが鳴り、周りが暗くなる。各々がライトを取り出す。緊急速報よろしく、霧のエネルギー工場で異常が発生したと放送が入り、指示者が慌ててライトをつけ、「少し様子を見てくる」と言って去る。沈黙、そして暗闇。天から声が降ってくる。「誰もが平等に見舞われる異常事態です」「この暗闇は、みなに平等に降りかかるものです。寝転がってもかまいません、1分間、この暗闇を楽しんでください」と言われる。沈黙。時折する、レインコートの衣擦れ。透明ビニールにも闇は広がっていて、誰もがいるが、誰もが見えない。1分は思ったより長くはなかった。ライトをつけた指示者が戻ってくる。放送が聞こえる。避難してください。すると、立方体の中にいたACが立方体の薄い入り口を開け、その中にAtmosを招き入れてくれた。

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少し、不安になった。およそ35名が入るスペースなのか。以外にも立方体の中には全員が納まった。図らずして最後のほうに入った私は、立方体の真ん中にいる。

ニュース速報のような放送が聞こえる。「エネルギー工場の事故は人災であり、反乱軍の犯行声明が出された。反乱軍のメンバーは、避難区域に紛れ込んだ模様。」そんな内容が繰り返し放送される。一瞬にしてシンとする。真ん中あたりにいたことが運悪く、全員の視線を感じるので少々引き下がる。暫くのにらみ合いがあった後、一人の女性が「探したほうがいいんじゃないですか」と言う。その時の顔を見て、私は[緊張のあまり笑顔になってしまう、遠慮がちの日本人だな]と思ったことを覚えている。彼女が言葉を続ける、「みんな死んじゃうかもしれないですよ。」これに対しても[少なくともAtmosの仲間であれば、今Atmosである自分が殺される理由はない]と考えたのを覚えている。しかし、たまたま同じ空間にいた知人に指差され、「反乱軍なんじゃないか」と言われる。それはそれで視線がこちらに集まる。「違いますよ」としか言えず、また沈黙、そして同じ女性から「探したほうがいいんじゃないですか、みんな殺されてしまうかもしれませんよ。」耐えかねて私は「少なくとも・・・放送から考えるに、Atmosの人間でしょうね」と答えると、同意っぽい反応だけ返ってくる。そして、沈黙。

あまり話が動かない。そうこうしていると、立方体の外から鼻歌のようなものが聞こえてきた。そして、黄色い旗を掲げた、レインコートを着たAtmosであろう10名ほどの人々が、立方体の周りを、鼻歌を歌いながら回る。歌は"You Are My Sunshine"。本当に立方体の中にいた反乱軍のメンバー(男1人、女1人)が、ゆっくりと立方体の外へ鼻歌を歌いながら出て行く。

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立方体は、囲まれた。天からの声が聞こえる。彼ら反乱軍は、霧の国の環境汚染についてCloudsたちが情報操作をしていたこと、改革としてCloudsの身柄を引き渡せといっていること。そして今、立方体の中にいる我々でCloudsを差し出して反乱軍の仲間になるか、Cloudsを引き渡さず捕虜となるのか選べということ。この時、たしかにこの立方体の中では殆どの意見が出てこなかったが、一瞬にして「Atmosの総意によってCloudsを引き渡すか引き渡さないか、一蓮托生である」と理解していた。だからこそ、「多数決にしませんか」という提案で、すぐに話は動き出した。

「多数決に、しませんか」これを最初に言ったのは、先ほどの女性だった。

「その前に、Cloudsで、自分は率先して(立方体の外に)出て行っていいという方いますか」と私は聞いてみた。2~3人いた。ただ、2~3人のCloudsだけでは総意にならない。「Atmosで多数決しましょう」と呼びかけ、引き渡す側と引き渡さない側で立方体内が二分される。Cloudsから「わ、私たちも参加は」と言われ、若干思案して「すみません、Atmosだけで決めさせてください」と返す。反乱軍の歌が聞こえる。結果は、10人が引き渡す、12人が引き渡さない。立方体内では、関心と諦めに似た溜息が漏れた。しかしして天の声が何か言った後(聞き取れなかったが、どうやら多数決で引き渡さないことになりました、と言っていたようにも聞こえた)、

