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駄文、夏

おはこんばんにちは、れんちょんです。

さて、世間はコインチェック流出NEM収受事件上告棄却判決で盛り上がっていますね(?)

別に盛り上がってないですが…

いわゆる「クリプト」と呼称される分野に情熱を持つ人たちがこの判決について様々な意見を述べていますが、私は前述のブログの解説がとてもわかりやすいと感じたので共有いたします。

私は「法学部」に4年2ヵ月在籍していた「正真正銘の」法学徒なのですが(?)、それを踏まえた上でもやるせない気持ちになる判決だなあ、という感想です。

当たり前ですが、ただの極東の島国でしか通用しない日本法というローカルなルールが「NEM等の暗号資産が社会経済において果たしている役割や重要性」や、「NEMのシステムによる取引における静的、動的安全の確保に対〔する〕社会の信頼」そのような信頼を確保する上での秘密鍵の役割に普遍的な説明を与えられるはずもないので、あくまで日本法の枠組みに則ったひとつの「解答例」だと認識しておくことが最も重要なのではないかと思いました。

領域国民国家という名の牢獄の意義がますます揺らいでいるなあと痛感する次第です。まあそもそも意義なんてないのですが。



最近、体調を崩していたり、なんとなくやる気が出ないがためにめっきり文章を書く機会が減った気がします。なので、今回は「駄文」と称して特にこれといった推敲もすることなく、散逸とした文章を書く一種のリハビリをする回となります。ちなみに今の今までは有益な記事を書こうなどと意気込んでいましたが、やめにします。苦手な方はブラウザバックを!



昨日は、六本木の街並みを歩いていました。東京には、大都会だろうと綿密に設計されたのかそうじゃないのかわからない街路樹が所せましと並んでいるエリアが多々ありますが、私が歩いていたところもそのようなところで、ミィンミィン、と蝉の鳴き声が響き渡っていました。蝉時雨によって真夏の到来を肌で感じるという面では私も典型的な日本人のようです。出身が田舎なのでそりゃそうなんですがね。



六本木という街を訪れるたびに、小学生の時に読んだなぞなぞ本で「木が2本で林、木が3本で森、じゃあ木が6本はなーんだ?」といったなぞなぞが未だに脳裏の片隅から離れてないことにびっくりします。もちろん答えは六本木です。木が6本どころか森林率が日本一(84%)を誇る高知県出身の私にとっては、東京23区は当たり前に「都会」なのですが、小学生の時におぼろげながら想像していた「東京」よりは、なかなかどうして木々に溢れています。そう思わせるようにに設計したデベロッパーも、結局は人と森が切り離せないということを十全に理解しているということでしょうか。そういえば港区六本木のデベロッパー・総合不動産会社といえば「森」ビルでしたね。



ぼくは(やっぱり私よりぼくの方が言いやすいのでぼくにします)僧侶の端くれですが、僧侶の世界でも森は古来から親しまれています。上座部仏教では「森林僧院」や「森の僧侶」などというワードが日本でも親しまれているのは勿論のこと、釈迦の時代から僧たちは森に暮らしていました。いや、森に暮らすというのは近現代的な見方で、今でこそ都市と「自然」は境界があるものの2500年前のインドの話となっては、今でいう農村から出家して出離して集まる場所が今でいう「森」であっただけともいえるでしょう。



話を戻します。六本木の散策の後、ふらっとサイゼリヤに立ち入りました。注文方法がQRコードになったのには慣れ始めていたのですが、食事の運搬もロボット(すかいらーくグループと同じ?よくわかってない)に変わっていて少し驚きました。千葉雅也を思い出しました。

ふとしたことで年を取ったことを実感します。こんなことを書くと25歳はまだまだ若いなどと思う人もいるかもしれませんが、ティーンエージャーの時からすると25歳も35歳も45歳も大して変わらない「大人」という認識だったような気がします。この認識も己によって歪められてしまってそうですが。



