【和氣慎吾】ボクシングに導かれた人生。「自分はまだ世界を目指せると信じている」 2022年6月23日
◇スーパーバンタム級8回戦
日本スーパーバンタム級4位
和氣慎吾(FLARE山上) 36戦27勝(19KO)7敗2分
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日本スーパーバンタム級9位
水谷直人(KG大和) 18戦9勝(3KO)7敗2分
抜群のスピードを誇るサウスポーがリングに戻ってくる。
昨年11月、井上尚弥の弟で元WBC世界バンタム級暫定王者の井上拓真(ともに大橋)との大一番、WBOアジアパシフィック・スーパーバンタム級王座決定戦に敗れた。世界ランクを失っても、和氣慎吾が目指す場所は変わらない。
「自分の性格上、そこを中途半端にして復帰はできないんで。このままじゃ終われないな、と思ったし、自分はまだ世界を目指せると信じているから。それがいちばんでしたね」
井上戦後は「ひとりで悩む時間が長かった」という。34歳。世界戦線からの後退には、嫌でも「引退」の二文字がつきまとった。
「どうしても負けた直後は考えました。これまでは負けても次、また頑張ろうって、すぐ練習を再開できたんですけど、1ヵ月ぐらい練習もせずに。ここまで長く休んで、悩んだことはなかったです」
6年前、当時21勝オールKO勝ち(無敗1無効試合)のIBF世界スーパーバンタム級王者、ジョナタン・グスマン(ドミニカ共和国)に11回TKOで敗れた世界初挑戦後も1ヵ月以上、休んだが、1週間の入院を含め、ケガからの回復のためだった。試合の翌日に迎えた29歳の誕生日には、すでに再起の決意を固めていた。
そこから6連勝。強打の日本王者・久我勇作(ワタナベ)との国内頂上対決に完勝し、再浮上も果たした。が、かつて快勝で退けたジュンリエル・ラモナル(フィリピン)とのノンタイトル戦でまさかの3回TKO負け。それでも諦めることはなかった。
「挫折を繰り返して、乗り越えてっていうことを、今まで何度も経験してきて。ラモナルに負けたあとも、自分の頑張り次第でV字(再上昇)はあると自信はあったから」
再起2戦目。“因縁の再戦”と注目を集めた元世界王者・小國以載(角海老宝石)との世界ランカー対決が小國の負傷で流れ、舞い込んできたのが井上戦だった。
4回に右の一撃で倒され、以降も元世界王者の絶妙な距離感を切り崩せないまま。大差をつけられる12回判定でまた突き落とされた。
立ち止まり、悩んだ1ヵ月。新たな一歩を踏み出す、何か決定的なきっかけがあったわけではないという。
「ボクシングから離れれば、離れるほど、自分から近づいていってるような感覚があって。気づいたら、というわけじゃないですけど、自然とやってた、みたいな感じでした」
ただ意地だけで戻ってきたのでもない。井上戦に向けた調整段階で新型コロナウイルスに感染。本格的なスパーリングがほとんどできなかったが、試合当日の仕上がりは決して悪くなかった。体のキレ、スピードから傍目にもコンディションのよさは感じ取れた。
「自分でも調子はいいと感じたし、そう周りの人たちも言ってくれるので。だからこその再起でもあります。そこがズレてたら、(現役続行は)自分も違うと思う」
まだ自分の可能性を信じられる、運命を信じているから、歩みを止めない。振り返れば、ボクシングに導かれた人生だった。
中学1年の冬、生まれ育った岡山県岡山市にあるアマチュア専門のフジワラジムで、ボクシンググローブを手にした。「ケンカに強くなりたい」。ただ、それだけだった。
中学生の頃から「何回も警察の世話になった」札付きの少年は、「中学には行くけど、友だちと悪さをして、夜中まで遊んで」という日々のなか、夕方になったらジムに行き、練習に打ち込むことを忘れなかった。
元アマチュア全日本王者の藤原英治会長、藤原征治トレーナー、「めちゃくちゃ怖いんですけど、優しい人」という親子から高校3年までの約5年、厳しく目をかけられた。
素行の悪さもあり、高校に進学できる状況になかった和氣に道筋をつけたのは英治会長だった。当の本人は高校に行く気もなければ、ボクシングを続けるつもりもなかったが、「必ずインターハイに出て、優勝するから」と奔走し、学校にかけ合ってくれた。これが次の出会いにつながる。
