この物語をマイケル・チミノとベルドナルド・ベルトルッチとテレンス・マリックとブライアン・デ・パルマとミロス・フォアマンとダルのどを愛した人々すべてに捧ぐ
サマーウォーズ
エンドオブワールド
ドゥームズデイ
プロジェクト応用
転
後
マグニートーことマックス・アイゼンハートの能力は磁場は磁場(じば、英語: Magnetic field)は、電気的現象・磁気的現象を記述するための物理的概念であり、電流が作り出す場として定義される。工学分野では、磁界(じかい)ということもある。要はエネルギー作り出すことが出来るのがマグニートーことマックス・アイゼンハートの能力でカオス理論も作りだすからマグニートなの
「広告担当だ!俺は知らんだけ表示」
「俺は監督だ!インスタグラムも広告だしかも個人広告だから効果覿面だ!セシリア・ユペールのエネルギー数値能力は盾の反射による反射の粒子の圧縮収束拡散でこれはファイナルファンタジーの魔法のフロスト・ラスプ・バーン・ドラウン・ショック・チョーク能力低下。属性に応じたステータスが下がり、徐々にHPが減少していく。ステータス低下の効果は徐々に薄れる。だからこれも同じく制限なしだから敵味方関係なく低下するデメリットがあるメリットはその分戦闘フィールドを優位に立てる。宮崎駿と鈴木敏夫の広告しない広告って制限なしだから敵味方関係なく低下するデメリットがあるしか効果がないの!」
「広告担当だ!しかもSWITCHでドジった!こうなれば後は宮崎駿と鈴木敏夫は「逃げちゃダメだ」で閉じ籠るしかない南原清隆に若林正恭か?マセキ芸能社にケイダッシュステージでケイダッシュは田辺エージェンシーの系列か?芸能事務所がマジで訴訟準備立ち上げてこれだ!松竹も市川猿之助の『ファントム・オブ・パラダイス』でお仕置きのエンドレスエイトで地盤が緩んでるから芸能事務所戦国時代になったら困るから松竹は纏め役が必要だしな?」
「俺は監督だ!松竹もあくび感覚以下でM&A出来るな」
「広告担当だ!東映も『仮面ライダーガッチャード』も高校生主人公でカードだ!役者育てるしかないしカードはメインとは言え能力がどうせ物理能力だ!だから仮面ライダーは煮詰まるの!俺らが助け舟出すか?それでM&Aだ」
「俺は監督だ!こう物事事が上手く進むとカオス理論って怖いな?カオス理論(カオスりろん、英: chaos theory、独: Chaosforschung、仏: théorie du chaos)とは、力学系の一部に見られる、数的誤差により予測できないとされている複雑な様子を示す現象を扱う理論である。カオス力学ともいう[1][2]。だよ!要は予測できないからカオス理論だ」
「広告担当だ!そのカオス理論に負けてダーティなピロロになる連中が広告業界に多数居るが全員がカオス理論でやられてアバンの投げたフェザーによって動きを封じられ、マァムの閃華裂光拳を伴う拳打によって倒される[14]。最後に「ちくしょう、だがもうアウトだ」と捨て台詞を残したが、ダイの行動によってその目論見も失敗に終わった。で消え去るのが広告業界の教訓とテーマとされるんだ!だからクリーンなピロロでないと生き残れないからプレッシャーが半端ないんだ」
「俺は監督だ!手は打つだけ打ったしアニメスタッフの宿題もきっちり残した!ヘンゼルとグレーテルと“愛染自(あいぜんじ)”ソラトと“愛染他(あいぜんた)”ティリエルは使える!特に“愛染自(あいぜんじ)”ソラトと“愛染他(あいぜんた)”ティリエルは『灼眼のシャナ』の高橋弥七郎の最強の盲点だ!オタク発想の兄妹設定だが『火垂るの墓』の清太と節子の設定使えば最強の武器になるから使うまでだ!こればっかはヒントはやらんしヘブンズ・ドアー覗けば『ガサラキ』の盲点洗い出せば近親相姦で純愛のトゥルーカップルが出来るからな!言いたくないが設定って盲点洗い出す作業だ!字との格闘だよ!岡部俊二の盲点の洗い出し方は自家発電でティシュだ」
「広告担当だ!何時も助かるよ!そうやって人材育成するのはさあ?」
「俺は監督だ!窓の外さん居ただろう?言いたくないよ?最初からザボエラだったオチでどの道洋ナシにされるよ!オジン発想だしオジン趣味だしね!映画なんで見てるのか意味すら分からん寂しいから見てるだけだしこれならプリキュアにハマったほうがマシだよ!おつおみって人はTwitterアカウントもYouTubeアカウントも消えてた!あの調子だとTwitterもYouTubeも飽きただけそうだよ!楽しくなきゃ辞めればいいだけだよ!それが趣味だ!祥太さんとかプリキュアおじさんはFUJIWARAのYouTube動画FUJIWARA超合キーンに出演だよ!正直祥太さんもプリキュアおじさんも忙しくなるよ?『映画プリキュアオールスターズF』がパズるからプリキュア芸人の解説役になって藤津亮太みたいな立ち位置にになってライターとしては死んでも食えるな?これもカオス理論だ」
「広告担当だ!どの道祥太さん食えるよ?ログをnoteに残してあるからPCにログ収納するタイプだから祥太さんnoteの需要高まるから『映画プリキュアオールスターズF』で有名になったらnote充実させた方が原稿依頼来るからね。どの道オタクに『映画プリキュアオールスターズF』はパズるし『キボウノチカラ〜オトナプリキュア'23〜』は本気の本気の本気で『まいっちんぐマチコ先生』にするつもりだからね」
「俺は監督だ!早い話がヘブンズ・ドアーはメイキング読んだりメイキングに書いたりすることが出来るから『Re:CREATORS』の能力で誰でも持てる能力だからメイキングなの!一番タイムボカンシリーズ向けの能力がヘブンズ・ドアーだよ!正直これでようやく荒木飛呂彦もネタ膨らむけど正直他人に任せたいの1997年頃から考え付いたネタだがタイムボカンシリーズ向けだから『岸部露伴は動かない』は実写でないと意味がないの!言いたくないけど荒木飛呂彦も描写にこだわれる漫画家じゃないの死ぬ程分かるの!ジョジョ立ちも所詮は描写だ!正直いつもジャンプ漫画だから番長漫画路線でないと読者の人気取れないから毎回フォーメーション考えて能力特性考えても誰も『ジョジョの奇妙な冒険』をラブコメとして読んでくれないから読者の人気得るためにスタンド能力考えたが行き着く先はSFオタク騙してもリサーチが大変でしかもSFオタクは弟子の三部敬の『僕だけがいない街』のようなラッキースケベマンガをSFとして神棚に飾るような連中ばかりだからこんな事ならラブコメ描きゃよかったと思ってたところにNHKから実写ドラマ『岸辺露伴は動かない』の実写化ドラマ企画で荒木飛呂彦のオーダーはラブコメ描いてくれだ!荒木飛呂彦も実際には大変だよ!『ジョジョの奇妙な冒険』はSFオタクの神棚に飾られたから荒木飛呂彦も吸血鬼イメージで語られたりしてさあ?言いたくないよ!荒木飛呂彦も毎回そんなボインゴのような引き籠りの負け犬の読者でしかもボインゴのような引き籠りの負け犬の読者は“弱い子どもを狙って殺すようなクズの中のクズ”だからボインゴのような引き籠りの負け犬の読者が何で3~9歳の美幼女に相手にされないかと言えば性欲塗れで“弱い子どもを狙って殺すようなクズの中のクズ”だから3~9歳の美幼女に気持ち悪いって言われるだけだからSFマニア騙すの騙す価値すらないからういろうさんを萌えさせれば荒木飛呂彦も勝ちなの!言いたくないけどういろうさんが萌えればラブコメなの」
「プロデューサーだ!それが現実だ!言いたくないがオタクは金にならん!ういろうさんはグッズ買ってくれるからお客様!ういろうさんはプリティストア行かないお客様だから☆なの正直さあ?プリキュアのぬいぐるみって『ふたりはプリキュア』か『Yes!プリキュア5』に限られてるの!正直さあ?ダルイゼンとキュアグレースさあ?☆だぜ!ぬいぐるみで売ればマジで社会現象で俺プロデューサー辞めて悠々自適の隠居生活だぜ!メイキング遡れよ!糞長いがよ!グッズ収益って殆どぬいぐるみで決まるのグッズ・担当も言ってたけどそれが現実だよ!それ捨てたのが香村純子と安見香だよ!言いたくないよ!『デリシャスパーティープリキュア』のキュアプレシャスとブラックペッパーも☆だ!更に可能性としてキュアフィナーレとナルシストルーも☆だ!言いたくないが全部安見香が捨てやがった場数の稼ぎ以下ですらない小銭稼ぎでな!だからてくまくまよこさんやういろうさんはやリリンダさんは必ずカップリングで考えるからお客様なんだよ!リリンダさん何だかんだで腐女子だ!言いたくないが腐女子程その手の男の子と女の子のカップリングを軸に考えるからぬいぐるみ買うんだよ!俺はてくまくまよこさんやういろうさんやリリンダさんに「見た事ない景色」見せるだけだ!それ以上でもそれ以下でもない」
「俺は監督だ!荒木飛呂彦も読者に「見た事ない景色」見せるだけだ!いつも思うの!SFマニアが望むのは所詮は『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の裸の架空戦記のみ!言いたくないがそりゃ荒木飛呂彦も飽きるよ!言いたくないが波紋もラブコメで考えてたがスタンドで読者釣って週刊少年ジャンプの新陳代謝から逃れて連載できたがそれだけでしかないよ!そりゃまた荒木飛呂彦も毎回そんな“弱い子どもを狙って殺すようなクズの中のクズ”が悪役だと読者は飽きないけど荒木飛呂彦は飽きるしどうせ『ジョジョの奇妙な冒険』は子供番組にならないから『スティール・ボール・ラン』以降の『ジョジョの奇妙な冒険』はお仕事なの!宅八郎はそこがよくわかったよ!言いたくないけどどの道スタンド無くてもSFオタク釣れるの百も承知なのは『ジョジョの奇妙な冒険』のヘブンズ・ドアーがあるから連載出来るの!だから荒木飛呂彦はボインゴのような引き籠りの負け犬の読者は“弱い子どもを狙って殺すようなクズの中のクズ”だから騙す価値すらないの」
「広告担当だ!遠野よあけさん?『それが漫画家!』なの浅野真澄は世界の文豪になれるな?荒木飛呂彦のヘブンズ・ドアーは荒木飛呂彦自身の遠い過去の記憶や運命は読めない。からタイムボカンシリーズやりたいだけ!てくまくまよこさんやういろうさんやリリンダさんに「見た事ない景色」見せるのが荒木飛呂彦のヘブンズ・ドアーなの」
「俺は監督だ!ヘブンズ・ドアー使えば他人の未来は覗けるが自分のメイキングや自分の遠い過去の記憶や運命は読めない。からヘブンズ・ドアーって『Re:CREATORS』の能力なの!大概はヘブンズ・ドアーと向き合わないから広江礼威みたいにダメになる漫画家多数だ」
「広告担当だ!広江礼威は育てても無駄以下の漫画家だったとこっちが学んだよ!挙句は横領までしやがってしかも横流しを小学館と共同でやりやがってよお!俺はゴルフが死ぬ程大嫌いだ!あれも広告そのものでスポンサーに『ビッグ・ヒット』でバカ日本人金持ち社長をゴルフで潰せと俺に命じるんだ!バブル期に『ビッグ・ヒット』でバカ日本人金持ち社長が居たからゴルフブームが起きたの!正直ゴルフってイギリスでもゲートボールと大差のないスポーツだから普及したの!正直四大タイトルは生贄だよ!それでエージェント契約結ばせてカス以下屑以下ゴミ以下まで搾り取るのがゴルフの業界で正直行き着く先はゴルフはゲートボールだよ!だから俺ゴルフ死ぬ程大嫌いなの?所詮はゲートボールだからね!俺『マスク』って映画好きなの!スタンリー・イプキスがお気に入りでね。あれ低予算映画だから当たった程度だよ!CGはオマケでCGの広告映画だからジム・キャリーなのジム・キャリーこういう仕事専門だから嫌われないの?俺さあ?ジム・キャリーの『マスク』の拷問でゴルフ使った拷問好きなの?あれを生意気な広江礼威にさせるの現実は圧倒的に厳しいから現実で広江礼威は『マスク』のスタンリー・イプキスにゴルフの練習中、生意気な広江礼威に「今朝、お前は映像業界の摘発で洋ナシを命じられたんだ。お前のケチな『BLACK LAGOON』もしくは『341戦闘団』が原因だな?」とティーを咥えさせ、そこのボールを打った上に、1週間以内に町を出て行くよう追放宣言する。だけ!これもカオス理論だ!」
「プロデューサーだ!スタッフクレジット消去は完了してある」
「秘書だ!悲しいがこうして堕落してた漫画家が居たとはな!同情するだけ無駄だったし安全靴で蹴り甲斐がある漫画家が広江礼威になっただけだ」
「広告担当だ!泣けるが宮崎駿が居なくても世の中平和だ!だから安心してこん時ばかりはマジでマグニートーことマックス・アイゼンハートは悪さする愚かな人間である宮崎駿と鈴木敏夫には天罰が基本なのがマグニートーことマックス・アイゼンハートの論理思考と思想なの!だから怖いの天罰だからマグニートーなの!これもカオス理論だ」
「俺は監督だ!宮崎駿と鈴木敏夫が味わうのはマグニートーことマックス・アイゼンハートの能力で磁場は磁場(じば、英語: Magnetic field)は、電気的現象・磁気的現象を記述するための物理的概念であり、電流が作り出す場として定義される。工学分野では、磁界(じかい)ということもある。要はエネルギー作り出すことが出来るのがマグニートーことマックス・アイゼンハートの能力で悪さする奴は天罰が基本なのがマグニートーことマックス・アイゼンハートの論理思考と思想なの!だから怖いの天罰だからマグニートーなの」
「広告担当だ!たまには俺が〆る。マグニートーことマックス・アイゼンハートの能力は磁場は磁場(じば、英語: Magnetic field)は、電気的現象・磁気的現象を記述するための物理的概念であり、電流が作り出す場として定義される。工学分野では、磁界(じかい)ということもある。要はエネルギー作り出すことが出来るのがマグニートーことマックス・アイゼンハートの能力でカオス理論も作りだすからマグニートなの」
オタ芸じゃないのアニメ評論はね
「俺は監督だ!藤津亮太も匙投げてるな?表示」
「広告担当だ!俺は知らん!藤津 亮太(ふじつ りょうた、1968年12月21日[1] - )は、日本のアニメーション評論家[1]、フリーライター。静岡県藤枝市出身[1]。静岡県立藤枝東高等学校、名古屋大学理学部分子生物学科卒業。だよ!履歴は静岡新聞記者、SPA!編集者を経て[2]、フリーのライターとなる。アニメーションに対する深い造詣をもち、扶桑社より刊行された『アニメ評論家宣言』をはじめ、アニメ・漫画の専門雑誌にてコラムを多数執筆。カルチャーセンターにてアニメに関する講座も行っている[3]。大学時代は理学部分子生物学科で合唱サークルの文集を執筆、製作していた経験が生業の元となっている[2]。ニコニコチャンネルでは「アニメの門チャンネル」を解説。毎月一つのテーマを取り上げて生放送とブロマガの公開を行っている。2010年より、NHKラジオ第1でアニメを題材にしたトーク番組『渋谷アニメランド』がレギュラー放送になるに当たり、そのパーソナリティーとして冨田明宏(アニメ・音楽評論家)と隔週交代で担当。主にアニメーションクリエーターへのインタビューを行っていた。藤津亮太はペンネームで本名は難読である[4]。要は新聞記者だからログやデーターや設定大事にするの」
「俺は監督だ!喧嘩売る方もバカだぞ!相手は新聞記者だぞ!2016年、読売新聞に掲載された映画『シン・ゴジラ』の評論コラムを、2ちゃんねるの記者[5]が、全文コピーしてスレッドを立て、そのURLをtwitterにツイートした。藤津が読売新聞社の知財部に報告すると、DMCAが著作権侵害と判定。当該ツイートは不可視化処分にされた。当該記者からは「Webに公開された情報は利用者全員の共有資産です[6][7][8]。そんなに見られて恥ずかしい文章ならパスワードをかけて会員限定記事にして下さい」と言われる。これらの騒動は、藤津のツイッターアカウント[9]や弁護士ドットコム[10]、NEWSポストセブン編集者のコラム[11]などに掲載された。言いたくないが2ちゃんねるの記者[5]は今頃ゲイのDV彼氏にDVされて金品奪われ男娼でアッナル程だぞ!こうして制裁下すのが新聞だ!言い訳の総本山が新聞だから民事訴訟で裏で莫大に制裁下すのが新聞だ!枡野浩一も付き合う相手間違えたな?桝野浩一の『ドラえもん短歌』(2005年9月、小学館) ドラえもんをテーマにブログで募集した短歌の傑作選。が著作権違法と知って付き合ったんだぞ!」
「広告担当だ!藤津亮太も宮崎駿と鈴木敏夫の夜逃げと特殊詐欺は掴んでる知らないのは桝野浩一のみだ!吉泉智彦は知らんそんなのとは無関係な人生だ!桝野浩一は言っても信じないし逆にマウンティングだ!言いたくないが藤津亮太はパズらないアニメライター人生送ってるだけ藤津亮太は正直ログやデーターや設定があるから宮崎駿と鈴木敏夫が夜逃げで特殊詐欺と掴むんだ!元新聞記者だからな!ニコニコ動画主体だからセンセーショナリズムな取り上げ方とジャーナリズムな取り上げ方しないと生きていけないのが辛い所だ!正直これがアニメライターで正統派でも食えない理由だ!必ず新陳代謝あるからプリキュアのアニメライターが需要あるのわかるだろう?20年続いた女の子アニメなんてないから藤津亮太もプリキュアで食えばよかったと超絶大後悔だよ!パズる媒体で活動したらデメリットしかないし食えないしマジで困るだけだった」
「俺は監督だ!行き着く先はプリキュアには勝てません。藤津良太居なくてもアニメには何ら支障が無いからアニメの批評って無意味なの!新聞記者だから『機動戦士Vガンダム』で富野由悠季は「左遷部屋」だし『機動戦士ガンダム 水星の魔女』でガンダムは本当の意味でオワッタって掴んでないとアニメの評論家名乗れないからね?石岡良治は基本は東京都生まれ。早稲田大学第一文学部中退、東京都立大学人文学部仏文学専修卒業、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学[2]。『ユリイカ』や『PLANETS』などにポップカルチャー関係の論考を多数寄稿しており、「日本最強の自宅警備員」とも呼ばれた[3]。著書『視覚文化「超」講義』は、紀伊國屋じんぶん大賞2015の第2位に選ばれた[4]。2018年より早稲田大学文学学術院(早稲田大学文化構想学部)准教授。なの言いたくないけど『ユリイカ』や『PLANETS』などにポップカルチャー関係の論考を多数寄稿しており、「日本最強の自宅警備員」とも呼ばれた[3]。から海外のネット事情も当時は翻訳無しで読めたから厭でも日本のアニメが三級片と知ってるから騙し甲斐があるの。ネット民や特にニコニコ動画民はね?石岡良治は「絶対導守の力」を一切使わなくて五円玉で催眠術以下だよ!こうしてればアニメの批評はエキストラ感覚以下で出来るの!映画『君の名は。』のレビュー記事「『君の名は。』の深すぎる「15」の盲点」で約670万回以上の閲覧数を誇り、ウェブ検索でも上位に位置する。でアニメの批評の仕事が来ないのはこういう事だよ?岡部俊二?」
「広告担当だ!これがアニメの批評の世界だ!言いたくないがプリキュアですら『ヒーリングっど❤️プリキュア』で痛恨のミス犯して池戸万作は経済アナリストのトップで池戸万作がこのプリキュア事業撤退作戦とプリキュア事業撤退作戦とプリキュア立て直し案を計画したの!でないとここまで大規模な広告立案と企画事業修正案と復活案立てれる人物は池戸万作しか考えられないから正直ヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズや『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』や『シン・仮面ライダー』やガンダム事業はポイ捨て以下出来るから捨てたまでだし正直庵野秀明や『機動戦士ガンダム』の代わりは幾らでも居るがプリキュア事業は権利高く売れるから大事にするまでだから次は『放課後のプレアデス』で食わないとアニメ批評家は生きていけないぞ」
「俺は監督だ!パズり関係なしに食えるのは子供向けアニメだけだよ!アニメ批評ってどの道存在しないからね」
「広告担当だ!何とも言えん!ネットでよくある文で考察サイトで検索すれば出てくる文だよ。りくとさんこういう主義主張しないからYouTuberで有名にしたいんだよ!普通に楽しんで普通に数字で楽しんでるだけ。誰にも迷惑かけてないよ。そりゃ誤解生じやすいよ。生意気だってね。でも嫌われないよ。よくいるYouTuberでしかないよ。露骨な再生数稼ぎしないし岡田斗司夫
みたいに政治語らないし流行のアニメ取り上げないとアニメ感想系YouTuberの需要なくなるからね。正直りくとさんならライターとしてスカウトしていいんだよ。正直日本のアニメが三級片と教えるだけでアニメ批評できるの。その程度アニメの批評ってね。知識自慢じゃないのアニメの批評って基本はないんだよ。そもそもアニメは子供番組だからそれを軸にしか語れないからアニメには批評は存在しないよ。映画批評は褒め殺しだよ。基本はリサーチ出来ない奴は批評できないの。宇多丸もリサーチ欠かさないから多種多芸だよ。それすらやらない無能以下のバカ以下の日光猿軍団のモンキーダンス踊って猿のマスターベーションする連中がアニメ批評したがるの。大概は荒らしだよ。会社も大迷惑でアニメ批評する雑誌って確実異常に制裁下すの大物ライターにも伝わるようにね。何度も言ったが手始めはアニメ批評って雑誌があったよ!ゲーム批評の分派の雑誌だが正直頭痛いのはあさりよしとおを呼びやがった!あさりよしとおは典型的なオタク漫画家でディスり専門感想屋だよ!さっきも言ったがアニメは子供番組なのにディスりだよ!アニメージュでもそれで有名だから勘違いするオタク続出したんだ!そうなれば荒らしが読者投稿欄に来るから潰した。そうだよ。こうして広告担当は潰すの氷川竜介に次は我が身かもしれないと教えるよ。正直氷川竜介は当時プロアニメ特撮ライターに転身時期で岡田斗司夫の紹介だから氷川竜介を生かすためだ!岡田斗司夫から縁切らせてライターの世界の厳しさを実感させるためにだから明治大学大学院国際日本学研究科の特任教授に就任したの?ライターじゃ食えないからな」
「俺は監督だ!一番死ぬ程頭痛かったのが本田透や山本寛だもんな?本田透はオタクホイホイのジャンルで釣って有名になってライターとして本出しまくり挙句はラノベ作家デビューしたが一発屋にすらなれなかったし飽きられたよ。山本寛に至っては妄想ノオト出張版(洋泉社オトナアニメ誌連載、終了)にアニメを愛するためのいくつかの方法(PLANETS連載)だよ?宇野常寛は交流広いから日本のアニメが三級片と分かって見てるしPLANETS the BLUEPRINTは基本は多様性だよ!宇野常寛も山本寛がカモだって知ってるの。『薄暮』が御破算企画で史上最低の作戦で投了案件って宇野常寛は知ってて親しくなるの。だって宇野常寛は岩手県文化芸術アドバイザーだよ!『カジノ』のサム・ロスティーンことエースが生き延びるコツは全員が監視してるだよ?宇野常寛はこうして騙すのアニメが子供番組ってとっくの昔に知ってるのしかも深夜アニメは三級片とPLANETSの編集部の情報網を使えば一瞬以下でわかったの。だからPLANETSなの誌名は宇野が大学在学中に主宰していたテキストサイト(「惑星開発委員会」)に由来するから惑星開発が主体なのカモをこうして引っかけて時期が来たら始末完了するのがPLANETSで惑星開発だよ。だからガサラキのシステムは最強なの」
「広告担当だ!あの岡部俊二の記事見てたら近いうちにPLANETS呼ばれるのが岡部俊二だよ!サブカル編集術の生き残り方って岡部俊二みたいなバカ引っかけて注目浴びさせて捨てるだよ。町山智浩は出来ないだろう?ガサラキのシステムはさあ?サブカルで生き残るにはアニメと漫画と映画と特撮とドラマが基本なの?今も昔も変わらんのに町山智浩はB級映画だ!だから映画秘宝はジリ貧になって完全休刊したの。映画秘宝のnoteももう編集者一人だ。映画秘宝編集部一人残らず逃げ出したんだ。これが現実なんだ。日本一の映画雑誌のな。驕る平家は久しからず言うだろう?まさにそれだよ。だからガサラキのシステムは最強だよ!サラリーマンも出世の道具与えるだけでガサラキのプレイヤーになるんだ!ただしユウシロウではなくモブキャラだがね。りくとさんのYouTube番組見てるとガサラキとは無縁だよ。完全に趣味だからさあ?広告担当のわがままだよ?これ?単に日本の深夜アニメが三級片と教えるだけで騙し放題儲け放題なんだ。これは俺のわがまま」
「俺は監督だ!これがアニメ批評の世界だセンセーショナリズムな奴は晒し首だしリサーチしても無駄以下だしどの道藤津良太も限界だよ!新陳代謝があるからね?だってアニメの批評って存在しかないからね!生き残るには『ミステリー・メン』の誰も見てない所で透明になれる能力しかないの!パズったらお終いなのがアニメの批評の世界で岡田斗司夫や山本弘や唐沢俊一や眠田直や山本寛もそう消えた!アニメって批評する方法はプリキュアみたいなアニメでキネマ旬報に依頼されてログやデーターや設定でリサーチして本出す以外ないの!祥太さんなら確実に食えると広告担当が踏んだから心の指紋のログやデーターや設定やリサーチ頼むの!オタ芸じゃないのアニメ評論はね」
行き着く先はそうやって『ジョニーは戦場へ行った』って映画はPTSD関係なしにお経とダメージと「逃げちゃダメだ」の映像体験だからアルカイドのエネルギー数値能力は映像具体化、回復の能力の一種。視覚や聴覚や嗅覚や触覚や味覚刺激して映画やドラマや小説や漫画やラノベやなろう系やアニメやゲームや特撮のキャラクターや世界観や設定を再現する能力でオリジナル同人小説やオリジナル同人漫画やオリジナルゲームやオリジナル特撮や二次創作小説や二次創作同人誌や二次創作ゲームでも映像具体化可能な能力要は映像具体化の弱点はコントロールが効かないからテロにしか使えない能力だが同時に特定の人間に映像具体化すれば悪夢にも夢にもなるのが映像具体化の能力のデメリットとメリットだ!だから『ジョニーは戦場へ行った』はカルト映画なの!現実から逃げる宮崎駿と鈴木敏夫と集英社が多いからね
「音楽担当だ!『呪術廻戦』の第2期「渋谷事変」オープニングテーマ。King Gnuで『劇場版 呪術廻戦 0』のイッパツ屋バンドでキャリア見たら殆どがイッパツで凛として時雨となんら大差のないバンドだ」
「広告担当だ!等々広告しない広告って不可能って思い知らされたな?表示」
「俺は監督だ!リベラシオン (仏: Libération, 愛称: Libé) は、フランスの日刊紙。1973年にジャン=ポール・サルトル、セルジュ・ジュリ(フランス語版)、フィリップ・ガヴィ(フランス語版)、ベルナール・ラルマン(フランス語版)およびジャン=クロード・ベルニエによりパリで創刊された。おおまかには、現在のリベラシオンの編集見解は、中道左派である。当初は左派の新聞であったが、特に1980年代と1990年代に何度も交代劇を経て、最近の2005年1月にはエドゥアール・エチエンヌ・ド・ロッチルドが37パーセントの資本を取得している[要出典]。セルジュは欧州憲法 (TCE) に関する国民投票で賛成票を投じようというキャンペーンを張ったが、その結果、相当数の左派読者がリベラシオンから遠ざかった。2007年現在、リベラシオンは約140,000の部数が発行されている[1]。リベラシオンはまた、日刊紙としてフランスで初めてウェブサイトを開設した。中道左派(ちゅうどうさは、イギリス英語: Centre-left, アメリカ英語: Center-left)は、政党あるいは政治的・社会思想的な傾向の分類。穏健な左派のこと。国ごとに違いはあるが、社会民主主義が代表的な中道左派理念である。リベラシオンも宮崎駿と鈴木敏夫の夜逃げと特殊詐欺掴んだな」
「広告担当だ!後は知らんこうして晒すのが中道左派の新聞だ!」
「音楽担当だ!それで言えば『君たちはどう生きるか』の音楽も『呪術廻戦』の音楽も大差ないな!B面にも入らない曲かイッパツ屋かの違いのみでさあ?困るんだよ?『君たちはどう生きるか』も『呪術廻戦』もさあ?音楽の打ち合わせどうにもならないから音楽指定入れられる制作体制じゃないの?これじゃあニューエイジの曲流すしかないだろう?宮崎駿と鈴木敏夫は急遽それで誤魔化したとしか思えないから久石譲の犬以下での体制だから久石譲はやってられないよ!ニューエイジの曲テキトーに書いたとはいえ残尿感が残る仕事だしストレスしか溜まんないよ」
「俺は監督だ!こういう場合は夜逃げ用の超魔ゾンビだからテキトーで誤魔化して「記憶を操る」で何とかなると思うのが宮崎駿と鈴木敏夫の論理思考と思想だからね?言いたくないがリベラシオンに広告されたから広告しない広告って不可能なの!この時点で「記憶を操る」ってバレる可能性が大だから役立たずの能力だよ!もう『君たちはどう生きるか』はパズってないしオワッタ作品だし宮崎駿もオワッタだけだ!」
「広告担当だ!世界的巨匠でフランス国家功労勲章、パリ市勲章を受章。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。だろう!こうやって海外のピラニアは食いつくの!用が済めばディスクロージャーして葬るのがフランスだしリベラシオンだよ」
「音楽担当だ!やる気なくすよ!『君たちはどう生きるか』も『呪術廻戦』もさあ?ニューエイジの曲で済むのが『君たちはどう生きるか』や『呪術廻戦』だよ!久石譲も照井順政もやる気なくすよ!特に照井順政はオルタナティブ・ロックバンドのハイスイノナサだからニューエイジのロックがオルタナティブ・ロックだ!得意だとは言え音楽全般で『呪術廻戦』二期任されたんだ!その手のバンドしか集められないからニューエイジだからオジンオバンの人気得るよ!問題なのはニューエイジってニューエイジ(英: New Age「新時代」の意)とは、20世紀後半に現れた自己意識運動であり、宗教的・疑似宗教的な潮流である[1]。ニューエイジという言葉は、魚座の時代から水瓶座の時代 (Age of Aquarius) の新時代(ニューエイジ)に移行するという西洋占星術の思想に基づいている[1]。グノーシス的・超越的な立場を根幹とし、物質的世界によって見えなくなっている神聖な真実を得ることを目指す[1]。ニューエイジ思想の運動は、ニューエイジ運動[注 1]という[2]。だからお経で退屈音楽だ!ノリ悪いから若者の人気薄れるからね?言いたくないが『君たちはどう生きるか』も若者人気はない」
「俺は監督だ!シン・かわうそさんが『君たちはどう生きるか』に興味持たない時点で『君たちはどう生きるか』はお経だ!言いたくないがダルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』あるだろう?三級片でパラレルワールドで犯人は自分でしたオチだからオイディプス王でドラえもんとのび太の人生ゲームでドンジャラで水戸黄門なテレビと映画の『名探偵コナン』でしかない『PSYCHO-PASS』シリーズで本末転倒なのが劇場版『名探偵コナン』だよ!な不条理喜劇なの!要は傷痍軍人の「逃げちゃダメだ」なだけ宮崎駿と鈴木敏夫が今『ジョニーは戦場へ行った』を味わってる所だ!無論集英社
もだ!基本お経のような映画だが傷痍軍人の主観映像で「逃げちゃダメだ」だから救いがないだけだ」
「広告担当だ!言いたくないがお経で傷痍軍人で「逃げちゃダメだ」か?考えたら救い一切ないな?」
「俺は監督だ!行き着く先はそうやって『ジョニーは戦場へ行った』って映画はPTSD関係なしにお経とダメージと「逃げちゃダメだ」の映像体験だからアルカイドのエネルギー数値能力は映像具体化、回復の能力の一種。視覚や聴覚や嗅覚や触覚や味覚刺激して映画やドラマや小説や漫画やラノベやなろう系やアニメやゲームや特撮のキャラクターや世界観や設定を再現する能力でオリジナル同人小説やオリジナル同人漫画やオリジナルゲームやオリジナル特撮や二次創作小説や二次創作同人誌や二次創作ゲームでも映像具体化可能な能力要は映像具体化の弱点はコントロールが効かないからテロにしか使えない能力だが同時に特定の人間に映像具体化すれば悪夢にも夢にもなるのが映像具体化の能力のデメリットとメリットだ!だから『ジョニーは戦場へ行った』はカルト映画なの!現実から逃げる宮崎駿と鈴木敏夫と集英社が多いからね」
世の中地味かもしれないけど努力は実を結ぶから努力怠ると「宮崎駿や岡田斗司夫のような悪い監督や悪いアニメーターや悪いプロデューサーは、映像業界の格好の餌食だ」これが説教でテーマだよ!
