みんなたちへ、愛を込めて
ずっと考えてきたことを書きました。わたしの一番の推したちについて書きました。
とある役者さんをネットで見かけたことがきっかけで、私は朝元気に起き上がれるようになりました。その時から2年と少し、今も毎日朝元気に起きています。
いろんな舞台作品や役者さんのおかげで元気になったんだなって、笑っていられるんだなって最初のうちは思ってたけど、今は違う結論に行き着いている。観劇も確かに、元気をくれる要素の一つだけども、きっかけとしての役割が一番大きいんだ。それが私のところに連れてきてくれた、それが引き逢わせてくれた友達たちのほうが、何倍も私を元気にしてくれている。
友達にはずっと恵まれてきている。学生時代の繋がりは切れてしまったものも沢山で、数こそ多くは無いけれど、太くしっかりと根を張って、私の心を支えてくれている。
ただ、社会に出てから観劇を通じて出会った人たちは、それまで私の居た世界のかすかな息苦しさ(これは、上で書いた心を支えてくれている子たちとは別の、何かべつのモノたちだ)を足元から取っ払ってくれた。戸惑うほどに、『好き』と、口に出したり文字にして私に伝えてくれる文化だった。言われ慣れてなくて最初は目を見開いたりスマホを握りしめてかたまってしまったりしてたけど、そのうち私も素直に、思うままに、心が跳ねるのをそのままに、『好き』と口にしたり文字にして相手に伝えるようになった。
だって好きなのだ、好きだから、好きっていう。好きって言わない世界より、好きって言う世界のほうがずっとずっと楽しいし、心にぐんぐんと栄養が入っていくのが明確に感じられた。言い過ぎると薄っぺらいだとか、嘘っぽくなるとかいった意見もあるだろうけれど、たとえ薄まってもその分更にたくさん発してやればいいと思う。
私には役者さんの推しがいて、推しのことは大好きで、いつも『好き』って言っているけれど、推しのことを好きでいられるのは、「推しが好き〜〜」って喚いてる私をスルーしながら横目で見ていてくれたり、ときどき「よしよし」って言ってくれたり、「わかるよ」って言ってくれたり、本当にどうしようもない状態に陥っているときに介護してくれる友達がいるからなんだ。好きなものを好きでいるエネルギーをくれるのは、大好きな友だちたちなのだ。独りで推しを推してたら、もうとっくにしんどくなってやめている。
自意識過剰で自惚れてるかもなんだけど、本当になんでこんなに好きって言ってもらえるのか、わからなくて、ただなんて幸せなんだろうなって、めちゃくちゃに噛み締めてます。もらった分だけのものを私は、相手に返せてないんだけども、返すのが下手なので。でもいっぱい返したいと思う、呼吸をさせてくれるみんなたちのために。何が返せるかはわからないのだけど。
何ごとも移ろうものだから、きっとまた同じだけの時間が経つ頃には、様々なことが変わっているのだろうけれども、最高の推したちにもらった元気はこれからも永く私を暖めてくれるってわかるので、明日も明後日もまた、元気に起きようと思います。
読んでくださった方がいたら、ありがとう。ではまた!