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海外ドラマ『THIS IS US / ディス イズ アス』大人になれない大人に腹が立ち、共感する

『 THIS IS US / ディス イズ アス 』全6シーズン(106話)を見終わり、ふつふつと感動しています。

最終エピソードの 1つ前、シーズン6 の第17話で思わず声が出ました。

「そういうことか・・・・・・」

その後、一度混乱し、再度、声が出ました。

「う・・・・・・」
「すごい。そこにつながっていくのか」

自分の予想した結果とは少し違いましたが、スッキリと、すごく納得感のある終わり方でした。

悲しみにあふれる世の中への 1つの回答を示してくれます。

このメッセージが温かく胸に残っています。

海外ドラマは打ち切りが多いので、変な気持ちで終わってしまうことも多いです。

そんな中、きっちり・スッキリと終わってくれる作品に出会えたのは、『バフィー 〜恋する十字架』『シックス・フィート・アンダー』以来の感覚です。

内容

ピアソン家にいる三つ子。36歳 になった 3人 が人生に行き詰まる。

現在、過去、未来を交差しながらそれぞれの人生を描いていく。

一度離脱

もともと 2017年 にNHKで放送が開始されました。

僕は海外ドラマを日本語吹替版で見るのが好きです。ただ、高橋一生さんの吹替を聞くのがツラくて途中で離脱してしまいました。

動画配信で復活

シーズン1 を見てからかなり日がたっていましたが、内容をけっこう覚えていて、すんなり続きから見ることができました。

シーズン2 で高橋一生さんから小松史法さんに交代しているという情報は知っていたので、シーズン2 からは日本語版を見ました。小松さん……。素敵な声です。

大人の在り方

不思議なバランスで成り立っている作品です。

扱っているのは、大人になれない大人たち。

現代は自分の好きなものを追求できるような世の中になりました。

僕が子供のころ、大人というイメージはある程度統一されていました。

結婚する。子供をつくる。離婚しない。新聞を読む。ニュースを見る。投票に行く。アニメは見ない。アイドルの顔がみんな同じに見える。『男はつらいよ』を観る。子供の遊びにそこまで関心がない。

対して現代は、大人がアニメを見ていても違和感はないし、アイドルを追っかけていても何も問題はありません。恋愛をしていなくても、結婚をしていなくても自由です。

大人も言うほど大人でないことを隠さない時代になり、問題がでてくるようになりました。

理不尽な世の中

子供のころは大人から向けられる理不尽なことに「それはないだろ」と思いつつ、従わざるをえない状況があります。

例えば、食事のときコップで牛乳をぶちまけてしまった記憶……。

烈火のごとく怒られます。ですが、親がぶちまけても「あちゃ~」で済まされる。

「この前あんなに怒ったのに……」。子供心に理不尽な気持ちになります。

親が子供に謝るという場面をあまり見ることはありませんでした。

大人になる時間が引き延ばされる

ドラマでは30代後半の三つ子と、三つ子の両親の30代後半の時代が平行して描かれます。

三つ子の30代・40代:1980年代~1990年代
三つ子の両親の30代・40代:2010年代~2020年代

比較してみると、社会的な背景から三つ子の成長速度が明らかに遅いです。青年期に反抗期が来ているものの、30代後半に本当とも思える反抗期がきて、親とやりあいます。

『 THIS IS US / ディス イズ アス 』では、ゆっくりと成長していく様子が描かれます。

とくに表現されるのが、大人と子供の心を併せ持つ三つ子が、理不尽なことに我慢しないという態度です。

セリフの特徴

積極的にキャラクターの醜い部分を描きます。大人がふつう言葉にしないような、胸に仕舞っておくべき言葉を、主役 3人は口にします。

子供のように言葉にすることに勇気をもらいつつ、大人なのに言葉に出してしまうことにイライラさせられます。

毎回のエピソードがけっこう刺さります。

気づくのは、キャラクターに単純に感情移入させないような脚本です。一度自分の中で考えないと感情移入することができません。寄り添う努力をしないとキャラクターの気持ちがわかりません。

僕の性格上、真剣に見るとイライラしてしまうので、集中して見すぎないようにしていました。

大河ドラマ

多様性の権化のような作品です。過激な表現が含まれるものの、アメリカの保守層もつかむ大河ドラマです。

基本的には家族観が描かれます。この家族の在り方がとても多様で、延長線上にある仕事観も描かれます。

シーズンが進むにつれ、アメリカの歴史も描かれるようになります。

アメリカ特有の、結婚・離婚を繰り返すことによる大家族化とその問題。

養子、育児放棄、人種差別、アメリカの政治、ベトナム戦争、イラク戦争。

ドラッグ、依存症、トラウマ、病気、身体障害、アルツハイマー病。

アメリカ人の生活習慣や、人生へのとらえ方、文化的な部分も多く語られます。

そして死生観。

緻密な脚本

シーズン2 の途中から一段階ギアが上がります。そこからどっぷりハマってしまいました。

シーズン2 あたりから重要なシーンが重複しはじめ、最終シーズンのシーズン6まで引っ張るようなエピソードも出てきます。

脚本がどんどん緻密になり、時間軸に騙されるようになります。

シーズン3 の時点で、エンディングがすでに想定されていたようです。

主役3人に関しては、「赤ちゃん」「5歳ごろ」「10歳ごろ」「20歳ごろ」「成人~高齢」の5組もキャストがいます。

子役が成長してしまうため、エンディングの大部分の撮影を最終話の4年ほど前に終えていたそうです。

マンディ・ムーア

そもそもこのドラマが気になった理由はマンディ・ムーアが出演していたことにあります。

ドラマの中でも歌声を披露していますが、マンディ・ムーアはブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラと同世代のポップスターです。

