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【仲里周磨】父・仲里繁が獲れなかったタイトルを~ダイヤモンドグローブ・インタビュー 2022年10月11日

◇日本ライト級挑戦者決定戦8回戦
 1位 仲里周磨(オキナワ) 16戦11勝(7KO)2敗3分
 ×
 2位 鯉渕 健(横浜光) 14戦8勝(7KO)5敗1分
 
10月11日、東京・後楽園ホールで開催される『ダイヤモンドグローブ』のセミファイナルは日本ライト級挑戦者決定戦。日本王者と“最強挑戦者”が激突する来年のチャンピオンカーニバル出場権を1位の仲里周磨(オキナワ)と2位の鯉渕健(横浜光)が争う。
 
仲里は昨年8月、スーパーフェザー級から1階級上げて、当時のライト級3冠王者、日本、東洋太平洋、WBOアジアパシフィック王者の吉野修一郎(三迫)が保持する日本タイトルに挑戦。序盤は善戦もヒッティングで切った左目上の傷がレフェリーに続行不能と判断され、6回TKOで敗れたものの、「いいパンチも当てられて、体の強さで吉野さんにも押し負けなかったので、自信になった試合」と手応えも感じた。
 
 日本タイトルには「僕の中で重くて、価値がある」と思い入れが強い。強打の元東洋太平洋スーパーバンタム級王者で、世界に3度挑戦した父・仲里繁会長が2度挑んで、ついに手にすることができなかったベルトだった。2月の再起戦で無敗のサウスポーの巧者・保田克也(大橋)に気迫の判定勝ちで再起。日本ランク上位に進出し、2度目の挑戦に前進した。
 
 鯉渕は今年4月、当時3位のサウスポー・向山太尊(ハッピーボックス)に4回TKO勝ち。ノーランカーから一気にチャンスをつかみ取った。8勝7KOとパンチもある“シンデレラボーイ”に対し、「とにかく勝ちに徹して、丁寧に勝つイメージで」という意気込みに決意がにじんだ。
 
■絶対に落とせない
 
――8月の終わりから9月上旬まで10日間、東京の角海老宝石ジムに出稽古に来ていたそうですね。
 
仲里 そうですね。沖縄にはスパーリング相手が少ないので。
 
――角海老の日本バンタム級王者、堤聖也選手がTwitterで「毎日、スパーしてた。すごい」とコメントを(笑)。
 
仲里 まだ疲れもたまってなかったんで、“詰め詰め”でやりましたね(笑)。週5でバチバチ。
 
――どんな相手とスパーリングを?
 
仲里 いろいろな選手とやりましたけど、鯉渕選手と似てるファイタータイプとですね。多かったのはスーパーフェザー級(日本17位)の齋藤陽二さん。いい相手とスパーリングができて、いい練習になりましたね。
 
――2月の再起戦は、懐の深いサウスポーで、やりづらい保田選手に対して、これまで以上に気持ちが感じられる試合でした。
 
仲里 ボクシングでは自分より巧いと思ったんで、勝負するなら接近戦だろうと。で、距離が近くなれば、クリンチしてくることは想定していて、クリンチを外して、コツコツ当てていく作戦だったんで、ああいう形になりましたね。
 
――作戦以上に強い気持ちを感じましたが。
 
仲里 ああ、そうですね。アウェーというか、大橋ジムの興行だったし、煽り動画でも向こうが有利という感じが出てたんで、逆に燃えたというか。やってやろう、みたいな気持ちにはなりましたけどね。
 
――2020年2月に地元の沖縄で粟田(祐之=KG大和)選手に勝って以来、勝ったのは2年ぶりでした。判定(0-2)が出た瞬間の喜びも、いつも以上に感情が出ましたね。
 
仲里 アウェー感を感じていたので(笑)、僅差だと持っていかれるかもな、と思ってたし、ここで勝てなかったら、ランキングも落ちると思ったので。
 
――そういう試合を勝ち抜いたからこそ、つながったチャンスです。鯉渕選手は4月に上位ランカーを倒して、ノーランカーからチャンスをつかんだ選手ですが、対戦相手として、どう見ていますか。
 
仲里 ボクシングスキル的には僕のほうが上だと思うんですけど、あまり型にとらわれないタイプだと思うので、やりづらいだろうな、と思ってます。
 
――パンチもありますよね。
 
仲里 そこは絶対に気を抜かないように集中することを意識してますね。
 
――タイトル挑戦権を勝ち取るための試合ですからね。
 
仲里 いや、そうですね。絶対に落とせないです。
 
――昨年8月に一度、タイトルに挑戦して、今度こそ、という気持ちは強いと思います。どんな試合をイメージしていますか。
 
仲里 ずっと、(タイトルに向けて)いちばんいいのはKOで、圧勝しないと、みたいな感じで思ってたんですけど。足もとをすくわれないように、とにかく勝ちに徹して、丁寧に勝つイメージで。
 
