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父の日なので、20歳から肉体労働しながら、俺を育てた父について

父の日なので、父について書く。(存命です)

普通の父

社会的に見た私の父は、いたって普通の一市民であり、一労働者だ。

高校を中退して、工場勤務からトラック運転手、そして今はベテランの配管工として親戚の経営する工務店で働き、暑い日も寒い日も現場に出ている。

ヤンキーな父

父方の祖父(つまり父の父)は、遊び人だったらしく酒とギャンブルが大好きであまり柄のいい家庭ではなかったようだ。

父には姉と妹(つまり私の叔母と伯母)がいるが、明らかに元ヤンであり、私が物心ついたときにはヤンママであった。

父はやや前から禿はじめてきたのでわかりづらくなっているが、そり込みが入っているように見えるし、なんなら父から受け継いだ木刀とヌンチャクには無数の傷がある。やっぱりヤンキーだったのだろう。

祖母は市役所勤めの公務員で、祖父の死後は作った借金をコツコツ返したような人だった。

父とその姉妹は荒れた魂を祖父から、良心を祖母から受け継いだのかもしれない。知らんけど。

すごいぞ父

傍から見ると、典型的な湘南のヤンキーがそのままマイルドヤンキーになりましたみたいなキャリアパスを歩む我が父だが、私が心から尊敬している人の一人だ。

父はいつも誠実であろうとする人だった。仕事には手を抜かず、20歳で産まれた私を育てるために、日夜を問わず働いた。

子どものころはわからなかったが、20歳から子どもを産み育てるというのは途轍もない苦労だったと思う。まわりの同年代は、まだまだ遊んでいる中で、父は夜間の現場に何日も出て家計を支えていた。

父は努力家だった。高校だけは出ておこうと働きながら、通信制高校に通って高卒資格を取った。私が覚えているのだから、きっと20代半ばから後半だろう。子育て・現場仕事・高卒資格の取得の3つを同時に行うのは非常に大変なことだっただろう。

また、私が中学ぐらいになってから急に本と新聞を読むようになった。趣味は筋トレと空手、マラソンみたいな超脳筋体育会系だったのに。

私はそのころ反抗期で、とはいえ筋肉の塊みたいな父親に勝てるはずもないので、どんどん口がうまくなっていた。もともとの読書好きもあって、知識と知恵で口喧嘩ぐらいに勝てるようになっていた。

普通だったらそこで「何を生意気言ってんだ」と腕力に訴えるなり威圧するなりすると思うが、父は自分も勉強する道を選んだ。

父はまた、謙虚だった。わからないことは子どもにも素直に聞いてくる。決めつけるような聞き方はせず、自分の意見を言うときも「〇〇だと思うんだけど、どうなの?」と聞くことが多かった。

自分が同じ立場で同じことができただろうかと、大人になった今、思う。

ありがたいぜ父

発泡酒と沢庵漬け、シーチキンマヨネーズと甲類焼酎を楽しみにし、コツコツ貯めたお小遣いで母の誕生日にデカいテレビをプレゼントしたりする父は、とても善良で誠実な一市民で一労働者だ。

苦しいことも、つらいことも、理不尽なこともきっと人一倍あった中で、曲がらずに善良であり続けること、誠実であり続けることは、とても貴重で高潔な人格だと私は思っている。

私が善良であろう、誠実であろうと思い続けているのは父の影響が大きい。「家庭環境はガチャだ」みたいな話があるが、私は明らかに最高レアを引いたと思っている。

当然、こんなことは直接伝えられないのだけど。

父の日なので、改めて書いてみた。やっぱすげえな父。

タンスの奥に隠していたエロビデオの趣味は合わなかったけど尊敬しているよ。




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