母の言葉は呪いの言葉

私の母という人は私にとって呪いだ。
呪いといっても全てを憎んでいるわけでもない、でも嫌いな面はいっぱいあるし最近はすごく心の中で否定をしてる。
今まで私は母を信じすぎていたからだ。
母は正しくて、すること全ての行為はすごいこと、間違ったことは一つも言わない完璧な人だと思っていた。
母に依存し、恐らく母も私に依存しているからこういう考えが出来たんだと思う。
例えば過去のことだと、母に話したことで返ってきた言葉によって私の考えはコロリと変わること。
学校でこんなことがあったの、悲しかったと話せばその子とはもう付き合わないほうがいいという言葉を返されると私は次の日からその子との距離を置くようになる。
ただ私は母に悲しみを同調してほしかった。それだけだったのに行動を変えられることは何度もあった。
違和感は感じなかった、母が言うことが全てだからだ。そうして壊れた人間関係がいくつもあったのは今思うと悲しいことだ。
母に悪気はきっとないのだろう、私を思ってやってくれるんだろう、そう思えないとやっていけない。

最近やっとこの違和感に気づくことができた。周りの友人に何度も言われてようやくこの二十何年間の呪いから解放されるきっかけを見つけれた。

だが私はまだ母の言葉に呪われている。
自分の魅力というもの、出来ることが一切見つからないのだ。小さい頃から褒められてきてないから、否定的な言い方で育ったので自信というものが全くない。
容姿にも、自分のできることも何もない、手先も不器用で何もできないんだと思っていたしまだ自信はつけれていない。
家事なら誰でもと思う人もいるかもしれない、でも私がやろうとすると母はいつも取り上げてきた。時間がかかって遅いから自分がやる方が早いそうだ。
そのくせ最近は自分で何とかしろと放り投げてきたりするので意味がわからない、これは愚痴だ。

私が仕事場で馬鹿だと罵られて家に帰って泣けばあんたはいじめられやすいよね。と呪いをかけてきた。
私はこの呪いの言葉にめっぽう弱い。
小さい頃からあなたはこうだ、〜なんだ。と催眠をかけるように私を断言してきたので否定してくる言葉に屈しない解決方法はまだ見つかってない。早く見つけないと私は、母の中で出来た私になってしまう。
本当は家事が出来るかもしれない、もしかしたら何か出来ることがあるかもしれない、けどそれを見つけられないまま人生を終わる可能性はなきにしもあらずだ。
思い込みに負けてはいけないことは分かっている、人形になってはいけない、でもずっと私という個性が殺されて母のイメージした私になっていた今までを変えることが酷くうまくいかなくて苦しいのだ。
自分に母の言葉でできた呪いがかかっていることまで私は見つけることができた。
これからはそれをどう解くのかを見つけなければきっと自分らしい、私の人生を歩むことはできないんだろう。
呪いから逃れる考えを死ぬまでにみつける、それが私の目標だ。

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