「美術担当です。基本はオリガの衣装は翼と西洋の甲冑姿の天使のような姿になる。が基本です。そこにオリガデーター蓄積のため変身時と同じ髪の色のクリスタルのペンダントしてる オリガに変身する時の台詞は「Великая агиасма」です。描写し放題です。これで冷めるのは『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズです。要は歌がメインだから水樹奈々主体でしょう?それでCDがメイングッズでしょう?俺美術担当ですよ?そんなの破綻するに決まってるでしょう?音楽って聴いたら飽きるし『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズって要は頑張ってもNetflixアニメの『スプリガン』にしかならないアニメで『スプリガン』はNetflixアニメで見ましたが『インディジョーンズ』シリーズだから少年漫画になった程度で今だと通用しない漫画で美大で友達から借りて『MASTERキートン』読みましたがあれも『インディジョーンズ』シリーズですからもう『インディジョーンズ』シリーズの漫画やっても被るだけです。そんなアニメが『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズです。変身エフェクトの設定ください。無い事には変身エフェクト作れません」
「俺は監督だ!『インディジョーンズ』シリーズも007と被るからどの道被るしかないのが『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズだ」
「文芸部です。こういう事態も有り得るんです。それも考慮しないと皆川亮二は大友克洋とは違いタイムボカンシリーズが作れるから描写が被らないから長生き出来ると訂正します」
「俺は監督だ!文芸部は常に訂正するから文芸部なの!間違ってる可能性あったら訂正するのが文芸部なの『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズは行き着く先は被りまくりの世界観なの!『スプリガン』はタイムボカンシリーズ提示したから辛うじて被らなかったの?皆川亮二はタイムボカンシリーズが作れるから描写被らないから長生き出来るの!皆川亮二も『スプリガン』降りたいよ!所詮は『インディジョーンズ』シリーズと被った少年漫画だからね!しかもアニメ化されたらたかしげ宙のいい加減な設定を直さないといけないからアニメスタッフ手間暇かかり過ぎだよ!『ARMS』で反省活かしてタイムボカンシリーズの『インディジョーンズ』シリーズアクションで題材は『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』のみ!これなら被らないだけだしオタクは寄りつくがどの道『インディジョーンズ』シリーズアクションは時代遅れだからしょうがない」
「文芸部です。そこに『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズです。『インディジョーンズ』シリーズアクションです。被ります。絵本や童話はモチーフでは被らないように細心の注意が必要です。神話です。被りまくりです。文芸のリサーチしなくても被りまくりだから『インディジョーンズ』シリーズアクションは御法度御禁句です」
「プロデューサーだ!しかも音楽事業だから儲からんしカードもブシロードに丸投げなのが『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズだよ!声優呼びたくないよ!土下座しか出来ない!上松は当初4、5本ほどのアニメ企画を作ったが、音楽を専門にやってきた自分では「物語としての構築」は難しく思い、より具体的なものとするため、金子彰史に原作・シリーズ構成を依頼したという。その企画の1つである「女の子たちが歌を歌って召喚したものを、自らの身体に憑依させて戦う」という「変身ヒロインもの」は内容が壮大なものであったが、金子は上松の考えた世界観を可能な限り盛り込みつつ再構築し、全13話に収めている。その全13話分のプロットをたった1週間ほどで仕上げたことから、上松もその熱意には面食らってしまったと語っている[3]。言いたくないが被ったら著作権侵害なんだよ」
「俺は監督だ!これが『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズの実情だ!しかも音楽は費用莫大に費やすからサテライトがマクロスシリーズをバンダイナムコピクチャーズに売った背景がこれ!行き着く所音楽って費用膨大なのよ!サテライトは基本は河森正治のヘブンズ・ドアーで食えるからネタには困らないだけだ!」
「美術担当です。オリガデーター蓄積のため変身時と同じ髪の色のクリスタルのペンダントしてる オリガに変身する時の台詞は「Великая агиасма」はよくある変身魔法少女アニメの定番です。「Великая агиасма」はロシア語読むとグレートアギアスマと言いやすいです。声優もこれで統一したほうが良いですね。クリチャーになる姿の掛け声は「Павший посол Про」はロシア語読むとアンバサダー・プロですからこれで統一と後はエフェクトは演出と相談です」
「俺は監督だ!ボブ・フォッシーのミュージカルでやる!エロ全開でやる子供番組でも同様だ!演出指示はストリップ前提でカメラ指示は圧倒的に膨らんでないおっぱいのクローズアップで全体像で全体像で圧倒的に膨らんでないおっぱいのズームアップでエロス出す。後は美術担当の仕事だ!プリキュアシリーズもこの方法論だ」
「美術担当です。それなら俺描写し甲斐があります。それならイマジネーション沸く演出指示です」
「俺は監督だ!変化使いたければナックルや銃や盾や杖でストリップだ!これで考えないと18禁媒体でも子供向け媒体でもアイデア出ないのよ!こう言うの地味かもしれないけど大切だからね!変化しなくても飽きない目指したらストリップ前提で変身エフェクト考えないと面白くないし変化考えたら指定は変えず小物の変化でエロス出して飽きさせないようにするのさっきの『インディジョーンズ』シリーズアクションが被る問題もそれ!もう神話は物語の基本だからそれに手を出した時点で完全敗北事項決定なの!だから神話は被るの前提だからネタで神話ネタやられても考古学でアクションって本末転倒異常なのだからスティーブン・スピルバーグもジョージ・ルーカスも『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の時点でイマジンなの」
「美術担当です。言いたくないですが神話って被るから神話でしょう?『天空の城ラピュタ』も被りまくりの世界観で残るのは『未来少年コナン』です。『未来少年コナン』会社で予習で見ましたが冗談抜きで宮崎駿ってこれしか能がない監督ですね?言いたくないですが町山智浩?わかりませんがこれ指摘すれば映画評論家として食えるのは気のせい?岡田斗司夫?言いたくないですが所詮はこれすらも指摘出来ないようじゃ宮崎駿の寄生虫以下ですね」
「俺は監督だ!反論の余地はない」
「文芸部です。定義と要約が出来てます」
「広告担当だ!それ毎回広告してたが破綻が来たのは『ハウルの動く城』で原作ものなのに原作レイプ出来ないんだ!それで宮崎吾郎を『ゲド戦記』に任せて宮崎吾郎を説教の道具に使うクズアニメーターだよ!『崖の上のポニョ』では原作レイプは愚か動画すらもボロボロで『風立ちぬ』は原作レイプすら出来なくて著作権侵害でスタジオジブリ大ダメージだ!そんなスタジオが持つわけないだろう!挙句はジブリパークを宮崎吾郎に任せて『君たちはどう生きるか』で広告しない広告で宮崎駿と鈴木敏夫は夜逃げで特殊詐欺だよ!それも早くも破綻異常したから宮崎吾郎と新聞社やテレビ局や映像業界や音楽業界や出版業界や芸能事務所や警視庁と警察庁や東京地検特捜部や公正取引委員会や国税局と全員が取り囲んでJudgment Dayは時期は間近だからな」
「美術担当です。ここまで美術担当に言わせる宮崎駿って冗談抜きでクズアニメーターです。さっきの設定を元にした監督が言ったような演出指示してこそ監督です。岡田斗司夫居ましたよね?プロデューサーって基本はヤヴァイ時にしか何も言っちゃいけないのにYouTube番組では出鱈目以下喋りまくりです。何が『映像権に手を出すな』の金森さやかが岡田斗司夫?言いたくないですが金森さやかは予算オーバーしたら怒るから怖いんです。言いたくないですが『王立宇宙軍 オネアミス翼』も『トップをねらえ!』』も『ふしぎの海のナディア』も予習で見ましたが全部予算オーバーです。美術担当に言わせれば『王立宇宙軍 オネアミス翼』って元はOVA企画を劇場映画にするバカプロデューサー居ますか?『トップをねらえ!』はただの『宇宙戦艦ヤマト』だし同じく『ふしぎの海のナディア』はこっちはマリー・エン・カールスバーグを脱がせばガイナックス助かった現場なのによくわからない『宇宙戦艦ヤマト』逃げて冗談抜きであの当時のガイナックス就職しろと言われたらこっちがお断りです。岡田斗司夫は正直『劇場版 SHIROBAKO』の三崎芳雄です。『劇場版 SHIROBAKO』ってギャグアニメです。三崎芳雄って岡田斗司夫の事です!作業が進むなか、「SIVA」の元担当だった制作会社「げ~ぺ~う~」から横槍が入る。社長の三崎は企画を2年間放置しておきながら、武蔵野アニメーションが代わりに制作していることを知り、権利を横取りしようと企んでいた。あおいと宮井は相手のスタジオに乗り込み、三崎に契約不履行の証拠を示し、作品を守る固い意志を伝える。ってよくある事です!権利書無視して権利横取りするバカは法的処置が取らされて何もかも奪われて刑務所で「かたあひ」が現実です!」
「プロデューサーだ!反論の余地はない」
「文芸部です。定義と要約が出来てます」
「俺は監督だ!だから美術担当は助かるの演出の手助けしてくれるからね!だからアニメーター出身の監督って宮崎駿も居れば庵野秀明も居れば細田守も居るクズアニメーター連中が多くて中には山本天志や川崎逸郎や川口敬一郎や湯浅政明のように普通の監督業こなしてる監督で湯浅政明は『映像研に手を出すな』がたまたまパズっただけだし続編案が来ない実写映画のオマケが『映像研に手を出すな』だし作画のスペシャリストとは言え演出家としても普通だから食えるの声優も異化効果狙っただけだし湯浅政明も萌えアニメ監督出来たらやりたいが『映像研に手を出すな』みたいな仕事しか回ってこないのが実情だ!これが監督業だ」
「広告担当だ!言いたくないが湯浅政明はいずれちゃんとした仕事任せる。結果残してるからな!敗戦処理ばかりだがだからグッズ企画任せたくなるのも広告担当だ!それはそれで湯浅政明がパズって巨匠扱いされるが世間はいい加減だ!インコ大王しか残らん『君たちはどう生きるか』なんて「記憶を操る」だから誰も知らんのが実情だ!俺は社内での会話は大事にしてるそれで流行りが分かるからな!些細な会話でグミが流行ってるのも分かる言いたくないが社内では『君たちはどう生きるか』なんて誰も知らん」
「統計だ!これが現実だ」
「美術担当です。これならオリガに変身する時の台詞は「Великая агиасма」グレートアギアスマとクリチャーになる姿の掛け声は「Павший посол Про」アンバサダー・プロ演出指示はストリップ前提でカメラ指示は圧倒的に膨らんでないおっぱいのクローズアップで全体像で全体像で圧倒的に膨らんでないおっぱいのズームアップでエロス出して変化使いたければナックルや銃や盾や杖でストリップなら分かり易くていいです。『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズって毎回無駄バンクで疲れます」
「俺は監督だ!世の中地味かもしれないけど努力は実を結ぶから努力怠ると「宮崎駿や岡田斗司夫のような悪い監督や悪いアニメーターや悪いプロデューサーは、映像業界の格好の餌食だ」これが説教でテーマだよ!」
言いたくないが現実は圧倒的に厳しいから現実だ!分かったか?町山智浩に広江礼威?スーパーモデルエロは古今東西需要が無いからスーパーモデルエロで超ロリコンエロは古今東西需要があるから超ロリコンエロは超巨大産業なの
「美術担当です。『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』ありましたがアレ?なんだったんでしょうね?描写は俺らが専門だし撮影監督がアングル決めるし脚本って俺わかんないですが映像の要ですね。普通は手は出しません。文芸経験が無いと脚本って監督も手を出しませんよね?」
「俺は監督だ!『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』は渡辺雄介が脚本書いて町山智浩の脚本はプロットのみで描写指示は全部町山智浩がやった!だから『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』は御破算企画で史上最低の作戦で投了案件だから正義のヒーローしんちゃん家業なの!居るんだ!町山智浩は「いつもの『ビッグ・ヒット』のバカ日本人金持ち社長」だよ!呆れるくらいな!町山智浩はフレイザークでザボエラだ!ギャンブルしかやらないし後先考えないし残酷だしおまけにパワハラモラハラセクハラ行為で説教でいつも「勝者とは戦いの場に最後まで生き残っていた者」って意味すら分かってない出世哲学で誤魔化すのが町山智浩の本質だよ!」
「美術担当です。それでも限度超えた脚本です。予算限られてるんです。あんな美術の描写あったら浮きますよ。ファンタジー映画から安手の国産SFにいきなりなるんです。正直徒労感満載です。確かにテキトーに数値出しますよ。ロボットや怪獣さあ?でも背負い投げはないでしょう?数値の改正案出さないといけないんです。残るは失笑のみが『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN 』と『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』です」
「撮影監督だ!大概はこう言うのは脚本にいい加減な描写が多数あるからだ。描写って似るし被るから描写だよ!」
「俺は監督だ!ガーディアンパラダイスとヒーリングエデンは地獄のイメージだよ!これで片が付くよ!問題はウロボロスとジャンヌダルクだよ平和だけど陰謀が渦巻いてるしウロボロスのファンスとオーガとクリューガーとソーシアが事実上のトップでガーディアンとヒーリングすらも操ってる裏設定だよ!だからファンスとオーガとクリューガーとソーシアのエネルギー数値能力を決めなかったの!これも裏設定だがガーディアンとヒーリングが寄生してる相手がファンスとオーガとクリューガーとソーシアだよ!これも撮影監督と美術に意図話さないと描写で誤解されるからね」
「撮影監督だ!その意図なら取るべき道はオレンジの撮影だ!難しいがオレンジを基調とした暖色なら陽気だが狂気と殺意と悪夢が渦巻いてるからヴィットリオ・ストラーロで行くしかないだろうアニメでは誰もやらんしライティングまあ色彩設計難しいがなんにせよ!映画だ!条件は何処も同じだからアートアクションに出来るよ!『地獄の黙示録』が評価高いのはヴィットリオ・ストラーロの撮影技術が高度だから評価されただけの映画!ベルドナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』がアートアクションだよ!このオレンジの暖色で行く!誰もアニメで真似しないんだ!先にやった方が勝ちだ」
「美術です。F県は架空の県だが大まかは岐阜県に愛知県に三重県だ!そこでスケッチするよ!後は世の中「教会」「祭壇」「ウェディングベル」等結婚をモチーフにした演出を施した13~19歳の少年が3~9歳の幼女と結婚しハードSEXの圧倒的に膨らんでないおっぱいのイメージを散りばめるよ!正直『狼 男たちの挽歌・最終章』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』と変わらんがこれなら聖書マニアやファンタジーオタクやSFマニア騙せるモチーフ散りばめられるよ!これで良いんだよな?撮影監督さあ?これでいつもやってるのに描写にこだわる町山智浩は俺たちの仕事を奪うから素人以下の脚本にしかならないの」
「撮影監督だ!所詮は映画の荒らしが映画評論家だもんな?そりゃ破綻異常するよ!知識だけあってもしょうがないのが映画作りだよ」
「俺は監督だ!樋口真嗣ですらこうして口出さないの。言うとしても演出意図のみだよ!そうだよ!描写得意でも描写は写すだけだから描写に過ぎないの」
「美術担当です。言いたくないですがそれでも監督が言うように『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』は『装甲騎兵ボトムズ』に脚色するべきなのに町山智浩は言いたくないですがZ級映画ばかり見て「いつか不遇な僕にスーパーヒーローとお姫様みたいなスーパーヒロインの恋人がいたらいいな」が叶うから映画ですか?俺超ロリコンでコミックLO毎号欠かさず買ってますが町山智浩よりかはマシな人間だと自覚してます」
「俺は監督だ!反論の余地はない」
「文芸部です。定義と要約が出来てます」
「俺は監督だ!町山智浩がやったのはね?『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』あっただろう?樋口真嗣すらもわかるの?脚本家の渡辺雄介はもっとわかるの?そこに町山智浩が参加だよ?所詮は素人だよ?町山智浩はね?脚本家で呼んだの?町山智浩?台詞でキャラクター立たせて欲しいだけの作業だよ。脚本って行き着くところ台詞で描写するの。それで樋口真嗣は描写に力入れれるから特技監督で雇われてるの?樋口真嗣は描写上手いから特技監督やれたの?でも樋口真嗣は監督だから助監督がいないと何もできない?それ樋口真嗣は死ぬ程分かるよ。『シン・ゴジラ』も描写で庵野秀明の言いなりで『シン・ウルトラマン』も庵野秀明の言いなり。樋口真嗣がこの世で一番出来の悪い特撮は『シン・ゴジラ』と『シン・ウルトラマン』ってわかるの。金子修介で平成ガメラ三部作作ったからね?だから『のぼうの城』では描写に専念できたの?それだけの監督で渡辺雄介と事実上今回組むの。そこに町山智浩だよ?もうわかるように脚本は描写じゃないの?台詞なの?脚本で描写で似てると言っても描写でしかないから被るだけ「台詞考えてくれよ?」って樋口真嗣でも言うよ?樋口真嗣は描写が得意なのに描写にこだわった脚本だよ?渡辺雄介も普通は見捨てる現場だよ?樋口真嗣もこんな脚本じゃ一切使えないんだ。『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』と『BLACK LAGOON』の話なんで関係あると思う?俺のような監督と文芸部は大概こう言う中二病編集部や中二病映画評論家に悩まされるの?そう言う場合は大概描写に酔うのでも描写は似るから台詞が大事なの?そこで原作のキャラクターの隠れた魅力引き出すのが監督やシリーズ構成や脚本家や演出家はこれ考えてるの統計のリサーチだよ?『GUNSLINGER GIRL』の相田裕に現実突きつけるのも監督や脚本家や演出家の務めだ!ジャンの台詞「銃でも聖書でも人は殺せるだろ?」→「銃でも辞書でも人は殺せるだろ?」ってあるだろう!ローマンカソリックの歴史の多様性にモロ触れるから変えた!マッドハウス総動員で変えざる得ないよ!それでようやくアニメとして体裁を整えたの!無論原作者の相田裕は怒るよ?月刊コミック電撃大王編集部のオーダーで一期は二期を普通の美少女ガンアクション前提とした原作レイプ前提の美少女ガンアクションに移行したんだ!でも原作者の相田裕がこういう場合アニメに関わらせろと言うの?それで現実は美少女ガンアクションでワールドワイドなハードボイルドは不可能だった!って相田裕は厭でも納得して圧倒的に厳しい現実知って普通の漫画家に戻すのも俺のような監督やシリーズ構成や脚本家や演出家の役目だ!だから広江礼威の『BLACK LAGOON』の隠れた魅力や諌山創の『進撃の巨人』隠れた魅力が欲しいから原作レイプで魅力出すのそれがアニメや実写漫画映画の役割だよ。町山智浩は中二病の出鱈目以下のワールドワイドなハードボイル描いただけだよ!『SHIROBAKO』あっただろう!茶沢信輔ってよくいるの?大概はいい編集部ばかりだよ!原作レイプ見逃してくれるし寧ろ原作レイプしてくれって言うのそれがアニメ化だし原作の隠れた魅力出せるしそれでブースト掛けられるからね?大概1クールのみのアニメ化だが漫画やアニメやラノベやなろう系の隠れた魅力出すから一クールのみが大半で予算があれば二クールだよ!『BLACK LAGOON』も似たようなもん菅野光明は庵野秀明で死ぬ程嘲笑以下されてるよ?水島努にね。杉江茂ってベテランアニメーターで趣味でアニメーターだよ?東映アニメーションの人間紹介するのが普通だよ?それすらも出来ないくらい妄言語りまくりのわかわからんアニメーターでアニメ監督が庵野秀明だよ?杉江茂はもうロートルだから趣味でアニメーターだよ?普通紹介するか?武蔵野アニメーションに居るといえアニメーターは基本は集まること前提だから趣味でアニメーターの手伝いのみのアニメーターでその引退同然の人間を絵コンテの映像化を可能にする人物であるという事実を、いくつかのエピソードと共にあおいに伝えないよ?アニメの世界知ってたらこの設定で庵野秀明は嘲笑以下なの。アニメ業界で庵野秀明はね?だから『SHIROBAKO』ってアニメ業界ギャグアニメなの。断言した。水島努はギャグ専門職人監督だから?これ意味わかる茶沢信輔と庵野秀明さあ?茶沢信輔が『BLACK LAGOON』の編集部と町山智浩だよ?頭に「変な話」と付けて話すのが口癖で、メールの文面にも見られる。『第三飛行少女隊』のアニメ化については非協力的で、ミーティング後にも予定を入れるなど、自分のプライベートを優先している。原作者の野亀と武蔵野アニメーションとの間に立つ身でありながら、報告・連絡・相談を「面倒臭いから」怠り、あるいは握り潰していたため、双方の要望・意向がまるで通じ合わず、製作スケジュールを逼迫させる要因となったってこれ爆死アニメや空気アニメや原作改悪アニメやらもう山のようにアニメスタッフが言われる理由だよ。『SHIROBAKO』はアニメ業界ギャグアニメだがギャグだから現実見れるからね。『BLACK LAGOON』や『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』もこうして潰されたの?当然茶沢信輔に制裁あるよ?木下が直接野亀と面会したことで、彼のそれまでの所業が上司や野亀に明らかとなったってメディアミックスの事業だとアニメスタッフが原作者にチクるの!編集者が無能以下バカ以下だとね。メディアミックスだよ。『カジノ』のサム・ロスティーンことエースが生き延びるコツは全員が監視してるだよ?茶沢信輔は企画段階で始末完了されてるの。無論報告書で茶沢信輔は中二病の出鱈目以下のワールドワイドなハードボイルな無能以下のバカ以下編集者と出版業界でディスクロージャーされ原作売れなかったら『第三飛行少女隊』担当編集降ろされて雑用係以下が末路なの?出版社も何だかんだで会社だから儲けを多大に失った茶沢信輔は左遷なの?社長会議で満場一致で飼い殺しだよ?『BLACK LAGOON』の編集部も飼い殺しだよ!藤子・A・不二雄の短編の『何もしない課』に転属だよ!『BLACK LAGOON』の儲け失ったからな?ブーストは広告担当仕事奪ってプライベートと仕事ともつかない付かないダメ社員が編集の仕事である被らない作業とリサーチしてなく多大な儲け失ったら『何もしない課』飛ばすだけ?当然『BLACK LAGOON』も捨てるし広江礼威も捨てる。捨てる漫画家や編集者死ぬ程多いからね?だがダーク・ディグラーは広江礼威を救い心の指紋の海野あきらとファビオラ・マリセーと川口よういちと伊丹せつなは国連平和維持軍教務主任将校で三ツ矢圭一は国連平和維持軍法務士官で三ツ矢恵里子は国連平和維持軍総務部秘書課課長で海野剣は国連平和維持軍諜報部情報収集課課長で海野洋子は国連平和維持軍情報処理部門部長で大森太一は国連平和維持軍突撃班班長で大森良子は国連平和維持軍後方支援班班長でポリティカルフィクション漫画の超ロリコンSEXのエロ漫画任せて好き放題描かせるのみだ。今度は確実にアニメ化で広江礼威を超ロリコンエロラブコメの旗手にするだけ茶沢信輔や庵野秀明や『BLACK LAGOON』の編集部や町山智浩は『何もしない課』のオチに決まってる天野芳雄はホープNo.1と言われた男。しかし、杭州貿易会での仕事で末端を務めていたが日本物産にとられた影響で調査課に流された。営業課に戻りたいと思っていて妻や息子からは早く帰ってくる夫を良く思っている。細井茂は調査課で新聞の切り貼りをしている男。調査課の中では古参。昔は執行委員長を任されていたが10年間も会社と対立して調査課へ移された。これで円環構造出来るの?編集者なら円環構造は編集の基本と応用だ。そうそう調査課ってあるの!円環構造サイクル完璧なの。赤丸商事にある課の1つ。別名「姥捨て山」、「番外地」。所属している社員は定時まで仕事をせず帰る。これが、調査課である。トイレ以外での事情で部屋から出ることを禁じられている。調査課に所属すると受けが悪い。特赦というシステムがあり会社でめでたいことがあると古い順1、2人から調査課から移転される。しかし……。これで気が付かないバカ以下が茶沢信輔と庵野秀明と『BLACK LAGOON』の編集部や町山智浩で結末は。古参の細井が転属されなかった。代わりに田所が管理室へ移されて、細井は調査課課長に昇進した。が、細井は謎の自殺を遂げており天野はゾッとして細井の席に会ったスリーピングブックを取り出し新聞の切り貼りを始めた。会社にへばりつくため。こうして会社は茶沢信輔と庵野秀明と『BLACK LAGOON』の編集部や町山智浩を葬ってるのに新聞の政治やポリティカルフィクションや世界情勢に逃げていくの麻薬中毒者患者の末期の妄想のようにね。豊島ゆ~さくも同じで新聞で政治だよ?天野芳雄はいつもミスすら気が付かず細井茂になってることも気が付かず謎の自殺が末路と死だよ。だから人の話は聞くもんだよ?アマチュア遊び以下だと確実に天野芳雄気分で編集すると細井茂だよ。これも糞長くなったが現実だよ?どうせ誰もこの部分の議事録読まれないけど「ヤメサセテモライマース」と言いながら消滅させないのが『何もしない課』」
「美術担当です。その広江礼威も横領で横流しですよ!マジで超ロリコン性癖でホッとしてます。早くコミックLOの看板作家に広江礼威になってくれないかな?そうすれば『BLACK LAGOON』よりも面白い漫画描けます。言いたくないけどそこに井上智徳か?完売するな?コミックLO?」
「プロデューサーだ!反論の余地はない」
「文芸部です。定義と要約が出来てます」
「俺は監督だ!言いたくないが現実は圧倒的に厳しいから現実だ!分かったか?町山智浩に広江礼威?スーパーモデルエロは古今東西需要が無いからスーパーモデルエロで超ロリコンエロは古今東西需要があるから超ロリコンエロは超巨大産業なの」
エヴォルト(特殊進化)は偶然の産物でもカオス理論に照らし合わせれば必然だよ!そうカオス理論で誰でもミュータントなのにそれを忘れて底の浅い架空戦記や異世界転生ものに手を出す愚かな人間をマグニートーことマックス・アイゼンハートは煉獄に落としプロフェッサーXことチャールズ・フランシス・エグゼビアは『JIN-仁-』のドラマの決め台詞は「神は乗り越えられる試練しか与えない」だよ!その試練にプロフェッサーXことチャールズ・フランシス・エグゼビアは乗り越え試練に打ち勝ったものにしか天国へは歩ませないだけだ!正に神の論理が『X-メン』だよ!