高校3年のとき、インターハイに出場。初戦は突破するも2回戦で敗れた。「悔しくて、控え室でワンワン泣いていた」和氣の才能を見いだし、声をかけたのが、鬼塚勝也(協栄)をWBA世界スーパーフライ級王者に導いた古口哲・古口ジム会長だった。このとき、「高校を卒業したら、うちのジムに来いよ」と手渡された名刺が、のちに和氣を救うことになった。
地元・岡山で開催される高校最後の国体。予選の準決勝で負ったケガを押して出場した決勝で敗れ、本選出場はならなかった。「やっと、つらい練習から解放される」。安堵したのも束の間、仲間たちとの暴走行為で警察に検挙されてしまう。
高校は退学処分になった。「ヤクザになるしかないか……」。観念しかけた鑑別所の中で、思い出したのが、あの名刺だった。これ以上、両親に迷惑をかけたくないという思いもあった。面会に来た両親に頼んで連絡を取ってもらい、古口会長が身元引受人になってくれたことで、また道がつながった。
「プロになる気なんて、ひとつもなかった」という和氣は、こうして岡山から東京に出て、プロボクサーとして歩み始めることになった。
「こんなこと、あまり考えたことなかったですけど、中1のとき、ボクシングジムの門を叩いてなかったら、違う人生だったかもしれない」
今、和氣の傍らには、赤井祥彦・FLARE山上ジム代表がいる。2017年4月、前年の12月に現在の東京・武蔵野市にリニューアルオープンしたジムに移籍した。
もともとボクシングファンだった赤井代表とは、まだノーランカーの頃からの付き合い。赤井さんが主宰していたボクシングのフリーペーパーの企画で、アパレルブランドの撮影モデルを務めた。以来、同郷だったこともあり、親身になって応援してくれた人だった。この出会いもかけがえのないものになる。
当時はランカーとの試合が決まらず、先の見えない状況が長く続いていたときだった。ジムへの不満、悪口、愚痴……。周囲に漏らしてばかりで腐りきっていた。そんな和氣を見かねて、諫めてくれたのが赤井さんだった。
「お前、そんなん、思ってても絶対に言うな。マイナスのことを口に出したら、マイナスのことが自分に返ってくるだけで、強くなれんからって」(和氣)
言われたとおりに意識を変え、実践すると不思議なぐらい状況が変わった。応援の輪がどんどん広がり、チャンスも巡ってくるようになる。小國を破り、東洋太平洋王者になるまで1年とかからなかった。リーゼントヘアーをトレードマークに、快進撃はここから始まった。
縁あって、赤井代表がFLARE山上ジムの経営に携わることになったとき、古口会長との関係が破綻し、とてもボクシングを続けられるような状態ではなくなっていたことも何かの巡り合わせだったのだろうか。
井上拓真に敗れ、キャリアの岐路に立たされたとき、かつて苦境にあった自分を救ってくれた恩人から伝えられたのだという。
「まだお前が続けるなら、できる限りのサポートをするし、他のジムに移籍したいなら、それでもいい。お前の人生なんだから、納得のいく答えを出してほしい」
大手のジムのような力があるわけではない。実は井上戦の前、移籍して以来、コンビを組んできたトレーナーがジムを去ってもいた。和氣が望んだのは、赤井代表と二人三脚で変わらず世界を目指す道だった。
「井上拓真という世界レベルの選手と戦えて、まだ“その器”じゃなかったと身に沁みて感じましたけど、それは自分の努力が足りなかっただけで。あの負けをプラスに換えるのは、これからの自分次第。ここで辞めたら、ただの負けで終わるし、続ける限り、可能性はゼロじゃないから」
対戦相手の水谷直人は、元立教大学ボクシング部主将の肩書を持ち、4年9ヵ月ぶりに迎えるサウスポーでもあるが、プロでの実績、戦歴ともに大きく和氣が上回る。
「今回、自分が勝ったとしても、“何とか”じゃ、こいつはもう世界は無理だな、落ち目だなってなるから。圧倒して勝たなきゃいけない。その気持ちは強いですね」
<船橋真二郎>
●ライブ配信情報
▷配信プラットフォーム:BOXINGRAISE
▷ライブ配信:6月23日(木)18時00分~試合終了時刻まで
▷料 金:980円 ※月額会員制
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