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叶えば星のおかげ、叶わなければ私のせい

配信を再開しました。そこで毎回1時間以上1人で話すものだから、流石に日記にまでは書くことが無い。いや、『書くことはあるが、もう表出することに満足しているので書こうと思わない。』がより正しいかな。ただどんな媒体であれ、アウトプットが出来ているならば問題は無いので良いことである。

アウトプットには適切な媒体がある。声で伝える行為は文章よりも情報量が増えるので、表現としてカバー出来る幅は広い。しかし中には文章の方が伝えるのに適している内容もある。声よりも文で伝えることが適切だと感じた時に、この場所を選べればいい。表現の選択肢が多いに越したことはない。私は『自分』という全容から、媒体やアカウントによって『明るい部分』『暗い部分』『荒い部分』『細かい部分』などを要素ごとに分けて切り出していくので、自分にフィットする部分だけを手に取って、楽しく接してくれればいいと思う。

今日は七夕だ。もし本当に願いが叶うならいつかの夏に戻って人生をやり直させて欲しいと思うが、そんなことは不可能な訳で。そもそも織姫と彦星が会える日に、どうして我々地球の一般人の願い事までついでに叶うとされているのだろうか。由来が気になる。織姫や彦星的には愛する相手に1年ぶりに会えればそれで良くて、地球に居る人間とか言う有象無象の私利私欲に塗れた願い事なんて至極どうでもよさそうなものだが。おっと、君はなんてロマンの欠片も無いことを書いているんだ。そんなこと言ってちゃモテないぞっ。いやうるさいモテたくもない。

こうは書いたが、星に願い事をするという文化は嫌いではない。むしろ好きな部類だ。神仏の類は信じていないのだが、叶う叶わないではなく、その行為自体が美しいと感じる。私は実現可能な願い事をするとしたら短冊に何と書こうかな。「今歌っている曲を満足いく形で作品に出来ますように」とかかな。noteを書き終わったら今日も頑張ってみよう。

書き終わったら頑張ろうと述べましたが、残り5分程の時間を残して完全に筆が止まり、結局何も書きませんでした。皆さんは素敵な七夕をお過ごしくださいね。ガンバルゾー

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