「広告担当だ!表示」
「俺は監督だ!こりゃ酷いな捨て公開だ?」
「広告担当だ!グッズ収益に頼らないアニメ会社はこうなるんだ!広告しても高々知れてるんだ!言いたくないが『天元突破グレンラガン』の権利はガイナックスのものだし『天元突破グレンラガン』がこのような公開されてもトリガーには一銭も入らないしトリガーの生殺与奪権はガイナックスが持ってる『グリッドマン ユニバース』は金になったか?役目は『電光超人グリッドマン』に新設定入れる事だろうがこれじゃあ『電光超人グリッドマン』をアニメにしただけだ!『ダンジョン飯』はうえのきみこが現実言うのみだぞ!続編案出せませんと俺も許可しないぞ!監督の宮島善博はアイデア出して結果出せるんだろうな?しかも原作付きの漫画はトリガー初めてだそうだな?散々オタ芸ばかりやってきたトリガーが職人仕事なんかできるか!ガイナックスは地道に職人仕事やって『天元突破グレンラガン』やったら今石洋之と大塚雅彦にパア!にされてそれで挽回の為にまた職人仕事やったから『放課後のプレアデス』を任せたんだ!トリガーの奴ら甘えやがって『リトルウィッチアカデミア』でチャンス与えたのにパア!にしやがってマジで赦さんだけだ」
「俺は監督だ!『サイバーパンク エッジランナーズ』が致命傷だった!職人仕事の相手がCD Projektで大手海外ゲーム会社で捨て企画のゲームとは言え弁護士事務所と繋がってるのがゲーム会社で大手だから書類チェック怠ればその時点でOUT案件で後で何言われても文句言えないから原作レイプは慎重になるんだ!ゲーム媒体のアニメはね」
「ライン・プロデューサーのダイカンだ!こう言うのは私の仕事で書類の矛盾点がないかチェックだ!トリガーもバカだね?裁判になる前にペナルティー事項の事ばかりやらかしたら弁護士事務所の弁護士が差し押さえだよ」
「広告担当だ!だからトリガーは捨てた!職人仕事の一つも出来ない無能以下のバカ以下ですらない無能以下のバカ以下会社いらん!勝手に潰れろ!」
「俺は監督だ!山本寛もこうして捨てられたんだ!Ordetやトワイライト スタジオを潰され2019年9月、『魔法少女たち(仮)』の構想を発表。パイロットフィルム制作費用募集のためクラウドファンディングを開始し[35]、同年10月30日に約770万円を集め終了した[36]。2020年4月完成予定としていたが間に合わず、同年7月に「予算超過の危険性が出てきました」との理由からクラウドファンディングを再度開始し[37]、同年8月30日に約300万円を集めて終了した。からスポンサーやグッズ・担当と繋がる広告担当怒らせたらこうなるの見本が山本寛で無論山本寛のフォロワーは庵野秀明や宮崎駿と鈴木敏夫や岡田麿里やトリガーと懲りない面々が続いてるよ」
「ライン・プロデューサーのダイカンだ!言いたくないが私も怒らせたらこうなるが山本寛と庵野秀明や宮崎駿と鈴木敏夫や岡田麿里やトリガーと懲りない面々が続いてるよ」
「俺は監督だ!ライン・プロデューサーって映像事業の要で陽の当たらないポストだけど俺のような監督やプロデューサーの監視役でセカンドやサードやフォースや新人ディレクターや文芸部や統計や広告担当やグッズ・担当やスポンサーと繋がるからダイカンなの!格下の相手には強気な態度で接する横暴な人物として振る舞い、任務を果たせない部下に対しては冷徹に切り捨てるなど、恩情や仲間意識といったものは一切もたない。から務まるの」
「広告担当だ!トリガーもう駄目だな?中島かずきも別にトリガーに義理立てしなくても特撮でもアニメでも食えるしな?それに中島かずきもドラマの仕事よりもニチアサの仕事が食えるからな?『TIGER&BUNNY3』さあ?中島かずきもシリーズ構成参加しても良いか?ライン・プロデューサーのダイカン?」
「ライン・プロデューサーのダイカンだ!問題ない小中千昭と共同でやらせよう?シュテルンビルトの世界観掘り下げるには中島かずきの力が欲しい」
「広告担当だ!疲れるがこれも西田征史の負担軽減する為だし『TIGER&BUNNY』シリーズはニチアサだ!この手の仕事は増やしたい」
「ライン・プロデューサーのダイカンだ!監督は今まで通り無名でか?どの道西田征史はどんどん忙しくなる」
「広告担当だ!『天元突破グレンラガン』もこういう企画趣旨だったのに今石洋之と大塚雅彦がオタ芸に走ってパア!にしやがった!それで『ゾイドジェネシス』は俺も捨ててた企画だがエヴォルト(特殊進化)の設定はなかったから水野和則に感謝だが深夜アニメでもニチアサでもアメコミでも一切使われてない究極の秘宝の設定がエヴォルト(特殊進化)だぞ!」
「ライン・プロデューサーのダイカンだ!だから子供向け番組真面目にやるだけでこういう私でも見落とす究極の設定が見つかるから子供向け番組は偉大なんだ」
「広告担当だ!言いたくないが庵野秀明と山本寛と宮崎駿と鈴木敏夫や岡田麿里やトリガーもエヴォルト(特殊進化)出してないから行き着く所は「無能」と罵られ、挙句「君は死ぬまで病院で寝とれ」と蔑まれ自身の経歴に「解雇」という傷がついた上、さらに「退職金」として回収不可能な不良債権の束、10億5200万円分を押し付けられしかもこれ表沙汰にはならず!最期は、雨の降る公園でブランコに乗ったまま息絶える悲惨以下の末路と悲惨以下のナレ死ですらない死が現実なの!しか残らないが悲劇にも見えるが大爆笑出来るのも現実だ」
「俺は監督だ!水野和則は2017年3月19日死去、51歳没[4][リンク切れ][5]。だよ!何時もそうだよ!世界で偉大な発明した人って報われないまま死ぬけど監督作二作で亡くなったが『ゾイドジェネシス』は復活出来るよ!エヴォルト(特殊進化)考えたんだからね。言いたくないが歴史に埋もれるアニメが『天元突破グレンラガン』だしトリガー作品だよ!宮崎駿作品も同様だ!それは手塚治虫の作品が読まれなくなったのと理由は同じだ!石ノ森章太郎は『サイボーグ009』と仮面ライダーで生き続けることは事情は違うけどエヴォルト(特殊進化)で『装甲騎兵ボトムズ』作れるし『ガサラキ』作れるし『ジョジョの奇妙な冒険』作れるし『ブレイド』も作れるんだ!水野和則こそ『Re:CREATORS』だ!」
「広告担当だ!何時もそうだよ!それ忘れた漫画家が広江礼威だよ!エヴォルト(特殊進化)って誰も思いつかないからこそ思いついた水野和則は偉大なんだよ」
「俺は監督だ!エヴォルト(特殊進化)は偶然の産物でもカオス理論に照らし合わせれば必然だよ!そうカオス理論で誰でもミュータントなのにそれを忘れて底の浅い架空戦記や異世界転生ものに手を出す愚かな人間をマグニートーことマックス・アイゼンハートは煉獄に落としプロフェッサーXことチャールズ・フランシス・エグゼビアは『JIN-仁-』のドラマの決め台詞は「神は乗り越えられる試練しか与えない」だよ!その試練にプロフェッサーXことチャールズ・フランシス・エグゼビアは乗り越え試練に打ち勝ったものにしか天国へは歩ませないだけだ!正に神の論理が『X-メン』だよ!」
音楽って一事が万事この調子だから映像事業と音楽は切っても切り離せないから何時もこうして悩むの
「音楽担当だ!心の指紋二話で使う音楽はローリングストーンズの「ギミーシェルダー」表示」
「俺は監督だ!意図が分かった心の指紋三話で使う音楽はローリングストーンズの「黒くぬれ」か表示」
「音楽担当だ!どちらもダーク魔法少女アニメで使われてないから使うまでだ!ロックって意外と著作権料安いから効果的に使わないとな?クラシックはスタンダードで費用も莫大に掛かるから使えないよ!聖歌とかは使えるけどさあ?宗教音楽だからさあ?だから梶浦由記が『魔法少女まどか☆マギカ』や『鬼滅の刃』で注目浴びたの四話のコミケのバトル?ぷにケットに代わりそうだがまあいいや?ここは末廣健一郎に任せるよオーケストレーション効かせた曲書いてくれって頼むよ?合唱混ぜたら迫力増すからね。そこに高梨康治のキャラクターソングだ!これで盛り上げる寺田志保の曲でリミックスすればフェニックスの誕生だ!ここは『ゴールデンカムイ』のシャチをリミックスだ表示」
「俺は監督だ!基本四話のクライマックスの高寺のどかVSアルカイド戦は安月名莉子「Glow at the Velocity of Light」で固めたい!印象に残る曲だし武器は最大限使う表示」
「音楽担当だ!それで言えば四話の序盤はDropkick Murphys - I'm Shipping Up To Bostonで固める殴り込み用の音楽だがこのメロディーラインは混沌と騒乱の静寂さに相応しい表示」
「音楽担当だ!それで言えばEric Clapton - White Roomも使えるな?テロの騒乱で混沌さ出すのに適した音楽だ!このメロディーラインだ」
「俺は監督だ!マーティン・スコセッシっていつもVシネ企画ばっかりだがこうやって音楽の費用抑えてるのだから長生き出来るの予算抑えてこそ脚本だし監督だ!分かったか?町山智浩?『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』は音楽で予算抑えること可能だったんだ!こうして音楽担当と打ち合わせすればな」
「音楽担当だ!『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』は徒労にしか残らんからカモったよ!鷲巣詩朗とオーケストレーションの天野正道でな?基本は鷲巣詩朗はこういう場合は組むの?カモが来たってね?庵野秀明もそうカモった?カモにされてるとも知らない町山智浩は「いつもの『ビッグ・ヒット』のバカ日本人金持ち社長」だよ!呆れるくらいな!町山智浩はフレイザークでザボエラだ!ギャンブルしかやらないし後先考えないし残酷だしおまけにパワハラモラハラセクハラ行為で説教でいつも「勝者とは戦いの場に最後まで生き残っていた者」って意味すら分かってない出世哲学で誤魔化すのが町山智浩の本質だよ!表示」
「俺は監督だ!基本音楽は映像の命なんだ!元宝島編集者なら描写書く暇あるなら音楽指定やれよ!これだけで美術担当も撮影監督もフォースや新人ディレクターも大助かりなんだ」
「音楽担当だ!音楽はノリが命なんだよ言いたくないが洋泉社倒産に編集長・岩田和明の恫喝DM問題も天野正道のオーケストレーションで全部やれた!正直『この世界の片隅に』のコトリンゴはオマケだよ」
「俺は監督だ!疲れるが音楽ってノリが命だから脚本よりも手間暇かかるの労力半端ないしアイデアがすぐ浮かぶ時もあれば煮詰まる場合多数だ!マジで音楽業界の人間とは思えない杜撰な脚本だったぞ?『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』?渡辺雄介が事実上書いてるとは言え俺でも限度がある脚本だ」
「音楽担当だ!こういう場合は鷲巣詩朗の曲と天野正道のオーケストレーションのサンプリング聞いてご満悦なのが町山智浩だよ!当たり前田のクラッカー野郎みたいにモノ書くオタクの評論口調のエロ妄想バカは全員映像業界を知らない癖に金を稼いで一生遊んで暮らしたいだけだから『ビッグ・ヒット』でバカ日本人金持ち社長のように騙せるから映像産業が成り立つの?現実に映画失敗して切腹の最中に逆探知ホイホイシリーズですらない脚本の売り込みでまた借金で死ねないの?死なせないようにエロ妄想で金がなくなるまでそれでまた騙すの」
「俺は監督だ!音楽ってアイデア出ない時は悩むし煮詰まるの結局音楽はノリだからね!これでもアイデア多数の部類だよ!出来るだけクラシック使わないように努力するだけスタンリー・キューブリックも『2001年宇宙の旅』は広告映画だから音楽で金使えたけど『時計じかけのオレンジ』もクラシックだがコメディだしウェンディ・カルロスはウェンディ・カルロス(Wendy Carlos、1939年11月14日 - )は、アメリカ合衆国のシンセサイザー奏者、作曲家。元の名前はウォルター(Walter)で、1972年に男性から女性への性別適合手術を行った[1]。だからシンセサイザーで編曲したから音楽設備金掛けてないの!監督とは言えこれ知らないと音楽指定で食えないからね!だからスタンリー・キューブリックってZAZなの!低予算ブラックドタバタコメディだから生き延びれたの」
「音楽担当だ!基本は音楽に予算掛けちゃいけないから『アイズ・ワイド・シャウト』も「ベイビーベイビーダイド・バッド・シング」が主体だよ」
「俺は監督だ!音楽って悩むの?いつもね」
「音楽担当だ!こればっかりはマジで疲れる」
「俺は監督だ!音楽って一事が万事この調子だから映像事業と音楽は切っても切り離せないから何時もこうして悩むの」
いつも思うよヘブンズ・ドアーさえあればログやデーターや設定の編集楽なのにやらない町山智浩は映画学校さあ?授業~♪サボって~♪朝帰り~♪してただけだろう?会社も会社~♪サボって~♪朝帰り~♪だよ!『ホットショット』が町山智浩の人生だ!ZAZは町山智浩を映画にしただけだぞ!
「広告担当だ!「マグナカルタ」って雑誌の町山智浩の愛人に書かせた文マジで呆れる広告は常に不況とは関係なく存在してるんだ!言いたくないが映画秘宝もそう晒してて売らせた!映画も基本はグッズだ!今も昔も変わらんよ!監督は雇われだし賞はオマケだし興行成績=収益ではない韓国やインドはバブル期のJAPANなだけだ!だから俺が町山智浩を晒した!金輪際映画評論家名乗れんくらいな」
「俺は監督だ!「マグナカルタ」がヴィレッジブックス(villagebooks)は、かつて存在したフリュー株式会社の出版事業[1]。の雑誌だ!実話ジャーナルの雑誌でイッパツで消えた雑誌だ!瀬戸内寂聴も書いたことすら忘れて天国だ!瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日[1])は、日本の小説家、天台宗の尼僧。俗名:晴美(はるみ)。僧位は権大僧正[2]。1997年文化功労者、2006年文化勲章[3]。天台寺名誉住職、徳島市名誉市民[4]、京都市名誉市民[5]、二戸市名誉市民[6]。位階は従三位。天台寺住職、比叡山延暦寺禅光坊住職、敦賀女子短期大学学長を務めた。作家としての代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』など多数。1988年以降は『源氏物語』に関連する著作が多く、新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家である[7]。典型的な多作乱雑な作家でそもそも注目作は官能小説の「女子大生・曲愛玲」だよ!この程度なんだ文学の世界ってJ・D・サリンジャーが『ライ麦でつかまえて』が超ロリコンエロハーレムエロ小説書いたらマスターピースになれるの知ってる奴は知ってるよ」
「広告担当だ!だから町山智浩は滅ばないの?瀬戸内寂聴って代表作俺も知らんし世間も知らんが有難がってるだけだ!権威でな!その権威作り出してるのも俺だ!言いたくないがその権威のメッキが剥がれようとしてるのが宮崎駿だ!俺は知らんだけ!勝手に何囁かれようが知らんし現実の宮崎駿と鈴木敏夫のタイムリミットは過ぎようとしてるだけこうしていつもザボエラって大概は人生の一番苦しい時にツケが回ってくるよな?人生のツケは一番苦しい時に回ってくるもんだとミスト・バーンが言ってたがその通りだ!」
「俺は監督だ!全体像企画案にある程度キャラクターの作り方の工程や作業プランも載せて置いた応用や流用や転用が効きやすいようにな!それでも宿題は自分で解決しないといけないからな」
「広告担当だ!ありがとう!ジェームズ・キャメロンの『アビス』あったがCGの広告映画だよ!ジェームズ・キャメロンは『スフィア 球体』と被ったジェームズ・キャメロン監督が高校時代に書き記した短編小説を原作とし、自身の手でそれに新たな肉付けを施し映画化。だよ!『スフィア 球体』は『スフィア -球体-』 (Sphere) は、1987年に出版されたマイケル・クライトンによるSF小説。だから『アビス』は事前に著作権申請してない媒体だから『スフィア 球体』になって困るだけだよ!言いたくいが『スフィア 球体』と極力違う脚色求められたのがジェームズ・キャメロンで脚色したのは被りまくりの『未知との遭遇』だからBDが長年に渡り発売されなかった。2016年には、オリジナルネガからの4Kスキャンを経て修復作業中とキャメロン監督自身が語った[3]。2017年発売予定だったが現在でも発売未定である。同年、アメリカ国内ではDVD全フォーマット(スタンダードサイズ版や1枚・2枚版などがある)の廃盤が決定している。だから永久封印だよ」
「俺は監督だ!虚しくなるが『アビス』はキャラクターが分からん!『スフィア 球体』はキャラクターが命の脚色だぞ!俺らはキャラクターマジで考えたぞ」
「広告担当だ!それガイナックスが初期に企画してくれたら俺も売り易かったんだ!ガイナックスは初期は全部SFで『トップをねらえ!』さあ?若いオタク人気はもうないよ!懐古厨しか客来ないし『王立宇宙軍 オネアミスの翼』も売りはロケット発射のみで上映したけど『トップをねらえ! OVA前編』『トップをねらえ! OVA後編』がバンダイナムコアーツ配給で『王立宇宙軍 オネアミスの翼 4Kリマスター』はバンダイナムコフィルムワークスの4KUHD販売用劇場版だから全員懐古厨が客だよ!基本は客満席だよ!でもジージャンズや映画秘宝系しか客来ないよ!渡辺繁も百も承知だよ。バンダイの『王立宇宙軍』製作は、DAICON FILMの岡田斗司夫が渡辺のところへ企画書を持ち込んだことから始まる(渡辺はポピーでリアルホビーを担当していた頃、ゼネラルプロダクツ関係者と知り合った)[18]。渡辺は映画作りの素人ながら、役員会へのプレゼンテーションから作品完成まで3年間、GAINAXの制作を献身的にサポートした[19][20][21][22]。映画公開後は燃え尽き症候群から鬱病になり、7カ月間会社を休職した[23]。この頃の経験があまりにも濃すぎたので、『トップをねらえ2!』まで16〜17年間はGAINAX作品に携わらなかった。普通は燃え尽き症候群になるよ!全部渡辺繁が考えたんだからな!所詮はガイナックスは素人だからバンダイや『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のスポンサーに謝り倒しだぞ!そりゃ『トップをねらえ!2』で岡田斗司夫がいないとは言えODA儲からないのわかってるのに庵野秀明が監修だよ!しかも売りがないから懐古厨のみが客でしかも庵野秀明はヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズ始める始末だよ!ヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズも所詮は広告頼みの媒体で中身は素人の俺でも言えるがヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズはテレビでも放送事故以下だよ。そもそも『新世紀エヴァンゲリオン』やヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズで発売元はキングレコードでキングレコードは元来音楽会社でスターチャイルド(STARCHILD)は、1981年(昭和56年)から2016年(平成28年)まで存在した主にアニメ・声優・実写映画・ドラマ関連の商品や作品を取り扱うキングレコードの社内レーベル。正式名称は「スターチャイルドレコード」[1]。通称は「スタチャ」(すたちゃ)・「星の子」とも呼ばれる。キングレコードの内部組織としては本部に相当していたからサンライズが最初の取引相手で『機動戦士ガンダム』はサンライズはクローバーにプラモデルの商品化を打診していたが、「売れないキャラクターの商品を増やしてもしょうがない」と拒否された。そこでサンライズはクローバーの了解を得て他社にプラモの商品化を呼びかけた[10]。ところが本作のもう一つの版権元であり、版権窓口でもある創通エージェンシーはクローバーの玩具販売に悪影響が出る事を懸念し、アオシマにプラモ化を打診した。しかし、打ち切りが決まっていたため、次回作で模型化を行なうこととなり、ガンダムのプラモ化は断られた。そのような中でも創通は、『宇宙戦艦ヤマト』の模型を販売していたバンダイ模型に打診、長い交渉の末、1979年の暮れに創通が折れる形でバンダイ模型が商品化権を取得した[31]。こうして放映終了半年後に発売されたプラモデルが爆発的な売れ行きを見せ、ガンダム人気を広げる一助となったからバンダイがメインスポンサーだよ。広告担当として仕事取引先把握してないと出来ないの『新世紀エヴァンゲリオン』やヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズを裏で操ってたのは渡辺繫だよ。虚しくなるだろう?庵野秀明は大柿ロクロウと大差ないのにオタクは庵野秀明を神棚に飾ってるんだ」
「俺は監督だ!くだらないだろう?笑っちゃうくらいお決まり事だ。加瀬あつしの漫画みたいだ!ワンパターンのみ!ハッタリで全部解決『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や『トップをねらえ!』や『新世紀エヴァンゲリオン』やヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズってアニメくだらないよ!でも面白いよ!でもリアルだよ!岡田斗司夫や庵野秀明の名誉欲に溺れた末路がリアルなんだ嫌でもシェークスピアになる四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』そのものだ。つまらないことで全員転落でファミリーのサーガを愛憎、嫉妬、裏切り、復讐で起こる悲惨以下の末路と悲惨以下の死と死んだ後も死ぬ程笑えるように作ってあるからな?名称も王家や王族や皇帝や女帝や教皇や女教皇や王や女王のリアリティショーとして上演するんだ?しかも親切に呼び込みでオチも言うんだ?シェークスピアの格言がそれ?親切だろ?シェークスピア?でも王や女王も見るんだ?自分のリアリティショーね?それで感動してるんだ?偉大で歴史に残るってね?逆なのにね?それを観客である貧しい大衆が王家大爆笑を死ぬ程笑うんだ!それが渡辺繁の狙いだ!『新世紀エヴァンゲリオン』やヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズ『トップをねらえ! OVA前編』『トップをねらえ! OVA後編』や『王立宇宙軍 オネアミスの翼 4Kリマスター』はフェイントで岡田斗司夫や庵野秀明のサーガを笑うのが渡辺繁の本質だ!としか言えないよ!ならオタクの本音で騙す以外ないだろう」
「広告担当だ!心の指紋のメディア対応も考えないとな?どの道極秘でしかメディア対応出来ないしプロのライターに取材させてもいいがミーハーなのは困るし尾崎一男のようなライターなら良いよ!プロダクションの仁義守るのが尾崎一男だし柳下毅一郎や切通理作に取材させるか?二人ともピンク映画評論してるから心の指紋がチャイルドポルノだとわかるしメイキングを語っても全体像言えるのが柳下毅一郎と切通理作だよ」
「プロデューサーだ!それで困るのが岡部俊二でどの道さあ荒らすのが岡部俊二の本質でヨッシーや笠希々も同じだ!作画は良いよ!基本プリキュア作画だし見せ場のアクションでも釣れるアニメだ」
「俺は監督だ!ここまで工程やスケジュール組めれば神作画は出来て当たり前の企画工程立てたんだ!後はロケハンで制作スタッフが演出の全体像掴むだけで楽チン以下だよ!ハッキリ言って予算オーバーしない状況下も作ったから後はホワイト労働で暇潰し感覚で出社してもスケジュール守れるアニメーション工程作ったよ!正直ディズニーやピクサーって作画の工程に力入れてなくて文芸に力入れるのみだよ!ジェームズ・キャメロンの『アバター』シリーズも同じ作画に力入れるのはアメリカではリチャード・リンクレイターみたいなインディーズの監督のみが作画アニメ作るの!『ウェイキング・ライフ』や『スキャナー・ダークリー』ってサザエさんで神作画だから評価高いの!『ウェイキング・ライフ』や『スキャナー・ダークリー』ってアニメーターが全員沖浦啓之の現場だよ!日本のアニメオタクって『ウェイキング・ライフ』や『スキャナー・ダークリー』見ないからわかんないけど現実問題ジャパニメーションって『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は三級片のポルノだから売れた程度でしかないの!それ以上でもそれ以下でもないのは押井守と石川光久が一番よく知ってるから『ゴースト・イン・ザ・シェル』はスカーレット・ヨハンソン主演だからアメコミヒロインアニメだからホワイトウォシュが問題になったの?三級片のまま公開しちゃ不味いからホワイトウォシュが表面化して三級片の方が不味いだけでしかないからmixiのSFコミューンのSFオタクのねらーは売り上げだけで語るからお姉さんで騙し放題金儲け放題なの」
「プロデューサーだ!疲れるが三級片アニメオタクの岡部俊二やヨッシーや笠希々は何とかしないとな?」
「広告担当だ!一気に三級片アニメオタクの岡部俊二やヨッシーや笠希々は麻薬中毒末期以上の苦しみ与えて肉まんにする。どうせ消しても騒がれんし世間は無視するのが三級片アニメオタクの岡部俊二やヨッシーや笠希々だよ!岡部俊二の『東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B』を利用するだけだだ!三級片アニメオタクの岡部俊二やヨッシーや笠希々に取材依頼と称して呼び寄せそこで岡部俊二の『東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B』の記事で三級片アニメオタクの岡部俊二やヨッシーや笠希々を問い詰め暴力団関係者呼び寄せるだけで後は知らんが広告担当だ」
「俺は監督だ!疲れるがこの企画工程なら有名アニメーターが集まるし今の世の中『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』『チェーンソーマン』のような手抜き以下作画でも神作画だから有名アニメーターが生まれない世の中だ!板岡錦って原画で描写が上手いからプリキュアのバンクを任されてるだけだからアニメは何だかんだでキャラクターデザインなの!細田守はアニメーター出身で『遠い海から来たCOO』作画監督補佐だからアニメーターとしては絵が上手い程度だから!描写で勘違いするが行き着く所細田守の描写って深夜アニメ程度なの。『ガサラキ』の描写に一切勝てないのが細田守だよ!そうだよ!アニメーターは描写が必要だから資産なの。新海誠はコミックス・ウェーブ・フィルムの社員に過ぎないから雇われて監督するだけだからアニメーター大事にするの」
「広告担当だ!それで有名アニメーターで勘違いしたのが磯光雄だよ」
「俺は監督だ!同時に切り捨てることも出来るのもアニメーターだ!磯光雄も行き着く所御破算企画で史上最低の作戦で投了案件で後は洋ナシだよ!宮崎駿も御破算企画で史上最低の作戦で投了案件で宮崎吾郎に「煮ても焼いても食えぬ奴」で切り捨てるんだ!映像業界の滅亡迅雷.netの切り捨てのネットワークシステムを甘く見るな!宮崎駿に磯光雄!ついでに足立慎吾もアニメーター出身だし今石洋之もアニメーターでアニメーターは資産だが映像業界に叛逆すると滅亡迅雷.netの切り捨てのネットワークシステムが始動するんだ」
「広告担当だ!だからアニメーターは縁の下の力持ち程度の紹介で良いんだ調子に乗ると宮崎駿や磯光雄や今石洋之や足立慎吾だ!村瀬亜季と池田洋子が対応だ!それ以外ない映画公開後に話題になるからスタッフ全員がメディア出演でメイキング語ればいいだけだ」
「プロデューサーだ!メディア対応ってこういう事も考えて会議しないと荒らしが好き勝手に拡散して犯罪起きたら困るからこうして会議するの」
「広告担当だ!三級片アニメオタクの岡部俊二やヨッシーや笠希々以外にも荒らしがいることも想定してメディア対応やらないとな」
「俺は監督だ!言い訳や法的根拠がエヴェレスト級にある創作だ!抗議来ても事前にメイキング発表してあるから読まない連中が悪いだけで済むから契約書だし同意書だよ」
「プロデューサーだ!それでも文句や抗議があるなら裁判で裁判で勝つのは俺ら」
「広告担当だ!それも広告にするのが広告」
「俺は監督だ!広告担当って映画スタッフが予め用意した言い訳でメディア対応をプロデューサーと協議して取材させるライターや荒らし対策やスタッフのメディア出演のインタビュー内容チェックとかするからインタビューとメイキングの内容の語り口が少しでも違うとメイキングじゃないから会社の方針とは違うからBlu-rayやDVDのインタビューって正式なメイキングじゃないの。わかった?町山智浩が噓八百以下で映画評論してきた荒らしのテキヤのバカ編集者だったかね。いつの世も荒らしがいるからメディア対応って大変なの」
「プロデューサーだ!嘆きたくなるのは富野由悠季も宮崎駿も庵野秀明も関弘美も細田守も今石洋之も大塚雅彦も宇佐義大も長井龍雪や岡田麿里も山本寛も虚淵玄もニトロプラスも吾峠呼世晴もufotableも香村純子も安見香も足立慎吾も全部ダジャレだ!女の子向けアニメ特に魔法少女アニメ作ればロボットだろうがSFだろうが好き放題やりたい放題出来ただろうが!俺でも言いたくなる!「アニメと現実は違うんだよ!」」
「俺は監督だ!JKビジネスを真面目にやってたら性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし戦争真面目にやってたら性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だしJCビジネスを真面目にやってたら性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だしトレンディードラマで円環構造出来ないから出オチで性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だしJKビジネス真面目に考えたら性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし熱血で誤魔化すと性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だしプリキュアでJSビジネスで性春でDREAMS COME TRUEの現実は性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だしJKをアイドルにしてカリスマ監督気取れば性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし美少女と不幸とホラーとグロテスクで売ると性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし桃太郎のウーパールーパーで性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし正義と悪で性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし妥協したら性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だし新たなJKビジネス野郎も美少女ガンアクションで性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実になりそう」
「プロデューサーだ!全部性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実で片付けられるな」
「俺は監督だ!それしか結論残ないだろう?西崎義展も性懲りもない下ネタでナレ死ですらない死が現実だしさあ?」
「プロデューサーだ!だからテキヤ商売って行き着く先は西崎義展なんだ悲惨以下の末路と悲惨以下のナレ死ですらない死が現実なんだ!しかも最後の侮辱付き」
「俺は監督だ!どいつもこいつも最初は称えられ権威になりますし妬まれますが何だかんだで権威だからオタクは平伏するんです。どうせオタクはやらおん!のサイト覗いてそれで話題のアニメ決めるんです。シン・かわうそさんのアニメとアニメ映画の情報源どう考えてもTwitterとやらおん!だよ!しん・かわうそさんボンクラだから好みの萌えアニメ探すのにやらおんが手っ取り早いから利用してるだけで効率のいい萌えサイトがあれば移るのがしん・かわうそさんの本質で映画はミーハー感覚で映画仲間集めてTwitterの広告で決めるんです」
「統計だ!オリコン売上ランキングって意味ないぞ!純利益発表されてないからあれは素人が騒ぐだけの数字で円盤って同一店舗で円盤が10枚売れればハケンアニメ以上なんだ!アニメの円盤高いしお得感がないと手を出さないから円盤で見えない数字で純利益が出るからロリの裸がないと円盤は純利益出ないんだよ。現実言うなら3~9歳の幼女と13~19歳の少年がハードSEXして結婚のアニメ作ってどうせ円盤では規制が解かれるから3~9歳の幼女と13~19歳の少年がハードSEXして結婚のアニメで売れば儲かるのにどいつもこいつもお姉さんだ!お姉さんが厭だから3~9歳の幼女なんだろう!」
「プロデューサーだ!それ合法的に届けられるのが女の子向けアニメで魔法少女アニメだよ」
「俺は監督だ!だからガイナックスは『放課後のプレアデス』で魔法少女アニメを選んだの!魔法少女アニメじゃないけど魔法少女アニメだから宇宙船出し放題宇宙力学入れ放題これならロボット出してもOKなのが『放課後のプレアデス』だよ!あの設定ならロボット出しても違和感ないしそういう世界観だもん。庵野秀明さあ?佐伯昭志さまさまってインディーズだけど事実上山賀博之の弟子だよ!山賀博之の最高傑作が佐伯昭志さまさまだよ!山賀博之のプロデュース術は儲けは沈黙してる分大きいんだ!名声もな!それが山賀博之のプロデュース術だよ。逆に目立ち饒舌な奴ほどドーパントになるカラーのドーパントは庵野秀明だ!「さあ、お前(たち)の罪を数えろ!」山賀博之が庵野秀明に言う言葉だ!」
「プロデューサーだ!魔法少女アニメのプロデュース術は魔法少女の変身はエッセンスでお約束は確実に一話に一回魔法少女の裸入れ解けば成功なんだ!5回入れればエース演出家で監督任せてもいい要は裸にさせる必然性あればニチアサでも裸はOKなんだ!プリキュアでもな!抗議は都市伝説で抗議怖くてプリキュアのプロデューサー出来ないからな最も「女の子や優しくもなければ女神でもない」は超論外以下でノー眼中以下の体制で目を光らせないと暴行の上、生き埋めにして惨殺にされるのが映像業界だ」
「俺は監督だ!こう言う時は助監督と漫談して文芸部に「ダメです。」と言われてめげずに「プリキュアを裸にしても構いません」と文芸部に言われたら勝ちなの!プリキュアの現場ってこうなの!必ずプリキュアを裸にするアイデアをバンバン出さないと演出にならないからね。それで可能性潰してドラマ作ってエッセンスでバトルがあるだけそうだよ!セクハラでも性的搾取でも何でもないよ!逆にフェミニズムさんやMetooさんの言う通りに作ったら本当にセクハラや性的搾取になるからやるだけ!それ以上でもそれ以下でもないよ!それでフェミニズムさんやMetooさんの言う通りに作ったらフェミニズムさんやMetooさんからは及びもしない抗議や訴訟来るからやるだけだしどうせフェミニズムさんやMetooさんは訴訟出来ないから文句言ってるだけから無視以下だよ!女の子向け番組ってエロ確実に潰さないと訴訟になるから超ロリコンの性癖でないとやれないの!特に魔法少女アニメって可能性潰す必要あるからエロ考えるの。所詮は脊髄反射以下の連中がフェミニズムやMetooの名称がカッコいいから名誉欲で知名度上げたいだけだから逆に営業妨害で訴えるのみだ」
「文芸部です。その為に文芸部は存在します」
「アタシャ助監督よ!それが上手い演出家が原恵一よ」
「俺は監督だ!庵野秀明は逆に潰されたんだよ!可能性潰すのこの世で一番死ぬ程下手糞以下だから『新世紀エヴァンゲリオン』はエロ出してもオタクは騒ぐが冷静に考えたら必然性ないしエロくないしよくわからんし退屈以下だから『新世紀エヴァンゲリオン』は無以下に拍車が掛かり零以下になって最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」で『新世紀エヴァンゲリオン』はダジャレになったの!それで騒がれただけで新世紀エヴァンゲリオンブームだよ」
「アタシャ助監督よ!だから監督と助監督はロリコン漫談で超ロリコン漫談がエスカレートして会議でキャッチボール出来るようにして裏設定でも表設定でも使えるエロを予め考えとくの可能性潰せるし可能性広げられるからね。創作って行き着く所は超ロリコンチャイルドポルノなのそこから発想しないと多媒体の創作でも息詰まるしかないの。結局子供番組=チャイルドポルノと認識できないフェミニズムやMetooの新人は『ファントム・オブ・パラダイス』でお仕置きするの!本当に子供考えてるならエロ前提で考えない大人でないと可能性潰せる作り手になれるからね」
「俺は監督だ!助監督台詞長いだろう?そうだよ!倫理とか言うなら倫理を言って見ろ!全部エロだからエロでしかないから倫理だよ!エロ前提でないと倫理保てないから!倫理のみの奴は法にやられるんだよ!あっさりとな!こっちは子供扱ってるんだ!子供守るには最悪想定しないとやれないから最悪の解決策見つけ出すのが子供番組なんだよ!それを関弘美が腹立つのはトレンディードラマ感覚でやるなよ!全部最悪想定してないから行き当たりばったりなプロデュースしか出来ないまるで西崎義展そのものだ!吾峠呼世晴もそうだ!家族惨殺避けるのが少年漫画だろう!やる無能以下のバカ以下いるか?そもそもなんで竈門炭治郎は普通の少年で家の帰りの途中でなんで泊っていくんだよ?大正時代だから田舎とは言え交通網あるだろう!そもそも大正時代だから第一次世界大戦と日本の繋がりは深いぞ!ただでさえ問題ある設定やご都合主義塗れの導入部だ!要は『るろうに剣心』と桃太郎のダジャレが『鬼滅の刃』に過ぎないよ!こんなマンガがアニメの広告の鬼眼で国民的大ヒットだ!そりゃ『ヒーリングっど❤️プリキュア』も勘違いされるよな?一事が万事この調子で気が付きゃ著作権侵害や国際的訴訟の山だ!」
「プロデューサーだ!だからこういうufotableの現場ってさあ?シリーズ構成と脚本がufotableで訴訟来たら関わった連中声優の花江夏樹と鬼頭明里以外全員脱出して同意書書いてシラネーで著作権侵害や国際法廷やら近藤光とufotableは煉獄異常のこの世の地獄を見るぞ!だから漫画は内容読んでから選べプロデューサーで会社名義でシリーズ構成・脚本やったら近藤光含んだufotable全社員は白昼堂々街中で車で拉致して大衆の面前で暴行の上、生き埋めにして惨殺にして麻薬中毒末期以上の苦しみ与えて肉まんと特殊部隊なり傭兵が近藤光含んだufotable全社員を志々雄真実のように近藤光含んだufotable全社員をハチの巣だぞ!だからプロデューサーと文芸部は犬猿の仲異常である必要があるんだ!こうならないためにもな」
「秘書だ!こんな連中に何言っても無駄だ!一般人は広告の鬼眼でオタクは売り上げの鬼眼で評価するんだ!バカバカしい!」
「広告担当だ!それで捨てる時はあっさり捨てるのも一般人だしオタクの本質だ!滅亡迅雷.netの切り捨てのネットワークシステムってそんなもんだ!最も気が付いた時には一般人もオタクも滅亡迅雷.netの切り捨てのネットワークシステムで切り捨てられてるのが広告の本質だ!」
「プロデューサーだ!足立慎吾も庵野秀明みたいにダジャレになるな?可愛そうだがしょうがない!」
「セカンドのパップルです。足立慎吾はフラクタル(絵コンテ・演出・第二原画 #4 )のみしか演出経験ありません。正直素人です。『フラクタル』は設定がない現場に導入されて絵コンテ・演出ですよ?これアニメーターがどうにかなる現場じゃありません。それで『リコリス・リコイル』です。言いたくないですが『リコリス・リコイル』は政治とか本当に考えて美少女ガンアクションしたんですか?オタクは騙せても日本のアニメはネット配信されてますし『リコリス・リコイル』も所詮は三級片です。しかも作画監督体制は何度も言いますが完全崩壊です。続編不可能ですしどう続編作るんですか?こっちが聞きたいくらいです」
「俺は監督だ!演出家も監督業も可能性潰してこそ演出だし監督業だ!コミケで『リコリス・リコイル』のスタッフ本出た時点で『リコリス・リコイル』は金輪際作られないしA-1 Picturesも足立慎吾は雇わないしアニプレックスも安済知佳と若山詩音の元は取ったから撤退で後は小遣い稼ぎと次に来るべき美少女ガンアクションで美少女ガンアクション作れる連中の品定めするべく細心の注意払うだけ」
「秘書だ!言いたくないが最悪考えるの誰でも出来るのに何で誰もやらないんだ!事なかれ主義で他力本願だから「いつか不遇な私にスーパーヒーローの恋人がいてスーパーヒロインみたいなお姫様にしてくれたらいいな」や「いつか不遇な僕にスーパーヒーローとお姫様みたいなスーパーヒロインの恋人がいたらいいな」思考だから山田太郎や赤松健や安倍晋三に心酔か?そりゃ『鬼滅の刃』が国民的漫画になるよ?絵は死ぬ程下手糞で大正時代は後から考えた設定で全部後出しジャンケンとしか思えない設定で厭になるしこれなら幼稚園児のプリキュアのお絵かきがまだ現代アートだよ」
「俺は監督だ!怠け者の大人が多いからJAPANなの」
「プロデューサーだ!所詮は西崎義展も行き着き先はテキヤで裁判沙汰で松本零士は基本はギャグマンガ家だからギャグキャラの描いただけなのは島本和彦知ってるから『機動武闘伝Gガンダム』のキャラクター原案で漫画も執筆だよ!島本和彦ってサンライズやら石ノ森プロと繋がり深いからパロディーやオマージュでもギャグで批評に出来るから優れたマンガ家なの。この感覚で庵野秀明と渡り合ってるのが島本和彦で全部ギャグだから同人誌もギャグで商業出版もOKなんだ!定義と要約出来てるからな!プロデューサーも人脈広いから島本和彦伝説は滅亡迅雷.netは最強恐怖ネットワークシステムだとプロデューサーやってればわかるよ!サンライズは『機動武闘伝Gガンダム』は最初から『ドラゴンボール』のダジャレ想定してたからキャラクター原案島本和彦だよ」
「俺は監督だ!わかっただろう?『機動武闘伝Gガンダム』熱狂してた富野由悠季や庵野秀明や『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の裸の連中や『ガサラキ』や『20世紀少年』をバカにした架空戦記オタクの町山智浩や高橋ヨシキや中原昌也や岡田斗司夫や飛龍乱や宇津見やヨコヤマや高塚金次郎や塩田多段砲やドードーやジャラル連中さあ?所詮はギャグマンガにマジになって人生踏み外しただけにしか過ぎないんだ!プロデューサーの嘆きわかるだろう?所詮はギャグマンガで釣れるからギャグマンガは飽きたら捨てられるから新たなギャグマンガが欲しくて『機動戦士ガンダム』で架空戦記で『超時空要塞マクロス』で『王立宇宙軍 オネアミス翼』や『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』や『トップをねらえ!』や『新世紀エヴァンゲリオン』に熱狂してただけのギャグマンガのギャグに過ぎないのが『機動武闘伝Gガンダム』な富野由悠季や庵野秀明や『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の裸の連中や『ガサラキ』や『20世紀少年』をバカにした架空戦記オタクの町山智浩や高橋ヨシキや中原昌也や岡田斗司夫や飛龍乱や宇津見やヨコヤマや高塚金次郎や塩田多段砲やドードーやジャラル連中でしかないよ!当然今の世の中は『機動武闘伝Gガンダム』な富野由悠季や庵野秀明や『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の裸の連中や『ガサラキ』や『20世紀少年』をバカにした架空戦記オタクの町山智浩や高橋ヨシキや中原昌也や岡田斗司夫や飛龍乱や宇津見やヨコヤマや高塚金次郎や塩田多段砲やドードーやジャラル連中を切り捨ててるのが滅亡迅雷.netの切り捨てのネットワークシステムなのが映像業界の本質なの」
「プロデューサーだ!呆れるがギャグマンガで本気で戦争出来たり社会問題勝てれる気になる連中をカモにしたいがこちらがカモにされるのは西崎義展見てればわかるし俺らが今度は合法的に庵野秀明をカモれるんだ!」
「文芸部です。知的財産権に関する特記とあるように『宇宙戦艦ヤマト』は1990年代末以降、譲渡契約の正当性や翻案作品製作、著作者表示など、著作権やその他知的財産権をめぐってトラブルや訴訟が頻発した[58]。2009年に公開された「宇宙戦艦ヤマト復活編」以降の作品については、全ての権利関係がクリアになりトラブルは起こっていないです。要は西崎義展は著作権管理が出来てなかったからこのような『宇宙戦艦ヤマト』訴訟が『宇宙戦艦ヤマト復活編』までクリアーになっておらず事実上『宇宙戦艦ヤマト復活編』のみの権利が西崎義展にすらなく西崎義展は悲惨以下の末路と悲惨以下のナレ死ですらない死が現実です。心の指紋はカラーや庵野秀明の個人資産は完全切り取り放題です。キャラクター原案がこちらにあります。字のみのメイキングですが立場や肩書や人間関係が明確です。庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクター原案を提出しないとこちらは字ですから具体的にキャラクターもわかり肩書もわかります。未完成のキャラクターでも定義と要約があります。そう定義と要約を裁判所に提示すれば即判決で勝訴です。文芸部は商売は管轄外です。言えるのはカラーや庵野秀明の助かる道は一つダーク・ディグラーに一円渡すだけで庵野秀明はダーク・ディグラーの犬以下になり権利渡す事です」
「プロデューサーだ!文芸部とは基本犬猿の仲異常だが手助けしてる時には手助けしてくれるから助かる」
「広告担当だ!これがリサーチだし編集だ!実話ジャーナルじゃやれないの」
「俺は監督だ!いつも思うよヘブンズ・ドアーさえあればログやデーターや設定の編集楽なのにやらない町山智浩は映画学校さあ?授業~♪サボって~♪朝帰り~♪してただけだろう?会社も会社~♪サボって~♪朝帰り~♪だよ!『ホットショット』が町山智浩の人生だ!ZAZは町山智浩を映画にしただけだぞ!」
騎士は確実に勝てる人間のみしかサー称号は得られないからな?それだけ負けるんだ?イギリスはね?百戦錬磨で勝つ投資家がラリー・ワイルドマンだよ?ゴードン・ゲッコーにキレてピンチのふりして完全敗北させて始末完了するんだ!神だから?『ウォール街』そのものだよ?
