【断髪小説】拡張、絶対領域
学校に行きたくない。
背中で真っ直ぐなポニーテールがなびいていたのも昨日までの話。
目の上まであったシースルーバングは眉毛の上までの重たいパッツン、それ以外の髪は耳の真ん中で線を引いたように切り揃えられている。おまけに、その線から下は全て9mmで刈り上げられている。
こんな戦前みたいなおかっぱ頭、今どき誰がするのだろうか。
隣の席の高橋君の顔が頭に浮かぶ。私のポニーテールを撫でて、「サラサラするー」と笑顔を向けてくれていた高橋君。昨日まではその笑顔を想像するだけで学校に行くのが楽しみで仕方なかった。
「全部なくなっちゃった」
無意識のうちに指が刈り上げに触れる。高橋君が撫でてくれていた髪なんてない。
高校生でやっとの初恋だったのに。
学校なんて行きたくない。
そんな想いとは裏腹に、自転車は私を学校へと運んでいく。
門を抜けて駐輪場へと進む。下を向いても前髪は視界を遮ってはくれない。突き刺さる周りの視線が私の耳を赤く染める。
教室に入るまでの間、クラスメイトたちと目が合うが、ドン引きするだけで誰も話しかけてはこない。
昨日まで背中までのポニーテールだった同級生が急に目を腫らして刈り上げおかっぱになってやってきたのだから、無理もない。私がみんなの立場でも、そんな子に声なんてかけられない。
教室に入り、必死に足元だけを見ながら自分の席まで歩いていく。
机の上に鞄を置き、それを枕にして突っ伏す。そうすれば、何も視界に入らない。
次第にザワザワが増していく教室。早くホームルームが始まってほしい。
「ひゃ?」
そんなことを考えている私の刈り上げに何かが触れた。
「あ、ごめん…、いつもポニーテール触らせてもらってたから、ここに頭があるとついクセで…」
気まずそうに言い訳をする高橋君。
こんな頭を高橋君に見られてしまった。帰りたい。
ザリッ
再び高橋君の手が刈り上げを撫で上げる。
「ごめん、なんか、ポニーテールもいいけど、これも触り心地いいなって…」
少しハニカミながらいう高橋君。
胸が早くなる。
「いいよ、こんなのでよかったらいくらでも触って」
「ほんと?いいの?ありがとう!」
高橋君の笑顔が咲く。
「でも、この髪型変じゃないかな?」
「そんなことないよ?とても可愛いと思う!」
高橋君の手が私の頭を撫で続ける。
刈 り 上 げ て よ か っ た
いや、まあ正確には「刈り上げられて」なんだけど。
その日、いつもは2回しか私の頭を撫でなかった高橋君が、9回も頭を撫でてくれた!
次の日も、その次の日も高橋君が頭を撫でてくれた。
でも、回数が少しずつ少なくなってきた気がする。
「高橋君、最近あまり撫でてくれなくなったけど、飽きちゃった?」
どストレートに変なことを聞いてしまった。
「いや、そういうわけじゃないんだけど、伸びて前ほどは気持ちよくなくなっちゃって……」
「このラインから下、全部3mmで刈り上げてください」
放課後、私はトラウマの場所になったはずの床屋にいた。
5分後には、ようやく伸び始めた髪はすべて青く刈られていた。
「これでよし」
私は意気揚々と帰路に着いた。
「あ、また髪がなくなってるー」
そういいながら、高橋君は私の刈り上げを撫でる。
好きな人に頭(刈り上げ)を撫でられる毎日。最っ高に青春って感じがする。
そんな蜜月な日々は長く続いた。途中席替えもあったものの、友達の協力(不正)もあり、私は高橋君の隣をキープし続けた。
移動教室から戻る途中、河野君が高橋君に話しかけているのが聞こえた。
「高橋っていつも刈り上げ撫でてるけど、どんな髪型が好きなの?」
「んー、前髪はパッツンが好きかな。まゆ上ちょうどくらいの長さ。あとは気にしないかな。長くても短くても」
「へー、そうなんだ」
河野君グッジョブ。私はまゆ上パッツンを続けようと魂に刻んだ。
ある朝、いつも通り高橋君が私の刈り上げを撫でてくれる。が、なにやら少し難しそうな顔をしている。昨日自分で刈ってきたから長さは大丈夫なはずなんだけど…。
「んー」
「どうしたの?」
「いや、なんかね、少し上の髪がかぶさって撫でにくいなって」
高橋君が申し訳なさそうに言ってきた。いえいえ、そんな顔をさせてこちらこそ申し訳ございません。
「えっと、前下がりボブにしてほしいんですけど、後ろはつむじの5cm下のラインで揃えて、そこから下は全部刈っちゃってください。はい。大丈夫です。そのまま耳の下まで繋げてください」
私は行きつけだった、いつもは毛先カットをお願いしていた美容院で希望を述べた。いつも笑顔だった美容師さんの顔が引き攣っている。
「わぁ〜、めっちゃ触りやすい!ありがとう!それにかわいい!」
とびっきりの笑顔を見せる高橋君。
いえいえ、その笑顔、こちらこそありがとうございます。
そんなことは言えずに、私は「ありがとう」とだけ呟いた。
その日から、高橋君はいままで以上にいっぱい撫でてくれるようになった。
片手で素気なく撫でたり、両手でもったいぶって撫でたり。
恥ずかしいけど、幸せな時間だった。きっと、アオハルってこういうことをいうんだろうな。
もっと高橋君に撫でてもらいたい。
テスト明け、寝不足の私はとてもいいことを思いついた。得てして天才的な発想というのは極限状態で生まれるものである。
「えっと、前髪、ここからここは残して、はい。まゆ上パッツンで残してください。あとは全部1mmで刈ってください。え、1mmは無理なんですか?じゃあ3mmでいいです。はい。大丈夫です」
刈り上げが増えるほど撫でてもらえる面積が増えて、彼が私に触れる時間も増えるのだから、彼が好きだというパッツンの前髪以外全部刈ってしまえばいいではないか。
私はどうして今までこんなに単純なことに気が付かなかったんだろう。
あー、クソ。貴重な高校生活の一部を無駄にしてしまった。もっと早くに気付いて刈っとくべきだった。ポニーテールなんてなんの生産性もない髪を垂らして喜んでいた自分の気がしれない。そんなものはさっさと全部青々と刈りとるべきだった。
その晩、親は私に「辛いことはないか?」と聞いてきた。翌日学校に行くと、みんなドン引きして話しかけてこなかった。みんなに遠巻きにされているのを見たからか、先生には「いじめられていたらすぐに言えよな?」と心配された。
この人たちは何を言っているんだろう。
「あ、おはよう」
声が聞こえたかと思うと、高橋君の手が私のうなじから頭を撫で回す。
「気持ちいいところすごく増えてるー。かわいいね。チェルシーカットっていうんだけっけ?」
高橋君の手が、私の刈りたての頭頂部を撫でる。
まゆ上パッツンの前髪に、残りは丸坊主。我ながら完璧な髪型だと思う。
前から見るとかわいい眉上パッツンの前髪で、前髪以外は1mmで刈るという髪型を、私はキープし続けている。この髪型に制服は変な魅力がある。私服は、高橋の好みに合わせてフリフリの可愛らしいロリータ系の服装をしている。なんでも、前髪以外坊主とのギャップがいいらしい。
好きな人に頭を撫でてもらえる。そんな幸せな高校生活は、まだまだこれからも続いていく。
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