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1977年3月12日のライブ

「こんにちは!岡山を過ぎるとね、急に広島に帰ってきた気がするね。どっかのおっさんがさぁ~『なんですかぃねぇ~~?わしらの椅子、ここでしたかいねぇ~?』っていって・・・(笑)それが、『町支、今日は調子悪いなぁ~』って話してたのが、『たいぎぃのぉ~~~』って…それが聴こえた途端(笑)思いっきりカープの話して、タクシーの運ちゃんと…すっかり広島県人(笑)
今朝、4時半に起きてきたんだよ。6時の電車乗って・・・。もちろん、ボクはすごい売れてるから(笑)、グリーン車できてもいいんだけど(客席大爆笑)、やっぱりね、フォーク歌手は、大衆から離れちゃいけないから・・ねぇ(笑)、30分前に並んで、自由席で来たんだけど・・(笑)」

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ハーモニカとアコースティックギターのチューニングをしながら、そんなたどたどしいMCで始まった、第1回KAWAI マンスリーコンサート。季節は春になったとはいえ、コートが恋しい1977年3月12日(土)の出来事でした。

このライブの情報を、わたしはどうやって入手したのか、今となっては覚えていません。ソロデビューした浜田省吾を、毎月ライブを開くことで応援しよう。という主旨で、企画会社と楽器店がタイアップして開催されたライブだったように記憶しています。

入場料は、300円。収容人員は60名も入ればいいかな?という小さなホール。ステージと客席の最前列は2メートルも離れていない。今思うと、「あれもいちおうライブだったのね~~」って笑えてしまうようなシチュエーションです。

わたしはその会場に、父からプレゼントされた、オリンパスの一眼レフと、B4サイズはあるようなカセットデッキを持ち込んで、最前列で省吾の歌と、町支さんのギターに酔いしれていました。

アコギ2本での演奏だからなのか、曲が終るたびにチューニングをするのですが、黙って音を合わせるわけにもいかず、ぼそぼそっと話をしてくれるのですが、いつも話はワンパターン。

お父さんが警察官で、広島や山口を転々としたこと、相棒の町支くんは、県下でも有名な進学校で、自分は入りたくても入れなかったこと、高校時代は野球部に所属してたこと、大のカープファンだったこと・・・・。

そんなことを、繰り返し、繰り返し、とりとめもなく話すのでした。
初めてのライブは、かなり緊張してたのか、3曲目の「遠くへ」はギター演奏をよく間違えていました。
この曲をはじめて聴いたのは、その前の年、広島大学の学園祭。演奏を間違ってはいたものの、曲調が少し変わっていて、あらためていい曲だな~~って感動しました。

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でも、このライブで一番心に残ってるのは、5曲目に歌った「愛にかたちにあれば」です。
後の「君の微笑み」の原曲。
6月13日(月)に、青少年センターで開かれたライブの時には、すでに、「君の微笑み」を披露していましたから、広島では、最初で最後の演奏になったんじゃないかと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=JKQfLwRN9ew
「愛に形があれば」


マンスリーコンサートの第1回目で、緊張とプレッシャーはあったのだと思うのですが、歌い方はどちらかというと、リラックスした軽い感じ。けだるそうにギターを弾き、ハーモニカを吹き、ブルースでも歌うように、語りかけるように歌っていたのが印象的でした。

【演奏曲】
愛のかけひき
あの頃の僕
遠くへ
あばずれセブンティーン
ラストダンス
愛にかたちがあれば
路地裏の少年
(EN)
Highschool Rock'n Roll
BACK STAGE REPORT  「初めてもらったサイン」

ライブは約1時間。間近で省吾の歌を聴いた私の興奮は、それはそれはすごいものでした。だから、そのまま帰えるのがもったいなくて、ホールから降りて、2階の楽器売り場のあたりをウロウロしていたのです。
そのとき、なんと・・・!ふたりがギターを抱えて降りてくるではありませんか!それも,取り巻きもなく,たった二人で・・・。わたしはチャンス!とばかり、サインをしてもらおうと、何か書くものを探したのでした。カバンには、メモ用のノートしかありませんでした。
“無視されるかな?大丈夫かな?”ドキドキしながら、「あの~~浜田さん,サインしてもらえませんか?」と差し出したノートに、彼は,「はい」って答えて、スラスラと、サインをしてくれたのでした。

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気取りなく、優しい人、だから優しい歌が歌えるのかな?そうしてわたしは、ますます「浜田省吾」というアーティストが好きになっていくのでした。

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