「広告担当だ!『UFOロボ グレンダイザー』のリブートとなるテレビアニメ『グレンダイザーU』が放送予定[6]。だがダミーだ!表示」
「俺は監督だ!『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』に『グレンダイザーU』と福田己津央も大変だな?どれも徒労にしか残らない仕事で普通のロボットアニメ作れれば万々歳の現場だがシリーズ構成・脚本に大河内一桜だ!福田己津央が事実上シリーズ構成・脚本したい案件だよ!役得はあるよ?キャラクターデザインの貞本義行に3~9歳の美幼女の裸やオマケの女子高生の裸描かせてしずかちゃんのお風呂で3~9歳の美幼女の裸やSEX大乱交叩き込めば貞本義行も伸びるの!だからガイナが制作してるんだろうがさあ?そりゃ田中公平のノリのいい音楽でパズるけどさあ?言いたくないが『放課後のプレアデス』の制作準備で忙しいなんてガイナックス言えないよな」
「広告担当だ!それがメインで東映アニメーションから普通はこんなのガイナ依頼は受けないよ?受けなきゃ不味い案件だ!木下グループがバックだからな!ガイナのバックはな?ガイナ取締役社長は木下直哉で木下 直哉(きのした なおや、1965年11月16日[1] - )は、日本の実業家、映画プロデューサーである。株式会社木下グループ代表取締役社長兼グループCEO。福岡県苅田町出身[2]。だよ!東映とも繋がりのある会社で株式会社木下グループ(きのしたグループ)は、東京都新宿区に本社を置く持株会社。ハウスメーカーの木下工務店などを傘下に置く。ある種の巨大企業だ!要はM&A専門の会社が木下グループだ!2018年7月26日 - アニメーション制作会社・株式会社福島ガイナックスの株式を100%取得、グループの子会社とする(公式発表は同年8月20日)。だ!どの道東映や東映アニメーションにM&A狙ってるが無駄以下だ!俺らが指摘した問題点指摘したらばとっくの昔に東映や東映アニメーションをM&Aしてるよ」
「俺は監督だ!そこにプリキュア撤退作戦で木下グループにチャンスが回ってきたか?だから『放課後のプレアデス』か?」
「広告担当だ!美味しい所のみは頂く木下グループはM&A専門会社だから資産はあまりないからこっちがガイナやガイナックスのバックになるだけだ!それにこっちがバックになった方がガイナックスやガイナもやりやすいからな」
「俺は監督だ!これがM&Aの世界だ!逆にやられるからM&Aは怖いの?だから隙作っちゃいけないの!オリバー・ストーンの『ウォール街』のラリー・ワイルドマンってサーの称号(ナイト位)を持つイギリス国籍の投資家。騎士は確実に勝てる人間のみしかサー称号は得られないからな?それだけ負けるんだ?イギリスはね?百戦錬磨で勝つ投資家がラリー・ワイルドマンだよ?ゴードン・ゲッコーにキレてピンチのふりして完全敗北させて始末完了するんだ!神だから?『ウォール街』そのものだよ?フランス系イギリス人の金融家ジェームズ・ゴールドスミスがモデルとされる。ジェームズ・ゴールドスミス(James Michael "Jimmy" Goldsmith、1933年2月26日 - 1997年7月18日)は、フランス生まれで、フランスとイギリスの国籍を持つ億万長者の実業家 、欧州議会議員であり、政財界の大物として知られる[1]。ユダヤ人であり、ロスチャイルド家の親戚である[2]。」
「広告担当だ!ジェームズ・ゴールドスミスのキャリアは親の資産を受け継ぎ数多くの企業を経営するほか、ニューヨークのウォール街やロンドンのシティーをまたにかけた投資家で大富豪としても知られ、1986年にアメリカのタイヤメーカーであるグッドイヤーに対して行った買収劇、世界最大のタバコ会社にであるブリティッシュ・アメリカン・タバコの買収劇、フランスの雑誌「レクスプレス(フランス語版)」の買収、エッフェル塔の25%を買収など、自らが率いる投資会社による数多くの仕手戦で、その名が世界のビジネスマンの間で取りざたされた。また、ヨーロッパ第3位の食品会社であるカヴェナム・フーズ(英語版)をまたたく間に創り上げ、アメリカの貴金属商のハンディー・ハーマンを動かし、イギリスのマーチャント・バンカーとして南アメリカに巨大な利権を持つハンブローズ銀行(英語版)をパートナーとしていた。世界の富豪が脱税のために利用するカリブ海のケイマン諸島で、「ケイマン・アイランズ社」の社長として君臨した。1987年のウォール街「ブラックマンデー」の株価大暴落においても絶妙のタイミングで売りに出て莫大な利益を手にした[2]。アラブ・ブリヴェ銀行の経営者とは、30年来のビジネスパートナーであった。また、ヨーロッパのみならず、世界を驚愕させた大スキャンダルであるバチカンの資金管理を行う銀行であったアンブロシアーノ銀行の頭取で、秘密結社「ロッジP2」の主要メンバーであったロベルト・カルヴィの暗殺事件においても関与が噂された。晩年には政治家となり、政治活動に力を置いたものの、雑誌出版社の経営にも力を入れていた。1994年に、欧州議会議員のフランスの代表として選出された。そしてイギリスに、短命に終わった欧州懐疑主義の国民投票党(英語版)を設立した。フランスとイギリスの冥竜王ヴェルザーだ」
「俺は監督だ!木下直哉は隙を作った大河内一桜だ!『機動戦士ガンダム 水星の魔女』以外にもキャリア調べれば採用しない脚本家人事だよ」
「広告担当だ!この際木下グループも奪ってやるM&Aしか能のない会社はいらん!木下工務店は不動産主体だからそこからも切り崩せるこの手の会社って中途半端にスポンサー面するからメインスポンサーから蛇蝎の如く嫌われるから俺たちの忠言で木下グループはお終いだ!M&A専門企業だから余計にだ!そこで木下グループの切り取りだ!俺らが欲しいのはガイナックスやガイナのみだ!後はメインスポンサーに贈呈だ!恩を売れる」
「俺は監督だ!ガイナックスも俺らのものになった」
「広告担当だ!隙を作るから悪いだけ俺は知らん」
「俺は監督だ!騎士は確実に勝てる人間のみしかサー称号は得られないからな?それだけ負けるんだ?イギリスはね?百戦錬磨で勝つ投資家がラリー・ワイルドマンだよ?ゴードン・ゲッコーにキレてピンチのふりして完全敗北させて始末完了するんだ!神だから?『ウォール街』そのものだよ?」
M&Aのコツはチャンス到来!パンチ頂戴!全部頂戴だ!『ジュエルペット てぃんくる☆』毎回見てれば誰でもM&A出来るよ!毎回思うのは岡部俊二はアンへリナ・ベルトランのエネルギー数値能力は毒をコントロールし一定時間または行動毎に体力・エネルギー数値能力を減少させる。を味わうのが欲望に負けた人間の証明だ!
「美術担当です。『映像研に手を出すな!』は脚色や描写で原作レイプしないとよくわからない漫画です。言いたくないですがさかき・ソワンデ生徒会書記。ナイジェリア人[18]で、浅黒い肌に黒髪。生徒会のブレーンで会長より目立つ存在。何かと映像研の活動に注文をつけようとする。自動車の運転が出来る(校内の敷地では普通免許が不要なため)。って何ですか?芝浜浅草たちが暮らす町。町の大半が丘陵地で、たぬきなど野生動物が住む森がある[20]。って何ですか?アニメでも問題事項多数の設定で実写映画でもツッコまれまくりの設定ですしキャラクターなのがさかき・ソワンデです。舞台設定真面目にやってください!。湯浅政明の身にもなってください!こんな全方位で抗議来る原作例えアニメーション制作でもやりたくない仕事なのが『映像研に手を出すな!』です」
「広告担当だ!大童澄瞳は小学館の隙の一つだよ。コミティア出身なのが大童澄瞳だよ!正直雁屋哲や真鍋昌平や広江礼威の傾向から考えて大童澄瞳も横領で横流しだ!言いたくないがサブカル漫画がパズった程度で『映像研に手を出すな!』のブーストもどの道上手く行かん『映像研には手を出すな!』(えいぞうけんにはてをだすな!)は、大童澄瞳による日本の漫画作品。『月刊!スピリッツ』(小学館)にて、2016年9月号より連載されている[1]。作者の第1作目の漫画連載作品。人並み外れた空想力を持つ浅草みどり、金儲けが好きな長身の金森さやか、カリスマ読モだがアニメーター志望の水崎ツバメの3人を主人公に、女子高生によるアニメ制作活動を描くストーリー作品。TV Bros.(東京ニュース通信社)のマンガ賞「ブロスコミックアワード2017」大賞を受賞[2]。2020年9月時点でシリーズ累計発行部数は100万部を突破している[3]。どの道月刊!スピリッツで打ち切られる漫画が『映像研に手を出すな!』だ!『闇金ウシジマくん』の事業はテレビドラマは『闇金ウシジマくん』も『映像研に手を出すな!』もMBSだ!参ったな?繋がった!MBSのドラマ事業から横領だ!これも報告だ!『映像研に手を出すな!』は怪しい原作だと思ったら小学館の横流し事業だったか!挙句は『葬送のフリーレン』はしょうがないからエバン・コールに寄こしたよ!小学館が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』路線でパズりたいからと正直覚悟しろ小学館!エバン・コールも嫌気差すんだよ!毎回『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』みたいな曲さあ?これでM&Aのネタ増えたな」
「俺は監督だ!美術担当さあ?演出家にならない?ここまでクリアー要素分かってれば演出出来るよ」
「美術担当です。今は美術が楽しいですが考えます。にしても湯浅政明も大変ですね。この手の横領案件のアニメ仕事の後に大炎上するの知ってて監督するんですから湯浅政明は本気で尊敬します。宮崎駿と鈴木敏夫と富野由悠季や庵野秀明や細田守は逃げてばっかです。しかも意味不明領域の説教です。言いたくないですがそういう宮崎駿と鈴木敏夫と富野由悠季や庵野秀明や細田守は説教して無様に逃げてるだけです。湯浅政明は毎回普通に監督してます。得意ジャンル活かしてね。そう考えたら作画のスペシャリスト関係ないですね。楽しんで仕事するだけです」
「俺は監督だ!それやりたくてもやれないんだよ?大童澄瞳って「いつもの大童澄瞳」に過ぎないんだよ?どの道小学館の横領の道具にされたのが大童澄瞳で気が付けば『ファントム・オブ・パラダイス』でお仕置きのエンドレスエイトだよ!それがパズった代償だよ!隙作るような漫画作る大童澄瞳が一番悪いけどさあ?言いたくないが創作は隙作られたら一巻の終わりなの?」
「美術担当です。言いたくないですがこれじゃあ原作レイプしても現実は圧倒的に厳しいから現実しか提示できないじゃないですか?」
「俺は監督だ!コミティアの漫画家だ!オンリー同人作家だ!要は高橋哲哉と大差ないから大童澄瞳だよ!それがパズっただけだ!代償は払うんだ!アンへリナ・ベルトランのエネルギー数値能力は毒をコントロールし一定時間または行動毎に体力・エネルギー数値能力を減少させる。を味わうのが欲望に負けた人間の証明だ!無論雁屋哲や真鍋昌平や広江礼威や小学館もアンへリナ・ベルトランのエネルギー数値能力は毒をコントロールし一定時間または行動毎に体力・エネルギー数値能力を減少させる。を味わうのが欲望に負けた人間の証明だ!」
「美術担当です。それで言えば『【推しの子】』ってルビー / 星野 瑠美衣は転生前の名前は天童寺さりな(てんどうじ さりな)。さりなはアイと同い年でアイを敬愛するアイドルオタクだった。ゴローの勤務する病院で闘病生活を送っており、ゴローのことも慕っていた。しかし、アイの出産の4年前に死亡する。享年12歳[34]。死因は退形成性星細胞腫。神経膠腫(しんけいこうしゅ、グリオーマ、glioma)とは、脳実質から発生する脳腫瘍および髄内から発生する脊髄腫瘍のうち、グリア細胞(膠細胞)由来のものを指す。だよ!星細胞系腫瘍は悪性度によって上記の4種に分けられる。毛様細胞性星細胞腫はgrade I,びまん性星状細胞腫はgrade II、退形成性星細胞腫はgrade III、膠芽腫はgrade IVの悪性度とされる。脳腫瘍(のうしゅよう、英語: Brain Tumor)とは、脳の疾病のひとつで、頭蓋内組織に発生する新生物(腫瘍)のことを意味する。すなわち、脳腫瘍は脳細胞だけでなく、硬膜、クモ膜、頭蓋内の血管や末梢神経、その他の頭蓋内に存在するあらゆる組織から発生する。発生頻度は毎年約10万人に12人の割合であるとされている。具体的な発生要因は明らかではない。これも山本弘問題で異世界転生前の記憶が簡単に覚えてるわけないし一切記憶ない病気だから退形成性星細胞腫です!この時点で設定もディティールも出鱈目以下の出オチ以下マンガですよ?『映像研に手を出すな!』同様のね?褒めてるバカ居ますか?」
「広告担当だ!褒めてるバカ居るよ!ヒナタカ事岡部俊二表示」
「美術担当です。設定考えたら安易な異世界転生なのが『【推しの子】』です。設定見ないことには描写出来ないのが美術担当です。赤坂アカと横槍メンゴと集英社が100%悪い案件です。どうせ『映像研に手を出すな!』の『ファントム・オブ・パラダイス』でお仕置きのエンドレスエイトが起きたら掌返しで叩くのが岡部俊二です。」
「広告担当だ!だから命の保証がないの?ネットライターはね?訂正出来ないから掌返しやったら過去記事が掘り返されて『聲の形』が現実になるだけだ!そうやって映画秘宝も潰した」
「俺は監督だ!言いたくもないが小学館隙が多いな?」
「広告担当だ!それがM&Aの世界だ!だからオリバー・ストーンの『ウォール街』のラリー・ワイルドマンってサーの称号(ナイト位)を持つイギリス国籍の投資家。騎士は確実に勝てる人間のみしかサー称号は得られないからな?それだけ負けるんだ?イギリスはね?百戦錬磨で勝つ投資家がラリー・ワイルドマンだよ?ゴードン・ゲッコーにキレてピンチのふりして完全敗北させて始末完了するんだ!神だから?『ウォール街』そのものだよ?」
「俺は監督だ!M&Aのコツはチャンス到来!パンチ頂戴!全部頂戴だ!『ジュエルペット てぃんくる☆』毎回見てれば誰でもM&A出来るよ!毎回思うのは岡部俊二はアンへリナ・ベルトランのエネルギー数値能力は毒をコントロールし一定時間または行動毎に体力・エネルギー数値能力を減少させる。を味わうのが欲望に負けた人間の証明だ!」
こうやってM&A出来るけど肩書や立場で舐められるけど裁判所が認められたら肩書や立場っていざ裁判所が認めたら目くそ鼻くそ以下だよ
「広告担当だ!試しにデスクワークで真鍋昌平の『九条の大罪』調べた!2023年7月の時点で累計部数は210万部を突破している[2]。『闇金ウシジマくん』は2022年3月時点で累計発行部数は2100万部を記録している[3]。冗談抜きで『九条の大罪』もメディアミックスねらってるな?」
「文芸部です。監督文芸部が腕によりをかけて殺したいのは真鍋昌平です。『闇金ウシジマくん』に『九条の大罪』です。面白いですよ。『闇金ウシジマくん』の取材協力者はもう突っ込みどころ満載表示」
闇金ウシジマくん
取材協力者[編集]
「END」と書かれている最終ページの下には、作者が物語の制作のため取材してきた人物たちが記名されている。以下に「取材協力」の文字の下に書かれている人物の名前を表記した。
島田文昭(全巻の取材協力をしている)
夏原武(島田同様、全巻の取材協力をしている)
松永達也(33巻から取材協力をしている)
「文芸部です。面白いですよ。夏原武です」
夏原武
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出典検索?: "夏原武" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年6月)
夏原 武(なつはら たけし、1959年 - )は、ライター、漫画原作者。千葉県出身。
来歴[編集]
父はゼネコン系の設計コンサルタント会社で理事[1]を務めた。19歳の時に桜美林大学文学部中国文学科を1年生の途中で中退し、東京の下町にある的屋系の暴力団に加入[2]して約10年間ノミ屋、債権回収、地上げなどを行い[3]、当時はバブル経済の時代で毎月の収入は600万円から700万円であった[4]、と自称している。のちにビデオ専門雑誌編集者を経てフリーライターとなり、裏社会やアウトローに関した題材を得意として『別冊宝島』などで執筆した。
パソコン通信とインターネットを黎明期から使用し、アンダーグラウンドな側面を『裏パソコン通信の本』(宝島社)、『裏インターネットの本』(三才ブックス)、『危ないミクシィ 大流行!SNSの闇』(洋泉社)など多くのムックに寄稿した。
1990年代の中期にPC-VANで「地獄の道化師」のハンドルネームで活動し、オンラインマガジン『おまんたマガジン』第1号に「アニメカンパニー/“超民主主義”のなれのはて」を発表したほか、菜摘ひかるの才能を見出した。
2003年から『週刊ヤングサンデー』で、詐欺を主題とする漫画『クロサギ』の原案を担当して2007年に小学館漫画賞一般向け部門を受賞し、肩から腿に掛けて入れ墨を施した。2006年4月からTBSでテレビドラマ化された際に、シロサギ役で特別出演した。
著書[編集]
現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術(宝島社)
ザ・闇金融道(宝島社)
サギの手口(データハウス)
踏み倒しの手口(データハウス)
小説クロサギ(小学館)
貧乏人を喰う奴らを暴く(宝島社)
震災ビジネスの闇(宝島社)
反社会的勢力(洋泉社)
漫画原作[編集]
クロサギ(作画:黒丸、2003年-2008年、『週刊ヤングサンデー』、小学館)- 原案としてクレジット
新クロサギ(作画:黒丸、2008年-2013年、『ビッグコミックスピリッツ』、小学館)- 原案としてクレジット
逃亡弁護士 成田誠(作画:髙田優、2007年-2008年、『週刊ヤングサンデー』、小学館)- 剛英城名義。原案としてクレジット
LOVERS HOTEL(作画:天馬ふぇみお、2010年、『プレイコミック』、秋田書店)
カモのネギには毒がある(作画:甲斐谷忍、『グランドジャンプ』2021年17号掲載[5])
カモのネギには毒がある-加茂教授の"人間"経済学講義-(作画:甲斐谷忍、2022年-、『グランドジャンプ』) 原案としてクレジット[6]
取材協力[編集]
連載[編集]
月刊宝島 現代詐欺師百景
実話時報 黒き牙
SafetyJapan 隣は詐欺師
映像化[編集]
クロサギ (テレビドラマ)(2006年、TBSテレビ)
ザ・闇金融道(2012年、オールイン エンタテインメント)
口先以下の自慢屋です
「文芸部です。口先以下の自慢屋です。典型的なね。普通なら暴力団関係者なら自慢したら殺されるんですよ?評判で警察に口割られたら暴力団も壊滅です。本当に暴力団関係者なら死んでも言いません。所属してた暴力団に肉まんにされて殺されます。会話たどってください。監督と助監督のね?これが唯一判明してる取材協力者です。全部インチキ以下です。『闇金ウシジマくん』はタイトル通りのギャグマンガ以下です。笑えもしないです。テキヤです。真鍋昌平もね。致命的なのは『九条の大罪』のコメント者にもう法務関係者では大恥以下恥垢のブラックホールがコメントしてるんです。表示」
弘中惇一郎
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弘中 惇一郎(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16日 - )は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。元自由人権協会代表理事。1964年、東京大学入学。1967年司法試験合格。東京大学法学部卒業(1968年)。司法修習22期(同期に木村晋介や筒井信隆)を経て1970年弁護士登録。数々の裁判で無罪判決を勝ち取っていることから、「無罪請負人」と呼ばれている。
経歴・人物[編集]
山口県生まれ。その後、東京代々木へ転居[1]。幼稚園と小学校は成城学園。小学校6年の夏に父親の転勤で広島市東区牛田に移り住む。修道高校を経て[2]、1968年東京大学法学部卒業。弁護士の佐藤博史は高校・大学の三年後輩にあたる。
クロロキン、クロラムフェニコール、日化工クロム職業病裁判(六価クロム)など多くの薬害事件を担当したほか、マクリーン事件などを担当。ロス疑惑の銃撃事件で三浦和義の無罪[3]、薬害エイズ事件における安部英の一審無罪[4]、障害者郵便制度悪用事件で村木厚子の無罪を勝ち取り、逆に大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を見抜く[5]。一方で2000年代初頭には熊谷信太郎、吉村洋文弁護士(後の大阪府知事)らと共に大手消費者金融武富士の訴訟代理人を務め[6][7]、武富士の反社会的な取り立てや違法な業務などを告発したジャーナリストへの訴訟を担当したが、これについてはスラップ訴訟であるとの批判も受けた[8][9]。
2019年にはカルロス・ゴーン被告が保釈を勝ち取れたのは弘中の弁護団選任が功を奏した、と海外で報じられた[10]。その後ゴーン被告は保釈中にレバノンに逃亡し、弘中は弁護団を辞任した。
また、2020年1月31日付の読売新聞朝刊の「ゴーン元会長が逃亡前、犯人隠避などの疑いで逮捕状が出た米国籍の男と弘中弁護士の事務所で面会していた」などという報道(「逃亡の謀議を黙認していたと疑われても仕方がない」とする検察幹部の発言も同時に掲載。)に対し、名誉を傷つけられたとして読売新聞東京本社と読売新聞大阪本社に計1320万円の支払いを求め提訴。しかし、東京地方裁判所(裁判長判事・小川理津子)は2021年11月15日、請求を棄却した[11]。
2020年1月29日にはゴーンの逃亡事件の関係先として弘中の事務所が出入国管理及び難民認定法違反(不法出国)容疑で東京地方検察庁による家宅捜索を受けた[12]。刑事訴訟法上の「押収拒絶権」に基づいて拒んだにもかかわらず違法に家宅捜索が実施されたとして、国に損害賠償を求め提訴し、東京地方裁判所(裁判長判事・古田孝夫)は2022年7月29日、捜索を違法と判断した。賠償請求については棄却した。
また、2020年1月31日付の読売新聞朝刊の「ゴーン元会長が逃亡前、犯人隠避などの疑いで逮捕状が出た米国籍の男と弘中弁護士の事務所で面会していた」などという報道(「逃亡の謀議を黙認していたと疑われても仕方がない」とする検察幹部の発言も同時に掲載。)に対し、名誉を傷つけられたとして読売新聞東京本社と読売新聞大阪本社に計1320万円の支払いを求め提訴。しかし、東京地方裁判所(裁判長判事・小川理津子)は2021年11月15日、請求を棄却した[11]。
2020年1月29日にはゴーンの逃亡事件の関係先として弘中の事務所が出入国管理及び難民認定法違反(不法出国)容疑で東京地方検察庁による家宅捜索を受けた[12]。刑事訴訟法上の「押収拒絶権」に基づいて拒んだにもかかわらず違法に家宅捜索が実施されたとして、国に損害賠償を求め提訴し、東京地方裁判所(裁判長判事・古田孝夫)は2022年7月29日、捜索を違法と判断した。賠償請求については棄却した[13][14]。
弁護人・代理人を務めた人物[編集]
テレビ出演[編集]
「情熱大陸」(TBS 2011年4月10日)
著書[編集]
『刑事裁判と知る権利』(中村泰次、飯田正剛、山田健太、弘中惇一郎、坂井真 共著 三省堂 1994年)ISBN 4385313466
『マスコミと人権』(清水英夫 編 所収「芸能人などの有名人と名誉・プライバシー」三省堂 1987年)ISBN 4385320705
『検証 医療事故―医師と弁護士が追跡する』(有斐閣選書 (148))(本田勝紀 共著 有斐閣 1990年)ISBN 4641181306
『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』(武藤 春光 共著 現代人文社 2008年)ISBN 4877983864
『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』(角川oneテーマ21)ISBN 4041107644
『生涯弁護人 事件ファイル1 村木厚子 小澤一郎 鈴木宗男 三浦和義……』(講談社 2021年)ISBN 4065189039
『生涯弁護人 事件ファイル2 安部英’薬害エイズ)カルロス・ゴーン 野村沙知代……』(講談社 2021年)ISBN 4065261104
法曹関係者では大恥以下恥垢のブラックホールですから金貰ってコメントです
「文芸部です。要は金のためなら史上最悪の人間の屑以下のカス以下のクズの本懐以下と死ぬ程罵倒しても足らない人間の屑以下すら弁護するのが弘中惇一郎です。法曹関係者では大恥以下恥垢のブラックホールですから金貰ってコメントです」
「アタシャ助監督よ!出番ね?2022年8月の時点で累計部数は150万部を突破している[2]。ここ突くの?文芸部が言うように例え無料相談でも論点で経緯と盲点付くのが弁護士しかも法律知識は持ってるのは前提だから弁護士って成り立つの?2022年3月時点で累計発行部数は2100万部よ?論点で経緯と盲点付くのが弁護士しかも法律知識は持ってるのは前提だから間違えてたら法務機関が出版差し押さえと小学館に出版停止命令よ?だって間違えた法律知識読者に植え込んで法務を犯罪の道具に使ったら国会で大問題よ?臨時緊急国会が開かれるレベルのね?そうなれば『九条の大罪』は封印作品になるだけじゃ済まないの?小学館倒産よ?2022年3月時点で累計発行部数は2100万部を突破したんだもん回収不可能で小学館倒産で避けるためには生贄が巨大に必要よ?真鍋正平は死刑確定よ?法務機関を犯罪の道具に利用して営利目的で犯罪の道具にしたんだから死刑確定よ?嘘言わないわ?弘中惇一郎も死刑確定よ?知ってて推薦コメントしたんだから共犯よ?どう弁護するの?国家に戦争仕掛けて叛逆したのよ?一介の弁護士ごときが法律体制に本気で勝てるわけないでしょう?まだいるわ?映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、1巻に引き続き弁護士の弘中惇一郎から推薦コメントが寄せられている[6]同年12月、本作の第4巻に登場する「ぴえん系女子」なキャラクターのしずくが、佐々木チワワの書籍『『ぴえん』という病 SNS世代の消費と承認』の表紙に採用となる[7]。これ破壊活動防止法って言って暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置を定めると共に、その活動に関する刑罰を定めた日本の法律。所管官庁は、法務省である。特別刑法の一種。全45条。略称は破防法に抵触する行為よ?表示して」
破壊活動防止法
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
破壊活動防止法
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日本の法令法令番号昭和27年7月21日法律第240号種類刑法効力現行法所管法務省主な内容政治目的とする暴力的破壊活動団体の規制関連法令組織的犯罪処罰法、団体規制法条文リンクe-Gov法令検索テンプレートを表示
破壊活動防止法(はかいかつどうぼうしほう、昭和27年7月21日法律第240号、英語: Subversive Activities Prevention Act[1])は、暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置を定めると共に、その活動に関する刑罰を定めた日本の法律。所管官庁は、法務省である。特別刑法の一種。全45条。略称は破防法[2]。
概説[編集]
沿革[編集]
1952年5月に発生した血のメーデー事件をきっかけとして、ポツダム命令の一つ、団体等規正令(昭和21年勅令第101号)の後継立法として同年7月21日に施行された。
1951年秋と1952年秋に発生した二度のメーデー事件直後に、公安保障法案と、「ゼネスト禁止、集会デモ取締、プレスコード(新聞綱領)の立法のほか防諜法案」が準備されていた。このうち、プレスコード法案は単独法としては断念され、団体等規制法案→破壊活動防止法の「せん動」行為処罰として、防諜法案は刑事特別法として成立することになる。残るゼネスト禁止法案と集会デモ取締法案と団体等規制法案が、治安三法と呼ばれていた[3]。
1952年、第3次吉田内閣第3次改造内閣によって公安保障法案が提出され、4月17日に衆議院本会議で木村篤太郎法務大臣から趣旨説明が行われた[4]。7月1日の参議院本会議で首相吉田茂は「又暴力行為がどうして発生するか、暴力団体はどうして存在するか。――これは、これを教唆し、又は扇動する人或いは又暴力団体自身に、或る人、或る団体を構成しておる諸君が存在いたすからであります。これを防止するのが法律の目的とするところであります。」と答弁している[5]。
吉田内閣と与党自由党は、原案そのままの可決を目指し、右派社会党は「煽動」・「文書所持」条項の削除と「濫用の罰則」を追加した修正案を提出した。左派社会党と労働者農民党は言論・表現の自由の観点から、日本共産党は自党が標的にされていることに加え、アメリカ帝国主義に反対の立場から、吉田内閣を「米帝の手先であり売国奴である」と非難し[6]、「米帝と吉田政府に反対するすべての国民が、民族解放民主統一戦線に結集し、だんこたる愛国者的行動をおこすならば、かならず破防法は粉砕されるであろう」(平仮名表記も全て原文のまま)と行動を呼びかけた[6]。
参議院では自由党は過半数に満たず、緑風会がキャスティング・ボートを握った形となった。その結果、緑風会は6月5日に独自案を提出し、「この法律は国民の基本的人権に重大な関係があるから、公共の安全の確保に必要な限度においてのみ適用すべきであって、いやしくもこれを拡張し拡釈して解釈してはならない」などの文言を加えた。しかし「原案の形式的、ぬえ的修正に過ぎない」とする批判もあった[7]。
参議院法務委員会審議では一度は原案、右派社会党案、緑風会案のいずれも否決されたが、吉田内閣が緑風会に譲歩。緑風会案を呑む形で、7月3日に参議院本会議で自由、緑風(党議拘束がないため一部反対あり)、民主クラブが賛成、改進、右社、左社、労農、共産、第一倶楽部が反対した結果、参議院通過[8]。7月4日、衆議院本会議で自由が賛成、改進、右社、左社、共産、労農、第三倶楽部(社会党再建全国連絡会と立憲養正會)が反対した結果、賛成多数により可決成立した[9]。
破壊活動防止法は、「治安維持法の復活である」として、様々な物議をかもしたが、吉田政権の側にしてみれば、公安保障法案に盛り込まれていた「緊急検束」、「強制捜査」、「雇傭制限」、「政治団体の報告義務」、「解散団体の財産没収」、「煽動文書の保持者の取締り」などを、やむを得ず削除しなければならなかった。しかも、それだけでなく「公安保障法」という名称まで変更するはめになった。その結果、破壊活動防止法は、吉田政権が意図したような左翼に対する有効な武器として機能しなかった[10]。
破壊活動防止法に対して、警察当局は賛同していたが、大歓迎するという姿勢ではなく、その取締り効果を冷やかに見ていた。国家地方警察本部調査統計課長兼企画課長であった桐山隆彦の「破壊活動防止法の捜査」(『捜査研究』第9号、1952年8月)では、破防法の審議のために、新警察法の審議がストップしたことを例に挙げて「破防法反対闘争デモに手を焼いたり、血を流したりするやら、とにかく制定に至るまでにも警察とはまことに因縁浅からざる法律である」と皮肉っているほか、
わたくし一個の率直な私見を述べるならば、この法律が団体規制の処分として、共産党を全面的に非合法の線に追いやる含みで作られたのであれば別だが、そこまでは行かないという場合、規制されるべき団体に対して、この法律の本来の目的とされている規制を効果的に加えうるかどうか疑問を持つているということである。 (中略)腹をきめて暴力主義的破壊活動に乗り出して来た団体ともあろうものが、果たしてこの法律による規制を加えられておとなしく引つこむかどうか、あえてそうした規制を無視して平然と執ように同様の活動をくり返す態度に出ることも考えられ、その結果、目ざす団体にはききめがなく、おとなしく規制を受けて引き下がる団体ならば、むしろはじめから遵法的な穏健な団体ばかりといつたことになる虞はないかどうかという点が心配になるのである。— 桐山隆彦
