AI絵師(もしくは術師)という呼び名に関する論争の考察
AIイラストをめぐる議論については、わたし自身がAIによるイラスト生成を利用する(そして技術の進歩や普及を希望する)人間なので、ボチボチと考察などを書いています。
過去記事でも「AI絵師」という呼び名が、なぜに一定の人たちをイラつかせるのか、個人的な見解を述べています。
今回、改めてこのテーマを単独で整理したくなりまして。次のような感じでまとめております。8000文字弱の嫌味な雑文ですの。
AI絵師ってなんなのよ?
AIによって「絵」を作り出す人、ですよね。
ただ、そういう人たちが全員「AI絵師」を名乗っているわけでもないし、そもそも「AI絵師」という呼び名で呼ばれたくない人もいるわけです。
また、AIでイラストを製造すると言っても、プロ級の人が自分の創作の補助として使う場合もあれば、ほぼ絵が描けない人が「文字による指示(プロンプト)」だけで生成するケースもあります。
どっちも「AI絵師」なのかと言われると、前者は「絵師」とか「イラストレーター」で、後者が「AI絵師」だろうという気がします。
そうなってくると、そもそも「AI絵師」っていうのが、けっこうふんわりした用語なわけですよね。
それでは、話を進めていくうえで少しばかり都合が悪いので、本稿では便宜上「AI絵師」という存在を次のように定義してみます。
ある程度の評価を得られるレベルの絵(絵画、イラスト、漫画など)を、自分の力だけでは完成させる技術がなく(技術があったら普通に「絵師」です)
AIによるアウトプットがなければ、単独では絵の創作者として評価を得ることは極めて困難で(=自分の絵とAIイラストがレベチで)
なおかつAI絵師という称号を自称するか、他者からそう呼ばれることを拒否しない人たち
若干の悪意を感じないでもない定義ですが、とりまここから話をはじめましょう。
AI絵師に対する賛否の内訳
AI絵師という称号について賛否が分かれる、最大の争点は何か。おそらく……
おめーは描いてねーじゃねーか!
ここに尽きると思うんですよ。結局は「自力で描けないヤツが『絵師』だなんて、片腹痛いわ!」と、そういうことですよね。
この「AI絵師」という称号に対する批判のほとんどは、形は変わっていてもここに集約する印象です。
それに対する「AI絵師」という称号の賛成派の意見に関しては、
でも、オレ(もしくはアタシ)が生み出したんだもん!
っていうところに帰結するような感じです。ごちゃごちゃ言ってますが、要はそういうこと。「自分の頭の中にはイメージがあって、それを具現化するのにAIという道具を使っただけだもん!」って言い分ですね。
「心で描いた」なんていうポエムも生まれているとか、いないとか。
細かな議論をすべて検討するより、この決して相いれない意見について検討して、ある程度の白黒つけようと思っています。
リアル絵師が絵(絵画、イラスト、漫画など)を生み出す過程
個人的には「そもそも絵師って?」みたいな疑問もなくはないのですが、これについては「一定レベル以上の評価を得るに足る絵(絵画、イラスト、漫画など)を自力で創作できる人」でいいかと思っています。
そういう「絵師」たちが作品を生み出す過程って「インプット」「構想」「アウトプット」だと思うんですね。それを順番にざっくり解説します。
絵師が絵を生み出す過程①…… 「インプット」
最初のインプットですが、すべての人間の絵師さんたちの創作の源は、その人たちの記憶、体験、学習、練習などの「膨大なインプット」ではないかと。
もっと言えば、本当の意味でゼロから何かを、無から有を生み出せる人間って、いないと思いますよ。
たぶん絵師さんたちは、ごく幼い頃から絵が好きな人が多くて、一般の人より多くの絵に触れてきたと思います。ときに好きな作家さんとかの絵は、それこそ貪るように見て、トレースしたりして。筆使いとか構図とか、色々と自分に中に取り入れたんじゃないですかね?