「引き渡すという判断をした方は、立方体の外へ出て、反乱軍の列に加わってください」

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なんとも言えない空気となった。そうか、総意じゃないのか。いや、総意だったのか?引き渡すことを賛成した10人が、立方体の外へ出て行く。ただただそれを見送る。私の判断はCloudsを引き渡さない、だった。天からの声が指示する。「Cloudsを引き渡さず、捕虜となった方々は両手を頭の上に」「反乱軍に加わった人はライトを持って立方体の中を照らしてください」。きっとはたから見れば、捕虜を機銃のライトが照らしている形になっただろう。気が付けば鼻歌は歌詞の礫に変わって響いていた。天の声が続ける。「私は最初に言いました。選択をしたとき、選択をしなかった世界があることを」。私の選択しなかった世界が、反乱軍に並ぶ人たち。反乱軍に並んだ人たちの選択しなかった世界が、立方体に残された捕虜の私たち。歌が、大きく響いていく。

立方体が持ち上がり、捕虜達の頭上を越えてなくなる。気が付けば反乱軍たちが白枠の外へ並んでいる。そして、天の声が次の選択を迫る。

忘れていたが、ここは横浜の中華街端にある、徒の空間だ。締め切られていたカーテンが徐に開くと、向こう側にはイルミネーション、建物、そして通常の日本人の姿を確認できた。窓の内側に、レインコートを着た大勢の異国の人がいる事を、きっと窓の外の人は気が付かないだろう。天の声が「窓の向こう側の国が、(霧の国の)私達を歓迎してくれると申し出てくれた。識字率も高く、安全で、豊かな国です。もしもあなたがあちらの国へ行くのであれば、あの扉から進んでください」と言う。捕虜としてあげていた腕を下ろし、窓の外をぼんやりと眺める。この時・・・一ミリもあちら側へ行こうとは、思わなかった。

ふと自身の背後を見て気が付く。立方体は直ぐ真後ろに後退していたが、そこには「私にとって良い國とは、      國である」と投影されていた。空白に次々と文字が浮き出ては消える。きっと今日の人々が入国時に書いた言葉が入っているのだろう。色々あった。皆が平等に幸せであること、不自由のない生活がおくれること、smile、Peacefull等々・・・私のもあった。立方体の前にいた捕虜達は動かない。しかし、少しずつ反乱軍たちが扉を抜け、イルミネーションを横切っていく。国に残る決断をした私達には、釘付けのように投影された言葉の、次の言葉を待つしかない。

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反乱軍の最後の一人が出て行くと、妙な静寂が訪れた。天の声が、これがあなたの選択でしたが、これが本当に正しい選択だったのでしょうかと、問いかける。それでもまた、この国には朝が来る。先ほどより少し明るくなった空間に霧は濃く、ラジオ体操第一(ちなみに英語版)が聞こえてくる。残された人たちが、深呼吸をしようと手を振り上げる。

そこで、このお話はおしまい。

ちなみに「私にとって良い國とは、[公平という意味をはきちがえない]國である」だった。私のこの国での行いは、どうだったのだろう。

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参加存在の思考と行動

ここから先は個人的な感想です。メモ的に書いておきたかったことを残しておきます。結論などは存在しません。

■私自身の参加スタンス
すっごくどうでも良い話の可能性があるので、読み飛ばしていただいて問題ない。ただ私が態々これを記載しようと思ったのは、イマーシブシアター(以降、「イマシブ」)に参加する際、イマシブへの経験値が作品に対して意図しない環境(ゲーム性)を与えてしまうのではないか、ということを考えて参加していたから、と言うことを伝えておきたいと思ったからである。別にそんなことを考えずに参加すればいいのにという話に他ならないのだが、最近没入型の演劇が先行しているイベントに参加する度、「所謂参加慣れによって先読みによる行動や必要以上の運営に対する空気読みが、提供されてるイマシブの想定環境を、少なくとも私以外の参加者を巻き込んで壊しているのではないか」と考えるようになったのだ。本当に参加前から深読みが過ぎる。

イマシブに関わらず参加型・体験型のイベントが増え感じるのは、不完全な物語に対しても楽しむ能力を持った人たちは、潜在的に経験値から想定できるゲーム性(≠イベント性)をその場の環境に見出しているんだなということである。一種の先回り思考、”お察し思考”である。故に、物語性が先行して環境(あるいはシステム)の作りこみが疎かなイベントでも、なんとなく参加者自身のゲーム性の持込が可能であれば、参加者の満足度が高くなる印象を持っている。逆に、環境(あるいはシステム)の作りこみが先行して物語が中途半端だったり、想定可能な範囲外の環境(あるいはシステム)が用意されていたイベントについては、ゲーム性の持込がそもそも制限されて楽しみ方が強制されるので、評価が芳しくないように思う。