と指摘しており、破防法の規制が日本共産党に対して有効に働かないだろうと予測している。
一方で、破防法の施行以前から日本共産党などは、特別審査局[注釈 1]と公安警察による二重監視の対象であったが、破防法の「被疑者及びその団体」とみなされた場合には、それに拍車をかけて、監視を厳重化できることや、これまでは取締り対象にできなかった内乱の「せん動」や、その正当性や必要性を主張する文書の配布などを「予防鎮圧」するために立件することが可能になったことを例に挙げて、破防法に前向きな評価もしている[11]。
適用と検討例[編集]
適用され初めて有罪になったのは1961年の三無事件。他に中核派に対する破防法事件に対しても適用されている。
なお、1995年には地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件を起こしたオウム真理教に対して解散を視野にした団体活動規制処罰の適用が検討され、公安調査庁が処分請求を行ったが、公安審査委員会(委員長:堀田勝二)は「将来の危険」という基準を満たさないと判断し、破防法の要件を満たさないとして、適用は見送られることとなった(オウム真理教破壊活動防止法問題)。これについては、オウム真理教にすら適用されないのなら、一体何に適用されるのか、実質的に適用できない法律ではないのかという根強い批判もある。オウム真理教に対しては代わりに団体規制法が制定・適用されることになった。
この法律の規制対象に該当するかどうかの調査と処分請求を行う機関は公安調査庁であり、その処分を審査・決定する機関として公安審査委員会が設置されている(ともに法務省の外局)。なお、いわゆる公安警察は破壊活動防止法によって設置された機関ではなく、警察法に基づく政令・規則により設置されているが、情報交換を行うことはあり得る(破壊活動防止法29条)。
この法律には、団体活動規制処分の規定のほか、個人処罰規定が設けられている。先述の三無事件での適用は、個人処罰規定の適用である。
破壊活動防止法を違憲と考え同法の廃止を訴える者も少なくないが、非常に抑制的に運用されているため、現在のところ政治レベルで破壊活動防止法を廃止しようという動きは活発ではない。
調査対象団体[編集]
指定年月順。1973年2月の国会質疑では以下16団体[12]、1995年5月にオウム真理教が追加された[13]。
護国団(石井一昌の団体)
共産主義青年同盟
国民同志会
構成[編集]
第一章 総則(第一条―第四条)
第二章 破壊的団体の規制(第五条―第十条)
第三章 破壊的団体の規制の手続(第十一条―第二十六条)
第四章 調査(第二十七条―第三十四条)
第五章 雑則(第三十五条―第三十七条)
第六章 罰則(第三十八条―第四十五条)
附則
目的[編集]
団体の活動として暴力的破壊活動を行った団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、暴力主義的活動に関する刑罰規定を補整し、もって、公共の安全の確保に寄与することを目的とする(1条)。
暴力主義的破壊活動とは[編集]
内乱罪、外患誘致・外患援助に当たる行為やその教唆、その実行の正当性又は必要性を主張した文書図画の印刷、頒布、掲示、無線通信等による通信等の行為(1号)
政治上の主義や施策を推進・支持し、又はこれに反対する目的をもって、騒乱、放火、爆発物破裂、往来危険、汽車転覆等、殺人、強盗、爆発物の使用、検察・警察・刑務官・公安調査官等に対する凶器や毒物を用いた公務執行妨害・職務強要をなすこと、及びこれらの行為の予備・陰謀・教唆・せん動(2号)
破壊的団体の規制[編集]
団体活動の制限[編集]
要件(両方を充足すること)
団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った団体であること
継続又は反覆して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行うおそれがあると明らかに認められるに足りる十分な理由があること
制限
6月以内の期限を定めた、デモ活動・集会等の禁止、機関誌紙の印刷・頒布の禁止、特定の役職員等に対する団体のための行動の禁止
解散の指定[編集]
解散の指定がなされると、その原因となった暴力主義的破壊活動が行われた日(その日の後も含む)にその団体の役職員であった者は、その団体のためにする行動を一切禁止される(個人としての活動までは禁止されない)。
要件(全て充足すること)
団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った団体であること(ただし、団体活動の制限を受けずに内乱等を除く暴力主義的破壊活動であって予備、陰謀に留まるものは除き、未遂は含む)。
継続又は反覆して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行うおそれがあると明らかに認められるに足りる十分な理由があること
団体活動の制限では、そのおそれを有効に除去することができないと認められたとき
破壊的団体の規制の手続[編集]
公安調査庁長官の請求があった場合におこなわれ、その請求にあたり公安調査庁長官は、弁明の機会を与える日の7日前までに、団体規制をしようとする団体に対し通知しなければならず、その方法は官報で公示して行うとともに、代表者等の住所等が知れているときは通知書を送付して行うものとし、弁明の期日に意見の陳述及び証拠の提出の機会を与えなければならない。処分の請求をしないときは、その団体に通知するとともに、これを官報で公示し、処分の請求をするときは公安審査委員会に処分の請求をするとともに、その団体に通知しなければならない。なお、その通知があった日から14日以内にその団体は意見書を公安審査委員会に提出することができる。
処分の決定は、文書をもって行い、処分を行う決定は官報で公示した時から効力を生じる。処分の取消し訴訟について、裁判所は100日以内に裁判をするよう努めなければならない。これらの処分が裁判所によって取消されたときは、官報で公示される。
団体解散指定に違反して団体のための活動を行った個人については法第42条により3年以下の懲役又は5万円以下の罰金の刑事罰が、団体活動制限処分に違反した個人については法第43条により2年以下の懲役又は3万円以下の罰金の刑事罰がそれぞれ規定されている。
破壊的団体の規制のための組織[編集]
公安審査委員会団体処分を行うかどうかを行政として最終的に決定する法務省に設置された独立行政委員会。公安調査庁法務省の外局として、この法律の施行に必要な調査等を行う機関。なお、公安調査庁は捜査機関ではないので、この法律に基づいて強制的に調査する権限は有さない(任意つまり相手の同意がある調査に限定されている)。
罰則[編集]
団体規制に対する罰則とともに、内乱罪等の煽動罪を定めるとともに、政治的目的のための放火罪や騒乱罪の予備罪等の加重や煽動罪などを設けている。
その他[編集]
各法律の欠格条項や事項において「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入」という文言があるが、「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体」とは「破壊活動防止法の規定に基づいて、公安審査委員会によって団体の活動として暴力主義的破壊活動を行ったと認定された団体」を念頭にしている[14]。
法律で「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」を対象とした欠格条項や事項は以下の通り。
1947年の旧警察法時代の国家公安委員会委員や都道府県公安委員会委員や市町村公安委員会委員は、「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」を対象とした欠格条項があったが、1954年の新警察法制定に伴い欠格条項は廃止された。
また、日本の外国人は上陸拒否、退去強制、帰化拒否[注釈 7]の対象となる。
「日本国憲法に基づく体制を破壊しようと企んだ者」を一部公務員の欠格条項とする規定は日本国憲法第99条が根拠となっている。その一方で、国務大臣や国会議員(いずれも特別職)のように欠格条項とする規定が明記されていない例もある。
世界中の放送局や映画やドラマやアニメや特撮や出版社やゲーム業界やネットは頭抱える事態よ
「アタシャ助監督よ!もう終身刑は覚悟してしかも法務機関を犯罪の道具に利用して営利目的で犯罪の道具にしたんだから逮捕者多数ね?今すぐできるの『九条の大罪』ってね?飲酒運転で親子をひき逃げした半グレが執行猶予を勝ち取り、父を亡くして悲しむ遺族は金銭的にも大損をするという第1話は、SNSでも大きな反響を呼んだ[4]。弁護士・九条間人が請け負う顧客は、半グレ、ヤクザ、前科持ちなど、訳ありな人々。ネットでは悪徳弁護士と罵られ、離婚した妻からの養育費に追われても、九条はイソ弁の烏丸と共に、依頼人の擁護に務める。これ全部反社会的行為の加担及び法務機関を犯罪の道具に利用して営利目的の弁護だからもう法務機関や法律体制の完全叛逆行為にあたるわ?法務機関を犯罪の道具に利用して扇動したのは自明の理で弁護不可能異常で国に真鍋昌平が戦争行為を行ったとみなして扇動状態は続いてると立証可能で緊急現行犯逮捕は可能で告訴は国は100%勝って真鍋昌平や弘中惇一郎は死刑確定よ?特に法務機関は弘中惇一郎を教訓に司法体制の強化できるわ?司法制度の強化や司法試験の厳重化や弁護士資格の定義を強化する必要あるからね。映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平は終身刑は確実以上でメディア規制の強化も行われるわよ?もう宮崎事件なんか比じゃないくらいね?しかも世界レベルでね。佐々木チワワの書籍『『ぴえん』という病 SNS世代の消費と承認』の表紙に採用となるだから世界規模の自主規制が敷かれるわよ?法務機関は営利目的で犯罪の道具にしそれをこれで漫画の犯罪行為の重要さ思い知らされて新たな規制が生まれて世界中の放送局や映画やドラマやアニメや特撮や出版社やゲーム業界やネットは頭抱える事態よ」
「文芸部です。可能性潰すのが文芸部の務めです。真鍋昌平は安倍晋三同様の『革命機ヴァルヴレイヴ』の銅像になってもらうだけです。心の指紋が商業利用されたら確実以上です。いいじゃないですか?歴史に名が残せるんですからね。アルフレッド・ヒットラーやスターリンや毛沢東やサダム・フセインやドナルド・トランプ同様の悪党として真鍋正平や安倍晋三が歴史に残るんですから誇りに思いなさい。創造神以上の存在に逆らうとこうなるだけです」
「俺は監督だ!だから文芸部と全員組むの?真鍋昌平になりたくないからな?真鍋正平は手遅れだ。心の指紋があろうがなかろうがな。いずれ問題になるからな」
「プロデューサーだ!だから創造神以上の存在のダルイゼンに逆らうとこうなるんだ。ダルイゼン手に入れてマジでホッとしてるよ?儲けは地球規模でフランチャイズも世界規模で出版も独占でしかもシンデレラガールズはノーベル平和賞は授与で国連総会の団体作れるんだ、独自のな?国連の一機関として心の指紋は動くんだ。しかも平和維持活動としてな。本当にダーク・ディグラーには感謝してるよ?もうこの時点で勝ってるし実現可能だ。後はスポンサーの援助のみ」
「スポンサーだ!時間かかるからな?出資にはな?それにしてもnoteにコメントすればいいものを俺の一人勝ちか?スポンサーは素人だがまだ会議続くんだろう?だから権利大事なの?メインスポンサーが権利持つ権利持つの?もう一人勝ちだな?」
「昔ながらのアニメファンですが凄い話してますね?そう言えば思い出すのは『ふしぎの海のナディア』のジャン・ロック・ラルティーグとナディア・ラ・アルウォールは夫婦ですか?なんか碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーとの掛け合いでまぁツンデレの奥さんがナディア・ラ・アルウォールか?なんか違和感ある夫婦だったな?『シン・劇場版ヱヴァンゲリヲン𝄇』の碇シンジと真希波・マリ・イラストリアみたいで?昔からそうですね庵野秀明って『トップをねらえ!』もアマノ・カズミとコーチ / オオタ・コウイチロウも違和感がありまくりでと言うか庵野秀明って名義貸し同様の作品ばかりでアニメーターとしては何もやってないも同然の仕事ばかりだったな?残るは貞本義行仕事ですね。正直貞本義行ってアニメーターというよりも漫画やイラストの仕事が上手いからキャラクターデザインとして雇われるんですね。揉め事ばかりの人だから出所不明の話や問題発言があるか?基本は『ふしぎの海のナディア』で残るのはマリー・エン・カールスバーグか?平和が一番か?それしか残らないな?『ふしぎの海のナディア』は?それなのに庵野秀明って『新世紀エヴァンゲリオン』ですからね?退化してますよ?綾波レイって要はマリー・エン・カールスバーグの庵野秀明の理想化じゃないですか?それにナディア・ラ・アルウォール足しただけです。素人でも言えます。それで惣流・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアか?そりゃ素人でも退化したヒロインと言えます。正直マリー・エン・カールスバーグでヒロイン作れば悩まずに済んだと昔ながらのアニメファンでも言えます。『ふしぎの海のナディア』はマリー・エン・カールスバーグがサムソンと16歳で結婚ですからね?どう考えてもジャン・ロック・ラルティーグが3歳でマリー・エン・カールスバーグ手籠めにして4歳で妊娠させたとしか思えない最後だった。だからナディア・ラ・アルウォールって感情移入しずらいヒロインだったのか?あの当時から惣流・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアもプロ彼女か?なんか虚しくなります」
「俺は監督だ!そうだよ?『ふしぎの海のナディア』は貞本義行の功績だ。後はガイナックスメンバーだ、庵野秀明や岡田斗司夫の力じゃないんだ。オタクは騙されやすいからプロ彼女にころっと騙されるよな?ツンデレって現実にいるわけないのに」
「昔ながらアニメファンですがオタクってプロ彼女に死ぬ程騙されます。惣流・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアも現実に居る訳ないのにね?それでいつも惣流・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアに死ぬ程騙されてまた騙されるんですからね?金奪いつくされてね?懲りないですね?フィクションならマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレンや綾波レイがオタクは本当は好きなのにいつも惣流・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアに死ぬ程騙されてまた騙される滅んでるのは富野由悠季や庵野秀明や岡田斗司夫ですね。もう繰り返しです。ツンデレって現実にいるわけないでしょう?二次元の産物ですヤンデレも二次元の産物もう二次元のメンヘラ女の子で現実に存在するわけがない。性欲解消ですね。全部シチュエーションプレイなだけです。しかもまた騙されてくれる保証付きです」
「俺は監督だ!オタクは騙されやすいからな?死ぬ程な?惣流・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアって騙しやすいもんな?わかりやすいし脱いでくれそうだし無条件で男の子好きになってくれるし惣流・アスカ・ラングレーって一見嫌ってるけど碇シンジにかまってちゃんだからな?そりゃツンデレヒロインが派生するよ?でも飽きるの?ツンデレって?釘宮理恵もわかってるから少年声とかやれるから『鋼の錬金術師』のアルフォンス・エルリックとかで演技の幅上手いからマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレン演じられるの『新世紀エヴァンゲリオン』の林原めぐみも少年声からマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレン得意だしヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズの真希波・マリ・イラストリアの坂本真綾も少年声からマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレン得意だよ?宮村優子は呪われてるな?惣流・アスカ・ラングレーのイメージが強烈でしかもバセドウ病だよ?もう宮村優子の性じゃないのに『新世紀エヴァンゲリオン』に呪われてるな?そうだよ?役者稼業安定させるのも監督業の務めだ、女性声優って基本と応用は少年声からマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレンと綾波レイだよ?振付師と組んで鍛えるの大変なんだ」
「ブラボーオヤジーデの振付師だけどさあ?それが大変なのよ?可愛い声って誰でも出せるから女性声優って基本と応用は少年声からマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレンと綾波レイだから仕込むの大変なの?発声と演技力求められるからね?どれもだからやれる声優って限られてるの?『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の市ノ瀬加那って少年声からマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレンと綾波レイ出来るから仕込んでものにしたの?明日川仁がね?長期計画だからね。ガンダム事業ってね。だからこそ少年声からマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレンと綾波レイ演じられる女性声優よ?主人公が女の子なら猶更ね」
「昔ながらアニメファンですが結局はヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズって『ふしぎの海のナディア』すらやれず同人誌か?一番それ感じたのは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』だな?もう『ふしぎの海のナディア』のN-ノーチラス号編やるのみの展開で『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』も『ふしぎの海のナディア』のN-ノーチラス号編やるのみこれならマリー・エン・カールスバーグやシャクティ・カリンやスージィ・リーレンと綾波レイのヒロインのアニメ作ればいいのだけなのに?作れもせず真希波・マリ・イラストリアか?やっぱり庵野秀明は『ふしぎの海のナディア』から?いや監督デビュー作『トップをねらえ!』から一貫して「逃げちゃダメだ」だ?逃げてもいいのにな?と思いますが『風の谷のナウシカ』の巨神兵の作画で引くに引けなくなったからな?宮崎駿とは師弟とは聞こえがいいが宮崎駿の弟子のアニメーター全員宮崎駿以上に実績あるし宮崎駿以外にも師匠居るからアニメーターなのに?庵野秀明は板野一郎と宮崎駿か?それ以外の現場で庵野秀明って『火垂るの墓』で高畑勲に死ぬ程リテイク出されたか?高畑勲って演出家だからそりゃ未経験なアニメーター育成するのも高畑勲だからな?昔ながらアニメファンですがそれはアニメージュの知識ありますがそれ以外庵野秀明って一度もアニメーターとして脚光浴びてないですからね?『風の谷のナウシカ』巨神兵のネームバリューの手伝いか?考えたら『シン・ゴジラ』もN-ノーチラス号編を実写でやっただけです?あの当時でも昔でも巨神兵の動き異常に悪いんです?放送事故かと思うくらい?それで有名になったもんな?『シン・ゴジラ』って巨神兵じゃないんですね?どう考えても二次創作です。『ふしぎの海のナディア』使ったね?と言いいますか『ふしぎの海のナディア』の設定と世界観とキャラクターって誰がどう考えても『新世紀エヴァンゲリオン』そのまんま流用してます。この当時から才能なかったのか?そりゃ『ふしぎの海のナディア』からマリー・エン・カールスバーグ抜けば『新世紀エヴァンゲリオン』の完成ですよ?幼稚園児でもわかるくらいね?アニメージュで『ふしぎの海のナディア』の設定読んだら『新世紀エヴァンゲリオン』始まったとき『ふしぎの海のナディア』と連想できたくらいです。『トップをねらえ!』は実質山賀博之の仕事か?山賀博之は演出家で庵野秀明はアニメーターでアニメ工程知ってるの山賀博之か?影武者監督か?そうなれば『ふしぎの海のナディア』しかアイデンティティー持てないしネタないか?」
「俺は監督だ!そうだろうな?現実は庵野秀明は監督もやれもしないんだ。山賀博之に頼りっぱなしなのにヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズでガイナックス裏切ったんだ?山賀博之は怒り心頭だぜ?アニメーターも出来ないから山賀博之や赤井孝美や武田康廣がアニメーター育成するにきまってるだろう?実際庵野秀明のカラー有名アニメーター一人も輩出してないんだ?助監督?いきなりだが関係あるぞ?この話と真鍋昌平が今自分がどれだけヤヴァイか教えてやれ?小学館もだ?親切は言うから?これはサービスだ」
「アタシャ助監督よ!真鍋昌平さあ?弁護してもらえないわよ?親切でいうからね?国に戦争仕掛けて叛逆したのよ?しかも動機も判明してるの半グレやヤクザや前科持ちといった顧客からの厄介な案件を主に扱う弁護士が、法律と道徳を分けて考え、依頼人の利益のために最良の解決策を追及していくストーリーとなっている。執筆にあたり、作者は『闇金ウシジマくん』の連載中から闇金業者の視点で物語を描くことに限界を感じており、取材中によく挙げられていた弁護士の話を聞いてみたくなって約50人から聞いた結果、前述の弁護士の話で心を動かされて「人間が抱える葛藤、心の揺れ動きを描きたかった」と描き始めたうえ、足かけ5年にわたって司法に関する取材を重ねている[1][3]。これで法務機関を犯罪の道具に利用して扇動したのは自明の理で弁護不可能異常で国に真鍋昌平が戦争行為を行ったとみなして扇動状態は続いてると立証可能で緊急現行犯逮捕は可能で告訴は国は100%勝って真鍋昌平や弘中惇一郎は死刑確定よ?特に法務機関は弘中惇一郎を教訓に司法体制の強化できるわ?教えようか?この時点で犯罪目的成立なの?弘中惇一郎って幼稚園児でも弁護士になれるわ。弁護士表示」
日本の弁護士[編集]
弁護士英名Lawyer, Attorney-at-law, Bengoshi[16]実施国
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日本資格種類国家資格分野法律試験形式司法試験認定団体法務省後援法科大学院等級・称号弁護士根拠法令弁護士法特記事項弁護士会52会、弁護士43,030名(女性8,350名)、弁護士法人1,455法人、準会員0名、沖縄特別会員6名、外国法事務弁護士454名(2021年12月現在)[17][18]
![](https://assets.st-note.com/img/1691327819743-b7K9pAa3wZ.png)
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概要[編集]
日本の弁護士は、民事訴訟では、原告・被告等の訴訟代理人として主張や立証活動等を行う。破産や民事再生、会社更生法の申請などの法的倒産処理手続やこれに関連する管理業務などの法律事務を行い、関連する法律相談も行う。
また刑事訴訟では、弁護人として被告人の無罪を主張し、あるいは適切な量刑が得られるように、検察官と争う。
弁護士記章には、中央にエジプト神話マアトの「真実の羽根」との重さを比較する天秤を配した向日葵がデザインされている。
業務[編集]
職域と独占性[編集]
弁護士は、法律事務一般を扱うことができる(弁護士法第3条1項)。
弁護士または弁護士法人でない者が報酬を得る目的で法律事務を業とする「非弁行為」は、原則として禁止されている(業務独占、弁護士法第72条)。
第72条の解釈と弁護士との職域関係については「非弁活動」を参照
弁護士または弁護士法人でない者が「弁護士」の標示をすること等は禁じられている(名称独占、弁護士法第74条)。
業務の流れ[編集]
弁護士の業務は、一般的に次のような流れで行われる[19]。
相談者から法律相談を受ける。
法律相談の内容を法的に検討し、法的なアドバイスを行う。
アドバイスだけでは解決しない場合は、依頼者と委任契約を締結し、依頼者と合意した目標実現へ向けて裁判内外の手続を実施する。
業務分野の分類[編集]
弁護士の業務は、主に法律事務ないし法務である。これはいくつかの観点から分類が可能である。
事案ごとの内容次第で他の分野に分類可能であることもあり、各分野の境界線は曖昧である。
一般民事[編集]
個人の依頼者から委任される、民事上の一般的な法律問題を扱う分野である。
主として一般民事を取り扱う弁護士を、「マチ弁」(「街弁」または「町弁」)と呼ぶ[20]。
一般民事(狭義)個人間の偶発的な紛争事件(交通事故、近隣紛争など)や、金銭問題などの解決が含まれる。家事離婚や相続など、家事事件に関する法律問題を扱うものである。消費者問題消費者が事業者から不当な契約を結ばされたと目される場合などに、消費者の権利を擁護するものである。労働(労働者側)解雇や未払い賃金の問題など、労働者と使用者の間の紛争を取り扱うものである。2010年代後半以降は退職代行を扱う弁護士も現れた。
倒産・再生[編集]
法的整理・私的整理を問わず、あらゆる倒産処理手続において債務者を含む関係当事者にアドバイスし、手続を代理できる。
倒産処理を主業務とする弁護士らは、要求される専門性の高さや、非訟事件である倒産事件[注釈 2]において高度な連携が要求されることなどから、独特な集団を形成していることが多く、所属法律事務所の垣根を越えて「倒産村」と俗称される[21]。
個人を依頼者とする破産・再生事件は債務整理とも呼ばれる。
管財実務日本の実務においては、破産事件における破産管財人、民事再生事件における管財人および保全管理人ならびに会社更生事件における更生管財人などの管財業務には、通常は弁護士がその任に当たる[注釈 3][注釈 4]。
企業法務[編集]
主として企業を依頼者とする法律問題を扱う分野である。
詳細は「企業法務」を参照
広義の企業法務は、多くの場合、狭義の企業法務(コーポレートとも)、金融法務(ファイナンス法務とも)、税務、知的財産、倒産・事業再生、紛争処理などの分野に分かれている。いずれの分野も渉外案件を含み得る。
企業法務(狭義)一般企業法務[注釈 5](ジェネラル・コーポレート)、コーポレートガバナンス、M&A、労働問題(使用者側)などが含まれる。金融法務企業の資金調達に関する法務や、金融機関に関する法務をいう。バンキング、キャピタル・マーケット、金融規制、ストラクチャード・ファイナンス、アセット・マネジメントなどを扱うものである。知的財産知的財産(IP)を取り扱う分野である。平時の知的財産戦略の策定・権利化に関するアドバイスや出願等の手続代理も行う一方、知的財産に関する紛争にも対応する。労働(使用者側)企業と労働者との間に生じたトラブルの解決のほか、就業規則などの企業の内部制度構築支援も含む。税務取引スキームの構築にあたり税務上の観点からアドバイスを行う。課税当局との紛争に発展した場合は、審査請求や税務訴訟における代理も行う。この分野を扱う弁護士は、後述する税務当局への通知を行っていることが多い。スポーツ法務競技団体の制度設計・運営支援[23]や選手のマネジメント、試合中の紛争の解決など[24]を取り扱う。例えば、日本プロ野球選手会の公認代理人となることができるのは弁護士のみであったり[25]、スポーツ調停の調停人は原則として弁護士が選ばれる[26]など、弁護士の資格がなければ扱えない業務が多い分野である。
刑事弁護[編集]
刑事手続において、弁護人として被疑者や被告人を弁護する。公判における法廷弁護活動だけでなく、捜査段階における不起訴に向けた活動、示談交渉や身柄解放に向けた活動(保釈請求など)も含まれる。
冤罪が疑われる事件、死刑が確定した事件について再審請求に取り組む弁護士もいる。
犯罪被害者の支援等(告訴,告発,不起訴の際の検察審査会への申し立て、警察、検察、裁判所等に呼び出されたときの同行、助言、その他)を行う弁護士もふえている
その他[編集]
行政事件や人権に関わる事件なども扱う。
他士業との関係[編集]
弁護士の職務範囲には、以下のように隣接士業の職務が幅広く含まれる。
弁護士法の規定[編集]
弁理士業務
弁護士は、弁護士法上、別途弁理士の登録を受けることなく、弁護士登録のみで当然に弁理士の職務を行うことができる(弁護士法第3条2項)。
税理士業務
弁護士法第3条2項は、弁護士登録のみで税理士業務も行いうると読めるが、実際に弁護士が税理士業務を行うためには、税理士法第18条の税理士の登録を受けるか、同法第51条1項による通知を要する[27]。税理士法第51条第1項の通知を行った弁護士は通知弁護士と通称される[28]。
「一般の法律事務」に含まれる業務[編集]
法律上は他士業の独占と規定されている業務であっても、「一般の法律事務」に含まれることにより弁護士登録のみで取り扱うことができる分野が多い。
例えば、登記申請代理行為は、一般の法律事務に含まれるため、弁護士の本来の職務に含まれるものであり、司法書士業務についても当然に行うことができる[29]。
同様に、行政書士、社会保険労務士、海事代理士、海事補佐人の職務を行うこともできる。ただし、海事代理士の業務の一部(船舶の登録など)は弁護士であっても行うことはできない。
隣接士業の登録[編集]
弁護士となる資格を有する者[注釈 6]は、その資格をもって、弁理士、税理士、行政書士、社会保険労務士、海事補佐人の資格登録をすることができる(各根拠法に規定がある。)。
司法書士や海事代理士については、弁護士であっても所定の国家試験に合格しなければ登録することはできない(各根拠法に無試験での登録を許す規定がない。)。
隣接士業はいずれも各所管行政庁の監督下にあるから、弁護士が隣接士業の登録を行った場合は、その範囲において所管行政庁からの監督が及ぶものとなる。
業務上の義務[編集]
弁護士は、法律事務を取り扱う高度な権限を認められているがゆえに、職務上高度な義務を負う。これを弁護士倫理[注釈 7]という。
詳細は「法曹倫理#弁護士倫理」を参照
日本弁護士連合会は、弁護士の倫理的基盤を確立すると共に職務上の行為規範を整備するため、2004年11月10日に開催された臨時総会において「弁護士職務基本規程[30]」を会規として制定した。
宣伝・広告[編集]
宣伝・広告の解禁[編集]
以前は、弁護士は、職業の性格上、宣伝広告をすべきでないという考え方が一般的で、弁護士や法律事務所の広告は日弁連の会則で全面的に禁止されていた。この規制は2000年10月より撤廃され[31]、大都市を中心に債務整理、破産手続等を担当する法律事務所を中心に、鉄道やバスの車内、スポーツ新聞、タウンページ、インターネットなど広く一般に対する広告が増えてきている。
宣伝・広告に関する規制[編集]
弁護士広告は自由化されたが、品位を損なう広告など、一定の広告は日弁連の会則・規程により規制されている。
