見出し画像

ト ラ ン ス ジ ェ ン ダ リ ズ ム と は?…3

⤵️前回

画像2


インターセックスとは?

 さて、性別二元論の「性」には、ジェンダー(社会的に作られた性別役割のようなもの)や「どういう性別の人を好きになるか」(性的指向、セクシュアリティ)みたいなものも 含まれるようですが、ここでは、生物学的な性(sex)の話をします。

  上記引用にもあるように、今のところフェミニズムは「身体の性別は女性/男性の二つ しかない」ことを否定しているようです。ということは、少なくとも、3 つ目の性、男と女の中間の性みたいなものがあるということでしょうか?
  性別二元論とは真っ向から 対 立しますが、実際のところどうなんでしょう。

 「インターセックス」と言われる人はどういう人なのか、見てみましょう。

  当事者団体が作っているパンフレット(『教える前に知っておきたい DSD 性分化疾患の基礎知識』ネクスDSD ジャパン をダウンロードしました。

 
 日本の当事者は「インターセックス」ではなく「DSD」(「体の性の様々な発達」の略称)と呼ぶそうなので、以下そう称します(日本語でセックスと言うと、性別という意味より性交を思い浮かべがちだからで、海外では「インターセックス」が通常の言い方ようです)。 

わかったことは、次の通り。

1:「DSDの人は男でも女でもない」という考えは間違い。
 DSDは、染色体や性腺・内性器・ 外性器・性ホルモン、そしてそれを受けるレセプター(受容体)など、性に関わる体の、 胎児期の様々複雑な発達プロセスのうち、個人それぞれにあくまで一部だけが、他の人と は少し違った経路をたどった状態のこと。「男でも女でもない」とか「中間の」状態ではない。 そうではなく、女性でも様々な体の人がいる、男性でも様々な体の人がいるということである。
 DSD は「性に関する体の発達状態」を指す概念であるということなんですね。そうすると、 少なくとも身体における性別、生物学的性別(sex)に関しては、「性別二元論」でよかっ たということになります。

 では、「自分は女(または男)である」といった認識、いわゆる性自認は、DSD の人の 場合どうなのでしょうか?


2:「性別」や「アイデンティティ」については、DSD を持つ大多数の人たちは、DSDを持たない人たちと同じように通常の男性もしくは女性の性自認を持っているので、自分たちを性的マイノリティだとは考えていない。DSD であるという体験は、むしろ事故やガン で子宮や卵巣を失った女性などの外的なトラウマ体験に近い。 そうなんですか!
 ということは、トランス問題に、DSD の人はあまり関係がないというわけですね。

 では、TRAの人たちがよく使う「間違った性別に割り当てられた」という言葉がありま すが、DSDの人たちはそういう目に多くあっているのでしょうか。

3:以前までは欧米を中心に、外性器の見た目だけでは男の子か女の子かがすぐにその場では分かりにくい状態で生まれた赤ちゃんは、陰茎の長さだけで男性か女性かが割り振りされ、手術で陰茎を切除するということが起きていたのは事実だ(「ブレンダと呼ばれた少年」は有名ですよね...筆者)。このことが、DSD に対するステレオタイプを元に、「本当 は男でも女でもない中性なのに、無理やり男性や女性の性別を押し付けられている」とい う誤解につながっていったと考えられる。現在では、分子生物学の発展も目覚ましく、人の体の性分化がより科学的に解明されるようになり、然るべき検査を行えば、男性か女性 かが判定できるようになっている。

 もう少し詳しく言えば、「XX なら女性、XY なら男性」というのは 100 年以上前の知識 だそうで、1990 年には性別を決定する SRY 遺伝子が発見され、XXY 男性、XXYY 男性、 XXX 女性など様々な性染色体の男性や女性が存在することがわかっているということで す。例えば、XX 男性の一例としては、Y 染色体のかけらが X 染色体にくっついて、そのかけらにある SRY 遺伝子が作用したため、普通に男性に育つそうです。また XY 女性の一 例としては、アンドロゲン(男性ホルモン)に反応する細胞がないという症状のため、当 然のことながら普通に女性に育ちます。ただ、どちらも不妊の状態にあるので、それを知っ た時はショックです。不妊の人に「不妊だからあなたは男でもない、女でもない」と励ま す人がいないように、DSD の人に「あなたは男でもない、女でもない」と言うのは間違っているということです。

 なるほど。むしろ DSD の人たちは、ちゃんと生物学的性別を調べて正しく男性か女性かに割り振ることを要求していた、ということが明らかになりました。

 もちろん、DSD の人の中にも、「トランスジェンダー」や「X ジェンダー (中性、無性、両性、 性別という枠組みから脱する、女性か男性か定まりきらない流動的であるというあり方 )」の人が いますが、それは、DSDでないの人たちの中にトランスジェンダーや X ジェンダーの人 がいるのと同じ程度の割合で存在する、とのことです。


トランスジェンダーと DSD(インターセックス)は無関係なのに?

