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エピソード3 もうひとつのライブ

1998年からスタートした「ON THE ROAD2001ツアー」。
ツアーのラストライブが2001年12月27日に広島で開催されました。そして、そのライブを遠く岐阜から観に来る友人と一緒に観ることになりました。
友人とは、インターネットのサイトを通じて知り合ったのですが、実際に会うのはこの日が初めてでした。

友人の話によると、26日に仕事を終えて岐阜を出発し、早朝、広島に到着して、「浜田省吾 縁の場所」を訪ねながら、夜はライブを観て、また岐阜に帰るという超ハードスケジュール!

“省吾のためならどこまでも・・・!”そんな言葉が飛び出してきそうなほど、熱狂的な省吾ファンです。
私は…と言うと、最近、ちょっと他のアーティストに走ってるので、爪の垢でも煎じて飲ませてもらわなきゃいけないな~なんて思いながら、友人の到着を待ちました。

27日の15時過ぎに、待ち合わせ場所の広島市民球場前(旧市民球場です)でご対面!(といっても、車で拾ってもらったんだけど)
そして、車中で軽く自己紹介。こういうとき、ネットを通じて普段からやり取りしてると、緊張することなくおしゃべりができるからいいんです!

ここから、ライブが始まるまで、私も彼らの「縁の場所探検」に同行させてもらうことにしました。

行き先は、古びた商店街の一角にあるカワイ楽器店。そうです!24年前に、浜田省吾がマンスリーコンサートという小さなライブを開いていた場所でっす。

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実は、私も、河合楽器店を訪れるのはあのライブ以来で、24年ぶりのことでした。

商店街は、店舗が多少入れ替わっていましたが、あの頃とほとんど変わっていませんでした。
あの楽器店の店構えもあの頃のまま。ただ、中の様子はビックリするほど変わっていました。

らせん状の階段で2階に上がってみると、以前は所狭しと陳列されていた、ギターやドラムセット、アンプなどはどこにもなく、あるのは音楽教室の受付だけ。
静寂をかき消すように、音楽教室の申し込み受付でもない団体がドヤドヤと入ってきて、受付の方もちょっとビックリ気味でした。
そこに、さらに追い討ちをかけるように、私が強引に交渉を開始しました。

「24年前、ここで浜田省吾がライブをやってたんですけど、その会場を是非見せてほしいんですが・・・・」

「???????」
受付の方は いきなり何を言い出すのかとちょっと戸惑った表情。

どうやら私の説明が不十分だったみたいで内容も把握できてない様子。
それでも、困惑しながら、内線電話で担当者に連絡をとってくださいました。

そして、幸運にも会場が今空いているということで、見学の許可をもらうことができたのです。ラッキーv(^-^)v  


エレベーターで5階へ上がりました。5人入るとギュウギュウになるくらい小さなエレベーターです。

“ドアが開けば、すぐ会場だったなぁ。そういえば、2回目のライブの時だったか、このエレベーターに、省吾と町支さんと一緒に乗り合わせたこともあった!”
ゆっくりと5階に上がっていくエレベーターの中で、少しずつ、少しずつ、記憶がよみがえってきました。

そして、扉が開き、会場に足を踏み入れた途端、みんなから「おおっつ!」という感動の声が漏れました。

あの頃と比べて、内装はきれいになっていましたが、会場の雰囲気はそのまま残っていたのです。
パイプイスを60脚並べるといっぱいになってしまう細長いホール。
ステージの高さは、20センチあるかな?っていうくらい笑えるほど低い。

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ステージの袖には楽屋なんてないから、ライブが始まる前に、さっきのエレベーターでアーティストが上がってきて、観客の後ろから入場し、ライブが終ると、観客の中を通ってエレベーターに乗って去って行くパターン。省吾も町支さんも、ギターを抱えて、出入りしてたなぁ~。

パイプイスはぎっしり並べてあるから、座ったら最後、ライブが終るまで立てません。
当然、立ってノリまくるんじゃなくて、どんなにアップテンポな曲がかかっても座ったまま手拍子をして聴いている状態。
今考えると、あれはライブじゃなくて、「コンサート」だったかも。

「こんな狭いところですが、それでも、ここには山下達郎や、YMOも来てましたからね。いまでは想像がつかないけど・・・」

会場の隅で、次のイベントの準備をされていた女性の方が、つぶやくように話してくださいました。
そう、狭いけど、あの頃ここにはいつも熱い音楽で溢れていました。純粋に曲を、歌詞を、演奏を、歌声を楽しむ空間がありました。

私の中では、今でもそれがライブだと思っています。

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