――集中して丁寧に戦った結果、KOできれば、という感じでしょうか。
 
仲里 でも、乱打戦というか、相手のペースに巻き込まれる最悪のパターンも考えてますね。それでも勝つイメージをしっかり持つようにしてます。
 
――ライト級に上げて、いきなりトップのひとりである吉野選手に挑戦して、序盤はいい場面もつくりました。タイトル初挑戦をどう振り返りますか。
 
仲里 いいパンチも当てられて、体の強さで吉野さんにも押し負けなかったので、自信になった試合です。でも、あともう少し、と思ったんですけど、世界ランカーの厚みを感じたというか。それに吉野さんは顔に出さないですよね。ボディが効いてたみたいなんですけど、戦ってるときは分からなくて。勉強になったし、次は絶対に獲る、という気持ちにもなりました。
 
――“あともう少し”を超えるために必要と感じたものは。
 
仲里 戦い方の幅を広げないといけないな、というのは感じましたね。あとはフェイントとか、細かいことの積み重ねの差。そこが違いかな、と思いました。
 
■辛い時期を乗り越え、ここから駆け上がる
 
――プロデビューから7年が過ぎました。新人王のあと、拳のケガで1年半のブランクをつくったこともありましたが、どんな7年でしたか。
 
仲里 あっという間に過ぎちゃいましたね(苦笑)。ブランクをつくったときも辛かったですし、復帰してからも、ブランクのせいで感覚が狂ってしまって。今までできていたことが思うようにできなくなったりしたんで。
 
――感覚が狂ってしまった。
 
仲里 ボクシングって、毎日の積み重ねなんで、休むと感覚的に違うというか、“戦いの勘”を忘れますね。久しぶりに4回戦ボクサーとスパーリングしてもパンチをもらってしまったりとか。
 
――そういう時期が長く続いたんですか。
 
仲里 粟田選手とやる前までは、まだ「おかしいな、おかしいな」という感じで、納得いかない試合が続きましたね。粟田選手に勝ったぐらいから、やっと吹っ切れたというか。
 
――最近ですね……。確か粟田戦はスーパーフェザー級を超える契約体重(59.5キロ)で、コンディションがよかったということを以前。
 
仲里 そうですね。当日の試合での動きが全然、違ったんで。次の(スーパーフェザー級で戦った)木村(吉光=志成)戦では半分、足がつってる状態で、キツイな、という感じがありました。
 
――木村選手との試合は、仲里選手が先に倒しながら、終盤に微妙なダウンを取られて。悔しい引き分けでしたよね。
 
仲里 あのときは悔しかったな、というのはあるんですけど、コンディションづくりに問題があったので。あの試合も勉強になりました。

2020年11月21日スーパーフェザー級8R VS木村 吉光 戦 

――ここ2試合(吉野戦、保田戦)、ライト級に上げてからの自分の動きには納得できていますか。
 
仲里 納得できてますね。階級的にも合ってるな、と感じてます。
 
――吉野選手はもちろん、引き分けた木村選手、ダウンを奪い合って、判定でプロ初黒星を喫した三代(大訓=ワタナベ)選手、自分が負けたり、引き分けたりした選手がチャンピオンになっているのは悔しいですよね。
 
仲里 そうですね。ここで日本タイトルを獲りたい気持ちです。
 
――感覚も戻って、力を出せる階級に来て。ここから、という感じですね。
 
仲里 はい。ここから駆け上がりたいですね。
 
■日本タイトルの重み
 
――この7年、辛い時期もあったということですが、どのように乗り越えてきましたか。支えになったのは。
 
仲里 きつかったですけどね。とにかく毎日、コツコツやるしかない、みたいな感じで……。やっぱり、親父がいたからじゃないですか。「なんで、こんなことができないんだ」とか、いっぱい怒られましたけどね。
 
――仲里選手自身、思い通りに動けない苦しさがあったんでしょうけど。
 
仲里 はい。それでも親父はずっと信じてくれたんで、ここまでやってこれたと思います。
 
――ボクシングを始めたのは小学生のときですか。
 
仲里 5年生のときにジムができて。それからですね。ちょうど、学校と家の途中だったんですよ。「学校帰りに寄るか」みたいな感じで遊んでただけなんですけど。同い年ぐらいの子が入り始めて、「やるか」となって
 
