布団とだめ人間

 拙宅の家はベッドではないために、起きると布団をたたむわけであるが、それをたたむことに二つの思いが浮かんだ。
 一つは、これを丁寧にたたむことである。拙宅は職場でその粗さというか、細かさの不足を物理的にも精神的にも、つまり、物の渡し方とか、服のたたみかたが丁寧でないということを言われたり、気遣いがないということを言われたりしている。そうしたことは何から由来するか、というと丁寧にたたもうと志向することの不足であると思われる。拙宅は書く字も汚いが、そういうことによく言われるのが、きれいにかけなくとも、丁寧に書こうということが言われる(手書きの履歴書を書く時もどこかがそんなことが言われていた)。それと同様に、きれいにたためなくとも、せめて丁寧にたたもうという意識の不足がみられるということだろう(もっともきれいにたためないほど不器用な人間はそうはいないと思うが)。こういう家での小さなことから、丁寧にやる意識付けをしないと、普段からこうしてやらないと、職場で丁寧にできないのだろうという思いが生まれたのである。
 他方で、こうした日常のことから生活の規律が叩き込まれるのではないかという思いもある。拙宅はだめ人間ではあるが、きちっとした人間になりたい。しかしそれはそれで面倒であるし、なんか規律化された人間というのは苦手である。きちっとすることはコストがかかる。
 そのような矛盾する思いを抱えて、布団をたたんだ。無秩序とも言えないが、しかし丁寧といえずに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?