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1977年4月9日のライブレポート

【SET LIST】
愛のかけひき
あばずれセブンティーン
いつかもうすぐ
LAST DANCE
路地裏の少年
生まれたところを遠く離れて

「どうも、こんにちは!浜田です。昨日帰ってこようと思ったのにね、朝辛いから・・昨日ストでしょ。今朝4時半に起きたのね...俺、大体、朝は得意なんだけど、きのうちょっと遅かったから、お袋に4時半に起こしてって、電話でたのんだのね。そしたら、お袋・・何を勘違いしたのか、3時半にかけてきて、おれはもう、こんな目してさ、、、“ア、行かなくちゃ、広島に行かなくちゃ!”って着替えて、コーヒー飲んで、時計見たら、、あれ?まだ4時前じゃん!つて・・。それから何にもすることがなくて・・・東京は雨でしたけど・・・。カープはどうなっとるんかいなぁ~」 

こんなMCで始まった2回目のライブ。“この人は,このライブのために、そんなに早起きして広島に帰って来るんだなぁ~~”って感心しながらその話を聴いていました。このライブから、いよいよカメラも持参。会場が、ほんとに狭いところだって、これでおわかりいただけるでしょうか?

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ライブっていうのは歌う前に、その曲の紹介をしますが、彼の曲は、彼自身の実体験を詩にしたものが多いように感じました。

「いつかもうすぐ」_は、お父さんの転勤で岩国にいた19の頃。大学受験に失敗し、岩国の「ホビット」という反戦喫茶に入り浸っていた頃知り合った初恋の女性のことを歌った歌でした。それが、省吾の初恋のようです。(なんか、遅くない??)彼の初恋は、この歌詞どおり、あえなく散ってしまったのでした。
この曲は、Ian Tysonという人のメロディに省吾が詩をつけた、懐かしい雰囲気の漂う曲でした。なかなかタイトルが決められないのか、「19歳のときの初恋の曲です」とか、「反戦喫茶でのエピソードを歌います」という紹介をしていました。わたしがタイトルを知ったのは、アルバムに収録されたときかな?

「19のままさ」も同様で、あの曲は、当時「英数学館に捧げる歌」と紹介していました。英数学館って、広島の予備校の名前なんです。内輪だけにわかるタイトルですよね。こういうところが、素朴でいいなぁ~と思っていました。

「東京にいってね、故郷が懐かしくなると、カープの試合見に行くといいよ。三塁側は、全部広島県人だから。すごいの!言葉がね・・・(笑)。昔、僕があんな言葉を使ってたのか?今でも使ってるけど(笑)。信じられないオッサンがいるの。郷土の恥だあれは(笑)真っ赤な顔になっちゃったもんね~。といいながら、広島弁丸出しで,向こうでがんばっています」

メジャーになることを夢見て、町支さんとふたりで東京で地道に頑張ってる省吾にとって、地元でことばを気にせずカープの話や、東京での話をするのは、楽しかったのかな?たどたどしいMCだったけど、ほんとうに感じたまま、見たままを一生懸命伝えようとしてる彼の話も、ライブでの楽しみのひとつになっていくのでした。

BACK STAGE REPORT  「町支寛ニさんのサイン」

広島大学の学園祭、このマンスリーコンサート、青少年センターや郵便貯金ホールでバックバンドを率いてのライブ_いろんなかたちで、地元でのライブを展開していましたが、いつも寄り添うようにして、側でギターとコーラスを担当していた 町支寛ニさん。
彼は、ほんとうに寡黙な人で、ライブのときにほとんどしゃべることはありませんでした。
いつもニコニコしながら、省吾のMCを聴いている、優しそうな方。あの頃は、省吾より、話しやすくて、感じいい人だなと思っていました。まだ、有名になるなんて、これっぽっちも思っていなかった時代。私の中では、省吾も町支さんも同格(笑)、いや、ギターも歌も上手い分、浜田さんより評価は上だったかな?そんな町支さんからもらったサイン。こっちのほうが、省吾よりサインらしかったりして・・・(笑)。




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