体系的な学習ということで学校などに通った方もいるかもですし。アシスタントとして働きながら、実地で経験を積んだ方もいるでしょう。
要は「その人の中の膨大なインプット」が創作を支える土台となっている、ということです。
そのインプットの中には、自分のイメージを具体的に体現するための、つまり絵を描くための必要な技術を身につけるための「練習」も含まれます。
厳密に考えると、知識(構想に繋げるための情報)のインプットと、絵を描くための技術を身につけるためのインプットに分かれるイメージですかね。
絵師が絵を生み出す過程② ……「構想」
次に、それらのインプットを元にして、どんな創作物を作るか「考える」手間が必要です。
下書きを何枚も、何十枚も描くかもしれませんし、実際の風景を見て写真に収めたりするかもしれませんね。
人物を描くのであれば、その人物の年齢、性別、性格、風貌、表情、服装など、さまざまなことを検討するはずです。
これまでのインプットで足りないと感じる場合は、追加で資料を調べることも普通に行われます。そのための時間やコストが創作物にはかかっているわけです。
絵師が絵を生み出す過程③ ……アウトプット
構想が固まったら、いよいよ絵を描いていくわけですが、一発で仕上げられる天才もいれば、何度も書き直しが必要な方もいることでしょう。
出来合いの素材を上手に使って、時短する場合もあるかもですね。
どんなに膨大な知識があろうと、最終的に自分のイメージや知識を「絵」という創作物として表現できなければ、その人は「絵師」にはなれない。それが当然のことであったわけです。
どんなに心の中に素晴らしいイメージがあっても、それを表現する力が伴わねば、創作者たり得ない。これって、結構大事なことだと思うので、ちょっと覚えていてください。
AIによるイラスト生成過程と絵師の創作過程の比較
別項でも書いたように、AIによるイラスト生成と、人間のリアル絵師さんの作業って、本質的にはかなり似通っています。
AIが画像を生み出す過程①……「機械学習」
まず「インプット」ですが、AIは「機械学習」という方法で行います。
世の中に存在する膨大な画像を取り込んで、細かい要素に分解する作業、みたいなことです。わたしはよく「野菜などの食材をミキサーにかけてドロドロのスープにする作業」なんて説明します。
AIの機械学習について「わたしたちの努力の成果を無断で利用するなんて」と言われることがあるんですが、これを突き詰めると人間の創作にブーメランのように帰ってきます。
人間が、目にしたいろんなものを記憶にとどめ、それを創作の土台としている行為も、実質的にはAIの機械学習と同じ(もしくはかなり似通ったもの)だからです。
このインプットには「表現のためのの技術習得=練習」も含まれます。AI場合は練習とは認識しませんが、まあ「絵を生み出すための必要な情報を収集している」という点では、似たことをしているんだなと考えていいと思います。
AIが画像を生み出す過程②……「構想」
次の「構想」ですが、現時点ではAIにはこれがありません。
つまり「こういう思想や感情を、こういう形で表現しよう!」などという意思は、AIにはないわけですね。そのため「AIの生成物には著作権は認められない」という話に結びついていきます。
そこで、人間が「こういうイラストを描いてよ」と、AIに指示を出すわけです。
この指示をプロンプトと呼びます。呪文なんて言い方もありますね。たしかに、AIさんに「鑑賞に耐える何か」を描いてもらう場合、けっこうなノウハウが必要な感じです。同じ呪文を唱えても、まったく同じイラストは出てきません(呪文ではない、別の暗証番号みたいなものを入力すれば、同じイラストが出てきます)。
「AI絵師」および「AI絵師」という称号に賛同する人の主張として、「頭の中のイメージを書き出してもらうために、プロンプト(呪文)の組み合わせや内容を試行錯誤して、苦労して画像を生成しているのだから、これは全体として創作とみなせる」という内容が多い印象です。
この指示の出し方として、プロンプトという「文字や文章」を用いる方法と、「こんな感じの絵を描いてくれ」と下絵描いてを読み込ませる方法があります。前者を「text2img(テキストトゥイメージ、t2i)」、後者を「img2img(イメージトゥイメージ(i2i))」と呼んでいます。
ともあれ、「こんなイラストを描いてください」という指示が出ると、ようやくAIは画像を作れるようになります。
AIが画像を生み出す過程③……「アウトプット」
最後はアウトプットです。AIイラストの作画には、ザクっと言えばこんなイメージです。
テキトーなモザイク画像を作る。
それを誰かに見せる。
そして「実はこれって、アイドルの女の子の顔をモザイクで隠した画像なんだよ」と伝える。
画像を見せられた人も「やっぱそうか!俺もそう思ってたんだよ!」と、その気になる。
その人に「このモザイクの向こうの顔、どんな顔か想像して描いてみてよ」と言う。
「よっしゃー!」と、ありもしないモザイクの向こうの顔を想像して描く。
似顔絵(イラスト)の完成。
このイラストは、パクリでも、トレースでも、コピーでも、コラージュでもないですね?
