うわ言病棟

三年前、俺の人生は終わった。重篤な精神疾患だった。幻聴が聞こえ始めた。幻覚が見え始めた。最初はそれらが実際にある物、ある音だと思った。俺は怯えていた。
夜は眠れなかった。どれだけ眠くても脳は睡眠を貪ろうとはしなかった。俺は、ゆっくりと壊れていった。
何でこんなに人生は辛いんだろう。こんな人生に、一体何の意味があるんだろう。そう考えるようになった。

職場で約10時間、警告かもしれないと気を使い、通勤帰宅の電車で敵意を剥き出しにしていると、家に帰って一人になってから疲れが出る。全てに意欲を失う。この疲れも原因の一つだと思う。何かをしようと思っても動けない。パソコンの壁紙を見つめたまま一時間、二時間が経過することもある。
思考が上手くまとまらなくて文章も話す言葉も支離滅裂になる。もどかしい。たった数行書くだけでもそうだ。言葉も、ほんの少し説明するだけなのにどこから何から話せばいいのかわからなくなる。「これは本当にあったことだったか?全部俺の妄想だったのではないか?」という気になる。
このままでは危ない。人を殺しそうなのだ。寝ても覚めても人と揉め事を起こして殺す妄想ばかりするのだ。殺す回数だけ殺される妄想もする。知らない人全員が俺に敵意を抱いていると思ってしまうから、些細なことでも激高してしまいそうになる。体が熱くなり、手が出そうになる。

一ヶ月休職した。実家に帰ったが、何にもならなかった。ただ無為な一ヶ月を過ごしただけだった。

この病気を診断されて一番お世話になった人は、当時の彼女だと思う。普通、彼氏が精神を病んでしまったら、まず間違いなく別れると思う。それか引きずられて同じく病んでしまうだろう。だが、そのどちらでもなく、彼女は俺に大丈夫だと言ってくれた。俺の話を聞いてくれた。俺の拙い話を引き出してくれた。的確なアドバイスをくれた。心の支えになってくれた。心の強い、自分をはっきりと持った人だ。

東京からの引っ越しを手伝ってくれた人は、パニック障害で、生活保護を受けている。年ももうじき五十になる。一人でアパートに住んでいる。言い方はすごく悪いが、東京にいた場合の俺の未来の姿ではないか、と思った。

実家の隣の家に、恐らく統合失調症の患者がいる。親の作った食事に毒が入っていると言い出し、食べなくなり、そのままおかしくなった。現在彼の両親は共に入院している。おかしくなった息子には病識がなく、家の鍵を渡すのが不安で、彼は現在電気も水道も通っていない納屋に住んでいるらしい。これもまた、俺の富山に帰った場合の未来の姿ではないかと思う。

不安が募るばかりで、この二つの例を彼女に話したところ、彼女は
「みつるには私がいるじゃん、だからその二つの例はみつると状況が違うよ」
と言ってくれた。この言葉は非常にありがたかった。ありがたかったというよりも、自分は生きていてもいいと言われたような気になった。

感謝はしてもしきれない。もしも彼女がいなかった場合、俺は一体どうなっていたのだろうと考えると、背筋が凍る思いだ。一人で思い悩み、誰にも話せず、もしかすると自殺していた可能性すら否定出来ない。そう考えると、命の恩人に近いものはあるのではないかと思う。心からお礼を言いたいと思う。

精神病が治癒していくに連れて、これまでの性格が変わっていくことが多いそうだ。これには実感がある。これまでこだわってきたものに大した価値はなかった。頑固だった心がほどけていくような気がする。今まで自分のガラじゃないと思ってできなかったこと、言えなかったことが簡単にできてしまう気がする。
気張りすぎて頑固になっていた心が、柔らかくなっていく。それを弱くなったと言うのか、認める強さを得たと言うのかわからない。