 でも、どうしてなんでしょう。進歩的なはずの「フェミニスト」たちが、科学的事実を 無視してまで、DSD の人たちのことを「男でもない、女でもない、中間の人がいる」という証拠であるかのように言いたがるのは。
 その答えらしきものが、パンフレットにありました。引用します。

「時に、DSD を持つ人々については、男らしさ・女らしさからの解放という文脈で語ら れることがあります。そういった『らしさ』が生物学的基盤からくるものだという社会的押し付け・閉じ込めが強い時代があり、...(中略)…そのため、『男女中間の DSD を持つ人々 がいるから、男性・女性という生物学的基盤・境界はない』というロジックが必要とされたのでしょう。...(中略)…『らしさ』というのは、あくまで社会と自分自身の性格・人格についての問題であり、体についての問題ではありません」。

 明快ですね。
 締めくくります。

 「一部の人間がインターセックスであるという事実は性的二型の真実を損なうものでは 決してない。それは、人間が下肢を失って生まれることがあるという事実が、人間は二足歩行するという真実を損なうことにはならないということ以上に、より一層事実である」
(REBECCA REILLY-COOPER)。

 ちなみに「インターセックス」(DSD)で生まれてくる子どもは 2,000 人に約 1 人だとか。
「例外がいることは全体のパターンを無効化しないし、例外は全体のパターンに当てはまらないから例外なんだよ」というツイートがありました。そう、それです!


「トランス女性」は誰を含むのか?

 トランス女性と言えば、DSDで生まれて「間違った性別に割り当てられた人」をまず思い浮かべましたが、その線は消えました。
 残る線は2つです。自分の身体に違和感があるトランス女性=トランスセクシュアルと、 生得的な身体に違和感のないトランス女性=トランスジェンダー。

 トランスセクシュアルの人というのは GID(Gender Identity Disorder 性同一性障がい。 病気という言い方になるので、当事者からの希望で使わない方向にあるらしい)という症状のある人という理解でいいようです。トランスセクシュアルの人たちの、自分の身体に違和感があるという苦しみは、非常につらいものだろうと思います。

 では、トランスジェンダーの方についてはどうなのかというと...。よく言われる「心の性」 という言葉。これがよくわかりません。「自分は女性の心をもっていると言えば、どんな男性であろうと女性だ」なんて言われると、「わしがカラスは白いと言ったら白じゃ!」 と DVオヤジに言われているみたいで、納得できないのです。

 誰か、わかるように説明してくれないでしょうか。名だたる TRAの学者たちの言っていることについて、アカデミズム村の他の人たちはみんな同じ意見なんですか?
 なぜ、 学識者で異論を唱える人が、ネット界には誰もいないのでしょうか...と思っていたら、一 人だけ見つけました。

 三浦俊彦さんです。長くなりますが、サイトの記事から引用します。

 「…トランスジェンダー支援は、個人レベルでは『性別の越境』を助けることですね。『先進的』『脱コード化』なイメージが濃くて、かっこイイ。ところが社会レベルでは?

 『子どもの頃お人形遊びが好きでした』と素朴に悩む男子の肩を抱いて『よしよし、女だ、女だ』 と励ますってこれ、伝統的ジェンダーの隔壁強化に他なりません」。
 「リベラリストなら本来、こう言うべきでしょう。
『お人形遊びがどうかしましたか。男も女もいろいろ。あな た男性のままで大丈夫ですよ!』
『変わるべきは社会の男女観の方。あなたじゃありません!』......わかってる。
 でもマイノリティの訴えをすげなく突っぱねたんじゃ、こいつ保守的、差別者、って思われそう」。
「困りましたね......。
  このジレンマから、リベラル女子大が逃れる道が、一つだけ、あります。単純明快ですよ。『体の性別』に立ち戻ること。〈男性の体への本物の違和感〉を出願条件にすることです。
 ♂入学者に、成人後必ず性別適合手術を受ける誓約書を提出させる。ホルモン療法と適合手術の費用は大学が援助。卒業後たとえば5年たってまだ未オペだったら卒業資格取り消し。これで『心の性』とかいう心 霊現象を実証できますね。
 カラダ本位のこの立場、LGBTコミュニティではとっくに名前が付いていて、『TS原理主義(トランスセクシュアル原理主義)』って呼ばれます。
 原理主義って怖そうですが、要は『正論』ってことですね。男女の区別は体の区別でしかないんだよと」。
「体当たりの正攻法でめでたく決着です。よかったよかった。と思いきや......、『不妊手術を強要するつもりか!』そう叩かれてしまう昨今らしいのですよ。『カラダの問題じゃない!大切なのはココロが女ってことなの!』......やれやれ」。
(お茶の水女子大「LGBT 支援」は超先進的でカッコイイ !! だからこそ罠が...元女子大教授が指摘!【三浦俊彦の超スカトロジスト時評】より)

