声優の結婚や出産を素直に祝えなかった話
「推し」が一般的になってきたのはいつからなのか。
「萌え」や「俺の嫁」はもはや死語だし、「豚」もぼちぼち怪しい。
いつの時代もやばいオタクや界隈は一部あるにせよ、全体的に随分行儀が良くなったように思うし、オタ活といえば、対象を応援し、敬い、幸せを願うことにすっかり変化してきた肌感覚がある。
昔は違ったとは言わないが、自分が青春時代を過ごした00年代から10年代初期は、オタ公言はとても恥ずかしい事だったし、隠れてコソコソつつましく楽しむのが「善し」とされる空気感だった。
#勝手な勘違いや被害妄想も含む
もちろん時代は変わる。
オタクが「迫害」ともいえる苛烈な扱いを受けてきた80年、90年代を過ごしてきた諸先輩方の時と自分達の時が違ったように
クリスマスイブの行動監視スレなんてものが流行ってたのもいまは昔
#当時から大半の人間には気持ち悪いと思われてたし、本気の人間は…うん
声優どころかアイドルも。
熱愛発覚や結婚、出産といったかつてはタブー視されてた事でも、
それが社会正義に反した不倫などでなければ
素直に祝福する空気が醸成されて久しい。
自分もそうした「善良なオタク」であると信じたい。
でもたった一人。
どうしてもそれができないままでいた声優さんがいた。
その方の名は阿澄佳奈さん。
「熱心なファン」というわけでは多分決してなかった。
出演作をすべてチェックし、イベントとなれば東へ西へ足を運び、事務所へファンレターやプレゼントを送る。
それくらいの事も出来てたって言えない受動オタク。
でもあまりに特別な存在すぎて、ずっと素直な祝福の言葉を投げられないでいた。そんな自分の回顧録の書き殴りです。
時はさかのぼって2007年。
当時高校生だった自分は、まぁ色々あって不登校になり#イジメじゃないよ
深夜徘徊を探り返す不良少年でした。
ただ、山と田んぼしかないようなド田舎。
深夜に高校生がぶらぶらして時間をつぶせるような場所はほとんどなく、もっぱら国道沿いのゲ◯で立ち読みをして過ごしていた。
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お宝◯庫系がうちの田舎に出来たのはもう少し後
何をするわけでもなく、ただただ無駄に時間を過ごしていたある日。
たまたまガンプラコーナーを眺めていたところ、目に入った「武装神姫」というおもちゃが人生の転機になった。
今でこそ当たり前な美少女の可動フィギュア。
ただ当時は珍しく(というか市販品だと初か)、またコードを入力すれば手元にあるフィギュアとその武装がオンラインゲームで使用できるよ!という宣伝文句に惹かれ、レジに持っていった。
家に帰り公式サイトにアクセスし、情報ラジオ番組を配信している事を知った。
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コ◯ミは許してないしサ◯ゲには頑張って欲しい
そこで阿澄さんに出会った。
別に何があったわけではない。
送ったメールが読まれたとか、自分に言われたように感じる特別な話をされたとか
そんなことは何もなかった。
ただただ、喜多村さんと楽しそうに話す阿澄さんのラジオを聴いていただけ。
それだけで、本当にそれだけで救われた。
阿澄さんの声と明るさに勝手に励まされ、元気づけられた。
これはオタク特有の大袈裟な表現でもなんでもなく、本当に人生を教われたと今でも思ってる。
あの日あの時、武装神姫に興味を持ちラジオを開いて阿澄さんに出会わなければ、きっと今頃田舎で親のスネをかじる豚ニートが生まれてた。それとも自◯してたかな?無駄にプライドだけは高かったから。
ともかく阿澄さんとの出会いによって勝手に元気とやる気を取り戻した自分は、バイトをはじめ、通信制の高校に入り直し、自衛隊に入って資格を取り金を貯め、一般企業に転職して、なんとか外れたレールの軌道修正に成功して今に至る。
本当に感謝してもしきれない。
だからこそというか、出会ってから16年。
拗らせに拗らせて今に至ってしまった結果めんどくさいオタクに育ってしまった。
拗らせた原因のまず1つ目は声優趣味を話せるオタク仲間が周りにいなかったこと。
元々今ほどSNSが発達しておらず、同好の士でつながるのも難しかった高校生(しかも田舎の通信制)
そもそも2007年当時、リアルで声優好きを公言するには高校生の自分にはハードルがとても高かった。
かと言って匿名掲示板は便所の落書き、コテハンは悪だし個人サイトほどディープに行けない。
結果的に声優趣味は自分にとって誰かと共有する趣味ではなかったし、繋がりたいと思うことも無くなっていった。
なんでも話せる友人関係を手に入れられたのは随分経ってからだし、その頃にはすでに拗らせきってたので、阿澄さんに関しては変わることはなかった。
Twitterでも、プロフィール欄に他の推し声優の名前はあっても阿澄さんの名前は載せてない拗れ具合で正直自分でもどうかと思う。