モザイクの向こうにアイドルの顔があると信じて、なんとなくそれらしく創作したものです。AIイラストって、ざっくりいうとこんな感じでイラストをでっち上げる手法です。
なので、正しい手順でデータを集めさせ、そのデータから問題ない指示のもとでAIイラストを生成させた場合には、パクリ、トレース、コピー、コラージュという批判は、どれも当てはまりません。
こうして見てみると、根本的な問題である「AIイラストを描いたのは誰か?」ということも、普通に見えてくる気がしませんか?
AIイラストを描いたのは誰か?
リアル絵師さんが絵を描くまで必要な工程は、①インプット②構想③アウトプットです。
③のアウトプットは「AI絵師」には「できない」「ほぼできない」ということで終了。
AIイラストの場合、①インプットにあたるのは「機械学習」です。機械学習しているのはAIであって「AI絵師」ではありません。幾らかデータを読ませる手伝いをしたとしても、「読み込んだデータを、作画に使えるように処理すること」などは、AIのプログラムが行います。
前段で、インプットを厳密に考えると、「構想のためのインプット」と「絵を描く技術習得のためのインプット」に分けられるかも、と書きました。
その観点からすると、絵を描くための技術習得のインプットはAIが100%で、構想のためのインプットは「プロンプト」「描画」のそれぞれに必要なので、人とAIのハーフアンドハーフってとこでしょうかね?
②の構想については「AI絵師」の仕事ですね。とはいえ、この構想をAI伝える方法としては「文字や文章」と「下絵を描く」ことの2種類がありました。
ざっくりと「かわいい女の子」という指示で、AIがイラストを生成した場合は、「AI絵師が指示を出した」と主張するのも恥ずかしいレベルです。これは「AIがイラストを描いた」と評価すべきでしょうね
逆に、めちゃめちゃ完成度の高い下絵とかデッサンを描いて、AIによって完成度を高めた場合はどうでしょうか?こうなると「その下絵が創作の根幹をなしている」と言えそうですね。するとアウトプットされた画像について、「AI絵師」が「わたしが生み出した」と言っても、あまり問題ないと思います。
ただ、この原稿における「AI絵師」は、そこまでの絵が描けない人と定義しています。なので、ここには該当しません。
微妙なのは、「すごく凝ったプロンプト(呪文)工夫して入力しそれによってAIが画像を生成した場合」と、「かなりラフな下絵をもとにAIが画像を生成した場合」じゃないかと。
前者の場合、どんな指示がなされているかというと、短文と単語なんですよね。
もちろん、その指示を編み出すまでには工夫もあるし、AI絵師の人にもある程度は明確なイメージがあって、それに近づけるためにプロンプトの工夫をしているわけです。でも、これは「絵を描くこと」なのでしょうか?
まあ、普通の感覚なら「絵を描いてもらった」ですよね。
プロのイラストレーターさんに、イラストの発注をした経験がある人ならわかると思うんですが、「人間の絵師さんに発注する方が、よっぽど細かく丁寧に指示出すわ!」じゃないでしょうか?少なくともわたしはそうです。
ちなみに、わたしのイラスト発注スタイルは……
鉛筆でざっくりしたラフを描く。
イラストの指示(年齢、性別、服装の感じ、場面、全体の色調、どういうところに使用するイラストで、どんなことに注意を払っているかなど)を仕様書とか指示書で伝える。
それらを元にイラストレーターさんと簡単な打ち合わせ(たいていメール)。
イラストレーターさんのラフ画(鉛筆)をチェック。修正依頼があればここで。
納品
って感じです。
これでも、納品されたイラストの作者は「わたし」とは思わないし、そんなこと言ったら大問題になりませんかね?
もしもわたしが「心の中で描いているから、わたしが作者」なんて言ったら、かなりの確率で「頭おかしい人」言われると思うんですけど、違いますかね?
つまり、プロンプト元にAIが画像を生成した場合、その画像は「AIが描いた」とするのが、ごく自然で論理的な答えであるはずです。もしくは「AIに描いてもらった」でしょうね。
最後に「かなり雑なラフを元にAIイラストを生成した場合」です。わたしはイラスト発注時には必ずラフを描いています。その方が正確に伝わるからです。
ラフの完成度が非常に高い場合は、場合によってはわたしが作者(業務中に描いたイラストなので帰属は職場)ということはあるかもです。
しかし、例えば会社のおじさん担当者が、がーっと紙に雑なラフを描いて、発注先のイラストレーターさんに「これをいいように仕上げといて」って言ったとしますよね。この場合、おじさんが創作者、絵の作者でいいんですかね?
