28歳女性が嫌いな男子なんかいません!

28歳の話である。
いや、俺が28歳のときの話だとか、そんなチンケな話ではないのだ。

今回のテーマは『なぜ28歳の女性は我々男性陣の心を掴んで離さないのか』ということだ。

「いや、別に28歳に特別な魅力とか感じてないですけど……」
という暗愚や
「28歳?オバサンじゃんw」
とかいうオコサマは完全にシカトする格好だ。お前らは魂のステージが低い。出直してこい。

ステージの低い人には出直してもらったので、この文を読む人は『わかっている人間』に絞られた。これでいい。これで俺の言いたいことも伝わりやすくなったはずだ。

いくら少子化が進んだとはいえ、男子中高生はこの世にあふれるほどいるし、また高校に通っていない人だったとしても、思春期は誰しもに訪れる。
あなたが中高生くらいの年齢のとき、必ず理想の異性はいたはずだ。必ず、だ。いない、いなかったというのであれば、そんな思春期はまやかしだ。好きな異性こそが思春期であるし、思春期といえば好きな異性である。出直してこい。

もちろん好みは人それぞれあるだろう。クラスメイトが好きだったり、後輩の妹的な存在が好きだったり、はたまた美人女教師が好きだったり。というか、誤解を恐れずに言うなら、男子中高生の92%の好きはこの3つのどれかに収束する。なぜなら、思春期を拗らせ始めた男子中高生に、これら以外に異性と接する機会などないのだ。
もしもこれ以外に異性と接するがあったという人がいるならば申し出て欲しい。完全に俺の敵だ。出直してこい。

現実的には3つだったとしても、我々は人間である。様々な権利がある。男子中高生が行使できる数少ない権利は、妄想だ。大海原よりも遥かに広い、妄想の海に船出をすることだ。信じがたいことだが、実際の行動に移さない限りであれば、妄想の海では何をしても許される。クラスメイトの透けブラを指でなぞっても怒られたり訴えられたりすることはないし、後輩の妹的な存在に「本当の妹だったら、こんなことしないよね…?」とありえないセリフを吐かせて、その先を妄想してもいいし、美人女教師との個人的課外授業も夢ではない。いや、夢なのだが。実際には起こってないし。

そんな自由な世界で『年上のお姉さんとのアレコレ』を想わない男はいない。想わないならそいつはロリコンに違いないので、すぐさま然るべき機関に通報して連行してもらうがよかろう。
年上のお姉さんを想像したとき、浮かべる年齢は28歳なのだ。
うるせえ。いいから俺の話を聞け。

思春期真っ只中の男子において、28歳はかなり年上のようにも感じられる。しかし、しかしだ。人間というのは年齢が離れるにしたがって余裕ができる。年の離れた弟や妹にガチンコの殺意を抱いたりしないのはそのせいだと考えてもいい。二十歳になって7歳の妹や弟にガチの殺意を抱くようであれば、あなたに問題があるか下の子に問題があるか家庭環境に問題がある。俺では対処しきれないので児童相談所とかに話を持っていって欲しい。

例えば男子を15歳と仮定しよう。お姉さんが28歳であれば13年の差がある。この13年こそが余裕であり、受け止める懐を育てる期間と言える。

15歳の少年など面倒くさいに決まっている。思春期の男子は、とかく面倒くさい。反抗期もある、まだ大人ほどの実力も社会性もないのにやけに一人前を気取りたがったり、わかっている姿勢の自分に酔ったりする。
面倒くさい部分を受け止められるのが、13年の余裕である。むしろ可愛さすら感じるのではないだろうか。

これを読んだ女性が「いや、そんなことはない」と思うかもしれない。違うのだ。それはあなたがあなた自身を信じきれていないだけだ。
俺が言うんだから間違いない。俺はくわしいんだ。

15歳の少年を相手にしたとき、28歳のメガネの似合うおっとり系の女性は言うだろう。

「こんなおばさん相手にして、イヤじゃない……?」

イヤなわけがないのである。そしておばさんでもないのである。
だいたい、妄想の中以外では異性との接点がお母さんしかない男子中高生もいる。年上で余裕があり、またメガネの似合う女性など、菩薩以外の何者でもない。拝みたいくらいだ。お布施をしたいくらいだ。男子中高生にお布施をする金は無いのだが、気持ち的にはそのくらいのものだ。

28歳というのは難しい年齢でもある。男女問わずだが、三十路を間近に控えて自分を一度顧みる年齢ではないだろうか。これまでのこと、これからのこと、考えたらキリがない。これまでを強く思うからこそ

「こんなおばさん相手にして」

この言葉が出てくる。必要以上に謙っているのだ。誰に?自分にである。
なんともいじらしく、素敵な気遣いではないだろうか。
あまりに美しい。国宝か。

しかし、先にも書いたように28歳はまったくおばさんではない。少しもおばさんではない。もしも歴史上で28歳がおばさんだった時代があったとしても、今の平均寿命から考えると、むしろ小娘と言っていい。言っていいはずなのに、あえて「わたし、まだ若いっしょ?」と言わないのが美しいのではないだろうか。美しすぎる。国宝か。

妄想というのは、実のところ中高生だけに許された特権ではない。三十路のおじさんだって、70歳のおじいちゃんだって、することが許されている。問題は妄想を実現できてしまうだけの金や行動力を持ってしまっている場合があるので、そこだけはマジで気を付けなければいけない。ヘタに妄想の中の女子高生に取り憑かれ、実際に手を出してしまっては終わりだ。双方が終わってしまうので、いい大人なら分別はつけよう。加害者になっては絶対にいけない。

30歳、40歳にとっての28歳女性(メガネが似合う)とは、どのようなものであるだろうか。年下だが、子供ではない。立派な一人の女性である。ここで、先程書いた年齢の余裕の逆転現象が起きる。
可愛いのだ。もしも俺に、あなたにそっけなかったとしても、気を張っているだけなのだ。本当は言いたい気持ちも、表現したかった感情も噛み締め、普段以上に普段を装った結果のそっけなさだ。感じ取ってあげようではないか、可愛さを。持とうではないか、余裕を。渡そうではないか、花束を。

言ってみれば、28歳というのは二度目の思春期なのかもしれない。思春期はアイデンティティを確立する時期でもある。思春期を折り返しにして同じ程の時間が経ったとき、人は答え合わせの時間を持ちたがり、結果として自分という存在を模索し、自分と目的地の微差調整を始めるのではないだろうか。

我々は、そのような多感で美しい時期に差し掛かっている異性に心を震わせているだけなのだ。恋をしているだけなのだ。
我々を魅了してやまない、全ての28歳女性に、乾杯。

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