一例として、「専門分野」の表示は、国民から情報提供が望まれている情報ではあるものの、専門性の評価に関する客観的な指標がないことなどから、原則として非推奨とされ、「得意分野」などの専門性の評価を伴わない表示であれば許容されている[32]。こうした規制に対応するため「〜に強い弁護士」といった表現を用いた弁護士広告がなされることが多いが、客観的な評価基準はなく、実際の専門性の高さや経験の豊富さは担保されていない[33]。
資格の得喪等[編集]
弁護士登録を受ける資格[編集]
日本では、法科大学院課程を修了しまたは司法試験予備試験に合格した後、法務省司法試験委員会が行う司法試験に合格し、司法研修所へ入所して司法修習を修了し、日本弁護士連合会に登録を受けるのが最も典型的な弁護士資格の取得方法である[34]。
他に以下の者に資格がある。
最高裁判所裁判官の職にあった者(弁護士法第6条)。行政官や学識経験者など、法曹資格を持たない者が任命されることがあるため。
以下の者は、日本弁護士連合会の研修を修了して法務大臣がその修了を認定した場合に弁護士となる資格を有する(弁護士法第5条)。
司法試験合格後[注釈 8]、国会議員、内閣法制局参事官や、大学で法律学を研究する大学院の置かれているものの法律学を研究する学部、専攻科若しくは大学院における法律学の教授若しくは准教授の職、などに在った期間通算5年以上経験した者
司法試験合格後に、公務員や民間人として立法作業や契約書等の作成に従事した期間が通算7年以上経過した者
経過措置として、司法試験に合格せずとも、2004年4月1日時点で、法律学を研究する学部、専攻科もしくは大学院における、法律学の教授もしくは助教授の職歴を通算5年以上有する者などについては、弁護士資格が与えられた[35]。また、1972年の沖縄復帰に関連し、布令弁護士に絡んで法務省の司法試験管理委員会(現在の司法試験委員会)が沖縄復帰までに法曹として必要な学識及びその応用能力を有するどうかを判定するための以下の順で試験や講習や選考を実施し、選考等に合格した者は日本国で弁護士の資格が与えられた[36]。
これらの要件を満たしたうえで、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されて、はじめて弁護士となることができる(弁護士法第8条)。
欠格事由[編集]
以下の者は上記の規定にかかわらず弁護士となることができない(弁護士法第7条)[注釈 9]。
弾劾裁判所の罷免の裁判を受けた者
懲戒の処分により、弁護士もしくは外国法事務弁護士であって除名され、弁理士であって業務を禁止され、公認会計士であって登録を抹消され、税理士であって業務を禁止され、または公務員であって免職され、その処分を受けた日から3年を経過しない者
資格取得難易度[編集]
一般的には、司法試験の内容の難しさや受験資格に制限があること、1年間の司法修習が必修でありその間修習専念義務により兼業が許されないこと等、資格取得までに長時間を要することや学習に必要な知識・情報の膨大さなどもあり、弁護士は日本国内の数ある資格の中でも最難関資格の一つとして知られる。日本の司法試験が極めて難関であることは海外の弁護士にも知られている[37]。
一方で、司法試験単体の合格率だけ見れば、旧司法試験においては約3%であったものが、2019年には30%以上と高い水準になっている。その原因は、資格取得ルートの枢要と位置付けられた法科大学院の人気が低迷し、連動して司法試験の受験者数も年々減少しているのに、合格者数は減っていないことにあるとみられる。より根本的な原因としては、法科大学院で司法試験対策となるような指導を行うことが禁止されており、結果として法律実務の現場で必要なスキルも身に付かないなど、法科大学院と法律実務の現場のミスマッチが生じていることが指摘されている。法曹界に幅広い人材を呼び込むため、一層の改革が求められている[38]。
弁護士人口[編集]
日本に於ける弁護士の数は、2021年12月1日時点で、43,030名(うち女性8,350名)となっている[17][18][注釈 11]。
2019年には、司法試験合格者数が過剰であり、弁護士の質の維持が図れないなどとして、複数の弁護士会が共同して、法務省に対して司法試験合格者を削減するよう声明を発表している[40]。
しかし、#地域的偏在の問題において後述するように、2020年末現在でも地方の司法過疎は未だ解消されておらず、地方ではまだ弁護士は不足しているとの指摘がある。
弁護士の組織[編集]
弁護士会[編集]
弁護士会が原則として各地方裁判所管轄区域ごとに置かれ、弁護士会の連合体である日本弁護士連合会(日弁連)と共に弁護士の監督を行う。戦前は司法省に弁護士・弁護士会を監督する権限が与えられていたが、戦後は弁護士の国家権力から独立性が高められた。このような弁護士の公権力からの自立性を弁護士自治という。このため、弁護士会および日弁連は強制加入団体となっており、弁護士登録をする者は、各弁護士会と日弁連に対し会費を拠出する。
詳細は「弁護士自治」を参照
法律事務所[編集]
弁護士が執務する事務所を法律事務所と呼ぶ。一般には「弁護士事務所」と呼ばれることもあるが、弁護士法上の正式名称は「法律事務所」であり、事務所の名称には原則として「法律事務所」という文言を含む名称を付すことが義務付けられている(弁護士法20条1項)。
詳細は「法律事務所」を参照
法人化を認める弁護士法の改正がなされたことから、一部の法律事務所は法人化しており、事務所を複数持つことができるなどのメリットがある。法人化していない法律事務所は、法的には弁護士の個人事業か、民法上の組合であると解されている。経営弁護士が複数の場合、組織法的には、民法上の組合や弁護士法人がある。
構成人数としては、弁護士が1人のものから600人以上のものに至るまで様々であるが、大人数の事務所は東京や大阪(特に東京)に集中している。
アメリカ・イギリスなどの大規模法律事務所(弁護士数千人が所属)と比べ、日本の法律事務所は規模は小さいが、近年は合併などにより大型化し、2021年現在では五大法律事務所では所属弁護士の数が500人を超えることも珍しくなくなっている。
弁護団[編集]
ある社会的事件において多数の被害者が生じたり、または数は少なくとも問題を社会に広く訴えかける必要が生じた場合などに、弁護士の有志が自発的に集まって結成する集団を弁護団という[41]。
各弁護士が所属する法律事務所の垣根を超えて弁護士が集まるのが特徴であり、ベテランの技術と若手の熱意を統合できることが利点である。また、社会的問題の解決へ向けて司法的手段に留まらない対策を講じることも多く、政治家とのパイプ作りやメディア対策を通じて世論形成に努めるなど、立法的解決を図ることも多い[42]。
就業形態[編集]
概説[編集]
法律事務所を自ら開設し、または既存の法律事務所において勤務することが最も典型的な弁護士の就業形態である[19]。
法律事務所の開設者(経営者)である弁護士を「ボス弁」または「パートナー」、勤務弁護士を「イソ弁」(「居候弁護士」の略)または「アソシエイト」などと呼ぶことが多い。イソ弁またはアソシエイトは、所属法律事務所から業務委託を受ける形(請負契約)とされることが多いが、実際には雇用契約と評価すべきとの主張がなされることもある。いずれの法形式となるかは、勤務の実態により評価される[43]。
最近は企業に直接雇用されたり行政庁で勤務する、インハウスローヤーと称される弁護士も増えている。
詳細は「インハウスローヤー」を参照
既存の事務所に籍だけは置かせてもらえるが固定給はなく事務所の経費負担を求められる者(軒下だけ借りることから「ノキ弁」と呼ばれる)も1997年ごろから出現している[44]。
既存の法律事務所への就職活動が奏功せず、または地域の実情に合わせて積極的に進路選択をした結果、司法修習修了後即時独立することとなる者(即独)も従来から存在している[45]。
収入・所得[編集]
弁護士の収入は、様々な理由で画一的な統計的評価が困難である。例えば、勤務弁護士が所属事務所の事件(通称「事務所事件」)を処理することにより勤務先からの報酬が支払われた場合は厚労省の「賃金構造基本統計調査」に反映されるが、勤務弁護士は同時に自力で獲得した事件(通称「個人事件」)を処理することにより依頼者から直接報酬を得ることが多く、個人事件の報酬は上記統計調査には反映されない。このような前提をもとに国税庁の税務統計を分析すると、2010年以降2013年ごろにかけて、課税所得(収入から経費を控除した額)2000万円超の層と低所得の層が減少し、中間層の500万円~1000万円の層が増加しており、格差が減少していると指摘されている。また、全業種では申告所得額200万円以下が全体の6割を占めていることと比較すれば、弁護士は依然として高収入の部類にあると指摘されている[46]。
数少ない出身校別の調査結果としては、2016年10月、「法科大学院の出身校別の年収1千万円以上の割合は、東京大55.6%、慶応義塾大学47.6%である一方、早稲田大は26.4%」との調査結果も報道されている[47]。
自営業者の場合[編集]
弁護士の94%は自営業者である。いわゆる勤務弁護士(イソ弁)でも、自営業者として組合に参加している場合が多く、必ずしも法律事務所を経営しているわけではない。各年の弁護士白書によると、自営業者の弁護士の収入・所得の平均値・中央値は以下の通りである[48]。
平均値調査年2004年2006年2008年収入362434533397所得165416321598
中央値調査年2004年2006年2008年収入200624002200所得120312001100
また、平成16年サービス業基本調査[49]によると、法律事務所(一事業所あたり)の平均所得は1829万円である。同調査における平均値は1301万円である。
被雇用者の場合[編集]
上述の通り、被雇用者の弁護士は全体の6%に過ぎない。賃金構造基本統計調査[50]によると、被雇用者の弁護士の平均収入は以下の通りである。
同調査は抽出調査であり、毎年サンプル数やサンプル自体が変動する。
たとえば、2005年については年間賞与が1000万円を超えることになっている(他の年度は100万円から200万円台)。
調査年2005年2006年2007年2008年2009年収入2097772852801679 年齢40.5323541.536.4調査人数930150340401350
2005年に2097万円だったのが2006年には772万円に激減している。同調査によれば、民間企業の被雇用者の平均年収は486万円である[51]。
制度の問題点[編集]
地域的偏在の問題[編集]
2021年12月1日時点での日本の弁護士数43,030名のうち、東京の弁護士会[注釈 12]に在籍するのは計20,841名、大阪弁護士会に在籍するのは4,761名、名古屋市を擁する愛知県弁護士会に在籍するのは2,046名で、三大都市圏で全国の弁護士数の6割を超える格好となっている[18]。
日本弁護士連合会では、2000年6月以降、弁護士が2人未満の「弁護士ゼロワン地域」の解消を目的にひまわり基金法律事務所を各地に設立し、2020年末時点でその数は全国36か所となっている。しかし、弁護士ゼロワン地域をなくすには至っていないうえ、少数の弁護士を配置しても地域住民が物理的距離感を障壁に感じて利用が進まなかったり、逆に少数の弁護士に地域の全業務が集中して負担が大きくなりすぎるといった問題も残されている。新規登録弁護士には大都市志向が高まっている傾向があり、地方で働く若手弁護士の増加が望まれている[52]。
依頼費用・報酬面の問題[編集]
弁護士報酬は、原則として各弁護士が定めるもので統一的・客観的な基準はなく、依頼者と弁護士の契約に委ねられているが、依頼者がこれを高額と感じることがある。
資力の乏しい者が弁護士の援助を受ける方法としては、日本司法支援センター(法テラス)による法律扶助の制度があり、「勝訴の見込みがないとはいえない」場合、弁護士費用や裁判費用の援助が受けられる。法テラスは、弁護士紹介事業も行っている。
また、難民認定申請や在留特別許可の申請、不法滞在者の労働問題などについては、日本弁護士連合会が援助を行っている。
刑事事件においては各種の制度が整いつつあり、被疑者となった場合に1回に限り無料で弁護士の出動を依頼できる当番弁護士制度や、無資力の被疑者のために弁護士費用を援助する被疑者弁護扶助制度、刑事被告人に資力がないときに裁判所が被告人のために弁護人を選任する国選弁護制度などの制度がある。また、一定の重罪事件については被疑者段階でも無資力の被疑者のために国選弁護人を付する被疑者国選弁護人制度が設けられている。
もっとも、当番弁護士制度は弁護士自身の負担で維持されている状況であり、国選弁護人に対する報酬が低廉であること、被疑者弁護扶助制度について十分に知られておらず、貧しいために被疑者段階で本来必要な弁護人の援助を受けられない者もおり、捜査機関から弁護人を選任しないよう被疑者や被疑者の家族に対して働き掛けがなされるなど問題点も多い。
会費問題[編集]
弁護士会の会費は高額であり、平成21年度の東京弁護士会の会費は59万6500円になっている[53]。
このように高額な会費となっている理由は、弁護士自治の関係で弁護士会の運営が会費でまかなわれているためもあるが、弁護士会が公益活動を会費を支出して行っているためでもある。現在、日弁連では、(1)被疑者弁護、(2)少年付添、(3)犯罪被害者、(4)難民認定、(5)外国人、(6)子ども、(7)精神障害者、(8)心身喪失者等、(9)高齢者、障害者及びホームレスに関する9事業について、法テラスに委託して法律援助事業を行っている。弁護士会内ではこれらの事業は本来公益性が高く国の負担で行われるべきとの意見が強いが、これらに対する事業は弁護士会からの支出によってまかなわれており、個々の弁護士に会費という形で徴収されている。
収入が少ない若手会員にとってこの負担は大きく、滞納という現実もあると指摘されている[54]。滞納すると退去命令の懲戒処分を受けて弁護士資格を失うこともある[55]。
不祥事[編集]
タクシー運転手への暴行から事件放置、横領などに至るまで、不祥事の増加が報じられている[56]。
多発する不祥事の類型としては預かり金の着服などの横領事案が典型的と指摘される。その要因としては、弁護士数の増加により従来のような営業活動では顧客獲得が困難になったことで、集客などの業務を外部業者に委託する弁護士が増えたことに伴い、非弁提携のリスクが増大していることが指摘されている[57]。
「非弁提携」も参照
報道された最大規模の横領事案としては、岡山弁護士会所属の弁護士が依頼された案件22件において計9億円を横領した事例がある。本件においては懲役14年の有罪判決が確定している。
詳細は「岡山弁護士巨額横領事件」を参照
2011年には、債務整理を手掛ける弁護士のトラブルの多発を受けて、債務整理事件処理の規律を定める規程[58]が日弁連で制定された[59]。
2013年ごろには成年後見に関する横領などの不祥事が増加し、これを問題視する報道もなされた[60]。なお、専門職後見人(弁護士のみならず、司法書士、社会福祉士なども含む。)による不祥事は、2014年には22件計5億6000万円に達していたが、令和2年には30件計1億5000万円となっている[61]。
詳細は「成年後見制度#法定後見の実務と課題」を参照
過去10年間において懲戒処分を受けた弁護士および弁護士法人の数は、全国の弁護士および弁護士法人数に対し毎年0.2%~0.3%程度であり、大きな変動はない[62]。
「弁護士の懲戒処分」も参照
弁護士の懲戒処分
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この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
弁護士の懲戒処分(べんごしのちょうかいしょぶん)とは、弁護士に対する懲戒処分である。弁護士法の規定に則り、日弁連または対象弁護士の所属弁護士会が行う。
沿革[編集]
1890年から1947年までは、裁判所構成法・旧弁護士法に基づき、控訴院(戦後でいうところの高等裁判所)が弁護士の懲戒を行っていた。
現在の制度は、1949年の弁護士法全部改正によって新設されたものであり、弁護士自治の一部を担っている。
懲戒事由[編集]
懲戒の理由となるのは、対象弁護士に「その品位を失うべき非行」があったことである(弁護士法第56条第1項)。ここでいう「非行」とは、弁護士として懲戒処分を受けなければならないだけの非違行為をいうものであり、形式的な会則等の違反のみによっても定まるものではなく、その存否は実質的に吟味されて決定される[1][注釈 1]。
東京弁護士会綱紀委員会において「非行」に該当するか否か議論されることが多い類型は以下のとおりである。なお、以下の例示はあくまで「よく議論される内容」であり、これら全てが直ちに懲戒事由に該当するというわけではない[1]。
弁護士職務基本規定に違反する行為 - そもそも違反すれば通常非行となる可能性の高い規程とされる。
委任契約書の作成に関する問題 - 委任を受けた事務の範囲と報酬の算定が問題になりやすい。
預り金に関する問題 - 会則どおりに預り金を分別管理していても、使途などを巡ってトラブルになることがある。
準備書面等の記載内容 - 冷静に作成すべき裁判書面の記載内容が過剰に攻撃的になったり、裁判外の書面の送り先が問題になったりする。
自力救済 - 建物明渡などの場面において、依頼者を思うあまり過剰な実力行使を行ってしまうケースがある。
利益相反等 - 過去の依頼者が相手方になってしまう場合や、相続などで多数の当事者の利害関係が入り乱れた場合などに、慎重な判断が求められるケースがある。
債務整理事件特有の問題 - 非弁提携などの論外な行為に加え、依頼者と面談せず事務員任せにする、事件を放置するなどの問題が持ち込まれることが多い。
刑事弁護を巡るトラブル - 一般的な職務懈怠のほか、逆に最善弁護を追求して積極的に活動した結果、捜査機関から証拠隠滅の疑いをかけられたりすることもある。
手続の流れ[編集]
懲戒手続の概略は以下のとおりである[2]。
懲戒の手続は、第三者からの請求(弁護士法第58条第1項、いわゆる懲戒請求)または弁護士会の職権(同条第2項、いわゆる会立件または会認知事案)により開始される。
まず綱紀委員会において、事案の審査をする必要があるか否かがスクリーニングされる(同条第3項、第4項)。
綱紀委員会において審査相当の議決が行われた場合、懲戒委員会において事案の審査が行われ、懲戒の判断がなされる(同条第5項、第6項)。
単位弁護士会により懲戒をする議決を受けた対象弁護士は、日弁連に対し審査請求が可能である(弁護士法第59条)。対象弁護士は、当該審査請求に基づく日弁連の審決に不服がある場合は、審決取消訴訟を提起することができる(同法第61条)。
懲戒請求者には審決取消訴訟の提起は認められていない[3]。
懲戒請求等の性質[編集]
弁護士法第58条第1項は、「何人も(中略)弁護士会にこれを懲戒することを求めることができる」と規定しており、同項に基づき弁護士会に弁護士の懲戒を求めることを「懲戒請求」と、またこのような制度が存在することを「懲戒請求権」と表現することがある。
懲戒請求権は、懲戒請求者の個人的利益の保護のために認められたものではなく、弁護士懲戒制度の運用の適正を図るという公益的見地から特に認められたものである[3]。
判例上、請求者に対し恣意的な請求を許容したり,広く免責を与えたりする趣旨の規定でないことは明らかであるとされる[4]。
懲戒請求はあくまで弁護士会の職権発動を促すものであるから、懲戒請求を取り下げたとしても、係属中の懲戒の手続は続行される[5]。
懲戒手続記録の閲覧等[編集]
民事訴訟と異なり、懲戒手続の記録の閲覧・謄写は委員会の裁量に任されている。対象弁護士に対しては適正手続の保障の見地から閲覧・謄写を許可すべき場合が多いと考えられるが、懲戒請求者に対しては限定的に考えられている[6]。
違法・不当な懲戒請求[編集]
実際に行われる懲戒請求の多くは正当な理由がないものであり、弁護士に対する業務妨害として懲戒請求が濫用されている疑いがある事例も存在する[1]。
2014年に行われた弁護士に対する業務妨害に関するアンケートでは、170件の回答中、19件において濫用的な懲戒請求・告訴が手段として使われたと報告されている[7]。
懲戒請求者が負う責任[編集]
民事責任[編集]
判例法理(最判平成19年4月24日)[編集]
最高裁判所判例事件名損害賠償請求事件事件番号平成17(受)2126平成19年4月24日判例集民集第61巻3号1102頁裁判要旨弁護士法58条1項に基づく懲戒請求が事実上または法律上の根拠を欠く場合において、請求者が、そのことを知りながらまたは通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに、あえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには、違法な懲戒請求として不法行為を構成する。最高裁判所第三小法廷裁判長上田豊三陪席裁判官藤田宙靖、堀籠幸男、那須弘平、田原睦夫意見多数意見全員一致意見田原睦夫参照法条民法709条、弁護士法58条1項テンプレートを表示
懲戒請求を行った者が、「そのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに、あえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるとき」には、対象弁護士に対する不法行為となる(平成19年4月24日最高裁判所第三小法廷判決・民集第61巻3号1102頁[4])。「そのことを知りながら」とは故意、「通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得た」とは重大な過失を意味する。
このルールは、訴えの提起が不法行為に当たるための要件(昭和63年1月26日最高裁判所第三小法廷判決・民集第42巻1号1頁)と類似している。訴えの提起は、主張に事実的・法律的根拠がないとされたことを前提に、提訴者が「そのことを知りながらまたは通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となる」とされる。
個別の事案においては、不当な訴えの提起が不法行為の要件を満たすとされることは少ないのに対して(平成11年4月22日最高裁判所第一小法廷判決・ 集民193号85頁、平成21年10月23日最高裁判所第二小法廷判決集民232号127頁、平成22年7月8日最高裁判所第二小法廷判決・集民234号207頁)、懲戒請求が要件を満たすとされることはままある(上記平成19年最判等、最高裁でも判断が示されている。)。
これは、訴えの提起は、憲法32条によって保障された権利(裁判を受ける権利)であるのに対して、懲戒請求権は、前述のとおり、弁護士法という法律によって、しかも、弁護士会または日弁連の自主的な判断に基づいて、弁護士の綱紀、信用、品位等の保持を図るという目的を達成するため、公益的見地から認められたものであり、懲戒請求者個人の利益保護のためのものではないことによる[3](上記平成19年判決の担当調査官による解説[8])。
懲戒請求者の立場別の傾向[編集]
懲戒請求制度は公益的なものであり、何人もすることができるが、懲戒請求者自身が利益を有するか否かも「公益」に(重要な部分として)含まれる。したがって、利害関係人(例えば横領の被害を受けたと考えている者)が請求した場合には、公益的見地からしても「弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠く」とは判断されにくいのに対して、利害関係のない者(例えば報道などで情報を得ただけの無関係の者)が請求した場合(後述の大量懲戒請求の事案など)には、「弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠く」と判断されやすい。
匿名で違法な懲戒請求を扇動する行為も対象弁護士に対する不法行為を構成しうるものであり、対象弁護士が求めた扇動者の発信者情報開示が認められたこともある[9]。
刑事責任[編集]
懲戒請求に関する事件[編集]
光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件[編集]
詳細は「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」を参照
光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件では、光市母子殺害事件弁護団から橋下徹弁護士に対して「橋下弁護士が業務妨害を行った」として損害賠償を求める訴訟が起こされた。しかし、弁護団の求めた損害賠償の訴えは最高裁判所で棄却された。
この裁判とは別に、2009年(平成21年)11月27日、光市母子殺害事件の弁護団のうち19人が、橋下と読売テレビに対して、総額約1億2,400万円の損害賠償と謝罪広告を求めて広島地裁に提訴した[12][13]。原告弁護団は、「弁護団があたかも被告の弁解を捏造し、意図的に遺族感情を傷付ける弁護活動を行っているかのように番組で放送された」と主張した[12]が、2013年4月30日、広島地裁(梅本圭一郎裁判長)は「放送の発言の中に、人身攻撃に及ぶような表現は認められない」として、請求を棄却した[14]。
原告らは一審判決を不服として控訴したが、2014年2月28日、広島高裁(小林正明裁判長)は控訴を棄却した。原告らは、さらに上告および上告受理申立てをしたが、2015年3月26日、最高裁(大谷直人裁判長)は上告を棄却すると共に上告受理申立てを不受理とすることを決定した。これにより、原告ら(弁護団員)の請求棄却という一審の判決が確定した。
光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件の最高裁判決では、須藤正彦最高裁判事が「懲戒事由の存否は冷静かつ客観的に判断されるものである以上、弁護士会の懲戒制度の運用や結論に不満があるからといって、衆を恃んで懲戒請求を行って数の圧力を手段として弁護士会の姿勢を改めさせようとするのであれば、それはやはり制度の利用として正しくないというべきである」と補足意見を残している[15]。
特定の弁護士への大量懲戒請求事件[編集]
政治的な目的で、または人種差別的な意図を持って、特定の弁護士を対象として大量の懲戒請求が行われる事件が2010年代後半に発生した。
具体的には、東京弁護士会が2016年4月に出した「朝鮮学校への適正な補助金交付を求める会長声明」に賛同したとされた、複数の弁護士に対し、2017年以降約13万件の懲戒請求があったことが明らかになった。しかし、佐々木亮や嶋崎量、北周士など、当該声明の発出に全く関与しておらず、朝鮮学校の訴訟にも関わっていない弁護士もターゲットにされていた[16]。
大量懲戒請求事件の背景[編集]
請求者の多くは青林堂と関係があった匿名ブログ『余命三年時事日記』に扇動されたものと思われ[17]、当該ブログには請求のひな型が用意されていた。請求対象となった弁護士の中には、請求者に対し業務に支障が出たと、損害賠償請求訴訟を提訴を行った神原元弁護士、佐々木亮弁護士(青林堂裁判の労使紛争代理人)ら[18]、および提訴予定の弁護士がいることが報道された[19][20][21][22]。
懲戒請求を行った者の年齢は、1番若くて43歳であり、40代後半から50代後半が多く、60代・70代もいるという[23]。
日本放送協会の調査報道では、懲戒請求した人物の平均年齢は55歳で6割が男性であったという。2018年10月29日には、クローズアップ現代+で取り上げられ[24]、放送を見た衆議院議員の武井俊輔は、扇動者をルワンダ虐殺の際に憎悪を煽ったラジオDJになぞらえた[25]。
大量懲戒請求の発端となったブログの運営者は、日本放送協会の取材に対し、読者による行動について「自分が命令を下したわけではない、責任感など感じない」と答えた。そしてブログで3人の弁護士に7億2000万円の損害賠償を求めて反訴したことを明かした(後に訴えを取り下げている。)[26]。
弁護士会および対象弁護士らの対応[編集]
沖縄弁護士会に所属する、在日韓国人の弁護士2名に対する懲戒請求に、沖縄弁護士会は懲戒理由に書かれる件に当該弁護士は関与してないとして、綱紀委員会は懲戒委員会に審査を行わないことを決定した。この懲戒請求をヘイトスピーチと同じと非難した[20]。
東京の在日コリアン弁護士の対応[編集]
東京地裁
東京弁護士会に所属する在日コリアンの弁護士が起こした裁判では、東京地裁により原告側の主張が認められ、人種差別的な理由による懲戒は違法であるとの判決が出され、被告の男性に33万円の慰謝料の支払いが命じられた。また、この裁判には被告となった男性は欠席、答弁書を提出しなかった[32]。
2019年10月29日、最高裁判所は双方の上告を退け、損害賠償額を一審判決の33万円から11万円に減額した支払いを命じた二審の東京高裁の判決が確定した[33]。
名古屋地裁
2020年10月21日、最高裁判所は被告側の上告を退け、男女二人に合計88万円の支払いを命じた高裁判決が確定した。一審の名古屋地裁は、要旨「被告による懲戒請求は根拠のない違法行為である、しかし懲戒請求は公には知られていない、よって名誉毀損される程の侵害ではない。」と原告側の訴えを退けていたが、二審の名古屋高裁は「被告による懲戒請求は人種差別に基づく行動であり、弁護士にとって懲戒請求そのものが名誉毀損である」旨判示し、逆転勝訴となった[34]。
佐々木弁護士および北弁護士の対応[編集]
大量懲戒請求がメディアに取り上げられた発端の佐々木亮・北周士両弁護士は、900人を超える請求者に対して、訴訟を提起した。
2019年10月25日、大阪高裁は、佐々木弁護士の請求を認め、「本件投稿における懲戒請求の呼び掛け行為の趣旨、態様、対象者の社会的地位、本件投稿の発信によってもたらされた結果等の事情を総合すれば、控訴人が弁護士であり、その資格や使命に鑑みて、様々な意見や批判を受けるべき社会的立場にあるとしても、本件投稿の発信自体によって控訴人の被った精神的苦痛は社会通念上受忍すべき限度を超えたものであると評価することができるから、控訴人は、本件投稿の発信自体によって権利が侵害されたことが明らかである」として、懲戒請求を呼びかけたブログのホスティングサーバーに対し、ブログ運営者の情報を開示するよう命じた(大阪高裁令和元年10月25日判決)[36]。
2019年12月11日、名古屋高裁は東京弁護士会所属に2名弁護士の訴えを認め、被告の男女2名に計88万円の支払いを命じた[37]。
2020年10月29日、最高裁判所は被告の上告を退け男女6名に396万円の支払いを命じた東京高裁判決が確定。二審・上告審では一審判決が認めなかった弁護士費用相当額の損害賠償についても認められており、損害賠償額は360万円から396万円へ増加した[38]。
2020年11月7日、名古屋高裁は男女10人に合計660万円の支払いを命じた[39]。
弁護士の懲戒制度に関する意見[編集]
弁護士会の会長選挙の直前に候補者に懲戒請求が行われ、立候補できなくなる事態が発生するなど、懲戒請求制度が本来の目的から外れて濫用されることが懸念されている[40]。
弁護士の懲戒請求制度にはしばしば「かばいあい」「なれあい」などのいわれのない非難が寄せられるが、実際には厳正に運用されており、綱紀委員会・懲戒委員会のメンバーである裁判官・検察官・非法曹の有識者等の外部委員からも評価されているという[41]。
『九条の大罪』弁護士の定義完全に土足以下で踏み込んだわね?
