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9月号(№238)編集後記

4年ぶりに完全復活を遂げようとしている久慈秋まつり。お盆が過ぎ、各組は手作り山車や創作みこしの製作を本格化させています。

久慈秋まつりに山車が登場したのは大正初期と言われています。当初は小規模だった山車は、時代を追うごとに規模を拡大。他の組に負けじと競い合いながら豪華なものに進化していきました。

昭和40年頃からは、多くの山車組が八戸三社大祭で使用した山車を借り受け運行するスタイルが定着。この方式は約20年間続きました。

時代が昭和から平成にかわり、久慈秋まつりに手作り山車が再び登場。自作山車への機運が高まりました。

平成19年からは全ての組が山車を自作。精魂込めて作り上げた絢爛豪華な山車が、観る人の心を感動させています。

各組の運営には多大な資金と労力がかかります。
山車作りにかかわる材料代や祭り期間中の飲食代などおおむね全ての費用に物価高が伴う他、新型コロナの名残りが寄付金減少に影響するなど各組では資金面に多くの課題を抱えています。

さらに深刻なのが人手不足です。山車作りの現場では、限られた人材に負担が集中するなど後継者不足が長年の課題となっています。さらに、子どもの数が減ったことで山車の引き手やお囃子の確保にも慢性的な課題が残ります。

祭りの熱狂と余韻に浸るあまり、課題から目を背けがちですが、久慈まつりの伝統を絶やさないために、そろそろ本格的な議論が必要な気がします。

金と人、両方ともすぐに解決できる課題ではありません。時代とともに形を変えながら歴史をつないできたように、令和の時代にマッチした久慈秋まつりの形をみんなで考えてみませんか?

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