ちなみに、私もミステリーイベントを作る人間として、参加者の楽しむ能力には助けられることが多々ある。し、悪い習慣のようにも捉えている。特に没入型にゲーム性の持込みが発生すると、個人的に消化するのであれば問題はないが、時に没入型が提供している環境を無視してメタ的なゲーム性を他の参加者にも飲んでもらうことになる。前提のない参加者がそれに対して「そういうものだ」と納得できる人ばかりなら問題ないが、「何で急に仕切りだしたんだ」とか思う人がいるだろうし、「この”イベント”を知ってる人がいるんだな(※)」と思って没入度を中途半端に下げられたと感じる人もいる気がする。それは、なんとなく不幸ではないか。このあたりはもっと別の機会に脳内がまとまったらnoteにしよう…。
※小池個人、没入型イベントの最中に「これはイベント」と思うのは、夢の中で「これは夢」と思うくらいには無粋だと思っている。同時に、この思考が「別に無粋じゃなくない?」と思う人がいることが分かっているくらい、妙に律儀な思考であることも分かっている。

参加スタンスの話に戻ると、私は前述のようなことを考えていたので、まず本作内でお察し思考により何かをする、ということを禁止した。「これはXXXのようなものだから、こうすべきなんだろうな」とか「この展開はXXXをさせたいんだろうな」という想定可能な物語展開やゲーム性は持ち込まない。あくまで、私がその環境においての刹那的な思考で行動や選択をし、これに対し環境を考慮した論理的な理由がない限り、最初に選んだ行動を変えないようにした。

ここで注意したいのが、決して”一方的に受身だったわけではない”という点である。没入型は参加者自身が物語を歩くために”能動的に行動する(Active)”ことと、提示された環境に順応して”受動的に行動をする(Passive)”ことが要求される。要求は、言い過ぎに思うだろうか。しかし、完全なる自発性の塊では物語に沿えないし、完全に受身では…せめて指示されたら動いてもらわないと物語が進まなくて困る。人にとってバランス感は異なるだろうが、Active-Passiveの両方を心に持って行動すべき(had betterというより、should)なのは間違いない。

余談だが、イマシブにて”積極的に行動する(Positiveness)”ことが、イコール行動量が多い方がいい、とか、行動による物語の介入率(Not 干渉率)が高いほうがいい、とか、勘違いされている気がたまにする。なお、積極的な行動イコール能動的な行動、というわけでもない。能動性も受動性も、主体となる人物の積極性は常に求められる。ただ行動量や介入率が多いことは、程度が過ぎれば超過した能動性/受動性の欠乏に相当し、バランスがよろしくない。あと、イマシブの面白みの1つである自由度は、環境への消極的関与という行動が取れる点にあると思う。大変な矛盾に聞こえるが、「積極的に物語に参画するため、環境を維持し受動性を保つ範囲で、逆らう・成り行きに任せる・言われるまで動かない等、集団と比べて比較的に消極的な関与を能動的に行う」と言いたいだけで、決して「反抗的な行動(受動性がない)」とか「何もしない(能動性がない)」とか言いたい訳ではなく…ううん、単純にいうと干渉率の自己調整とか…「押すんじゃなくて引いてみる行動」がイマシブでは積極的に行えるのが面白いよね…って言って伝わるのか。とにかく、積極性と消極性の議論になると行動量・介入率の印象が強いので、イマシブでは能動性と受動性で議論されるべきだなと度々思っている。本作参加の私は、とある国の住民になるということを、国の規範に従い(受動的)ながら個人の規範(非お察し思考)に従って行動や選択を行った(能動的)。国民ってそういうもんだろうなっていう判断でもあった。

他の回の参加者の感想を見ると、最終局面で比較的議論をした回もあった様子だ。しかし幸いにして(?)、私の参加した回は知人も多かったが物語へ積極的に介入して進展させようと動く人がいなかった。それには海外の人が含まれていたからというのもいくらか関係しそうだが、単純にその提示環境下で空気を読む人間と腹を探る人間が多かったから…かもしれない。でもだからこそ、私は参加しながら色々その場の状態についてメタ的ではなく考えることができたし、楽しかった。