俺の心は、二十歳で作り上げた理想の自分を目指すために凝り固まっていた。理想の俺は、強く、わがままで、若さをそのまま形にしたようなものだったと思う。理想の形も変わった。だがいつまでたっても二十歳の理想を壊せず、また壊そうともせず、その場で足踏みしていた。壊すなら、今だ。十九歳の時、変わりたいと強く願い、それを実現させてきたパワーがもう一度必要だ。いや、今回は素直になるために、もっと大きなパワーが必要になるだろう。
素直になるのは、怖いことだ。自分の弱さを受け入れなければならない。自己を見つめ、見栄や強がりを捨てなければならない。大変なことだが、それができたとき、きっと人間として一回り大きくなれると思う。楽に生きられると思う。

東京に出てからの後悔はたくさんある。俺にもう少し根性があれば、もう少し強い人間だったら。いつだってそう思う。タイミングも逃してきた。それを「まあいいか」で飲み込めたのは俺に無限の時間があると思い込んでいたからだ。若さは永遠ではない。
あの時こうしていれば、ああしていれば、そんなことばかりを考える。
俺には無限の未来があった。病気にならず彼女と暮らしていたかもしれないし、もっと早く富山に帰っていたかもしれないし、他の都市に住んでいたかもしれない。
すべての可能性を否定し、怯えた結果が今の病気だと思う。動くときに動くための気力がなく、金もなく、決心もなかった。

思えば昔からそうだった。俺は東京に出て自分を変えたかったのかもしれない。いや、富山を出さえすれば、あの六畳の自室から出さえすれば退屈な日常から脱出できると思っていた。でも、現実はそんなに甘くない。状況が変わろうが住む場所が変わろうが、人間なんてものはそう簡単に変わることが出来ない。逆に言えば、状況や場所なんかが変わらなくたって自分の気持ち一つで楽しくなっていたのだろう。

人に絶望し、世界に絶望し、最後の最後に自分に絶望した。考えることは「もし」ばかり。馬鹿だと思う。間抜けだと思う。自分のクソさに腹が立つ。
俺は誰かに認められたかった。なんでもいい。俺という人間を肯定して欲しかった。承認欲求が強かった頃、俺は俺に絶望なんてしていなかった。無条件で誰かが俺を肯定してくれると思っていた。きっと誰かがそう言ってくれると思っていた。実際肯定してくれる人はいた。しかし、俺はそれを信じなかった。影では悪く言っているのではないかと不安だった。
人が怖かった。人は気分で好き嫌いが変わる。それが怖かったのだ。
俺は好き嫌いがはっきりしている人間だった。だから、一旦好きになったものを嫌うことはほとんどない。逆に嫌いなものを好きになることもほとんどない。だが俺が好きになった人間はそうではない。その時その時で好き嫌いが変わる。当たり前だ。でも俺には当たり前の事ではない。人の気持ちが変わっていくことが、俺にとっては一番怖い。俺は、もっと人を信用すべきだったと思う。いや、嫌われる強さを持つべきだった。

俺は、俺が好きだった。人間は、自分を好きでなければ生きていけない。だから自分にはギリギリのラインで甘く、ダメでも自信を持って生きていけるようにできている。いつからかそれが崩れた。

心の中で拠り所を失った俺がうなだれている。俺にはもう何もない。
プライドが折れるのは案外簡単だ。自分が自分を否定し始めたら、それはもうダメになる合図だ。築き上げた物が意味を持たなくなり、消えていく。その時、生きる気力は奪われる。だから自殺を考える。人間は脆いものだ。

病気になり、休養し、俺は危機的状況から脱することが出来た。もう少し自分を認めてやってもいかな、と思い始めたし、出来ることには自信を持っていきたいと思う。まだまだだと思うところばかりだが。

いつだって思うのは「あと少し、もう少し」ばかりだ。自分と向き合い、自分を認めて行くことができれば「少し」は、きっと埋まっていく。そう信じて、無為ではない毎日を過ごしていく。人生に、意味はある。毎日に、意味はある。そして何より、俺には意味がある。もっと自分を肯定しろ。もっと自分を支えてやれ。そんなに自分を責めるな。