#「推し」って言葉だけで表現したくないとかいうさらにめんどくさい気持ちもあるけど
不幸な出来事が続いたせいもある。
高校を卒業して自衛隊に入り忙しい日々をすごしてたこともあり、活動をちゃんと追えない日々が続いてたものの、出演作のアニメやラジオにはいつも活力をもらっていた。
ただ2011年、ライブイベントにも参戦…?でもライブとか行ったことないし…と尻込みしていた声優ユニットのLISP。
年でお察しだと思うけど、東日本大地震。災害派遣。
精神を磨耗する日々の中で知った、阿澄さんの多忙による体調不良と活動休止、そしてLISPの解散。
それどころじゃなかったのもあってこの頃の実情は最低限の断片しか拾えてなくて。
声優の話ができる友人でもいれば別だったかも知れないけど、ここでまた大いに拗らせた。
おかげで今でも本田未央とはまっすぐ向き合えません。
関係ないのは当然分かってるんだけどね。
#当然の事だけど災害派遣に参加した事自体は誇り。ただそれはそれ。
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後はやっぱりというか当然というか結婚の報告
なんだかんだで自衛隊から転職した仕事にもなれた頃。
年末年始出勤した代わりに遅めの正月休みを帰省した実家でダラダラしていたその時。
ネットニュースで「阿澄佳奈結婚」の報を知った。
スマホの画面を割ったのは後にも先にもこの時だけで、自分でもびっくりするくらい衝撃を受けた。
誓っていえるけど恋愛的な感情というのは当時も今も全くない。
だから当時はなんで自分がこんなに衝撃を受けたのか不思議でしょうがなかった。
今考えると一番近い感情は、
思春期真っ只中の男子中学生が、小さいころから遊んでもらっていた、従兄弟の綺麗なお姉さんが結婚すると聞いた時の気持ち
が一番近いのかな。
愛とか恋とかではなく、神格化までもいかないまでも「究極に美化された憧れ」に近い感情。
まぁそれだけなら男子中学生らしく2、3日落ち込んだ後、ちょっぴり大人になって乗り越えられたはずなんです。
…ていうか本当それで終われた話なんですよ。
ここから話の方が拗れるんですが、今までずっと結婚報告の文で「相手は普通のおっさんです(笑)」と書かれてた事にショックを受けて脳が爆発して拗らせたと思ってたんですね。
ただ今回色々書き殴るにあたって裏をとろうと改めて当時の結婚報告の文を見てみたところ…
そんな事一言も書いてないね?
て言うかお相手のことは何一つ触れてないね?
おそらく、当時から掃き溜めで、面白おかしく悪意を持って人を煽る事しかできないまとめブログかなんかに書かれた文章かなんかとごっちゃになってたんだと思います。
意図して便所の落書きは見ないようにしてたんですが、ショックのあまり色々漁ったんでしょうね。結果傷を広げたっぽいです。
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全文読むとマジで一言もそんな事書いてなかった。俺は9年も何に怒ってたの?
これ今気づいてほんとに恥ずかしいんです。
ただ言い訳させてもらうとショックを受けた結婚報告の文なんか後からわざわざ見返しに行きます?って話で。
正直この時の細かい記憶が全く残ってなくて、唯一覚えてるのは尋常じゃない凹み方をしている自分に、滅茶苦茶仲が悪く高校卒業後から現在に至るまで片手で数えられるくらいしか会話していない弟が、わざわざ自分の好物のモスパーガーを買ってきてくれたことくらいです。
結局休暇の1週間打ちのめされたまま終わったものの、何とか心の整理をつけて立ち直りはしました。
まぁこんな感じで色々拗らせを抱えたまま今に至るわけですが…
一番デカいと思ってた拗らせの原因が思い込みによる勘違いって分かったんで恥ずかしくて死にたいです。
とりあえず一旦忘れて2021年末のこと。
この時にはだいぶ心持も落ち着いていて、他の声優コンテンツ(デレのマス)との付き合いを通じて心境の変化もあり、
ポツポツながらラジオのコーナーにメールを送るくらいになっていました。
そんな状態で迎えた2021年の大晦日。
年末年始も普通に仕事だったため、阿澄さんのラジオをリアルタイムで聞いてませんでした。
そのせいもあり、自分が知ったのはまたしてもネットニュースでした。
「阿澄佳奈、離婚再婚と妊娠を公表」
正直結婚の時ほどの衝撃はありませんでした。
でも「普通のおっさん」とは結局離婚したんだ、という事実が聞く影を落としました。
#ただの勘違いによる自傷
とはいえ8年前とは違い、複雑ながらしっかり受け止め切ったつもりでいました。
ラジオのアーカイプもしっかり聴き、ツイッターのリプでおめでとうございますと打って、ラジオにメールも送るつもりでいたんです。
ただどうしても指が動かない。送れない。
拗らせてる自覚はあったものの、そこまでだったかと愕然としながら正月3が日を自己嫌悪で落ち込みながら過ごしました。
その後、無事に出産された後も「おめでとうございます」を送ることはできませんでした。