■思考と行動、乖離の記憶
備忘録的に、それぞれの物語の展開で何を考えていたのかまとめてみようと思う。勝手に場面名をつけたので、参加した人にはなんとなくわかるようになっているが、参加しなかった人は前編を読んだほうが分かりやすいかもしれない。Aは実際にその場面で行動した小池の思考、Bは参加スタンスはおいといて経験値をつんだ小池が考えていたことである。

【国民選別~ラジオ体操・労働マナー】

A:
<選別中>現在の生活水準を霧の国でも実現可能という前提で考えるならば、加えて小池自身の現在の生活態度や行動思考で、嘘偽りなく質問に回答していこう。
<選別後>Atmosになったわけだが、この階級に不満を持つ理由はない。例えば誰かの一方的な決定であったり他の人と自分を比べる手段があったのであれば、不満が出るかもしれない。けども、あくまで今の生き方に対する問いに自ら選択したので理不尽もなく受け入れられる階級だ。少なくとも、階級を与えられただけならば特別感も差別感もないだろう。さぁて、これは働かされるな?なにやらされるのかなぁ。
<ラジオ体操>ラジオ体操だぁ!ひゃっはー。いつも、身体を大きく振って~の体操の時、右を大きくはできるけど左を大きくする時のタイミングが合わないんだよな!…ほらな!
<労働マナー>スローガンがある、挨拶の研修がある!そうか、挨拶の時には右手を左手の下に置くんだな。抜刀して攻撃しないよって意味だったのか。左手は不浄の手だから右手の下に左手を置くと考えていた私は、きっとインド人なんだな!(後から調べたが、業界や性別によって異なるらしい。国際マナーでは左手で手や物を取ることがタブーなので、基本右手が上の方が安全。
B:
<選別中>空間に奥行きがないので、立方体はあそこに固定されたままだとして、立方体に入ったら立方体の外に出ることは滅多にないはずだ。入れる意味がない。であれば、立方体に入らないで外にいる人が国民、立方体内が政治機関か貴族的な立ち位置になりそうだな。ま、この質問内容じゃ明らかに小池は、立方体には不向きだ。
<選別後>国民に階級を作り役割を定め、国には資源があり、きちんと運用されている。資本主義ではないんだな。ま、資本主義で国を立ち上げることほど難しいからな…。立方体内の人たちが政治を担うっぽいがそれは役割であって、国の運用主体(政治機関)は描かれない?立法体内の人たちは政治に口が出せる貴族的立場か?Atmosは労働階級だから、これはどこかで反乱なり反抗因子が出てくるやつかな。ただ、奴隷階級がいるわけではないので、反乱が起きたとしたらAtmosから労働の平等を訴えるやつ?特権階級撤廃?にしては差別要素が薄いし、Cloudsに強い政治機関の描写とか、あるいは比較対象となる他国の描写があってもいいよなぁ…立方体内との交流がどこかで発生するかなぁ。…それより、これからなにやらされるのかなぁ。
<ラジオ体操>…全力で体操しているけど、その間Cloudsたちはラジオ体操をしているAtmosを優雅に眺めている。ようにみえるが、これ完全に、中央にいるCloudsが立方体に閉じ込められている様をAtmosが眺めているようにしか見えん。例えばCloudsが高みからこちらを見ていたり、AtmosからCloudsが見えない構造ならいいんだが、完全にCloudsのいる檻を見ている気分だ。これ、恥ずかしさからしたらCloudsの方が上なんじゃないか?…あれ、何か食べている?(食べていたのはクラッカー…らしい。)
<労働マナー>Cloudsが手持ち豚さんでこちらを見ている。そういや、国を作る前提の本作が伝えたいことって何なんだろう?あくまで演劇なので、展開に転・結がくることは見えている。選択を迫る形式を冒頭から提示されているので、最終的に自身の階級を前提にした選択を迫られるのではないか。であれば、今のうちに「私がなぜ、この国で国民をやっているのか」の前提があったほうがよさそうだ。うーん…でもここで今の日本を出して、何らかの理由で日本国民から霧の国の国民になるしかなかった、とするのは厳しい。私は自国(日本)に対する愛国心があるし。であれば…もう「霧の国の国民になる」ことが確定して霧の国に来たことにした方がいいだろう。日本?そんな国のことは忘れた…ただ、演出的には最初に日本から来ている前提(出入国手続きが存在)なので、この労働階級の状況を日本での労働と比較してしまう人がいるだろうな。とすれば、そういう点で反乱が起きるのかなぁ。

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