1999年にデビュー・アルバム『So Real』をリリースし、95万枚の売り上げを誇ります。

歌い方というか、口の使い方に特徴があったのですごく印象に残っています。

『きみに読む物語』の作者であるニコラス・スパークス。彼の初期の作品の映画化『ウォーク・トゥ・リメンバー』で主役を演じています。

クリスチャン・ロックが使われる保守的で信仰心の厚い映画です。これでもかと愛を語る作品ですが、サントラを含めとてもいい作品です。

小説版の邦題は『奇跡を信じて』。もともとは1950年代の設定でしたが、映画では現代に設定を変え、ところどころ改変が加えられています。この変更がすごく効果的で、映画が原作小説を超えているとても珍しい作品だと思っています。

改変の一つとして、マンディ・ムーアに合わせ歌のシーンが追加されています。この曲『 Only Hope』が素晴らしいです。

『プリティ・プリンセス』で嫌味なブロンド高校生を演じていたマンディ・ムーア。『塔の上のラプンツェル』でのラプンツェル。

『 THIS IS US / ディス イズ アス 』では 20代 から老人まで幅広く演じていることに感動しました。

海外ドラマを掘り起こす

出演者やゲストにかつて海外ドラマで主役級を演じた俳優がちょくちょく登場します。

そのキャストがどのドラマに出演していたか思い出すたび、思い出も蘇ってきます。僕は小学校、中学校時代とくにヘビーに海外ドラマを見ていたのでドンピシャでした。

まず『 THIS IS US / ディス イズ アス 』では登場人物の現在と過去を違う役者が演じています。違う役者なのにかなり似ています。その度に『コールドケース』を思い出します。

ジャック役のマイロ・ヴィンティミリアは『HEROES/ヒーローズ』でピーター役を演じていました。

そして有名なゲストたち。

『 愉快なシーバー家 』のアラン・シック
『 ロズウェル 』や『 リベンジ 』のニック・ウェクスラー
『 パパにはヒ・ミ・ツ 』のケイティ・サガール
『 HEY!レイモンド 』のブラッド・ギャレット
『 Weeds ママの秘密 』のハンター・パリッシュ、エリザベス・パーキンス
『 ER 』のゴラン・ヴィシュニック
映画『スカイ・ハイ 』のマイケル・アンガラノ
『 Dr.HOUSE 』のジェニファー・モリソン、‎オマー・エップス
『 CSI 』のジョージ・イーズ
シルベスター・スタローン
ロン・ハワード監督
ナイト・シャマラン監督

ピッツバーグ

ピッツバーグ、LA、ニュージャージー、ニューヨーク、フィラデルフィアを中心に話が進んでいきます。

僕はピッツバーグに留学していたことがあり、すごく懐かしい気持ちになります。

アメフトの話題が入ってくるのですが、ピッツバーグには強豪チーム「スティラーズ」があります。試合の日は街に出れば一発でわかります。

街はスティラーズのチームカラーである黄色と黒のユニフォームを着た人でいっぱいになります。

ピッツバーグはかつて工業都市でしたが、今はその役割を終え大学街となっています。マンモス大学のピッツバーグ大学、優秀な学生が集まるカーネギーメロン大学がありますが、この 2校は郊外にあります。

スティラーズのスタジアムは中心街にあるのですが、ピッツバーグは中心街が栄えていません。僕が留学していたころ、ドラッグストアでさえ日曜日なのに午後3時に営業が終了していました。週末が特に閑散としているので、試合があるとより目立っていました。

ネタばれ注意

最後にネタバレが絡んでしまう気になる点です。

精神的な自由 vs 社会的な責任

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉を思い出しました。

フランス語の「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉です。財力、権力、社会的地位を持つ人には責任が伴う、という意味です。

ピアソン家の三つ子は、頭脳・顔(スポーツ)・芸術的才能により成功していきます。この部分もなかなかおもしろい脚本だなと思いつつ、この三人が徐々に社会に対して責任を取り始めていくようになります。

個人の幸せを追求する時代の中で、社会への責任を考えさせられます。

せっかく反抗期を終え、自分を見つけたとしても社会的な成功から逆に家族とのバランスが難しくなっていきます。とはいえ、社会に貢献することで、三人の精神は落ち着くようにもなります。

そうした部分まで描かれていくことにハッとさせられるのでした。

最終話

最終回は正直おまけのような感じでした。その1話前が本当の最終回だと思います。

ドラマの最終回では、あと少し描いてくれたらな、と思うことがあるのですが、今回の場合は描きすぎで逆にもったいない、と感じてしまいました。

とはいえ、本当にいろいろ考えさせられるドラマでした。

またしばらくしたらもう一度見てみたいです。

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