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99. J.Boy

話は少し前に戻る。
1986年9月4日_アルバム「J・BOY」は発売された。わたしにとって、忘れられないアルバムだ。

〝あの頃の省吾が戻ってきた!”そう感じた作品だった。

自分自身の生き様や、社会に対する反発がこめられた1stアルバム「生まれたところを遠く離れて」が発売されてから、10年がたっていた。

歌いたい音楽と、売らなければいけない音楽の狭間で葛藤し、方向性を失っているんじゃないかな?と思い、失望した時期もあった。

けれど、省吾はそこから完全に抜け出して、今、本当に自分の歌いたい歌を、省吾らしさを100パーセント発揮しながら、歌っているんだな_と思った。

アメリカに憧れて、アメリカ人になろうとした少年が、「自分はやはり日本人なのだ」と気づき、自分らしさを求めて、埋もれた可能性を探るために思いを新たに旅立っていった。あの頃の省吾らしさを失わず、パワーアップした彼の姿が嬉しかったし、まぶしかった。
やっぱり、この人の生き方は最高だ!と思った。

アルバムが発売されてから、ほとんど毎日のように聴きつづけていた。曲順はもちろん、アルバムに収録されている曲の歌詞は、全部覚えるまで、聴き込んだ。

流産をした直後はそのショックが大きくて、テレビもラジオも、好きな曲さえも、音や映像に関わるものは全て拒絶した状態だったが、やっとそれらを受け入れる余裕が戻った時、最初に聴きたいと思ったのは、このアルバムだった。

“部長にけなされても、聴きたいものは聴きたいんだから、別にいい。気を遣ってコソコソ聴かなくても、好きな曲なんだから、堂々と聴けばいいじゃない!”

昼下がりにひとりで、お茶を飲みながらくつろいでいるとき、部長は外回りの途中でフラリと家に戻ってくることがあった。はじめは、反射的に、オーディオのスイッチを切ろうとしたけれど、それも変かなと思い、そのままでいた。

部長は、その音楽に何の反応も示さずに、ただBGMがかかってる程度で聴いている。気を遣って、やめろと言わないのか、聴いてて耳障りじゃないのか、そのときはわからなかったけど、再び、この曲と共に過ごしながら、わたしは、気力を取り戻していった。
 
一番嬉しかったのは、進むべき道を見失いかけるたびに、わたしを励まし、元気付けてくれた「遠くへ」が、10年の時を経て、このアルバムに収録されたことだった。
 

“このままでは終りたくない!わたしがわたしらしくあるために、もう1度出来ることを探さなきゃ!わたしは、何ができるんだろう?わたしは何がやりたいんだろう?”


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