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この時を残しておこうと思った話

もうすぐ一つの区切りが来るから、本当はさらけ出したくない、恐怖でいっぱいのことも、書いておこうと思う。今しかたぶん、書けないだろうから。

正直なところ社会はすごく残酷で、若さ(それも良くて20代前半まで)というブランドが持つ力に、私はよく圧倒されている。そして、その力を保持していたい・手放したくない・取り返したいという風に、感じてきたことは紛れもない事実だったりする。年齢を聞かれて答えたら、明らかに相手(この場合は男だ)のテンションが下がったことが何度もあるし、こういう男の反応にいちいち傷つく自分自身が何より嫌だった。

「キラキラの30代になりたい、30代の方がもっと楽しい」って、きっと誰よりも自分自身に”言い聞かせて”きていたところはあるんだ。老いるのは嫌だ、オバサンと言われたくない、さげすまれたくないって。そういうふうに恐怖心を抱くことも、恥ずかしく思うことも全部、他でもない、未来の自分を傷つけることになるだけなのに。全部全部わかっていながら、誤魔化しながら笑っていたんだと思う。

20代、いろんなことがあったよ。大学でたくさんの友だちを得て、彼氏ができた。彼氏と別れて、食べ物を全部吐いてしまうようになった。社会人になる少し前に邦ロックにハマって、大好きな大好きなバンドに出会えた。社会人になった、お金の使い方が変わった。鬱になって、休職なんかもした。舞台にハマった。大好きな大好きな友達が、今も続く大好きな友達が、たくさんたくさんできました。こんなことを思い返していたら、やっぱり、30代になるってものすごく楽しいことだなってちゃんと思えるようになってきた。10年20年ごときじゃあ絶対に経験できなかったことを、私はいっぱいしてこれたのだし、そうしたことが全部私の糧になっているから。

私はどんどん肉体的な若さを失っていくし、大嫌いで大嫌いで大嫌いな『(一部の)男にとっての女の魅力』ももうとっくに無くなってしまったんだけど、その分、この30年間で、30年かけたからこそのものたちをいっぱい手に入れられた。10代や20代が羨ましくないと言えば嘘になる。羨ましくて悲しくなるときもいっぱいある。ただ、30年生きた自分を愛しく思う気持ちも、それらに負けないくらいどっしりと自分の中に存在している。

言えば言うほど薄っぺらくなってしまうのかもしれないんだけれども、やっぱり私には書いたり言ったりすることでしか表現できないので、ここにきちんと記しておこうと思います。わたしは、産んで育てて支えてくれている京都の家族が大大大好きです。そして、友だちたちが大大大好き。わたしの30年はこの人たちでできているんだよね。

すっごくカッコ悪くてダサいこと、これからたくさん言ったり思ってしまうんだよ。間違いなく。「若くていいわね」、とかさ。「私はもうどうせ、オバサンだから」、なんてことをさ、馬鹿みたいなことをさ、絶対に思っちゃうんだよ私。誰も笑顔にしない自虐を、見えない敵(敵?)から自分を守るために行って、結果己の心を蔑ろにするんだよ。

でもきっと私のことなので、大好きな私のことなので、「今がいっちばん楽しいな!!!!!!」って、同じくらい強く思って過去の自分に自慢しだしたりもするんだよ。

楽しかった、20代。苦しくて苦しくて思い出したくもないことと、愛しくて愛しくて感謝してもしきれないことに溢れている20代。ありがとうね、めちゃくちゃ嫌いで、めちゃくちゃ側にいて欲しくて、めちゃくちゃ捨ててしまいたくて、めちゃくちゃ、大好きな、20代。センキューありがとう。もう会うことは無いけれど、私を死ぬまで支えていてくれよな。