まあ、ダメでしょうね。
人間相手の発注だとダメだが、相手はAIだから手柄(作品を生み出したという功績)は全部俺のものって、ちょっと違う気がするわけです。
そもそも、絵師さんの「絵を描く行為」の要素のうち、「AI絵師」が強い影響を及ぼしているのは、②の構想だけです。
絵を描くために必要なインプットもなければ、実際に絵を描いて仕上げてもいない。これってイラストレーターに「こんな感じで良いように仕上げといて」というおじさんと、ほぼ変わらないと思うんです。
すると、論理的に考えたら、「AIイラストを描いたのはAI」という表現が、最もしっくりくる気がします。
AI絵師という呼称がひどく嫌われる理由は?
わたしは、ひとつひとつのことを、自分が納得するように言葉に直して整理するのが好きです。
だから、このAI絵師問題についても、こうして言葉にして、説明してみて、「なるほど、これは拒否反応が起きるわけだ」と納得しています。
わたしの結論は「AI絵師は描いていない」という批判は、必ずしも単純な感情論ではないというものです。
これまで説明したことから、次のように結論できるのではないでしょうか?
「絵師」と呼ばれる人たちがイラストを描きあげるまでの過程の重要項目のうち、「AI絵師」が深く関与してコントロールしている(能力的に可能である)のは「構想」の部分のみである。
作画はAIというコンピュータープログラムが担っている。
これは、クライアントがプロのイラストレーターに業務を発注することと似ている。
むしろ、クライアントの発注の仕様書の方が、「AI絵師」のプロンプトよりも詳しかったり具体的であったりすることも少なくない。
クライアントは創作を主導してはいても、通常は作画した(もしくは創作をした)とはみなされない。
よって、AIイラストの作画はAIが行なっているという表現のほうが適当ではないか。
よって「AI絵師」という称号には違和感があり、むしろ「作画はAI」「絵師はAI」などとすべきではないか。
「AI絵師」という名称は、一定程度広まっているので、もういまさら使うなとは思いません。ただ、正確に言えば「AI作画」などのタグをつけたり、「原案はわたしで作画はAI」みたいなクレジット表記にするなどした方が、実態に合っているとは思います。
おまけ:予想される幾つかの反論について
反論1:心で描いている。
心でしか描けないんですね?
いま議論しているのは「イラストを現実世界に誕生させたのは誰か」ということです。要は「アウトプットの手柄は誰のものと考えるのが論理的に正しいか?」ってことです。なので、心でしか描けない人は「絵師」とは呼べないですよね。
反論2:自分の心(や頭)の中にあるイメージを具現化したに過ぎないから、やはりわたし(AI絵師)が描いたと表現するのは正しい。
ボーカロイドってご存知ですか?初音ミクが有名なアレです。わたしの頭の中にあるメロディと歌詞を、初音ミクに歌ってもらった場合、「歌唱」は誰ってクレジットにしますか?わたしの名前?初音ミク?普通は「誰がその行為を実行したか」が重要なので、初音ミクにしますよね。歌ってないのに「歌唱」のクレジットはおかしいように、描いてないのに「絵師」っておかしいですよね?
反論3:わたし(AI絵師)とAIがチームで仕上げたのだから、AI絵師というのは「わたし+AI」のユニット名だ。
チームで作品を仕上げていて、チーム名を作者としている方々は存在しますね。あなたはチーム内のプロンプト担当で、AIが作画担当ってことですね。これなら分からなくはないんですよね。その場合「描いているのはAI」と言われても、「そのとおりです」という態度でいられるはずですよね。正しい態度だと思います。
反論4:うっさいわ!
ですよねwww
ただ、恥じらいのない「AI絵師」に対しても、多くの人が「絵師だの描いてるだの、おこがましいわ!」思っています。ここまでの説明の通り、これは論理的にかなり正しい指摘です。なので、みなさんも「AI絵師」という称号を使うときには、もう少し「恥ずかしながら」「描いているのはAIです」など、謙虚なお気持ちを込めるようお勧めします。
反論5:お前さ、プロンプト書く大変さとか全然わかんないだろ?あんな大変なものを駆使して、AIを使役しているんだから、当然「描いている」「生成した」って言えるだろうがよ!
わからなくはないんですけど、実際にイラストを描く方がずっと大変ですし、なんなら仕様書とかきちんと描いて人間のイラストレーターさんとかに発注する方が大変ですよ?
イラストをある程度描けるようになる苦労をしていたら、AIに画像を生成してもらう立場に過ぎないのに「絵師」なんて思い上がった称号は使えないと思います。
また、社会でしっかり働いた経験があったら、プロンプトってイラスト依頼の仕様書程度のことだって思うんじゃないかと。
どちらか、もしくは、どちらの経験もないのでしょうか?
反論5のQ &Aは余計だったかな?
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