「アタシャ助監督よ?弁護士の懲戒処分も載せておいた?弁護士の定義違反してるわよ?全部ね?懲戒請求を行った者が、「そのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに、あえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるとき」には、対象弁護士に対する不法行為となる(平成19年4月24日最高裁判所第三小法廷判決・民集第61巻3号1102頁[4])。「そのことを知りながら」とは故意、「通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得た」とは重大な過失を意味する。が懲戒請求の基本なの?『九条の大罪』弁護士の定義完全に土足以下で踏み込んだわね?今の時点でも真鍋昌平や弘中淳一郎を緊急現行犯逮捕出来るの?しかも即弁護士資格剥奪よ?自首するなら今のうちよ?ダーク・ディグラーは欲は深くないからね?真鍋昌平や弘中淳一郎とは違ってね?でも猶予は与えるのがダーク・ディグラーよ?まあいずれ問題になるから死刑ってTHE 虎舞竜の「ロード」サーガよ!ロード ロード〜第二章 ロード〜第三章 ロード〜第四章 届くことのない手紙 ロード〜第五章〜 12月のワインディングロード ロード〜第六章〜 ロード〜第七章・7/13 ロード〜第八章 ロード〜第九章 ロード〜第十章 ロード〜第十一章 ロード〜第十二章 ロード〜第十三章 シンデレラ ロード〜序章〜 ロード〜君のぶんまで生きよう ロード〜第十四章=愛別離苦 ロード~㐧15章×2 = George Takahashi×May J.多分これ以上増えるし死んでも逃れられないから「ロード」サーガにいつものよ?ババを踏みやがったぜーロワイヤルストレートフラッシュ級のいつものバカ漫画家とバカ弁護士よ!それ漫画と弁護士でやると殺されるの!生きてる感じは一瞬すらもないくらい怯え『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』を毎日が死だと感じることが生きてる感じがガチでマジでガチサイコーなの!これで通じた?」
「プロデューサーだ!これWikipedia使ってるからパクリというが違うんだ?多角的なサイト表示してしかも検索できるからネットでnote選んだの?警察機構や司法機構や官僚機構はこの文マジで書類だけで理解できるのか?引用元は超膨大で超多数だぞ?」
「文芸部です。Wikipediaってネット検索を主体としたサイトなのでこの媒体はnote媒体だから検索しやすい。しかし警察機構や司法機構や官僚機構は書類仕事です。このnoteの心の指紋を書類化しなければなりません。しかもWikipediaなので正確ですし。他の専門サイトからの引用なので間違いはありません。しかし警察機構や司法機構や官僚機構は書類仕事です。全部調べないといけません。裏付けとってね。例えばスタッフに『HUGっと!プリキュア』の敵幹部名を呼び名使ってます。警察機構や司法機構や官僚機構は書類仕事で『HUGっと!プリキュア』全話見て特徴や内容や設定も全部書かないといけないんです。それが警察機構や司法機構や官僚機構なんです。しかもnoteの心の指紋の書類は起承転結に三幕構成を前提とした。文章と文書校正なので反論できません。こうなれば無間地獄で警察機構や司法機構や官僚機構は完全敗北事項決定です」
ガイナックスに『新世紀エヴァンゲリオン』のプロダクション権保有確定だ
「俺は監督だ!こうすれば百田尚樹の『日本国紀』も叩かれなかったの?所詮は百田尚樹も三流コピーボーイ以下か?ガイナックスに『新世紀エヴァンゲリオン』のプロダクション権保有確定だ、昔ながらアニメファンが言ったが『新世紀エヴァンゲリオン』は設定や世界観やキャラクターは『ふしぎの海のナディア』で元は『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』の一企画でしかないアニメーション - 東宝、KORAD(韓国)で企画制作(第1 - 28話)→制作著作(第29 - 39話) - NHKで共同制作 - NHKエンタープライズ、総合ビジョンでアニメーション協力 - グループ・タック、GAINAX、世映動画(現:同友アニメーション)でプロダクションで生き残ったのはGAINAX、世映動画(現:同友アニメーション)のみだ?庵野秀明も幼稚園にも入れもしないバカだな?肝心の『ふしぎの海のナディア』の権利手に入れないと『新世紀エヴァンゲリオン』でヱヴァンゲリヲン新劇場シリーズ作ったら『ふしぎの海のナディア』の著作権侵害に完全違反だ、しかも『ふしぎの海のナディア』の権利はガイナックスが版権持ってて『新世紀エヴァンゲリオン』のみ持っても意味ないしそもそもエヴァンゲリオン初号機の設定はガイナックスの権利だ。ババを踏みやがったぜーロワイヤルストレートフラッシュ級のいつものバカ脚本家だ!それ脚本でやると殺されるの!生きてる感じは一瞬すらもないくらい怯え『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』を毎日が死だと感じることが生きてる感じがガチでマジでガチサイコーなんだ!だからアニメーターは脚本書いちゃダメ😅親切は言うからね」
「文芸部です。よく怖い警官優しい警官で告訴取り下げようとする警察署いますが事態わかってるんですか?加害届の側はJR東海と愛知県警で犯罪者はJR東海と愛知県警です。しかも警察機構や司法機構や官僚機構含んだ日本司法機構の盲点突いた媒体の著作権侵害です。もう厳重警戒で検察は守るでしょうね?JR東海と愛知県警からね?それが検察です。もし怖い警官優しい警官やった時点ではらたいらに三千点のボーナス慰謝料が加算されます。即です。しかも各自一京七千超円個人負担です?しかも警察官資格も即剥奪でその時点でJR東海と愛知県警は即座に一京七千超円払うんです。そうそう言い忘れてましたがダーク・ディグラーって最近疲れと精神の疲れが何故か急に襲ってきて仕事休みがちで情緒不安定です。被害届出して警察官に呼び止められたら怖い警官優しい警官と即思って検察にスマホで連絡します。それ以前に検察の警護いますね。」
幼稚園にも入れないバカが多いから騙されます
「文芸部です。再び文芸部です。JR東海はこれ親切で言います。結論から申し上げますと暴力団関係者をダーク・ディグラーに差し向けたらJR東海が逆に被害受けます。簡単です。暴力団関係者って法務関係者多数いるんです。『九条の大罪』あれギャグマンガです。理由は準構成員や構成員や組員関係者や若頭補佐や若頭や組長はいつ捕まるかわからないから確実に法務関係者雇うんです。犯罪のためではありません。自衛のためです。暴力団関係者って世間から冷たい目に晒され家族も村八分なのが暴力団関係者です。それで暴力団関係者がシノギで犯罪に手を染めた場合に法務関係者が刑の軽減求めたり服役中の家族の世話や受刑者となった暴力団関係者の収入の確保と出所の申請手続きと山です。だから法務関係者がいるんです。大切な仕事です。法務関係者としては大切です。それをギャグマンガにして稼いだのは真鍋昌平です。命必ず狙われます。真鍋昌平や弘中淳一郎は暴力団関係者の命綱の法務関係者を犯罪の道具にしたんです。気を付けたほうが良いですよ?法務関係者と暴力団関係者は密接な間柄です。相当不味い橋渡りましたね?真鍋正平や弘中淳一郎?だから陳腐な漫画で暴力団関係者が暴力振るいまくり?『チェンソーマン』もそうです。あれもギャグマンガです。調べるんです。暴力団関係者って殺害相手なり私刑する相手は確実にね?それで法務関係者が下調べするんです。法務関係者ですよ?心の指紋が一京七千超円を個人負担でカラオケの権利持ってるとね。暴力団関係者に全員に請求できる相手で世界の犯罪組織肉まんだと?普通は喧嘩売りません。暴力団関係者もなんだかんだで法に弱いんです。寧ろ暴力団関係者はJR東海をシノギに利用できると画策し暴力団関係者ってネットワークが尋常じゃないんです。それで全国の親分衆にJR東海の切り取り計画実行するんです。これが暴力団関係者の普段の稼ぎでJR東海は暴力団スキャンダルにまみれます。そうそう『九条の大罪』や『チェンソーマン』のギャグマンガの意味わかりますか?逆にJR東海が暴力団関係者に死ぬ程たかられるから笑えるんです。これ法務やインターネットで幼稚園児が理解できる話なのに『九条の大罪』は210万部です。世の中には幼稚園にも入れないバカが多いから騙されます」
「俺は監督だ!文芸部アフターケアーしっかりしてるな?裏取って?もうJR東海と愛知県警が払うしかないだろう?一京七千超円?マジで怖いな?文芸部?そうそう心の指紋のテーマは命と生きてる感じだから妊娠出産するのがSEXの目的だよ?これ忘れるポルノ業界いるからAV業界叩かれるし責任もって子供夫婦が幸せになるって指針示したから無責任な妊娠前提のSEXじゃないの?これ入れとけば宗教関係ないの?宗教の本質は精神だから命と生きてる感じだよ?」
「文芸部です。基本はそうだからそこがテーマでアニメでしかできない媒体ですが実写でも可能です」
「俺は監督だ!しかも宗教利用は一切されない。商業媒体で著作権持った媒体だから宗教目的で使えば著作権侵害で叩き潰せる。こうして可能性潰すのも監督だ」
「文芸部です。救いようがない現実言いますが真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武はお大事に💔なんでこの絵文字?簡単です。この事実が知られれば警察機構や司法機構や官僚機構は無論小学館や映像会社や円盤会社や配信会社に賠償命令とこれは親切で言いますし老婆心ですがもう遅いです。世界中の暴力団関係者から全方位で命狙われます。だから💔です。警察機構に捕まって留置所で保釈金で出ますがそこから真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武は小学館や映像会社や円盤会社や配信会社から『闇金ウシジマくん』の損害賠償や『九条の大罪』の損害賠償や違約金や法律の不備知った編集部の解体と警察出頭命令と単行本回収不可能の損害賠償や円盤会社の円盤回収不可能の損害賠償や違約金や配信会社の配信取りやめにかかる違約金無論テレビ局の永久放送禁止番組で『闇金ウシジマくん』や企画段階にあった『九条の大罪』の完全封印や違約金を真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武は払うんです。裁判はありますが全部反社会的行為の加担及び法務機関を犯罪の道具に利用して営利目的の裁判控えてるんですよ?複数も裁判控えたら夜逃げや国外逃亡は不可能で佐々木チワワの書籍『『ぴえん』という病 SNS世代の消費と承認』の表紙に採用となるは即時発禁で単行本回収の損害賠償やや違約金佐々木チワワは払いますし裁判は山のようです。しかも上記の項目の損害賠償付きです。真鍋正平は暴力団関係者一切取材してませんね。もうギャグマンガで済ませました。こうなれば暴力団関係者は自分たちの命綱である法務関係者愚弄し更には世界中の暴力団関係者の面子を土足で踏みにじる真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワは普通は肉まんにして消します。世界中の暴力団関係者は古今東西肉まんで消すんです。手口は簡単です。ポストマンや配達屋さんや友達の誘いのドライブなどで家から拉致でジョーイ・タイ気取りの真鍋正平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワは麻薬患者末期以上の苦しみ与えられて見世物にされて死ぬんです。しかも最後は肉まんです。これが現実です。可哀そうにね?早くこのnote媒体読んだほうが良いです。真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワはね?親切でしょう?このnote媒体?心の指紋が商業利用され被害届出されたらすぐそうなります。だからお大事に💔」
「俺は監督だ!もう詰んでたな?ミュージック頼むフランク・シナトラ「マイ・ウェイ」だ!我が道だ!真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワはもう後がなかったな?」
フランク・シナトラ「マイ・ウェイ」
12月24日生まれの四十八歳前後の監督は安物サングラスと古着のガウンとF県のゆるキャラTシャツに古着のステテコ着た中年太りの白髪が混じった茶色長髪ロン毛の髭面のおっさん姿でセブンスター煙草にポールスミス コレクション ジッポで火をつけ煙草を吸いフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる!これが恥だなと感じこれが我が道とは知ってたとは言え再び聞惚れる
12月31日生まれで七〇歳前半くらいの白髪でボサボサの長髪だがブラックのゴムの髪留めで止めてる黒のカジュアルコートに白いシャツにブラックメガネサングラスのオノ・ヨーコバージョンをかけて助監督はMarlboroのレギュラーをオールドボーイ 64-LOTY16 SHELLで火をつけ煙草を吸い遠い目でフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる!これが我が道とは知ってたとけどと再び聞惚れる
ペインは若葉吸い遠い目でフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる!役は選ぶもんだと「マイ・ウェイ」とはとこれが我が道とは知ってたとけどと再び聞惚れる
文芸部はアンパンと牛乳を静かに食しフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる
「文芸部です。文芸が機能するのはいつも国語と社会の文系機能があるんです!と言うよりも勉強が大事です!妄想で描いたり書くの好きです?それなのに気が付かないから後悔しても勉学は取り戻せないですからです!妄想のみで書く真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワはいつも私の場合聞くだけです。人生をね?それすらも放棄するとジョーイ・タイ気取りの真鍋正平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワは麻薬患者末期以上の苦しみ与えられて見世物にされて死ぬんです。しかも最後は肉まんです。珈琲が美味しいです。格段にね。ヨーロッパ珈琲豆の名のあるいい店です。現実突きつけるのが文芸部の務めです。現実はギャグマンガではないです。ギャグマンガは飽きたら捨てられるからギャグマンガです。これも現実です」
「俺は監督だ!信じなきゃ信じないでいいが気の毒だな?」
「文芸部です。文芸部は現実突きつけるだけです。創造神以上の存在の六法全書であるダルイゼンに逆らったんです。ダルイゼンは創造神以上の存在ですから逆らうと天罰です。亡霊です。ファーストアクションヒーローはハムレットのみです。だから『ラスト・アクション・ヒーロー』はつまらないです。アクションのみです。惨めな死は見せないです。フィクションは現実と違います。『北斗の拳』の北斗神拳究極奥義の無想転生と『ジョジョの奇妙な冒険』の生と死の円環構造を味合わせるだけです。現実に亡霊になりたい人がいるなんて危篤です」
「俺は監督だ!漫画やアニメは時には現実を凌駕するんだ!幼稚園児でもわかる現実知らないのが真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワなだけだ?親切は言うがもうオチはすでに亡霊だ。だからラディゲと夜神月の末路は無以下なんだ?志々雄真実も佐渡島方治も駒形由美や魚沼宇水のように現実の悲惨な死を「おろ?」も言えないくらいドン引きするくらいね?罪と罰と無尽蔵以上の地獄の苦しみも快楽に思えるくらい銃弾の嵐浴びせられて死体すらなくなるくらい肉片もないくらい銃弾の雨嵐受けて死亡したんだ。志々雄真実も佐渡島方治も駒形由美も燃えて萌えるの代償だよ!これが悪の現実だからこれが真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワの人生に対する本物の説教だ!悪い大人はお仕置きが『笑うセールスマン』だ!ナレーションは「今日のお客様は真鍋昌平さまです」でプロフィール紹介で真鍋昌平は小学校のころに『ドラえもん』を読んで感動し、漫画家を目指す。1993年に渋谷パルコのフリーペーパー『GOMES』主催のGOMES漫画グランプリで『ハトくん』が、しりあがり寿賞を受賞しデビュー。その後、グラフィックデザインのアルバイトを経て、1998年に『憂鬱滑り台』がアフタヌーン四季賞夏のコンテストの四季大賞を受賞し再デビューし2000年より『月刊アフタヌーン』に『スマグラー』『THE END』を連載する。それで「ココロのスキマお埋めします」と接触し映像業界薦めて『闇金ウシジマくん』を餌として「『スマグラー』と『闇金ウシジマくん』も一緒に映像化してみませんか?」とこうして売りつけるの喪黒福造が売りつけるの『闇金ウシジマくん』の映像化をね?それで真鍋正平に『闇金ウシジマくん』の映像化に成功して有頂天の真鍋昌平に喪黒福造が言うんだ「正し『九条の大罪』は絶対に映像化してはいけません」と言うんだが真鍋昌平は弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワの映像業界の甘い罠にハマり『九条の大罪』を映像化するんだ?それで現実に映像化実現企画前提で話進んで有頂天の真鍋昌平は突如いきなり弘中淳一郎からパニックの電話で「ネットのnote媒体の心の指紋読め!今すぐだ!URLはメールで送るそれで各当個所目次は電話で話す」と弘中淳一郎の言ったnote媒体の心の指紋のこの箇所読んで自分が置かれた状況がヤヴァイと察したら喪黒福造が「だから言ったでしょう!」「『九条の大罪』は映像化してはいけないと!」「もう手遅れです!」で「ドーン!!!!」でオチは真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワは麻薬患者末期以上の苦しみ与えられて見世物にされてるところで喪黒福造が笑うだけそれで喪黒福造は真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワの肉まんを笑いながら食べてるの?これが『笑うセールスマン』のオチだよ?藤子・A・不二雄は創造神以上の存在の漫画を描いた。教育番組だ、幼稚園にも使えるし保育園にも育児にも赤ちゃんが読んでも大丈夫な程使える絵本だ」
「文芸部です。基本絵本は残酷なんですが笑えるから難しいです」
「アニヲタ高校生だけどさあ?うちの幼稚園児の妹も絵本読むよ?俺頭悪いよ?それでも法律破っちゃいけないのは幼稚園児でもわかる理屈だよ?誰でも知ってる現実なのになんで引っかかるの?俺『闇金ウシジマくん』も『九条の大罪』も知らないよ?でも法律破ったら警察に捕まるの当たり前だし暴力団関係者ってヤンキーよりも怖い人たちでしょう?普通は暴力団関係者の事を出鱈目描いたら殺されるのは当たり前だし誰でも知ってることだよ?絵本読んでるうちの幼稚園児の妹も笑いながらでもわかる理屈だよ?俺難しいことわかんないし法律とかチンプンカンプンで頭悪いからアニヲタやってるんだよ?言いたくないけどバカじゃん!真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワっていい年した大人が絵本ですらない漫画を理解できないの?しかもヒットしてるんでしょう?絵本ですらない漫画読むくらいなら幼稚園児の妹がよく見てるプリキュア見てたほうがまだ法律や現実がわかるのにおかしな大人が多いんだね?」
「俺は監督だ!これは現実だ!マトリックスではない真実だ!麻薬患者末期以上の苦しみ与えられて見世物にされて肉まんで死ぬハメになるのが映像業界の恐ろしさだ!これもマトリックスの真理だ!真実か嘘か見極めたければ調べればいいだけだ。俺は何も言わんただ現実に幼稚園にも入れないバカが真鍋昌平や弘中淳一郎や映画監督の西川美和、はあちゅう、テレビディレクターの上出遼平、夏原武や佐々木チワワってだけだ。そうプリキュアシリーズが現実遥かに凌駕してるんだ『闇金ウシジマくん』や『九条の大罪』異常にな?だからプリキュアシリーズで『ウォッチメン』作れるの?そう『ウォッチメン』って難しい話じゃなくて勧善懲悪だから四コマ漫画で007で『スーパーマン』の脱構築が『ウォッチメン』なだけだ。早い話がプリキュアオールスターズのロリコンエロ入れたワールドワイドな政治取り入れた版だ」
「アニヲタ高校生だけどさあ?だったら深夜アニメでその『ウォッチメン』作ればいいじゃん?早い話がプリキュアオールスターズのエロ入れたワールドワイドな政治取り入れた版でしょう?誰でも作れるじゃん?」
「俺は監督だ!ところがプリキュアオールスターズのエロ入れたワールドワイドな政治取り入れた版だから誤解されやすいの?プリキュアオールスターズのロリコンエロ入れたワールドワイドな政治取り入れた版だから世界的評価や世界の文豪とかになったのアラン・ムーアはね?だから売れたしアメコミ業界のカリスマになったし同時期に『バットマン: ダークナイト・リターンズ』も出てアメコミブームが再燃してそれで『スーパーマンの死』も出たしこの後世界的アメコミ映画ブームが起きて今も継続中だ?だから『ウォッチメン』って映画化したがる会社や企画書出回るの?それで毎回破綻以上だしアラン・ムーアの基本と応用は勧善懲悪だから四コマ漫画で007で『スーパーマン』の脱構築でロリコンエロだから世界的文豪になったからその作品の実写映像化不向きなの?アニメですら不向きだから『バットマン: キリングジョーク』も不向きなの?だからアラン・ムーアもわかってるから映像化は断る主義なの?そういう事しかもプリキュアオールスターズのロリコンエロ入れたワールドワイドな政治取り入れた版だから誤解されやすいの?代表的なので『キック・アス』シリーズと『キングスメン』シリーズのマッシュ・ボーンとマーク・ミラーだよ?アラン・ムーアの『ウォッチメン』を大誤読した二人だ、『ウォッチメン』はプリキュアオールスターズのエロ入れたワールドワイドな政治取り入れた版だからプリキュアの要素でヒットガールで諜報機関キングスメンはプリキュアオールスターズだよ?それで世界中が熱狂だ?しかも肝心のプリキュアのテーマ忘れてるから萌えて燃えるしか残らないから『ウォッチメン』の欠片もないよ?『ウォッチメン』は四コマ漫画で007で『スーパーマン』の脱構築でロリコンエロだから『キック・アス』シリーズでロリコンエロで『キングスメン』シリーズで007だから肝心の四コマ漫画で『スーパーマン』の脱構築やってないから残るのはスーパーヒーロースーパーヒロインごっこでアラン・ムーアの『ウォッチメン』のテーマである現実にスーパーヒーロー活動やスーパーヒロイン活動したら社会の迷惑ってテーマがないし寧ろテロ行為肯定が『キック・アス』シリーズで『キングスメン』シリーズだから毎回破綻異常するから長く続かない媒体。これを駄洒落にして週刊少年ジャンプの漫画にしたのが『僕のヒーローアカデミア』だよ?人間懲りないね。元はプリキュアオールスターズのロリコンエロ主体が『ウォッチメン』の本質だよ」
「アニヲタ高校生だけさあ?俺『僕のヒーローアカデミア』も好きだよ?要は全部『ウォッチメン』のパクリのパクリ?頭の悪い俺でもわかる話だよ?それ全部プリキュアか?『僕のヒーローアカデミア』もプリキュアか?だったらプリキュアでエロ作ればいいのに?誰も何でやらないの?」
「俺は監督だ!そこが永遠の宿題だ!プリキュアで深夜アニメでエロやればいいだけだろう?幼稚園児でも考え付くのに誰もやらない?『ウォッチメン』って所詮はプリキュアだよ?『戦姫絶唱シンフォギア』ってプリキュアでエロやる企画なのに?企画趣旨で歌メインだから水樹奈々で行きましょう?で気が付きゃミュージカルと言うよりも熱唱だな?プリキュアでエロの欠片もない企画になったな?そう誰もプリキュアでエロ思いつかんから深夜アニメってジャンプ漫画が一人勝ちなのそういう事」
12月24日生まれの四十八歳前後の監督は安物サングラスと古着のガウンとF県のゆるキャラTシャツに古着のステテコ着た中年太りの白髪が混じった茶色長髪ロン毛の髭面のおっさん姿でピースライト煙草にポールスミス コレクション ジッポで火をつけ煙草を吸いダブルモスチーズバーガーを食べながらブラックアイボリーのコーヒーを飲んでる
「俺は監督だ!『BLACK LAGOON』さあ?自由と民主主義のための世界連盟が出てくるんだぞ!自由と民主主義のための世界連盟(WLFD)は、反共産主義の政治家やグループの国際的な非政府組織です。1952年に中華民国の指導者である蔣介石(最初は中国本土で、1949年以降は台湾)と引退したチャールズA.ウィロビー将軍の主導で世界反共産主義者同盟(WACL)として設立され、主に右翼の権威主義的な人々と組織を団結させ、東アジアとラテンアメリカの右翼権威主義体制の支援を受けて行動しました。.冷戦中、WACLは反共産主義および反ソビエトの立場に積極的に参加しました。1990年に、組織は現在の名前に変更されましたが、その伝統と以前の関係を保存しています。100か国以上の代表者を結集し、<>つの地域部門があります。本社は台湾の台北にあります。要は台湾の蒋介石は傀儡政権だからCIAみたいな情報機関が作り出した非合法情報処理部門でCIAの下っ端だよ!そもそもCIAは中央情報局(ちゅうおうじょうほうきょく、英語: Central Intelligence Agency, 略称:CIA)は、アメリカ合衆国の対外情報機関。主に人的情報(HUMINT)を利用して世界中から国家安全保障に関する情報を収集・処理・分析することを公式任務としている。アメリカの情報コミュニティ(IC)の主要メンバーであるCIAは国家情報長官の直属であり、主に大統領と内閣に情報を提供することを目的としているで自由と民主主義のための世界連盟はその下っ端だから陰謀論が生まれやすいの」
「統計だ!だからガン・アクションに情報機関混ぜるにはタイムボカンシリーズみたいにエッセンスでしかないの!そもそも情報分析官ってデスクワークだから作戦は軍に任せるの!俺だって小学館が無能以下のバカ以下だと思うよ!自由と民主主義のための世界連盟ってCIAの下部機関で済む話を拡大解釈してアメリカのネオナチ政党「白人社会主義団結党」の長のラッチマンだぞ!自由と民主主義のための世界連盟ってCIAの下部機関のアジア専門でナチスの戦犯のオットー・スコルツェニーすら一般兵士でドイツの英雄なだけで逃がしてもらっただけ!多いんだ!ナチスドイツ親衛隊は肉まんが当たり前だから!自由と民主主義のための世界連盟は経由地点に過ぎないから規模がデカいの!所詮はアメリカやドイツのネオナチは所詮はネトウヨオレオレ詐欺集団でしかないから大概は下ネタでナレ死ですらない死が現実だよ」
「俺は監督だ!そんな敵ワールドワイドなハードボイルドな敵にしてもしょうがないからサザエさんで片付ければいいだけだろう?その次元」
「統計だ!ジャック・ライアンって敵は必ず荒唐無稽な敵出すけどディティールは凝るのがジャック・ライアンシリーズのベストセラーの秘訣だよ!」
「俺は監督だ!中国人民解放軍総参謀部第三部.......................ねえよ!中国人民解放軍にそんな部署あるわけないだろう!あるのは中国人民解放軍戦略支援部隊が中国人民解放軍の情報処理部門だよ!馮亦菲もさあ?活かしようがあるキャラだろう?言いたくないのが助監督の漫談で話した!市民行動サービス!市民行動サービスはフレンチ・コネクションでシシリアンマフィアでコーサ・ノストラそのもの!ネーミングで犯罪組織決めるなよ!犯罪組織はダジャレじゃないんだ!神戸山口組と山口組の区別もつかないのが小学館だよ!正直マイケル・マンのドラマやジャック・ライアンシリーズならいいよ!サザエさんで片が付くしそれで中二病満載にしてもディティールリアルにしてタイムボカンシリーズにしたから『特捜刑事マイアミ・バイス』がヒットしたの!そうだよ!マイケル・マンって社会派はサザエさんでドラマはタイムボカンシリーズ作れるからテレビマンとして優秀なの」
統計はモスバーガーのとびきりチーズ~北海道産ゴーダチーズ使用~を食べながらブラックアイボリーのコーヒーを飲んでる
「統計だ!言いたくないが所詮は深夜アニメだよ?『BLACK LAGOON』さあ?もうTwitterでネタで盛り上がっても忘れるから深夜アニメで単行本売ること考えたら超ロリコンエロラブコメアニメで原作レイプして夕方のアニメに放送できるようにする資料を提供するのが統計の役目だ!月刊サンデージェネックスって売るもんないだろう?超ロリコンエロラブコメ化した『BLACK LAGOON』なら売れると小学館に提出したが蹴られたよ!挙句がスクエアエニックス版権のなろう系ラノベ漫画の『俺の青春ラブコメはまちがっている。@comic』や『薬屋のひとりごと』だ!だったら最初から超ロリコンエロラブコメ化した『BLACK LAGOON』の申し出受け入れればこんなことにはならずに済んだんだ!今度は中国と外交問題だ!『葬送のフリーレン』は普通は『装甲騎兵ボトムズ』やテレビドラマの『岸辺露伴は動かない』や『ブレイド』に脚色しないと『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』や『進撃の巨人ATTACK ON TITANエンド オブ ザ ワールド』は無駄な運動会でファンタジー映画から安手の国産SFにいきなりなるしかない構成案で行き着く先は『宇宙戦艦ヤマト』で『さらば宇宙戦艦ヤマト』になるのが関の山だよ!『葬送のフリーレン』は初回二時間スペシャル?言いたくないがその後の予算編成やアニメーターのスケジュールどうすればいい?最初は注目浴びるが所詮は深夜アニメで枠が取れても『葬送のフリーレン』は内容が分からん。誰も見ない!それが深夜アニメ!おまけに広江礼威は育てても無駄以下の漫画家だったとこっちが学んだよ!挙句は横領までしやがってしかも横流しを小学館と共同でやりやがってよお!統計はこれ以上は関与しない」
「俺は監督だ!統計に見捨てられた時が完全倒産半歩手前なんだ!ゲームオーバー試合終了なんだ!それだけ統計って会社の命運握ってるんだ!超ロリコンエロラブコメ化した『BLACK LAGOON』を捨てる小学館は天野芳雄はいつもミスすら気が付かず細井茂になってることも気が付かず謎の自殺が末路と死だよ。だから人の話は聞くもんだよ?アマチュア遊び以下だと確実に天野芳雄気分で編集すると細井茂だよ。これも小学館の現実だよ?どうせ誰もこの部分の議事録読まれないけど「ヤメサセテモライマース」と言いながら消滅させないのが『何もしない課』」
「統計だ!『闇金ウシジマくん』と『九条の大罪』と『BLACK LAGOON』とオマケの『映像研に手を出すな!』を軸にした小学館の内部暴露資料が心の指紋の企画書で出来てた!これで何時でも相賀昌宏を社長解任させ重役一同全員解任出来る書類だ!読んでも読まなくてもお前たちには理解出来んが裁判所は一行でも小学館の文字があれば即権利書と認め証拠書類と認められるのが法だ!文句があるなら裁判で受けて立ってやる!勝つのはこっちだ!書類が権利だし著作権だし同意書だ!即判決で勝ってやる!それで編集部も解体で編集者も解雇でリストラ案が出来るし不況に拍車掛けるから相賀昌宏や重役一同の個人資産で済ます。相賀昌宏や重役一同は解雇された編集者の面倒見る事だ!法的処置でな!全社員の再就職先も用意しない事には相賀昌宏や重役一同は逃げ出す事すら不可能にしてやる。相賀昌宏や重役一同が夜逃げしたら相賀昌宏や重役一同の作業服を脱がさないでにしてやる!意味は自分で考えろ」
「俺は監督だ!こうやってM&A出来るけど肩書や立場で舐められるけど裁判所が認められたら肩書や立場っていざ裁判所が認めたら目くそ鼻くそ以下だよ」
こうしてタイムボカンシリーズは続くの
「広告担当だ!これも捨ててるついでにこれもな」
「俺は監督だ!尾田栄一郎は追い込まれたな?ボカロ曲は飽きやすいからボカロ曲だ尾田栄一郎の会計と経理がパンクする案件だ!『僕のヒーローアカデミア』って腐女子も飽きた部類のコンテンツだ。だって延々『ドラゴンボール』やるしか能がない漫画だしアニメだ!いずれ飽きられる」
「広告担当だ!だから俺も捨ててる漫画が『ONE PIECE』だし『僕のヒーローアカデミア』だ」
「音楽担当だ!『ONE PIECE』の久々のED曲がChilli Beans.の「Raise」でB面にもならない曲専門なのがChilli Beans.だよ」
「プロデューサーだ!こういう場合プロデューサー仲間集めて東映アニメーションに伝達させて『ONE PIECE』の寺本知資プロデューサーに伝えて枠の確保狙う!東映アニメーションは多角経営だから枠譲る方法と邪魔な『ONE PIECE』の排除を請負いオリジナルアニメーション「Project BULLET/BULLET(仮)」の約束も取り付ける!これで枠は確保したと広告担当に報告だ」
「広告担当だ!これでじっくりと企画書に目を通せるから安心してオリジナルアニメーション「Project BULLET/BULLET(仮)」通せるんだ!後は広告やプロモーションやキャスティングもテレビやラジオやネットやSNSで広告だ!」
「俺は監督だ!どの道『僕のヒーローアカデミア』は漫画もアニメも打ち切りだな?『ドラゴンボール』しか能がはないんじゃしょうがないしどの道もう人気ないんだ?『僕のヒーローアカデミア』?理由は“個性”の発生源ってオール・フォー・ワンだよ?どう考えても『僕のヒーローアカデミア』元ネタは『キック・アス』、フランク・ダミーコが全ての元凶でその息子がクリス・ダミーコ / レッド・ミストだよ?これモロにオール・フォー・ワンと死柄木弔の関係性だろう?パクリだよ?『キック・アス』のモロな?死柄木弔の何処が、東日本大震災やインターネットを介したISILの台頭などが投影され、ニヒリズムが人格化された存在とする見方もあるだよ?レッドミストのパクリなだけ」
「アニヲタ高校生だけどさあ?『キック・アス』観た事ないけど冷めるよ?それ?」
「俺は監督だ!オチも決まってるんだよ?『僕のヒーローアカデミア』のな?『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』だよ?死柄木弔がオール・フォー・ワンの遺志を継ぎ進化するだけ?オール・フォー・ワンってそれだけの存在意義だからね?それで死柄木弔はクリス・ダミーコ / レッド・ミストからクリス・ダミーコ / マザー・ファッカーになって新たなヴィラン連合のTOXIC MEGACUNTS結成して雄英高校で激突するだけちなみに雄英高校はジャスティス・フォーエバーなの?もう漫画読まなくてもわかるよ」
「アニヲタ高校生だけどさあ?『キック・アス』も『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』も知らないけどここまで来たら『僕のヒーローアカデミア』のオチも読めるけどちなみに『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』のオチって?」
「俺は監督だ!まぁこれはアニヲタ高校生でも見たと思うが『THE BATMAN-ザ・バットマン-』観たか?」
「アニヲタ高校生だけどさあ?観たよ?長いけど?それがどうしたの?」
「俺は監督だ!死柄木弔の末路だよ!リドラーだよ」
「アニヲタ高校生だけどさあ?リドラーってあの精神病院に入る奴?」
「俺は監督だ!それが末路で死柄木弔はまた復活するの?マザーファッカーも同じなの?リドラーなの?」
「アニヲタ高校生だけどさあ?またヴィラン連合復活するの?なんか本当にそんなオチになりそう」
「俺は監督だ!もう知らない間に『僕のヒーローアカデミア』滅んでるよ」
「プロデューサーだ!週刊少年ジャンプの看板漫画が『ONE PIECE』に『僕のヒーローアカデミア』に『呪術廻戦』だぞ!全部『ドラゴンボール』で済むマンガだ!言いたくないが被りまくりのマンガばかりだ!堀越耕平はまだ使えるよ?コメディ描くこと出来るんだからね。週刊少年ジャンプの新陳代謝考えたら尾田栄一郎も堀越耕平も芥見下々も限界なんだ!『チェンソーマン』の藤本タツキは島流しだ!イッパツギャグマンガ家が調子に乗りやって晒し首だ」
「広告担当だ!片山達彦さあ?『鬼滅の刃』で当てたからって調子に乗りやがってグッズ在庫のの山で不況に拍車掛けやがってよお?被りまくりのグッズ売るからさあ?在庫が出来るのいるよ?これ?現実だよ?『ウォッチメン』のコメディアンも『公権力横領捜査官 中坊林太郎』の中坊林太郎も『ガサラキ』の西田啓も『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュ・ランページも『ゴールデンカムイ』の鶴見中尉は現実に存在するから雑誌業界怖いのにまだ岡田斗司夫や高橋ヨシキや中原昌也や映画秘宝関係者を信奉してるバカ以下いるんだ?信奉する相手はコメディアンだぞ?まだ制裁は特盛食べ放題に盛大だから終わってないから続くのに岡田斗司夫や高橋ヨシキや中原昌也や映画秘宝関係者はまだ「絶対遵守の力」のギアスから解除されてない?しょうがないこれが『ガサラキ』の西田啓の言ってる事が「絶対遵守の力」なだけ?それだけの能力ルルーシュ・ランペルージの能力ってね。だから騙されるの?西田啓にね?こうして騙されてることも知らずに西田啓はこうして人を操るのが広告担当の本質だ?アニヲタ高校生でも出版の会長職になれるよ?保証するよ?これは悪魔の誘いじゃない」
「アニヲタ高校生だけどさあ?なりたくない!ジャンプ漫画とアニメとエロアニメあればいいかな?ここまで来たら超エロロリ18禁アニメ見ても何ら恥ずかしくないし超エロロリ18禁アニメ今検索してTwitterで友達誘って鑑賞するよ?先輩も片山達彦のこと聞けばもっとエロい超ロリコンエロアニメや超ロリコンエロゲー薦めてくれるから今日からそれ見る毎日狂ったようにね?片山達彦みたいな大人に死んでもなるか」
「広告担当だ!アニヲタ高校生はそれが大正解だ!それが普通だ。だからアニヲタ高校生はもう立派な社会人だ。それが編集の基本だ!知ることが編集の基本だ!編集だ集めるんだ知識をその為の編集部だ、目立つことじゃないのに気が付かないんだ?いつもアニヲタ高校生のやった事が編集なだけだ、本を売るのは俺の仕事だ、だから竹熊健太郎はオタク編集者なだけで偏った知識拾うのみだ?偏ったらサブカルになるだけで毎回破綻するんだ仕事がね?バカらしいがアニヲタ高校生は本物の編集者の仕事だ、ああして仕事取るのが編集者だ、マジでアニヲタ高校生は編集の創造神以上の存在だったな?俺の甘言を一瞬以下で振り払った奴のみが本当に出世するんだ、『ゴールデンカムイ』の鶴見中尉は確実以上に本物を見出す天才だ、鯉登音之進がそうだ。太陽だ。勝利・成功や祝福されるやありのままの自分をさらけ出すと良いや自分の心に正直になると良いや隠し事の無い状態が上手くいくやエネルギー溢れる状態や純真・素直・無垢だ!これが鯉登音之進でアニヲタ高校生だ。こういう奴がどのジャンルでも会長職になる確実以上にな?鯉登音之進はのちに中将に昇進し第七師団の最後の師団長となったことが語られているだぞ?こうして本物を育てるのも鶴見中尉だ!広告担当ってこうして本物見つけて入社させるの?学歴経歴関係ないよ?こうして編集者で堀江信彦や川窪慎太郎を広告担当は出世させるの?堀江信彦はコアミックスで出版事業任されてるんだ。多角経営だ?社長職だ。原哲夫の絵が被ってないから『北斗の拳』が売りやすかったしパクリまみれでも原哲夫の絵の説得力と堀江信彦が武論尊雇ったから余計被らなかっただけだし原哲夫はアイデアあったから『花の慶次 -雲のかなたに-』にで『るろうに剣心』の雛形作ってもらったから週刊少年ジャンプの漫画の究極の秘宝が原哲夫だ。川窪慎太郎は当時23歳、駆け出しの新人社員だ。諌山創が絵は下手糞だが一切被ってない設定や世界観の漫画が『進撃の巨人』だから売りやすかったしファンタジーも編集部で練れるから売りやすかっただけ?諌山創は今後伸びてもらう?まだ『進撃の巨人』以外で描けるから新連載も構成しやすいし諌山創はアイデアあるから雛形作ってもらい別冊少年マガジンの究極の秘宝が諌山創でそれだけなのが川窪慎太郎で堀江信彦とキャリア大差ないよ?大熊八申も当然そうだ『ゴールデンカムイ』も一切被ってないから売りやすかったし野田サトルはアイデアは山のようにあるし絵も上手いから次作を依頼したからヤングジャンプの究極の秘宝でだから堀江信彦も川窪慎太郎も大熊八申も☆を掴んで太陽になっただけそれだけだ?だから『バクマン』って小畑健だからギャグマンガなの。編集者ってね?勝利・成功や祝福されるやありのままの自分をさらけ出すと良いや自分の心に正直になると良いや隠し事の無い状態が上手くいくやエネルギー溢れる状態や純真・素直・無垢だ!これが鯉登音之進でアニヲタ高校生だ。こういう奴がどのジャンルでも会長職になる確実以上にな?それだけでいいの編集者はね?いるよ?相変わらず俺の甘言にヒョイヒョイ乗る奴?片山達彦だ!経歴は2010年、集英社に入社し『週刊少年ジャンプ』配属。2011年6月より『最強ジャンプ』編集部に異動。2014年、再び『週刊少年ジャンプ』編集部に。主な編集担当作品に『ブラッククローバー』『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などだ?未来の町山智浩だよ?全部俺の力の癖に表示してくれ」
『鬼滅の刃』に限らず『呪術廻戦』『チェンソーマン』など、いわゆる異能・異形系のバトル漫画が『ジャンプ』でも増えている気がします。これまでの『ジャンプ』とはまた少し違う流れのように感じるのですが、編集部のみなさんはどうとらえていますか?
