平田一喜がいればDDTは大丈夫。(平田さんについての前編)
今回は皆さんのリクエストにお答えして週半ばに書く特別記事です。
お題は平田さんについて。
もう今後書くこと残ってないんじゃないか?ってくらいハイペースで興味深いであろう記事を書くんだね私。でもしょうがない。今回はリクエスト一件だったんで選べないから。それはそれとして、ようやくコメント増えてきたのが嬉しくてね。ありがとう。
平田さんについてはね、できれば書きたくなかったんですよ。
書けること書きたいことが多すぎてたぶん、書ききれないから。
今回書くんだけども、おそらく書き尽くすことはできない。
自分の中での不完全燃焼が発生するんでね。書けないです。
なので、あえて(前編)ってつけます。
中編や後編を書く予定は今のところないけれども、時が来たらまたリクエスト来るんじゃないかな、ということで。
今後、いろんな記事に(前編)ってタイトルつけることもあるだろうけど、
それは基本的にはまだ書きたいことあるよ、時間が経てばまた別の切り口で書けるよ、いつか続きが書けるといいねって意味で捉えていただけると幸い。
さて、リクエストがあった平田さんについて。どの角度から書こうかな。
リクエストくれた方が何が知りたいのかなと考えるに、
「私が平田さんをどう見てるか」
な気がするので今回はそこに特化して書きましょうそうしましょう。
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まず。今のDDTは平田さんにDDTらしさをほぼ丸投げしてる状態である。
「平田なら面白くしてくれるだろ」的な。
これは、いわゆるDDTバラエティ班にはよくあることだ。割と昔から。
いきなり話は脱線するが、「バラエティ班」というワードが生まれたのは大鷲さんの功績?が大きい。この辺の大鷲さんやバラエティ班周りの話はまたリクエストしてくもらえれば、改めて語る。
これ、私もよく丸投げられてたからわかるのだが、
選手目線で言うとけっこう重圧エグい話である。
団体から「面白い事やってみろよ」って言われてるに等しいから。
平田さんは、それら全てに応えてきた。
ここがまず恐ろしい。
おそらく、平田さんにその才能はあった。
だが開花したのが最近で、じゃあ昔と今と何が違うかと言えば
「アウトプットできるようになった」んだと私は考えている。
ここでいう「アウトプット」はややこしいので簡単に言うと「自信をつけた」と言い換えた方が早いかもしれない。「迷いがなくなった」の方かもしれないけど。
DDTはよく「お笑い団体だ」というイメージを持たれることが多い。
なんとなく知っている人からは特に。
よく見ると、実はそんなことないのだが。
ただ、いわゆる価値観が違う試合がけっこうあって、そのインパクトが強いのは事実だ。だから、ナメられがちである。
人間がなぜ他の人をナメるかというと、
それが「誰でもできる」「自分にもできる」ことだと思うからである。
そもそもプロレスが世間からナメられるのは漠然とでもイメージだけで「自分にもできる」と思われているからで、実際にしっかり見たり、やってみたら「自分にもできない」ことがわかるはずだ。
だが、その想像がつかない人がプロレスをナメる。
話は逸れるが、格闘家の人はけっこう2パターンに分かれる気がしている。
すげーナメるか、すげーリスペクトしてくれるか。
「自分にはできない表現だ」と思ってくれる人はリスペクトしてくれるし
自分のやってる事にしか興味ない人は「くだらない」と切り捨ててナメてしまう。
ま、格闘家に限った話ではないし、どう思うかなんてどっちでもいいんだけども。
プロレス内でも同じだ。
自分の好きな団体以外をナメてしまうファンが一定数いる。
そこには少なからず「マネできるかどうか」が判断基準になってきている気がする。
そういう意味で、DDTがやっている一部の試合は凄いことをやっていないように見える。
だからよくナメられてしまうのだろう。
私としては、ナメられることに特に抵抗はないのだが、世の中にはそうでない人の方が圧倒的に多い。
逆に言えば、DDTのバラエティ班はナメられることを超越しなければ評価は得られない。
それも、圧倒的に面白くなければいけない。
それでもナメられる時はナメられるんだけども。
私が平田さんをすごいなと思うのは、まさにここである。
逆に、ナメられに行く力。
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