【堀川龍】雑草と呼ばれた元世界王者に挑む、元アマチュア高校王者の雑草魂 2022年5月9日
◇フライ級8回戦
元WBO世界フライ級チャンピオン
木村翔(花形) 24戦19勝(12KO)3敗2分
×
堀川龍(三迫) 5戦3勝(1KO)1敗1分
試合の1ヵ月半ほど前だった。何事か話し合っていた三迫貴志会長、トレーナー陣に呼ばれ、対戦相手を探しているらしい、と「木村翔」の名前を聞かされたとき、はじめはピンとこなかったという。
「逆に遠すぎて、キムラショウ? 誰だっけ? みたいな感じになりましたね。それから、木村翔……さん、マジか!? って(笑)。一瞬、戸惑ったんですけど、自分からしたらチャンスでしかないんで、すぐに、やろう! と思って、お願いしました」
その場で三迫会長が電話で返事をし、正式に決まったのは翌朝。一報を受け、「これに勝ったら、自分の人生が変わる」と一気に気持ちが高まった。
2017年7月28日、下馬評を覆して、木村が上海でオリンピック2大会連続金メダルの中国のヒーロー、ゾウ・シミンを破り、WBO世界フライ級王座を奪取したとき、堀川は1週間後にインターハイを控えた作新学院高校の2年生だった。
「圧力が強くて、ガンガンなファイターで、強えな、と思って見てました。まさか木村翔さんとやるなんて、思ってもなかったですよ」
もともとプロ転向時、担当になった椎野大輝トレーナーからは「全勝なんて求めないで、いろいろ経験しながら、最終的にチャンピオンになるつもりでやるぞ」と声をかけられ、望むところとハードなマッチメイクを意気に感じてきた。
高校3年でインターハイ優勝を果たした翌2019年6月、DANGAN・B級(6回戦)トーナメントでデビュー。2戦目の決勝で元高校3冠の実績を持つ現・日本フライ級9位の中嶋憂輝(角海老宝石)を3-0の判定で下した。続いて上海に遠征。直前までWBO世界ライトフライ級15位にランクされていたリー・シャン(中国)と惜しくも引き分けに終わるが、3戦目にして10ラウンドをフルに戦い抜いた。
昨年2月、5戦目でプロ初黒星を喫した。相手は高校4冠、大学時代には全日本選手権を制した現・WBOアジアパシフィック・ミニマム級王者の重岡優大(ワタナベ)だった。出だしは優勢も2度倒され、5回TKOで力尽きた。
それでも「6戦目で木村さんと決まって、いろんな人が、まだ早いと思ってると思うんですけど、自分の5戦はかなり濃いと思ってるし、自信はしっかりあります」と臆したところは一切ない。木村戦が決まってからの堀川を椎野トレーナーはこう振り返った。
「下剋上みたいな試合のほうが性格的に合ってるし、燃えているのが伝わってきますね」
プロ叩き上げの世界王者で「雑草」と呼ばれた木村に対し、45戦37勝(6KO・RSC)8敗のアマチュア戦歴を持つ堀川だが、「自分はいつも負けからスタートして最後に勝つ、雑草のような気持ちでやってきた」という。
茨城県古河市で育ち、ボクシングを始めたのは小学4年のとき。3歳か4歳の頃、自宅で2歳年上の姉と泣きながらサンドバッグを殴っていた古い記憶がある。自衛官であり、空手家の父親・友宏さんの手ほどきを受け、最初に厳しく鍛えられたのは空手だった。
小学3年の頃、友宏さんが空手の道場を開く。「蹴闘会」の名前のとおり、堀川が得意なのは蹴りだった。パンチを習得するため、近くのボクシングジムに通い始めた。それが「ボクシングにハマるきっかけ」になる。小学3年、4年と空手の全国大会で優勝。だが、高学年になるにつれ、学年別の空手の大会では体格の違いが出てくる。体重別という点も小柄な堀川少年が引きつけられた理由のひとつだった。
ところが、U-15ボクシング大会に出場するも東日本の準決勝、決勝で敗れ、全国大会出場はならなかった。次こそ、と臨んだ中学1年のときも東日本で敗退。「自分はセンスがないんかな……」と一度はボクシングを辞めた。同体重で勝負できると意気込んでいただけに落胆は大きかったが、父親にやらされていた感のあった空手とは違った。
しばらくして、「ボクシングをやりたい」という気持ちがふつふつと湧き上がってくる。中学2年の冬、以前、練習に参加した縁もあり、心機一転、作新学院で練習再開。1年後、全日本アンダージュニア大会出場を決めた。本大会で念願の全国優勝を果たすのは、中学の卒業式から1週間後のことだった。
高校では1年からインターハイに出場し、全国大会常連となるが、表彰台の3位まで、あと一歩のベスト8の壁に阻まれ続けた。転機は3年に上がる最後の春の選抜だった。
堀川は準々決勝を突破し、3位を確定する。が、次の準決勝。勝った、と確信した判定が逆に出た。大学進学の話もあったが、アマチュアはもういい、高校を卒業したらプロに行こう、と決意が固まった。踏みとどまらせたのは、自分と同じように悔しがっていた、と父親のことを聞いたからだった。
「最後のインターハイ、絶対に獲って、リベンジする――」
それからの4ヵ月、猛練習を重ねて見事に結果を出し、区切りをつけた。堀川の意地であり、まさに“雑草魂”だった。
2022年に入り、三迫ジムが元世界王者と対戦するのは堀川で4人目。3月に山中竜也(真正)の復帰戦の相手を務めた須藤大介は敗れたものの、4月にはライト級2冠王者の吉野修一郎が伊藤雅雪(横浜光)に、前日本フェザー級王者の佐川遼が久保隼(真正)に勝利し、バトンをつないだ。
高校の大先輩であり、椎野トレーナーの“同門”でもある吉野には「龍も行くぞ、絶対に勝てるから」とメッセージをもらい、「自分も続きます!」と力強く誓った。
プロ入りに際し、吉野という大きな存在がいたからこそ、入門を希望した三迫ジムでは、東洋太平洋ライトフライ級王者の堀川謙一、元日本ミニマム級王者の田中教仁など、普段から粒ぞろいの実力者とのスパーリングに揉まれてきた。
そして、この2月には、矢吹正道(緑)とのリターンマッチに臨む寺地拳四朗(BMB)とのスパーリングで世界レベルの実力を連日、肌で感じた。それも、ちょうどファイターにスタイル転換を図り、3回KOの圧勝で雪辱することになる拳四朗である。
「もう、ガンガン来て、ボコボコにされました。けど、拳四朗さんと比べて、(木村は)隙は多いと思っているので」
すべてが堀川の力になり、自信になっている。
「椎野さんからは、木村さん対策でやってきたことを冷静に遂行できれば、絶対に勝てるからと言われていて。こうすれば勝てる、こうなったら負ける、どっちもはっきり見えているし、これまでの自分の試合を見返して、足りないと感じたのも落ち着きなので、あとは自分次第だと思っています」
プロ初黒星からスタートした2021年はケガもあり、我慢を強いられた1年でもあった。雌伏の年を超え、雑草の心を持つ元高校王者は「とにかく勝ちたい」と繰り返した。
「ずっと、悔しい思いをして、もやもやしたところがあったので、とにかく勝ちたいです。最後は泥臭くても何でもいいから、とにかく勝ちたいです」
<船橋真二郎>
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