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今日死ぬならどう生きる?!

今年の元日は
最強開運日ということで
浮かれていたけれど

蓋を開けてみれば
能登半島地震と
JALと海保庁の衝突事故

しかもその海保庁の機体は
被災地に救援物資を
届けるはずだったという皮肉

私たちは
偶然にも事故が起きる
ほんの数分前に
羽田空港から飛び立っており

危機一髪で混乱から免れていた

降り立った新千歳空港では
羽田空港閉鎖のため
帰れなくなった人たちでごった返し

空港内のアナウンスでは

空港閉鎖は飛行機会社の過失ではないため
一切の保証はできない

お正月休みの影響で
明日以降のフライトの予約も困難
という内容が繰り返し流されていた

空港内は人で溢れていたけれど
イタリアのような混乱はなく***

黙ってきちんと列を作って
カウンターに並ぶ人たち

***
2010年のアイスランドで火山噴火のとき
たまたまアリタリア便を取っていて
他の航空会社は全て欠航だったのに
なぜかミラノ行きのアリタリアだけが飛び

飛び立ったら
ミラノには行かずローマ着になると

飛行機内は大騒ぎ

ローマの空港に降り立ってからは
イタリア語での誘導しかなく

アリタリアの職員が拡声器も持たずに
無言でホテルのバウチャーを配ってたw

私は混乱する他の日本人に
できる限り通訳をして
ホテルバウチャーをもらうように
促したりしていた
***

たまたま去年の暮れから読んでいた本
『明日死ぬかもよ』

その中に出てくる
『メメントモリ』

その言葉を初めて知ったのは
たぶん高校生くらいのときだったと思う

メメントモリ

古代ローマ時代
戦いに勝利した将軍に
戒めとして使用人に囁かせたという

wikiで調べてみると

「メメント・モリ」の趣旨は carpe diem(今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。

なるほど!
これはまさにイタリア人たちの生き方!

しかしwikiはさらに続く

キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。

カトリックが国教のイタリア

でも私の肌感としては
後者よりも
前者の感覚で
今のイタリア人たちは生きているような
気がする

JAL機炎上の事故があった夜
そのちゃんがシェアしてくれた
村上隆のインスタ投稿に

日本人の持つ
無常の感覚
謙虚に生きる姿勢

という言葉があり

私の中で瞬時に
平家物語の冒頭とメメントモリが
繋がった

祇園精舍の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
驕れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひにはほろびぬ
ひとへに風の前の塵に同じ


大学生のときに
偉大すぎて
強すぎた光であった
歌舞伎界の寵児であった祖父が他界した

そのとき私の頭の中には
この冒頭が再生されていた

祖父の他界によって
仕事が減り
お金が減り
人が離れていった

私は祖父の六番目の息子の次女
という
居ても居なくてもどちらでも良い的な
ポジションだったので

このリアル盛者必衰を
遠巻きに
ひとつのエンタメとして俯瞰していた

それでも
私の中にはこの
諸行無常
盛者必衰
の概念は強く根付いたと思う

この言葉と実体験から
厭世的に世の中をはすに見ていた私

必ず落ちぶれるのだから
成り上がってはいけない

そんな風に
自分を押し殺すべき
というような
ネガティブな捉え方をしていた

でも

今感じるのは
もっと大きなところ

破壊と再生を繰り返して
発展はなされる

全ては変化を遂げていき
一定であることはない

だからこそ
過去を悔い続けるのでも
未来を憂うのでもなく

今を生きる

そして昨日の夜たまたま聞いた
古神道の『中今』という概念

過去も未来も包括した
大きな今を生きる

私には被災経験もなく
大切な人を失った経験もまだない

すぐさま被災地に飛んでいく勇気もない

今の私にできること

それは
全力で今を生きること
だと

何かにつけて
判断に時間がかかることが多い私
しかもかなりくだらないことで

例えば
今日シャンプーするかしないかとか😅

こんなくだらないことから
まあまあ重要かもってことまで

最近の私の指針はこれのみ

『今日死ぬならどう生きる?』

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