バイバイ、マイヒーロー

今日の昼前、同僚からチバユウスケの訃報を聞き、思わず作業の手を止めて煙草を吸いに出た。今年に入ってから癌により闘病していることはニュースで知っていた。でも俺はやがて元気に復帰してくれると信じていた。その願いは叶わなかった。

俺は以前、SNSに「作品は『完成』として作者の手元から離れた時点で、それは海や山のような、ただそこにあるだけのものであり、受け取る側が意味を見出す。見出した意味が本人にとっての作品の意義である」というようなことを偉そうに書いた。
俺にとってチバユウスケの歌や声、音楽は海や山と同じだった。海や山だけでなく、空気や水のような自然であった。自然は遥か長い年月をかけてその姿を形作っていく。プロの作品も自然ほどではないにせよ、年月をかけて、数多の試行錯誤の上に完成を迎えるものだと信じている。その年月だけ人間性も変化し、作品に反映されていく。
なんだか、海に続く川が途絶えてしまったような、山が何かの衝撃で消え去ったような、そんな気持ちになった。

本人、つまり俺にとっての作品の意義という意味であれば、俺は多くのものを受け取った。ただそこにあってくれるだけで俺は救われたし、日々を乗り越えられた。そんな日は数多くあった。もちろん、彼に会ったこともなければ彼が俺のことなどを知るはずはない。でもそれでいい。
ただ、無責任に言っていいのであれば、俺はチバユウスケに生きていてほしかった。亡くなって残念だと思うよりも、明確に生きていてほしかった。新しい曲を発表してほしかった。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとThe Birthdayの音楽性が違うように、もっともっと聴いていたかったのだ。音楽性と書いたが、細かいことは俺にはわからない。ただ変わっていくチバユウスケの今を聴いていたかっただけだ。
いや、新しい曲がなくてもいい。俺は彼が好きだったから。ファンだったから。
様々なものへの好きに理由はなくていいと、俺は強く思っている。俺は、ただ彼が好きだったのだ。

川が途絶えてしまったような、山が消え去ったような気持ちと書いた。気持ちとしてはそのくらいの衝撃があったが、彼が発表した作品が消え去ることはない。昼休みにThe Birthdayのプレイリストを作り、帰り道に歩きながら聴いた。
少し寂しい気持ちになったが、チバユウスケが長らく俺の心のヒーローであったことは変わらず、依然として俺のヒーローであることに変わりはないのだなと思った。

バイバイ、マイヒーロー。俺はあんたを愛してる。

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