劇団四季「ジーザス・クライスト・スーパースター」 2014-08-30
2014-08-30
数年ぶりのジーザスです。
ここ数年は自由劇場でやっていたのですが、B席でも6000円という状況にちょっと二の足を踏んでいたのですが、全国公演は3000円席があるというので八王子にいってきました。
電車代を足すとそんなに変わらないということに気づいたのは帰り際でしたが…。
ジーザスは四季の演目の中でも1、2を争うくらい好きで、学生の頃からずっと観ています。
公演時間の短さに凝縮された内容、民衆や長と弟子の関係性などめまぐるしく変わる内容にシームレスな楽曲と傾斜の舞台も相まっていつもどきどきするのですが…
…あれ?なんとなく…控えめ…?
記憶の中では、ギリギリとした緊迫感に締め付けられるような、こちらもなにか搾り出されるような空間だったのですが…
わりと抑えめな感じをうけました。
それでも民衆のうにょうにょ動く手は気味が悪くて楽しかったですが。
個人的には、マグダラのマリアがややロボットのように見えてしまったのが難点でした。
マリアはジーザスが唯一好んで触れさせる、安心する存在でいて欲しかった。
「私はイエスがわからない」は唯一マリアが自分の事を語り、ジーザスと会ったことで何かが変わるという気持ちを歌っているのがすごく好きな歌なのですが…
なんか強制的にやらされてる感じを受けてしまったのは残念です。
使徒たちもなにか熱気が抑えめというか…狂信的にジーザスを持ち上げるという感じがあまりしなかったような気がしました。
ややオケとリズムがずれるときもあったので、もしかしたら舞台上のモニタ返しがよくなくてうたいづらかったのかもしれません…
退団された下村さんのヘロデ王は嬉しかった♪
ジャポネスク版もエルサレム版も下村さんのヘロデはみてますが、今回は退団されてからの客演。艶っぽく怪しげでしたw
あの1曲の中で、わがままだったりちょっと気弱だったり調子良かったり…いろんな表情を見せてくれました♪
いつからかはわからないのですが、少なくともCD版とは譜割りがいくつか変わってるので、一瞬違和感を覚えました。
ヘロデの歌は4分音符にしたことで間延びした感じをうけてしまったところちょっと気になるところ…
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