産休後、ラジオに復帰した後の話になります。
それまではプライベートなことを話すことはほとんどありませんでした。
ただやっぱり子供ができるとどうしても子供の話が出てきます。
結果リスナーからのメールもパパさんママさんからのメールが増え、それにこたえる形でまた子供の話が増えるようになってきました。
それが嫌だったとかはなく、ただただこの期に及んで素直におめでとうございますの一言も送れない、そんな自分に罪悪感を抱えながら聞き続けていました。
そんなラジオが今年の3月で終了してしまうという報せが届き、途端に焦りだします。
初めて阿澄さんを知ってから、ほぼ途切れることのなかったレギュラー出演のラジオがなくなってしまうのです。
番組が終わる喪失感はもとより、
時間が解決してくれると、
先延ばししようとしていた気持ちに整理のつかないまま、また拗らせてしまうかもしれないという危機感です。
彼女でもできれば変わるかもと動くもうまくいかず、#アプリで3回ドタキャンされて心が折れました
そのまま番組終了の日を迎えてしまいました。
あぁきっともう一生ダメなんだろうなと思っていましたが、挽回のチャンスが訪れます。
最後の最後に番組イベントが開催されるとの告知がありました。
「これしかない」
16年、一度も生で拝見したことはなかった阿澄さんに会おうと覚悟を決め応募しました。
別に何をするわけでもありません、
ただ特大の恩がある阿澄さんに対し、
おめでとうの一言も言えない
自分のひねくれた心を何とかしたかった。
生で見て、声を聴いて、それでだめならもう一生石になってこの気持ちを抱えたまま溺死しようと
迎えた当日、取れたチケットは2部制の第2部。
本当に本当のラストです。
席は2列目。ステージ中央に据えられたアウトスタンドと椅子がよく見える位置。
「あぁ、あそこに阿澄さんが座るんだ」
そう思うと手が震えます。
会場から開演までの30分、それまでの思い出を振り返りながらただ審判の時を待ちます。
軽快ないつものジングルに続けて阿澄さんが登場された瞬間に何を思ったか、正直なところよく覚えていません。
ただ会場にいながらどこか現実感がなく、普段通りのラジオを聞いてる気分でいました。
それでもトークが進み、コーナーが進み、阿澄さんの姿を瞳に映し、鼓膜を振るわせていくうちに、少しづつ現実感を取り戻していきます。
約1時間半のイベントはあっという間です。
いよいよ最後のコーナー、「ことのはつむぎ」
阿澄さんの想いを、気持ちを、言葉で伝えてくれるコーナー。
事前の用意はせず、今この瞬間に溢れた言葉をとの事でしたが、堪えきれず涙がこぼれます。
嗚咽混じりに紡がれる想い。
普段のラジオやアニメの仕事では決して見せることのない生の気持ち。
これを受けとった時、ようやく自分の気持ちに整理をつけることが出来ました。
すごく失礼な話、心の底から同じ人間なんだという事が理解できた感じです。
もちろん頭の中ではそんな事ずっと前から分かってるし当たり前の事だって信じてました。
でも心のどこかでちゃんとそう思えてなくて
きっと憧れがあまりに強すぎて、夢やおとぎ話じゃない現実だって16年ずっととらえられてなかったんだなってようやく分かりました。
別にそれで何が変わったわけじゃないです。
阿澄さんがかわいらしい声の、とても素敵な女性だって思いに変わりなかったです。
ずっと憧れだったし、きっとこれからも憧れです。
ただ16年前、夜中に居場所を求めてうろうろしてた頃のままだった少年の心がようやく落ち着いて大人になっただけの話。
イベントが終わってしばらくは立ち上がる事が出来ませんでした。
厄介な荷物だったかも知れないけど、16年一緒にいたものです。
心の中はなんだかスカスカでした。
家に帰っても何かをする気になれず横になったままぼーっとしていました。
ただ明日も普通に仕事、弁当の準備が必要です。
よっぽどコンビニ弁当で済ませようか迷いつつも、気力を振り絞って米を炊き、卵を割り、ブロッコリーを茹でます。
卵を焼いてくるくる巻いて、茹で終わったブロッコリーと一緒に弁当箱に入れて冷ましたら、冷凍食品を適当に詰めて完成。
「始まれば終わる」は鷲崎さんのラジオで聞いた言葉だったか、その通りだなって少し元気が出ました。
翌日、重い体を忍空の「それでも明日はやってくる」で奮い立たせ、なんとか仕事をこなしながら、今の気持ちを文字に起こして整理しようと決めて書いたのがこのnoteです。
最後に精一杯の心を込めて
結婚、ご出産おめでとうございました!
これからも応援してます、大好きです
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/106255407/picture_pc_2c14d13b14d7d4f6b119b9ebfd809c41.jpg?width=800)
同窓会の時を楽しみに待ってます
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