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【vol.2】自分らしく生きるよろこび/小川美農里さん

ダーナビレッジの広報スタッフ、サエがお届けするインタビューシリーズ。今回は、ダーナビレッジのオーナー・小川美農里さんにお話を伺いました。ダーナビレッジ立ち上げまでの経緯や、美農里さん自身の価値観の変化、今の取り組みに対する想いなどなど、全5回にわたってお届けします。

「vol.2」では、美農里さん自身が過去に抱えていた葛藤や、それらをバネにして世界へ飛び立った学生時代のストーリーをお届けします。

ダーナビレッジとは、「すべてのいのちが輝く社会づくり」をテーマに、健康回復とじぶん発見をめざす体験型の宿泊施設です。ヨガやセラピーなどの体験、隣接する農場で育てた有機野菜のお食事などを通して、「本来のじぶんらしさを取り戻す」お手伝いをしています。

世界平和のために、自分にできることとは?

ー高校時代は、ありのままの自分を認められなかったとのことですが、やってみたいことや、夢とかってあったりしましたか?

美農里さん:中学生くらいのころから、海外生活や留学に憧れていましたね。昔流行った『ビバリーヒルズ青春白書』っていう海外ドラマがあるんですけど、それを姉が観ていて。わたしも海外に行ってみたいと思っていました。高校からは、国連職員とか、青年海外協力隊とか、そういうのに興味があったかな。

ー海外に意識が向いていたんですね。

美農里さん:そうですね。わたしが高校生のときに、兄が青年海外協力隊でパラグアイに行ってて。それで、わたしも兄を頼ってパラグアイに行ったんです。

ーすごい、美農里さん自身も足を運んだんですね!行ってみてどうでしたか?

美農里さん:一番印象にのこっているのは、大統領の官邸前にスラムが広がっていたこと。貧しい人たちが目の前にいるのに、なんで大統領は何もしないんだろうって、高校生ながら憤りを感じていました。それから、高3のときには国内なんだけど、学校の先生に大阪の釜ヶ崎(日雇い労働者の町)へ連れて行ってもらって。炊き出しや夜回りをしながら、ホームレスの方々が置かれている状況にふれました。

ーふつうに高校生活を送っているだけでは、知ることのできない世界にふれていますよね。それも、美農里さんの意思で。

美農里さん:そのあたりから「世界平和のために自分ができることってなんだろう」って、考えるようになっていきました。でもやっぱり、さっきお話したような優柔不断な性格は変わらなくて。大学進学を考え始めたときに、父から「高校で専門的に農業を勉強したんだから、農学部に行ったほうがいい」って言われたんです。じゃあ、農学部を受けないといけないのかなって思って、国公立の農学部を受験したんですけど、結果は不合格。でも、もともとモチベーションはそんなになかったので。

ーどんなことに興味があったんですか?

美農里さん:興味があったのは、心理学とか精神医学。でも高校進学のときのように、「自分で決める」というのがすごく苦手で。それで、ワーホリとか海外留学をしたいなって思ってたんですが、当時の担任の先生から否定されてしまって。それだけで、海外に行くのは自分の道じゃないんだなって思っちゃったんです。

ー人に言われたことに、すごく影響を受けていたんですね。

美農里さん:どうしようかなって思ってたら、「恵泉女学園園芸短期大学」っという学校に出合ったんです。そこでは「園芸療法」といって、植物を使ったセラピーを学ぶことができて、それだったら自分がもともと興味があった精神医学とか心理療法に分野が近いかなって。

これまでのわたしから、脱皮する。

美農里さん:それで園芸療法を学びはじめたんですけど、やっぱりもうちょっと身体の仕組みとか、医学的な分野を学びたいという想いが高まって、短大を卒業してから看護学科のある大学へ進学しました。

ーそれまでは、自分で決めるのが苦手だったとお話されていましたが、ようやく自分らしい道を選択できるようになったということでしょうか。

美農里さん:そうなんです。看護学科に行くって決めたあたりから、ようやく「自分らしく生きる」ことができた気がする。自分で選択した道を歩めることに、すごくうれしかったのを今でも覚えています。

美農里さん:それから、いろんなことに前向きに取り組めるようになりましたね。大学では看護を学びながら、社会問題について考えるサークルに所属したり、重度身体障碍を持つ方のボランティアに参加したり。そうしているうちに、もっといろんな場所へ足を運び、そこに生きる人の声を聞きたいという想いがこみ上げてきたんです。看護の面でも、もっと技術や、視点を磨きたい。そんな背景から、2年生を終えたタイミングで休学をしました。旅に出て、もっと世界にふれるためです。

ー高校生のときのように、再び世界に飛び立ったのですね。

美農里さん:ボリビア、キューバ、コスタリカ。9.11にあわせてアメリカへも趣き、デモ行進に参加しました。アフリカでは、病院やクリニックなどでNGOの活動に参加させていただいたり、社会福祉が進んでいるヨーロッパでは病院や福祉施設を訪ねたり。ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプへも足を運び、ボランティアもしました。

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2008年、ヨルダンの首都アンマンにある国連パレスチナ救済機関のクリニックにて、ボランティアをしていた時の一枚。

▷vol.3に続きます!



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