ここ最近の適当な話
Twitterに連投してる自分が大嫌いになってしまったから、ここに推敲もしないでばんばかと書き連ねていこうと思う。起も承も転も結もない、おすすめにも選ばれもしない、私だけのフィールドに気ままに書く文章です。ヘッダーは無関係のたれぱんだ(大好き)。
コロナで外に出づらくなって最初の頃は、実は少しばかりの快適さも感じていました。みんなみんな籠もっていた時期。お家の中での楽しみを見つけるしかなかった時期。外に出られない時期。外に、出なくて良かった時期。
それまでの私は自分で自分の首を絞めていました。休みの日は外へでかけて(もちろん一人じゃない状態で)、楽しいことをして、それを楽しかったと発信することでつまらない人間から脱せられる気がしていた。
舞台が好きだったので毎週末何かを観ていることがステータスだと無意識に思い込み、手に入りにくいチケットを手に入れることを目標にしてた。そうして自分の日々が充実しているように描いていかないと、本当は充実していないかもしれないという不安に潰されるんじゃないか、そんな恐怖があった。実際はそんなことはもちろん無い。どんな風に時間を過ごしていようと、自分の捉え方ひとつでどうとでもなるんだから。ひどく滑稽だったなぁと思う。
やっぱりそんな過ごし方だとジワジワとメンタルは蝕まれていくもので、誰しもが楽しみを奪われたあの時期、無くなった予定を思って嘆く反面、部屋から出なくていい休日が与えてくれる安堵感も強く噛み締めていました。多分生来のわたしは出不精で、部屋着が好きで、メイクは肌が詰まる感じがして長くはしていられない。お出かけも洋服もお化粧も好きだけれども、しんどい時も大いにあるタイプです。だから一切から(不本意でも)解放されたことに喜びもあった。
でもなんか流石に最近はもう駄目みたいです。殺され続けた予定や楽しみの死骸を埋めてやる場所が、心の中になくなってしまいました。積み上がった死体たちは、腐って、腐臭を放って、周囲も巻き込んでいく。楽しい気持ちを継続させてくれる脳の機能がやられてしまったようです。瞬間的な楽しさはあります。でも、それが続かない。先週久しぶりに舞台を観に行きました。1番好きな人が出ている舞台で、やっと心の換気ができたような気持ちになりました。終わったあと、幸せな気持ちをTwitterに書いた瞬間、大きな大きな訃報が飛び込んできた。もう何もかも、折れてしまったなと思いました。
こんなことだけ書きたいんじゃない。
上と矛盾しているけれど、新しい楽しみもちゃんと生まれました。田村芽実ちゃんという方を好きになりました。アイドル時代を私は知らなくて、舞台で活躍されるようになってだいぶ経ってから知りましたが、歌唱力と表現力にやられてすぐにアルバムを購入し毎日聴いています。彼女の歌い方ってまるでお芝居のようで、彼女の声を通じて物語が色濃く立ち上がってくるような感覚になる。贅沢な一人芝居をみているような。ビスケットみたいなサクサクと甘い声で歌ったかと思いきや、真紅のビロードみたいな声色でビブラートきかせたりするので、感動しちゃうのです。彼女のコンサートや舞台に絶対に行きたいので、もう少しこの日々をふんばろうと思います。
好きなものを好きと思い続けられなくて、心は仮死状態にあって、攻撃的になりそうになるしなっているのかもしれない。誰も悪くないし正解はないけれど、誰かを悪者にしたいし間違いをきつく正したい。頑張らなきゃね、頑張らなきゃあ。
読んでくださった人はいるのかな。もしいたとしたら、ありがとう。ではまた!