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XLのラベルと春の猟犬


一つの事に集中したい時に限って、
関係のないことを考え、ついつい気が逸れてしまう。


最近、妻が副顧問をしている吹奏楽部の演奏を見るため、地区の吹奏楽演奏会に足を運んだ。


演奏会は一日かけて行われ、中学生や高校生、
社会人楽団が演奏をする。

吹奏楽部の出番は大体の時間でしか把握していないため、会場で他の楽団の演奏をみながら待つことにした。


僕が演奏を見始めた時は、中学校の吹奏楽部がサザエさんメドレーを演奏していた。

終始ほっこりする内容で、会場はどこか優しい雰囲気に仕上がっていた。

中学生の演奏が終わり、
次は社会人楽団の演奏とアナウンスで紹介された。
社会人楽団の演奏する曲は、


「春の猟犬」、作曲はアルフレッド・リード。


とても有名な作曲家のようだが、
僕はクラシック音楽に詳しくないため、特に何も考えずアナウンスを聞いていた。

明るく軽快な音で演奏が始まった。

春を想起する音によって、僕の意識が猟犬に囚われそうになった時、

目の前に座っていた、男性の後ろ襟に目が留まった。

後ろ襟には、XLと記載されたラベルが貼られている。

恐らく、購入してラベルを剥がし忘れたのだろう。

自分も買った服のラベルを剥がし忘れて、
出掛けてしまう事があるし、

よくある事だよなと気にせず、ラベルのことは忘れよう、僕は演奏を聴きにここへ来たのだ。

目的を見失うなと言い聞かせ、改めて演奏を聴こうと視線を戻した。

しかし、

剥がし忘れのラベルが、僕の意識下にひょっこりと顔を出してくる。

顔を出すというよりも、少しばかり視線を変えるだけで視界に入ってくる。

もう逃げられない。

いつの間にか僕の意識は剥がし忘れのラベルに囚われていた。

猟犬ではなくラベルに。

僕は目の前の男性を見つめながら考え込んでしまった。

男性はラベルを剥がし忘れている。
ラベルが貼られたままという状況は、男性が自分で気付くか第三者が指摘するかで解決するはず。

しかし、現時点ではこの状況を打開することはできない。

そもそも僕が目の前の男性に、「ラベル剥がし忘れてますよ。」と声をかける勇気もないし、

見知らぬ男から声を掛けられることも怖いだろうと思う。

何より演奏中で声を出せないため、どうすることもできずその状況を見守ることにした。


この男性はなぜラベルを剥がし忘れたのかと
色々と想像してみたが、どれも当たり障りもない平凡な内容だ。


考える事に飽きてきた僕は、本来の目的を思い出し、
もう一度演奏に集中することにした。

ラベルの事を考えているうちに演奏はピークを迎えていた。

指揮者、演者の演奏に熱がこもり、ポカポカとした陽気な季節に猟犬がはしゃいでいるようだった。


その時、一つの結論に行き着いた。

この男性は、
猟犬と戯れていることに夢中になってしまい、
ラベルを剥がし忘れた。


うん、そうだ。


あり得ないけどあり得そう。

そう信じよう。


演奏を聴きにきたはずが、関係のない事に思いを馳せてしまった。

これでは演者に失礼だなと思う。

しかしラベルがあったから想像を膨らませる事ができた。
集中して演奏を聴くことも十分大事ではあるけれど、
時には視点を逸らして聴くことも面白いなと思えた。


家に帰って、ゆっくりと「春の猟犬」を聴いてみよう。


文・イラスト: ヒライノブマサ



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