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心を奪ったアーティストの変遷 その2

前回の続き

高校1年~3年(2000年台前半~中盤)の間は、多感なこともあってかとても沢山の音楽を聞いた。少し走り気味になるが、好きだったアーティストについて触れていく。

最もこの時期の自分に影響を与えたのは、BUMP OF CHICKENである。自分の原点はここにあると思っている。ここからJ-ROCKの世界に入り、今の音楽趣向を作り上げてきた。

藤原基央という人間を好きになり、曲の世界観にどっぷりと浸かっていった。カラオケで藤原基央風に歌ってみたり、当時ネットで流行っていたFLASH動画もよく漁っていたりした。曲と曲を跨ぐストーリーが好きで、シングル含めてCDをすべて集めたのは、後にも先にもBUMPだけである。

BUMPには特別な思いを抱いていたが、そのほかにも

 ・ASIAN KUNG-FU GENERATION
 ・ACIDMAN
 ・syrup16g
 ・ELLEGARDEN
 ・ストレイテナー

といった、当時はまだ若手だった有名アーティストたちにどっぷりハマっていった。

高校1年の時点では、CDプレイヤに代わり、MDプレイヤがシェアを獲得していたが、当時自分はMDプレイヤに合わせてMD自体も多く持ち歩いていた。高校に向かう間に何度かMDを入れ替えていたりして、今思うと阿呆みたいだ。

高校2年になると、当時初めて出来た彼女がビジュアル系を好きだったこともあって、

 ・Jannne Da Arc
 ・雅 -miyavi-
 ・シド

あたりに手を出し始めた。ビジュアル系は楽器がうまいグループが多く、のちにギターを始めるきっかけになったとも言える。雅については、現在は世界をまたにかけて活躍していて、当時では全く想像のできない表舞台での活躍ぶりである。まさかユニクロのCMで使われる時が来るとは思わなかった。

高校3年になり、アコギを始めたり、ipodを買ったり、身の回りの音楽環境が変わり始めた。この頃からマイナーなJ-ROCKをこぞって探すようになった。

 ・音速ライン
 ・チャットモンチー
 ・フジファブリック
 ・つばき
 ・plane
 ・LUNKHEAD

あたりをよく聞いていた。自分が注目したアーティストは割とすぐに有名になってしまい、自分に才能があるんじゃないかと勘違いしていた時期である。

様々なアーティストに手を出していた高校最後の年において、最も衝撃的でハマったのが東京事変である。

東京事変は椎名林檎を中心とするバンドだが、そのメンバがとてもハイレベルなのである。前述した亀田誠治も結成初期から解散まで参加しており、ここで亀田誠治という人を知った。

東京事変は第1期と2期があって、前後でバンドメンバが異なる。それぞれで音楽の色合いが少し異なるのだが、一般的には2期の方が何かと良いと言われることが多い。良くも悪くもいずれも椎名林檎色は強く、個人的にはどちらも好きだ。

高校時代の話から未来に飛んでしまって申し訳ないが、2012年2月29日の閏日に武道館で開催した解散ライブにもなんとか漕ぎ着けて行くほどハマったバンドだった。透明人間という曲が好きで、是非やってほしいなぁと思っていたら、まさかのアンコール最後の曲が透明人間で泣いたのを覚えてる。

以上が高校までの音楽趣向となる。再び長くなるので、大学以降についてはまた次の記事としてまとめる。

こちらの記事もここまで読んでくれた方ありがとうm(_ _)m知らないバンド等が居たら、是非聞いてみて欲しい。

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