色々と考えることはあった、しかし、希死念慮、死にたさ、消えたさだけはどうしても拭えなかった。起きたときの絶望感が尋常じゃない。ぼんやりとした不安で死にたくなる。
魔が差す、という言葉がある。日常にはその時が潜んでいる。手元に死ねる装置が整っていたとしたら、俺はその時どうするだろうか。この先俺が生きるであろう、たかだか数十年の人生に意味はあるのだろうか。俺は耐えられるのだろうか。毎日死なないことに必死だ。阿呆のような話だが、死にたい気持ちを抑えながら生きている人間もいるのだ。
死ぬ気になれば何でもできるなんて嘘だ。嘘なんだ。何もできないから死ぬのだ。
俺は死という悪霊に取り憑かれている。

毎夜考える遺書の内容が固まってきてしまう。自分の葬式をリアルに想像して泣いていたこともある。誰が火葬場で俺を燃やすスイッチを押すのだろうか。やはり母親か。
残していく人たちのことを考えると、死体はなるべく綺麗なまま残しておきたいと思ってしまう。俺が死ぬ時は練炭と睡眠薬を使うだろう。いつ見つけてもらえるだろうか。2日、いや3日くらいだろうか。腐る前に見つけて欲しいなと思う。遺書には東京の友達やお世話になった人の連絡先も残さなければならないだろう。家族は連絡してくれるだろうか。そもそも、連絡などしたところで誰かが来てくれるだろうか。せめて二、三人来てくれたら、ありがたいなと思った。

いろいろと考えてはみる。しかしやはり怖いのだ。死ぬのは怖い。できることなら俺だって死にたくはない。幸せに生きてみたいと思う。しかし、毎日毎日付き纏う希死念慮を引き剥がせない限り、幸せに生きることもなければ楽しく生きることも出来ない。そんな人生に、果たして意味はあるのか。人を信じるのが怖くなった。きっと俺が死んでも、みんな清々するくらいだろう。家族だって今更帰ってきて何のつもりだと思っているだろうし、東京の友達は地元に引っ込んだ俺なんかに誰も興味なんて無いはずだ。一度遠くに離れてしまって「じゃあまた今度」なんて言ってから何年も会わないなんてことはざらにある。数年後に「そういえばあいつ、死んだらしいよ」といった程度の噂話で終わりだ。

死ぬべきだ、というよりも生きている価値がない、というのが正直な気持ちだった。生きているべきではない。
この様な状態に陥ってから大切だと実感したのは自己愛だ。自分のことはある程度無条件で認めて好きにならなければならないし、生きている人間は皆そうしている。創作物である絵や文章(物語)なんてものは自己愛の塊だ。溢れ出る自己愛だ。人間はそうでなくてはならない。行き過ぎた自己愛は身を滅ぼすが、最低限の自己愛はプライドとなり、人間のバックボーンを支える強さになる。俺にはそれがない。

怒ることが出来なくなってきている。苛つくことはある。しかし、その感情を表に出すことが出来ない。俺の怒りに正当性はあるのか。普通の人間であれば、自分のプライドを傷付けられること、それだけで怒るに価する、正当な理由になるだろう。しかし、そのプライドが曖昧になって自己愛の概念も希薄になってしまった俺には、怒りを表現する自信がない。楽しみもそうだ。俺のようなゴミのような人間が楽しいなんていう感情を持っていいのか。喜怒哀楽が死んでいく。どんどん人間から遠ざかっていく。俺はもう人の形をした別の生き物になってしまったのかもしれない。知能も、感情もなくなっていく。そんなものは最早動物以下の生き物でしかない。生きるために生きているだけだ。人間が生きていくのは、長期に渡る目標が必要だ。例えば何年先にはこうなりたい、こうなっていたい、そういう目標だ。目標とは、指針である。何処に向かい、何をすればいいかの目印になる。俺には、ない。正確にはどうしていいのかわからない。だから安易に死を求めているのだろうか。わからない。

そんな生活を十一ヶ月続けた。俺は藻掻きながら、試行錯誤した。やっと、やっとここまで来た。長かった。診断されてから一年と少し、その年の初めには何もかも嫌になってそれこそ死ぬことばかりを考えていた。そんな俺が、バイトとはいえ、社会に復帰する。
この先どうなるかはわからない。すぐに辞めてしまったり再発してしまう可能性だってある。だけど、今は少しだけ前を向く。
怖い、怖かった。怖いが、行った。
働けた事実に驚いて、ようやくここまで来た達成感で、自室に戻って泣いてしまった。俺はまだやれるかもしれない。人生をまた戦って行けるかもしれない。そう思った。