この世に生を受けて四半世紀。ふとしたことでノスタルジィを感じる歳に至るのは想像よりも早かった。いや、早かったと書いて年寄りぶるのはもちろんまだ早いのだが、正直にいうとこれはこれで長かったような気がしている。これというのはもちろんこの私自身の人生である。高校卒業時に就職したり、大学卒業時に就職したりといったインターバルのない生き方からは程遠い。大学も行ってるんだか行ってないんだか曖昧な状態がここ数年間続いているし、働いているんだかどうかも怪しい状況も同様だ。こうやって深夜に己の生涯を軽く振り返るような、駄文を書き連ねるような生き方が正しかったのかわからないが、良縁に恵まれ学び多い日々は送れているとは思う。そう改めて実感している。



ぼくの大学(校)の大先輩こと田母神氏は「デープステート」発言などでネットの世界では嘲笑されがちだが、ぼく自身は彼のアグレッシブさには尊敬している部分は多々ある。急な都知事選出馬やラップバトル出場などを繰り返すタフネスさは流石は元航空自衛隊トップといったところだろうか。まあただの自己顕示欲の発露ともいえるし、そもそもどう取り繕ってもバカだということは否定できないが。思い返せば、大学1年生の時の統計の授業で彼がバカであることをデータを用いて立証する、みたいな授業があったことを思い出した。まあ思い出すというか各授業を今でもくっきり明確に覚えているのだが、それはまた別の話。会った人に聞かれれば答えるので気軽に聞いてください。



それも7年前か、すべてが懐かしい。そもそもどうしてこうして過去を振り返っているのか。先ほどセブンイレブンで買った新発売のメロンクリームソーダを飲んでからのような気がする。プルーストの「失われた時を求めて」を引用するまでもなく、味や香りのような記憶は過去を思い出させるというのは一般常識であろう。新発売のはずなのに、昔飲んだ味と似ている。話は変わるが、四国の田舎だろうが、横須賀の自衛隊施設だろうが、東京23区だろうが日本の夏はさして変わらないらしい。どこに住んでいてもじんわりとした蒸し暑さ、それを中和するクーラーの涼しさ、のどが渇いたときに飲む清涼飲料水。日本だ。



ぼくがアラビア語の勉強をしていることも、元を辿れば日本という国への愛国心の裏返しかもしれないという見方もできるかもしれない。日本という国はもちろん好きなのだが、あくまでネイションステートでいうところのステート。単一民族国家である必要はもちろんない。かつてこの国は帝国であったが、現在もアラビストが帝都を統べる「国際都市」東京を首都に抱える。女帝・小池百合子を語るうえで切り離せないカイロ留学。冷戦時代に魔境カイロ大学に留学し無事生還した経験は、彼女の政治家人生の基礎を形作っているのは間違いないだろう。



未来は未だ来ていないものなのだが、ひとつ感じたことはある。日本に暮らすということは快適だが、ぼくは日本の「夏」に飽きてしまった。それは堪能尽くしたということでもある、いいことだ。だがしかし、別の仕方で「夏」を味わいたい。一旦。



アーティストの村上隆は日本人は「夏」にコンプレックスを抱いていると看破した。1945年8月15日、終戦の日から日本人は夏に対して特別な感情を抱いていると。それはもちろん一言では言い表せるものではないが。彼曰く、エロゲのパッケージに青空や白い雲が描かれていることにまでスーパーフラットを見出しているという。




昔から、死んだ後の世界についてよく考えていた。輪廻転生しようが、楽園に行こうが、何もなかろうが、死んだ後の世界は現生人類にとっては不可知であるとの理性主義は何人の心をも満たすこともない。ただ真実から目を背けさせるノイズ、目隠しに過ぎない。そう思わせるまでに現代日本は相当死から遠ざかった社会だ。仏教においても、輪廻転生からの解脱などというよりも、むしろ「死」本体、葬式や墓などを想起させるシニフィアンとして受容されることが常である。末法だから仕方がないが。



今期の夏アニメはATRI -My Dear Moments-を推しています。





「メカクシ完了」






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