――子どもが集まってきたんですね。
 
仲里 そのときの同い年の子は今、角海老にいるんですけど。ミドル級かな、伊藤大賀っていうんですけど。
 
――ああ、伊藤大賀選手。前は白井・具志堅ジムでしたよね。
 
仲里 あ、そうです。タイガは空手をやってて、でも、「オレは絶対に勝てる」と勝手に思ってたんですよ(笑)。で、いざ、スパーリングをやったら、結構やられて、悔しかった思い出があります。そこから火がついて、本格的に。
 
――仲里選手が生まれたのは、まだお父さんが現役で、新人王を戦ってるときですが、影響はありましたか。
 
仲里 あると思いますね。ボクシングは自然な感じで始めましたけど、いつかプロボクサーになる、チャンピオンになるって、勝手に思ってたんで(笑)。
 
――覚えている試合はありますか。
 
仲里 いろいろ観に行ったのは覚えてるんですけどね……。世界戦は、最後が小学3年生で、最初が1年生ですね。(オスカー・)ラリオス(メキシコ)との1戦目は観に行ってましたけど(2003年4月26日)。
 
――両国国技館に。すごい試合でしたよね。
 
仲里 でも、そうですね……鬼ごっこして、見てなかったんですよね(笑)。
 
――あ、そうなんですね(笑)。
 
仲里 そのときは事の重大さが分からなくて(笑)。
 
――まだ6歳ですもんね(笑)。本格的にボクシングを始めるとき、お父さんからは。
 
仲里 ボクシングは危ないから、下手くそだったら辞めさせるからと言われて、ディフェンスから教えてもらいましたね。
 
――いちばんはパンチをもらわないように。中学のときはU-15全国大会に出て、1年のときは1ラウンドストップ負け、3年のときに初優勝して。
 
仲里 懐かしいですね(笑)。
 
――2年のときは全国大会に名前がなかったですが、西部日本の予選で負けて、出場できなかったんですか。
 
仲里 いや、予選も出てないんですよ……遊び倒してて(笑)。
 
――お父さんからは何も?(笑)
 
仲里 厳しくなったのは、プロになってからじゃないですかね。子どもの頃は意外と。もともとプロの人で、アマチュアのボクシングがあまり好きな人じゃないんで(笑)、高校(沖縄・中部商業高)でアマチュアの試合に出るようになってからは「勝手にやっとけ」みたいな感じでした。
 
――練習はお父さんとやってたんですよね?
 
仲里 練習はしてたんですけどね。試合は沖縄の決勝ぐらいしか観に来てないと思います。ちゃんと観に来たのは高3のときの全国大会(インターハイ、ベスト8)ぐらいじゃないですか。
 
――プロで、という気持ちは仲里選手の中にもずっと?
 
仲里 ありました。アマチュアのときから、周りに「お前はプロ向きだ」って言われてたのもあったし、プロはカッコいいな、と思ってましたね。
 
――お父さんの試合映像は見てますよね。自分がプロになって、お父さんの姿はどんなふうに見えるものですか。
 
仲里 親父はファイターじゃないですか、気持ちで戦うところにボクシングに懸けてる感じが伝わってくるし、世界戦を戦うって、そうできることじゃないので、すごいな、というのもあるし。それを超えたい気持ちもあります。
 
――お父さんが成し遂げられなかったことを自分が。
 
仲里 そうですね。で、親父は日本タイトルも獲れてないんで。そういう意味では、僕の中で重くて、価値がありますね。
 
――2度挑戦して、獲れなかったタイトル(西岡利晃戦、仲宣明戦)。
 
仲里 はい。重みを感じますね。
 
――今の仲里選手にとって、お父さんはどんな存在ですか。
 
仲里 なくてはならない存在というか。親子でもありますけど、ジムの会長でもあるし、トレーナーでもあるし、親父がいてのオレなんで。そろそろ結果で恩返ししたいな、と思いますけど。
 
――そのためにも、まずは次ということですね。
 
仲里 はい。結果を出すしかないですね。あと僕は沖縄でやってるんで、沖縄のジムからチャンピオンになって、もっと沖縄を盛り上げたい気持ちがあるんですよ。沖縄では難しいみたいな雰囲気があるんで、そういうのをなくしたいし、次、勝って、タイトルを獲って、沖縄で防衛戦をやりたいですね。
 
(取材/構成 船橋真二郎)

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