あの日に帰りたい、と感じるようになった。勿論、今の環境、人間関係は今の俺だからこそ築けたものだ。それはわかっている。それでも、あの時、あの選択肢、あの道を、のifがある。俺は話をする人間だった。今は黙って人の話を聞くばかりである。何故こんなことになってしまったのだろう。原因は分かっている。今も心の底に残っている凝りだ。そしてそれは過去のことになり、どうやっても消すことはできない。一人でいる時は不安定だった。眠れなかった。そこに、現在も凝りになる出来事が起こり、俺はおかしくなった。
全く眠れなかった。頭が痛かった。物が食べられなかった。死にたかった。一日二時間ほどの微睡み、大量の鎮痛剤、12時間の単純労働、食べ物は一欠片のカロリーメイト。
もう俺は死んだと思った。体重は二週間で八キロ減った。生きたくなかった。体重が減っていくのが楽しかった。最悪とも思えるこの世から、少しでも自分の体積を減らして、やがてゼロになると思うと痛快だった。死にたいのではなく、生きたくなくなった。その頃、俺の当時持っていた輝きは失われた。恐らく、永遠に。
精神病は、過去の経験を弾くトリガーだった。その銃弾は俺の心臓を貫き、殺した。
死んだものを蘇らせるのは、不可能だ。あの頃の俺は死んだ。だから過去に意味は無い。意味が無いことを思い返す、無駄なことをしている。やめたくても、できない。だから薬を飲んでいる。
これは自分に言い聞かせる為に書くが、死にたくなるのも過去を思い出すのも病気のせいだ。死んだ俺は死んだものとして、新しく自分を構築しなければならない。俺に必要なのは会話だ。それも、俺が話す側にならなければならない。そうすることできっと自信を取り戻せる。そこに笑いがあったら、もっといい。病人の話なんて、笑って聞いてくれる人はいないだろうけど。
後は優しい言葉が欲しいのだと気づいた。甘い言葉ではなく、優しい言葉だ。この世は、ある程度優しいものだと俺に教えてほしい。何故なら、被害妄想で一度人間は全て敵だと思ってしまっている。優しさなんてないと思ってしまった。それを覆さない限り、俺は今のままだと思う。しかし優しい言葉をくれだなんて誰かには言わない。言われても、感じられるかどうかは別の話なのだから。俺が良いように考えなければならない。何度も書くが、それが出来ないから薬を飲んでいる。

半年前のことを思い出す。俺は泣いていて、もう心がぶっ壊れそうだったんだ。やらなきゃいけないと奮起して、翌日に去年まで働いていた職場に面接を申し込んだ。半年間、心を殺して頑張った。心の具合が悪くても、踏ん張った。夏の暑い日も、冬の寒い日も、俺はやった。それも、苦手な職種を。

掛け持ちのバイトなんて大したことないでしょ、できて当たり前でしょ、それは違う。俺はできなかったんだ。本当に人生が嫌で仕方なかったんだ。できたことは自信に繋がる。俺は働けると俺が教えてくれている。

今俺は、新たな人生の岐路に立っている。恐らく、三年前の岐路に戻ってきたのだ。藻掻いて、足掻いて、転んで、間違えて。何とか、あの時の選択を訂正したくて戻ってきた。俺は、全てを取り戻すと決めたんだ。

人生の辛酸は舐め尽くした。これより最悪はない状況も経験した。七転八倒した。しかし、俺は起き上がれた。起き上がり方を覚えた。これだけ転べば当たり前か。しかし、それを当たり前と思わず、自分の自信にしていこうと思う。

あの日終わったはずの人生が、軋みながらも進み出したこと。
立ち上がる切っ掛けをくれた人。
これから俺がやるべき事。

考えることはまだまだたくさんあるし、悩むことも多いと思う。しかし、俺は一歩一歩進んでいく。信じた道を歩くため、俺の遙かなる目標のため。

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