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The Queen's Gambit

映画とか、ドラマとか、演芸とか、読書とか。全部自分の好きな物だ。何がいいんだろうと考えてみると、「語り」の面白さや、それをどう解釈して表現(再構成)していくのかというところに魅かれているのだということに気が付く。馬鹿みたいに毎日のようにドラマや映画を見ているので(ほんとはその時間にも研究を進めるべきなのだけど)、日記がわりに見たものの記録をつけてみようかと思い立つ。

先日、Netflixのリミテッドシリーズで「クイーンズギャンビット」というドラマが公開された。タイトルの通り、チェスがテーマのドラマだ。それに、1960年代という冷戦の時代と、「女性」というテーマが絡んでいる。このドラマでは、冷戦という要素はそれほど大きなウェイトを占めていないけれど。

チェスといえば、舞台にもChess the Musicalという作品がある。観る前は、チェスなんて舞台でどうやって演出するんだろう?ととても不思議だったが、登場人物=チェスプレイヤーたちの葛藤や心のうちの悩み、チェスが隆盛だった1960年代、すなわち冷戦という国家間の対立が、個人競技であるチェスとそのプレイヤーたちに絡むプレッシャーを、ロックな音楽で描いた見ごたえのある作品だった。もちろん、舞台上で小さなチェス盤を囲む、緊迫した試合の場面もある。ミュージカルなら、曲や歌詞、舞台ならでは「見立て」を利用していろいろな描き方ができる。それに、実話をもとにしていることから、物語に土台というか、ある程度の枠組みができている。

[CHESSの中でお気に入りの曲。今年の1月にRamin Karimlooの歌を聴いた。痺れるほど素晴らしい歌声だった…]

でも映画だったら?

そういえば、「ボビーフィッシャーを探して」という映画があった。これも、「クイーンズギャンビット」の主人公であるベス・ハーモンのように、幼いころにチェスの才能に開花した少年が、チェスを通じてどのように成長していくか、そしてチェスを通じて周りの人々や彼自身がどう自分と、家族と向き合っていくかを描いた物語だったように思う。これも、確か実在のプレイヤーの回想録か何かをもとにした映画だった。

「クイーンズギャンビット」には、Chess the musicalと「ボビーフィッシャーを探して」という2つの作品には無い視点がある。そのひとつが、「女性である」ことがどういうことなのか、それはその人の生き方にどう影響を与えるのか、それとも払拭できるものなのかということだ。

チェスをテーマにした作品が、いつも男性を主人公にしていることがとても不思議だった。Chess the musicalでも、実際の出来事を舞台化してるということもあるのだろうが、メインとなるのは世界タイトルを狙う男性のプレイヤーたちで、女性はあくまで主人公を支える人物として描かれていた。それで、ちょろっとネットで調べたところ、レーティングが高いプレイヤーは、圧倒的に男性であることを知った。プレイヤー数も男性の方がはるかに多い。つまり、チェス界=男性社会なのだ。今はそれほどではないのかもしれないが、少なくとも「クイーンズギャンビット」の舞台である1960年代は完全にそうだった。

ある時、何かの記事でチェスにおける男女差をテーマにした論文があることを知った。今、この論文は手元にないため詳細を参照することはできないが、この論文を書いた筆者は、チェスのプレーや勝率に生物学的な男女差があるのかどうかを結論づけることはできない、と述べていた。但し、女性のプレイヤーが増えた場合には、女性の勝率が上がるというデータもあるといい、チェス界にはそもそも女性プレイヤーの母数が少なすぎるという問題があると指摘していた。

ここでこのドラマの話に戻るが、物語の中では主人公のベス・ハーモンが「女性」であるということから受ける心無い仕打ちや、孤児という境遇による周囲の大人との人間関係や愛情関係、酒やドラッグへの逃避をくぐり抜けながら、チェス界の新星としてその才能を発揮していく姿が描かれている。このドラマを見始めた時、こんな素晴らしい女性がいたなんて知らなかった、早速調べてみよう!と私は思わず名前を検索してみた。ところが残念、「ベス・ハーモン」という人は実在の人ではない。ウォルター・デヴィスが生み出した架空の人物だ。思わずがっかりしてしまった。でもきっと、歴史の陰には彼女のような才能に溢れた人がたくさんいたのだと思う。

彼女は架空の人物なのだけれど、たったひとりで大小様々な心無い仕打ちを切り抜け、勝つか負けるかというプレッシャーと常に戦い、その能力と才能の素晴らしさで周りの人々を魅了していく、爽快感あるカッコよさがあり、一方で抱え込みすぎたものをお酒やドラッグでしか発散する術がなく、身のうちに抱え込んだ怒りを抱えきれない脆さもある。彼女のそういう激しい生き方には思わず感情移入してしまう。孤独に幼少期を過ごさなければならなかった彼女にとって、チェスは唯一の楽しみで、自分の居場所のあるところで、才能と能力を遺憾なく発揮できるもので、心の拠り所だったのだろう。彼女が築いていく人間関係までも、チェスを通じて得たものだ。そういう彼女の姿勢が見せてくれるのは、自分の能力を発揮できることの素晴らしさと苦しさであるように思う。

ややネタバレだが、チェス界の古株やトッププレイヤーたちを華麗に組み伏していくベスの姿は、見ていて気持ちいいほどだ。周りの人々が決して愛想がいい人とはいえないベスにどんどん魅かれていくのは、どんな高い壁にも屈せず、ただひた向きにチェスに向き合う生き方と、その根っこにある才能と能力にあるのだと思う。劇中には、「その道を究めて頂点に立つというあなたの生き方が羨ましい」というセリフもある。その一方で、彼女はそんなことは望んでいないにも関わらず、ひとりで「女性なのに」「女性だから」という男性社会の壁にもぶつかっていかなければならない。彼女自身は、ただチェスをやりたいという一心で生きているのに。

私なら、こんな風に立ち向かっていくことができるだろうか?自分の弱さをどうにかして克服して、さらにこんな孤独に打ち勝てる人はどのくらいいるのだろう?……

というわけで、ストーリーも良いのだが、物語の中心となるチェスの試合も見ごたえがある。プレイヤー2人とチェス盤1つしかないシーンでも、緻密に戦略を練ろうと頭をフル回転させる緊迫感や、自分の戦略の穴を突かれたことに気が付いたときの脱力感、相手の手を縫って出し抜いたときの感情の高ぶり、チェス盤を前にした心の葛藤といった細やかな感情が、音楽やカメラワーク、そして俳優たちの演技力で表現され、自分もチェスプレイヤーのひとりとして、目の前の試合にのめりこんでいるような錯覚を覚える。

それと、60年代のポップなアメリカのファッションも見ていて楽しい。カラフルな色合わせに、派手な柄という取り合わせなのに、不思議とうまくまとまってしまうコーディネート。チェスを武器に自分でお金を稼ぎ、佇まいも身にまとう雰囲気もどんどん洗練させていくベスがとっても美しい。「自分の稼ぎと自分のひとりの部屋、それが女性には必要だ」というウルフの言葉が頭をよぎる。

原作のThe Queen's Gambitも読まなければ。あ、そういえば他にも積読がある。あ、あ、でも学会の準備と論文も読まないと。まだ何にも向き合ってないのに、早くもしっぽをまいて逃げ出したい気分だ。

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