 いかがですか?
 私は呆れるほどの明快さに脱力しました。めっちゃわかりやすいやん!
  記事のタイトルや肩書き(超スカトロジストって⁈)がおちゃらけ風味で、別の意味 で「大丈夫かな?」と思いましたけど、ワタクシの野生の勘では、内容はほぼ正鵠を射ていると見ました。


「ジェンダー」は「心の性」なのか?

 話を「心の性」に戻します。三浦さんも書いている通り、女の子の遊びが好きな男の子がいても、いろんな男性がいていいんだ、というふうにならないで、なぜか、その男の子は「心が女性」だから、性自認が女性、ゆえに女性として扱われるべきということになっているのが、昨今の現象らしいのです。これが今や進歩的とされているわけですね。確かに個人の救済にはなるかもしれないけど、社会をあげてそれを支援するって...どうなんで しょう?
 女ジェンダーの規範に合わせて自分の性別ラベルの方を貼り替えるんですよね。
 化粧や女の子の格好が好きだからという男性が「心の性」だけで「女性」になれる社会が実現したとして仮定して、強制されるハイヒールや化粧、ダイエットにうんざりしている女性たちの気分は、ビミョーでしょうね。「メイクやハイヒールは女の子をエンパワーする!否定的なことを言うな!」という軍団がエンパワーされるだけなんじゃね...?
 ジェンダーっていったい何なのさ?

 若桑みどり著『象徴としての女性』の序論から、ジェンダーについて書かれた箇所を書き出してみましょう。

 「生物学的にいえば、女は出産機能をもっており、男はもっていない。...ジェンダーと 私が呼んでいるものは、この男女の生物学的差異に、社会的、文化的意味を与え、社会的に認知された両性の差異をつくりだし、これに基づいて社会関係を組織することである。 ...もしも、妊娠・出産・授乳する性であり、私的領域に転がっているから知性が弱く、身体も脆弱で、ヒステリックであるという生理・心理学的見解が社会的に認知され、さらにはこれらもろもろの差異の結果として、女性に選挙権を与えず、企業の管理職に女性をえず、国家の元首に据えないという習慣や法が導きだされるとすれば、男女の社会的関係は、『社会的・文化的(に認知された)性差』に基づく両性間の権力の組織であるということ がはっきりとわかってくるであろう」。

 そうなのです。ジェンダーと言えば、こういうことだったはずです。女性の性別(ジェンダー)役割は男性への従属という形に作られてきたのです。従来の定義から言えば、ジェンダーは男女の 2 つ。本人が望もうと望むまいと、社会的に押し付けられるもの、という理解だったと思うのです。だから、ジェンダーはなくさなければならないものでした。

画像1

 でも、「性はグラデーション」という LGBT 教育が流行っている現在では、「ジェンダーは多様だ」「ジェンダーは人それぞれだ」というふうに、個人個人の個性みたいな意味で言われている気がしますが、どうなんでしょう?

 そこで、当事者団体の人の説明を見てみましょう。「一人一人に『性の在り方』がある」 として、4 つの要素がそれを決めると言っています。

1 つ目が「身体の性」
2 つ目は「心の性」、性自認です。
3 つ目は「好きになる性」、性的指向。
4 つ目は「表現する性」一人称や服装など、自分の性をどのように表現するかということ」。
 
 以上の 4 つを掛け合わせることによって、セクシュアリティは決まるのではないかと考えています」(「性の在り方は『グラデーション』」一般社団法人 fair 代表理事・松岡宗嗣さん 前編)

 ジェンダーはどれにあたるのかな?
 おや、それよりも、セクシュアリティという言葉が出てきましたよ。
「表現する性」。
 そうなのですね。自己表現は自由だ!
 それはそれで大変けっこうなことです。が。

《つづく》


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?