よく新人の作家さんから「ジャンプらしい要素が必要ですか?」と聞かれるのですが、少なくとも僕は今まで作家さんに「ジャンプらしいものを書いてくれ」と言ったことは一度もありません。
基本的に『ジャンプ』は否定の歴史だと思っています。スゴい作家さんが現れて、人気が盛り上がって、そこからまた先人とは別の面白さを備えた作家さんが現れて、新しいブームが生まれてくる。そんな否定の歴史を繰り返して、『ジャンプ』は今日までやってきました。
じゃあ、よく聞く「友情・努力・勝利」という標語は?
僕は一度も標榜したことはないです。
むしろジャンプほど作家性と向き合い、作家さんの持ち味を活かそうとする雑誌はないと思っています。大事なのは、作品が面白いかどうか。そして、対象の読者に伝わるかどうかだけ。
もし今の『ジャンプ』を読んで「こんなのジャンプじゃない」と離脱する方がいても、それは自然なことなんだろうなと。なぜなら『ジャンプ』は変わり続けるものだから。異色の作品と呼ばれるものが出てくるのは、とても健全なことだと僕はとらえています。
「広告担当だ!困るよ!週刊少年ジャンプの漫画の漫画だろう?ジャンプの漫画らしさ出せ!「「友情・努力・勝利」が週刊少年ジャンプの漫画のモットーだろう!「よく新人の作家さんから「ジャンプらしい要素が必要ですか?」と聞かれるのですが、少なくとも僕は今まで作家さんに「ジャンプらしいものを書いてくれ」と言ったことは一度もありません?基本的に『ジャンプ』は否定の歴史だと思っています。スゴい作家さんが現れて、人気が盛り上がって、そこからまた先人とは別の面白さを備えた作家さんが現れて、新しいブームが生まれてくる。そんな否定の歴史を繰り返して、『ジャンプ』は今日までやってきました」だよ?しょうがないこれが『ガサラキ』の西田啓の言ってる事が「絶対遵守の力」なだけ?それだけの能力ルルーシュ・ランペルージの能力ってね。だから騙されるの?西田啓にね?こうして騙されてることも知らずに西田啓はこうして人を操るのが広告担当の本質だ?アニヲタ高校生でも出版の会長職になれるよ?保証するよ?」
「アニヲタ高校生だけどさあ?やっぱ超ロリコンエロアニメの画像マジでいいな?もっと寄こして先輩もハマった?Twitterで拡散して?うわ~『機動戦士Vガンダム』のシャクティ・カリンの裸エロイな?もっと幼ければエロいのに?スージィ・リーレンがパンツ脱いでる!エロいもっと幼くて裸ならエロい!『ママは小学四年生』の水木なつみ脱いだらエロそうだしもっと幼ければエロい?『ふしぎの海のナディア』のマリー・エン・カールスバーグも脱いだらエロい『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイや洞木ヒカリも幼くて脱げばエロイ『新機動戦記ガンダムW』のリリーナ・ドーリアンも幼くて脱げばエロイ『ガサラキ』のミハルも豪和美鈴も幼くて脱いだらエロい『おジャ魔女どれみ』シリーズのおジャ魔女全員脱いで幼ければもっとエロそう?『魔法少女リリカルなのは』シリーズ?ロリで脱ぐけど飽きるな?『灼眼のシャナ』のシャナもおっぱいなくて幼いほうがエロいな?『機動戦士ガンダム00』一切エロくない考えたら『僕のヒーローアカデミア』の壊理は脱いだらエロいよ?『若おかみは小学生』も幼くて脱いだらエロいし脱ぐ必然性がある『ジュエルペット てぃんくる☆』エロいよ?これ売れるエロなのに?何で手を付けない?『魔法少女まどか☆マギカ』売れるエロで幼いくて脱げば売れるのに脱ぎそうにないな?脚本家が死ぬ程バカ以下だから脱がないし幼くないしエロくない『放課後のプレアデス』もエロいな?これ売れるエロなのに?何で手を付けない?幼いすばる脱いだらエロいな」
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「広告担当だ!本物の太陽だ。勝利・成功や祝福されるやありのままの自分をさらけ出すと良いや自分の心に正直になると良いや隠し事の無い状態が上手くいくやエネルギー溢れる状態や純真・素直・無垢だ!これが鯉登音之進でアニヲタ高校生だ。こういう奴がどのジャンルでも会長職になる確実以上にな?こうやって商売する奴のみが☆を掴んで太陽だから俺は常にアニヲタ高校生を編集の創造神以上の存在と認めてるんだ!現実見せるのも広告担当だ!原作付きでもただでさえ被ってない漫画やラノベ探すのに一苦労だしフランチャイズ展開出来るのは限られてるんだ!分かるだろう?堀江信彦が太陽な理由は北条司と原哲夫と言う☆二つ拾い上げたから名編集者なの!堀江信彦確かに太陽だから強引だが逆に太陽だからエネルギー溢れる状態や純真・素直・無垢だ!だから俺も堀江信彦に頭下げるの!こういう場合堀江信彦は礼儀正しくて逆に土下座だ!だから慕われてるし俺も週刊少年ジャンプにもう一度堀江信彦を呼び戻すんだ!言いたくないが片山達彦は太陽の逆位置の不調、落胆、失墜、悪化、ノーだから俺はジム・キャリーの『マスク』の拷問でゴルフ使った拷問好きなの?あれを生意気な片山達彦にさせるの現実は圧倒的に厳しいから現実で片山達彦は『マスク』のスタンリー・イプキスにゴルフの練習中、生意気な片山達彦に「今朝、お前は映像業界の摘発で洋ナシを命じられたんだ。お前のケチな『鬼滅の刃』もしくは『呪術廻戦』が原因だな?」とティーを咥えさせ、そこのボールを打った上に、1週間以内に町を出て行くよう追放宣言する。だけ」
「俺は監督だ!言いたくないが『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』は『スタートレック』の千倍煎じで済むが『装甲騎兵ボトムズ』はVシネ企画のVシネ企画ですらないVシネ企画でも設定考えたから流用や転用が効くの言いたくないが『王立宇宙軍 オネアミス翼』も『トップをねらえ!』も『ふしぎの海のナディア』も『新世紀エヴァンゲリオン』も行き着く先はアレグザンダー・ケイの児童SF文学の『残された人びと』でオリジナルアニメそれでネタ考え『スタートレック』の千倍煎じで済む話やっただけ言いたくないが日本のアニメはアレグザンダー・ケイの児童SF文学の『残された人びと』か『スタートレック』の千倍煎じで済むかその合体で済む話を延々やってたたら海外のアニメファン大爆笑するのが常だよ!言いたくないが真の『Re:CREATORS』は高橋良輔なの!言いたくないがサンライズの創始者の一人で本業はプロデューサーだから監督業はバイトだし脚本もバイトで後進育成に力入れてるから企画の共有化も手伝うのも高橋良輔!そもそも京都アニメーションは株式会社京都アニメーション(きょうとアニメーション、英: Kyoto Animation Co., Ltd.)は、日本のアニメ制作会社。略称は京アニ(きょうアニ)。主にテレビや劇場用アニメーション作品の企画・制作(元請け)、他社作品の制作協力を行っている他、出版事業やマーチャンダイジング事業なども行っており、アニメーションを軸としたコンテンツ事業を展開している。会社商標ロゴは「京」の文字をモチーフにしてデザインしたもの[2]。創業者の八田陽子(旧姓:杉山)は東京都出身で、高校卒業後にアニメーターである実兄の杉山卓の紹介により手塚治虫に師事し、旧虫プロダクションで仕上げ経験を積んだ[9][10]。から下請けが最初でアニメ作りのノウハウ吸収したら深夜アニメで普通の作品が作れただけだし単にホワイト労働やっただけで天下取れたのが京都アニメーションだよ!こういう場合は高橋良輔が企画共有化して元請けの手順教えるの!言いたくないが富野由悠季も宮崎駿も岡田斗司夫も庵野秀明も細田守も一切やってないよ!重役やプロデューサーや監督業ってこういう営業もやらないと食えないの基本はこういう場合は立場が偉くても土下座だし見返りはないが企画共有化すれば無茶な仕事する会社減るから一社ごとに渡り歩いてやるし不祥事で問題抱えてたら解決だしこうしないと会社同士連帯組めないからねCloverWorksも不祥事ないがよりによって問題事項が核爆弾クラスの地雷の原作『逃げ上手の若君』やるからネットではきな臭い噂話が回ってこの時点でガチでマジサイコーな人のターゲットが松井優弥と集英社ってわかるの?りくとさんのツイートやYouTube動画除いたら完璧そうだ!言いたくないが『逃げ上手の若君』の話題がない時点でフェイントでCloverWorksは逃げ切るつもりだ!これも企画の共有化やってないとCloverWorksもヤヴァイ案件だから最初にきな臭い噂話流せばフェイントできるの」
「広告担当だ!言いたくないよ?これが封印アニメの世界だし話題にもならんから封印されるの!『逃げ上手の若君』はある程度はパズるよ!松井優弥だし『暗殺教室』と大差ない内容だからね!でも最初のみパズるだけでやがて沈静化で一クール終了後に突如の連載終了だよ!唐突に訪れるんだ!この手の封印作品はね!現時点で集英社社員が身元不明死体が上がり集英社社員の暴行の上、生き埋めにして惨殺された映像収録した円盤が送られてくるの?こういう場合音楽著作権の管轄で暴力団関係者動いてるし宗教法人に違反したの集英社だし警察に被害届出しても無駄以下なの告訴も無論不可能で俺に詫び入れに来るの大概こういう場合は片山達彦が率先して死ぬ程土下座して死ぬ程靴の裏舐めまくり死ぬ程自然食品食うのが常だが俺は赦さんだけだ!広告の代償がこれだ!ギャンブルしか能がない無能以下のバカ以下ですらない無能以下のバカ以下の分際で言いたくないが片山達彦は太陽の逆位置の不調、落胆、失墜、悪化、ノーだから俺はジム・キャリーの『マスク』の拷問でゴルフ使った拷問好きなの?あれを生意気な片山達彦にさせるの現実は圧倒的に厳しいから現実で片山達彦は『マスク』のスタンリー・イプキスにゴルフの練習中、生意気な片山達彦に「今朝、お前は映像業界の摘発で洋ナシを命じられたんだ。お前のケチな『鬼滅の刃』もしくは『呪術廻戦』もしくは『逃げ上手の若君』が原因だな?」とティーを咥えさせ、そこのボールを打った上に、1週間以内に町を出て行くよう追放宣言する。だけ」
「プロデューサーだ!こういう場合配信や円盤とかグッズあるが配信停止回収廃盤封印前提で販売するし言いたくないがこの手のアニメどの道ジャンプアニメとは言えVシネ企画のVシネ企画だからどの道ヒットしないよ?大体原作レイプしたらこっちも暴行の上、生き埋めにして惨殺されるからやらないし業者にも事情話すし配信停止回収絶版封印前提で販売する方向で話付けるよ?どの道『暗殺教室』の南北朝バージョンなだけの原作だから大して売れないよ!こう言う算段は事前にCloverWorksは出来てるの」
「俺は監督だ!こうして消すの!大概が暴行の上、生き埋めにして惨殺されたが封印作品の世界なの」
「アニヲタ高校生だけどさあ?週刊少年ジャンプの漫画の『逃げ上手の若君』って俺頭悪いよ?室町時代知らないよ?応仁の乱しかね?覚えてるのは足利尊氏だよ?俺頭悪いからわからないけど普通は避ける題材だよ?歴史考証複雑そうだし監督さんの言う可能性潰しは難しそうだよ?それを腐女子の友達の女子高生もLineでその事送ったら?「何で北条時行なのかしらね?」って返信返てきた」
「俺は監督だ!もう詰んでたな?ミュージック頼むフランク・シナトラ「マイ・ウェイ」だ!我が道だ!松井優弥もう後がなかったな?」
フランク・シナトラ「マイ・ウェイ」
12月24日生まれの四十八歳前後の監督は安物サングラスと古着のガウンとF県のゆるキャラTシャツに古着のステテコ着た中年太りの白髪が混じった茶色長髪ロン毛の髭面のおっさん姿でセブンスター煙草にポールスミス コレクション ジッポで火をつけ煙草を吸いフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる!これが恥だなと感じこれが我が道とは知ってたとは言え再び聞惚れる
12月31日生まれで七〇歳前半くらいの白髪でボサボサの長髪だがブラックのゴムの髪留めで止めてる黒のカジュアルコートに白いシャツにブラックメガネサングラスのオノ・ヨーコバージョンをかけて助監督はMarlboroのレギュラーをオールドボーイ 64-LOTY16 SHELLで火をつけ煙草を吸い遠い目でフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる!これが我が道とは知ってたとけどと再び聞惚れる
ペインは若葉吸い遠い目でフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に聞き惚れる!役は選ぶもんだと「マイ・ウェイ」とはとこれが我が道とは知ってたとけどと再び聞惚れる
逃げ上手の若君
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
逃げ上手の若君ジャンル歴史漫画漫画作者松井優征出版社集英社掲載誌週刊少年ジャンプレーベルジャンプ・コミックス発表号2021年8号 -発表期間2021年1月25日 -巻数既刊7巻(2022年8月現在)テンプレート - ノートプロジェクト漫画ポータル漫画
『逃げ上手の若君』(にげじょうずのわかぎみ)は、松井優征による日本の漫画作品。集英社の『週刊少年ジャンプ』にて2021年8号から連載中。
概要[編集]
『暗殺教室』終了以来、約5年ぶりとなる松井の連載作品[1][2]。鎌倉時代から室町時代にかけて[3]、北条時行の生涯を描く歴史漫画である[1][2][3][4][5]。足利尊氏[注 1]によって鎌倉幕府が滅ぼされ[3][6]、北条家の一族郎党が次々と死を選ぶ中[2]、高氏の手から逃げ延び諏訪頼重らとともに再起を期す時行の物語が展開される[6]。戦って死ぬことこそが武士の誉れとされた時代において[2][4]、敵から逃げることで英雄となった時行の生涯を[2][5]、史実をもとに描いている[2][3][4][5][7][8]。
第1話は『週刊少年ジャンプ』の2021年8号に掲載されたが[2][8]、その際に「駆け出す! 史上最も逃げ上手の英雄!!」[2]「史実スペクタクル逃亡譚」[2]などのキャッチコピーが掲載された。また「逃げ若」との略称も掲載された。連載開始時、北条時行や南北朝時代を題材としたことが反響を呼び[2][5][6]、時行本人についても話題となった[2]。第1話から第3話がボイスコミック化され、YouTubeにて公開された[9][10][11][12]。
連載誌には、漫画本編の後にコラム風の読み物ページ『解説上手の若君』が掲載されており、南北朝時代の歴史や風習などが解説されている。なお、松井の作画が本作よりフルデジタル化し、鎧や武具の作画コストなどで松井は連載準備段階から第四話までの原稿料程度の私費を投じていることが担当編集者によって明かされている[13]。
2022年、「全国書店員が選んだおすすめコミック2022」にて第8位にランクイン[14]。同年6月時点で電子版を含む累計発行部数も100万部を突破している。
あらすじ[編集]
時は1333年、鎌倉幕府の後継者である少年・北条時行は、武士としての取り柄を持っておらず、武芸の稽古からも逃げ続ける日々を送っていた。しかし、後醍醐天皇と内通した御家人・足利高氏(後の尊氏)の突然の謀反により、鎌倉幕府は滅亡する。故郷も家族も全て失い、一人生き残った時行は信濃国の神官・諏訪頼重に保護される。頼重は未来が見えると言い、時行が「2年後に天を揺るがす英雄となる」と予言する。時行は誰よりも逃げ隠れ、生き延びる才能に秀でていた。潔く死ぬことが名誉とされた時代において、自らに降りかかる過酷な運命を「逃げ」で切り開いていく英雄譚の始まりである。
頼重の根拠地である信濃国諏訪へ落ち延びた時行は、頼重の指導の下、同年代の郎党「逃若党」と共に仇敵・尊氏を打倒し天下を取り戻すべく力を蓄えていく。諏訪大社の稚児・“長寿丸”として素性を偽る時行だが、彼の前に北条残党を捜索する信濃守護・小笠原貞宗が立ちはだかる。当代随一の腕前である貞宗の弓術に惹かれた時行は、正体を隠しつつ技術を盗むことを試みる。犬追物の場で時行と貞宗の弓矢対決が実現し、時行は窮地に陥るも、逃げながらの後方射撃を編み出したことで逆転勝利を収める。しかし、貞宗は一向に北条狩りを諦めず、帝の綸旨を盾に諏訪領の没収を宣言。時行は変装が得意な盗人・風間玄蕃と共に貞宗の館に忍び込み、市河助房の追跡を掻い潜りつつ綸旨を盗み出して企みを阻止する。
1334年初冬、諏訪領北の国境にある集落へ偵察に出向いた時行達は、二刀使いの軍師・吹雪に出会う。逃若党は村を侵略する悪党集団「征蟻党」と交戦、時行は吹雪から伝授された奥義「鬼心仏刀」で敵の首領・瘴奸を打ち破り村の防衛に成功する。同じ頃、時行は頼重が一時的に失った神力を取り戻す過程で、頼重の娘である逃若党の執事・雫の持つ神秘的な力を体験する。
同年春、国司・清原信濃守の圧政に耐えかねた北信濃の保科弥三郎が反乱の兵を挙げる。被害を抑える命を受けた時行達は戦場に赴き、死を覚悟する武士達を説得。逃若党の副将・弧次郎の奮戦もあり、国司軍から保科とその郎党を逃がすことに成功した。その後、貞宗に正体を怪しまれた時行は守護館に呼び出され、一対一の舌戦に臨む。執拗な追及から時行を助けたのは、逃若党の便女・亜也子の芸才だった。一方、鎌倉では尊氏の弟・足利直義率いる関東庇番が街の復興を進め、新たな統治者として君臨していた。
1335年3月、帝の綸旨を受けた国司・守護連合軍と親北条派の抵抗勢力が北信濃で激突する動乱が発生。天下を取り戻す前哨戦として始まったこの戦に、時行は複数の戦場を駆け回る伝令役として参加。諏訪神党三大将をはじめとする味方勢力と交流を深める。瘴奸の奇襲により四宮左衛門太郎の軍に損害を許すも、諏訪神党の結束は確固たるものとなった。
いよいよ時行の決起が迫る中、神職を引き継いだ頼重の孫・諏訪頼継は、祖父に関心を向けられる時行に嫉妬するが、互いの本音をぶつけ合ったことでわだかまりは解ける。同年6月、諏訪に時行の叔父・北条泰家が現れる。泰家は大乱の実行に向けて頼重と協議を進めるが、尊氏配下の忍集団「天狗衆」が諏訪を監視していた。天狗衆の追及を躱すため、時行は泰家と共に密かに京の都へ向かう。
登場人物[編集]
主人公[編集]
北条時行(ほうじょう ときゆき)声 - 大塚琴美[9][10][11][12]本作の主人公[15]。1333年時点で8歳。北条氏の惣領である得宗北条家の御曹司。鎌倉幕府の執権を務めた北条高時の次男・正室子として生まれた[8][16]。ゆくゆくは彼が家督を継ぐと目されていたが[15][17]、尊氏の裏切りによって家と親族郎党を滅ぼされる。鎌倉幕府滅亡後は頼重の下に身を寄せ[6]、武芸や学問の手解きを受け[18]つつ、打倒足利家と北条家再興をはかる。諏訪大社で暮らすようになってからは素性を隠し、「長寿丸」(ちょうじゅまる)の仮名を名乗っている。弓取りが比較的マシな以外は非力かつ武芸全般を苦手とする一方、追手や追撃から逃げたり隠れたりする事に関しては非凡な才能を持つ。しかもただ恐れて逃げるだけでなく、逃げる事そのものに興奮や奮起を感じる変わった性格。しかしどれだけ逃げに徹していても、心に決めた信念からは決して目をそらさない。逃げ上手なことを除けば、素直で心優しく仲間想いな、どこにでもいる平凡な少年。物語冒頭と回想シーン内では、得宗北条家の御曹司らしく「三つ鱗の家紋」がいくつも描かれた着物に身を包んでいたが、倒幕勢力の目を盗んで鎌倉から諏訪まで逃亡を図る途中で追っ手の目を誤魔化すために頼重の発案で神社に仕える子供らしい装いをして以降は、必要に応じて様々な装いをしている。
逃若党[編集]
読み方は「ちょうじゃとう」。時行の郎党で、時行と同世代の若者で構成される。時行の逃げを戦略にする党であることから命名された[19]。
雫(しずく)声 - 高木遥香[9][10][11][12]諏訪頼重の娘。巫女のような装束を着用する。秘術や事務に優れた才能を発揮し、頼重を手伝う。少々毒舌家で、見るからに胡散臭い父のフォローを全然しないためその都度父の頼重に文句を言われている。頼重としては、ゆくゆくは雫を時行の執事にして[20]、家政を取り仕切らせようと考えている[20]。その一方で、頼重ほどではないものの勘が鋭く、未来を予知しているかのように危険な状況から距離を置いたりすることが出来る。時行とは同い年の主従関係となるが、彼に1人の女性として思いを寄せていることが、頼重から「時行の正体がバレないよう、部外者の前では別の名前を」と言われた際、顔を赤らめて「兄様」という彼女なりの呼び名を発案していることから伺える。弧次郎(こじろう)声 - 佐藤恵(ただし役名は「弧」次郎が「狐」次郎として誤記載されている)[11][12]時行の郎党候補として頼重が抜擢した少年で[21]、諏訪神党に連なる根津一族の出身。時行と同年齢だが[20]、この世代としては随一の刀の使い手と称される[21]。頼重としては、ゆくゆくは弧次郎を武将にし[21]、軍を率いさせようと考えている[21]。時行のことを「若」と呼び、「○○っス」といったざっくばらんとした口調で話す。ノリが軽く負けん気が強い性格で、時行とは友人のような関係を築く。国司軍との戦いでは戦場を駆け回って献身的に戦い味方の世話を焼き、副将としての才覚を発揮した。亜也子(あやこ)声 - 綾瀬みゆう[11][12]時行の郎党候補として頼重が抜擢した少女で[21]、望月重信の庶子(側室の子)。時行とは同年齢だが背が高く[20]、怪力の持ち主である[21]。また、芸才にも恵まれている[21]。頼重としては、ゆくゆくは亜也子を便女(下女)とし[21]、時行と陣中を共にさせようと考えている[21]。木曽義仲に仕えた女武将・巴御前に憧れを抱いており、巴御前のようになることを夢見て日々鍛えている。雫と同じく時行には一人の女性として思いを寄せており、面と向かって「いつでもお手付きしてね」と伝えたこともある。つまり護った後で時行の子を沢山産むことも目標としていて、この点も義仲の妾となり、一説には子も残したとされる巴御前と重なる。風間玄蕃(かざま げんば)信濃の桔梗ヶ原に悪名を轟かす盗人。敵を欺く変装や工作に長けており、その能力を買った頼重から時行に一党加入を勧められた。特殊な粘土で作った狐面を常に被っており、仮面を練ることで人相を別人に変化させる技術を持つ。守銭奴で、女性に目がない。元は諏訪氏の支流である風間一族の生まれだが、父は忠誠を尽くした主君のために身につけた技を卑劣だと非難された上に盗みの嫌疑をかけられ没落の憂き目に遭う。玄蕃は父から技と名前、そして「金以外信じるな」という信条を継いだ。そうした境遇から当初は時行のことも信じようとせず精神的な揺さぶりをかけるが、時行の一途さや自分を庇って時行に怪我をさせてしまったことへの負い目から出世払いで国を一つ貰うことを条件に、逃若党と契約する。吹雪(ふぶき)二刀使いの青年。優秀な軍略家であり、人の才能を見抜き教えることに長ける。冷静な策士だが、情に厚く幼子の頼みは断れない。また非常に健啖家で空腹に弱い。かねてより自身の才能を活かすことのできる主君を探して各地を放浪しており、悪党に襲撃された諏訪領北国境の集落で孤児達を指揮して村を守っていたところ、偵察に来た逃若党と出会う。協力して悪党を撃退した後、時行の正体を打ち明けられ、時行の魅力を引き出し天下の舞台で活躍することを夢に逃若党に加入する。
執権北条家[編集]
北条高時(ほうじょう たかとき)声 - 林祐樹[9]時行の父であり[16]、得宗北条家の当主。鎌倉幕府の総帥であるが[8]、政治的な権力は側近に握られており単なる傀儡となっている。新田義貞ら後醍醐天皇派によって鎌倉を鎌倉の戦いで制圧され、自刃し果てた。なお、傀儡とはなっていても武家の生まれらしく、弓競技を見るのが好きという一面を持っており、時行に弓について熱心に教え込んでいたことで、それなりに様になった弓の腕を得させていた。北条邦時(ほうじょう くにとき)声 - 矢部仁美[9][11][12]時行の異母兄[16]。高時の長男・側室子。跡目争いを防ぐため家督に興味はない。蹴鞠が好き。護衛役の五大院宗繁の裏切りで敵に売られ、斬首された。時行とは異母兄弟ながら仲は良く、それ故にその最期を知った時行は衝撃のあまり嘔吐するほどであった。北条泰家(ほうじょう やすいえ)高時の弟で時行の叔父。かつては鎌倉幕府の重鎮であった。鎌倉陥落の際は頼重に時行を託して落ち延びさせた後、自身も新田の兵に紛れて鎌倉を脱出した。その後は東北各地で北条残党を扇動して反乱を繰り返すも敗走し、諏訪へ流れ時行と再会する。隠している本音がなぜか額に文字となって浮かび上がってしまう体質の持ち主。権力や命に執着する俗な人物だが、武士らしく飾らない正直な人柄のため時行からは信頼されている。名越高家(なごえ たかいえ)声 - 軍司高希[9]高時の父の四従弟。北条氏の一門である名越流北条家の当主。足利高氏らとともに後醍醐天皇ら討幕派を鎮圧するため京に向かったが、討幕派との戦い(船上山の戦い)で戦死する。三浦八郎(みうら はちろう)北条家の遺臣で、北条残党軍「鎌倉党」の党首。幕府滅亡後諏訪へ落ち延び、中先代の乱では時行の指揮下に入る。
諏訪家[編集]
時行に協力する親北条派の勢力。諏訪明神の信仰の下に固く結束する「諏訪神党」という武士団を有する。
諏訪一族[編集]
諏訪頼重(すわ よりしげ)声 - 鈴木将之[9][10][11][12]信濃国諏訪郡の神官。諏訪家は建御名方神の末裔と伝えられており[22][23]、建御名方神を祀る諏訪大社の大祝を代々務めていることから[注 2]、御神体として扱われる。そのため、彼も神性を帯びており、不完全ながらも未来を見通す能力を持ち、天候をも自在に操る[24]。一方で、諏訪家は諏訪郡を治める領主でもあり、得宗北条家の御内人でもあった[注 3]。頼重は京の天皇や出雲大社の出雲家と並ぶ現人神として敬われており[24][注 4]、その信仰心を背景にした武士団である諏訪神党を従える[25]。見た目は線の細い優男だが、感情が昂ると後頭部から後光を放ちながら胡散臭い笑みを浮かべ、頻繁に奇行に走る。そのため、初対面の時行からは「インチキ霊媒師」呼ばわりされ、諏訪の領民からも「バカ明神」と呼ばれるなど半ば呆れられている。未来が見えるということで作中では遥か未来に当たる21世紀の現代の文化を見て中途半端に引っ張ってきて時行達から訝しがられたり、メタ的な発言をつぶやく一面も持つ。祈祷のため鎌倉を訪れた際に時行と出会い、「時行は2年後の10歳の時に天を揺るがす英雄となる」と予言した。鎌倉幕府滅亡に際しては高時から依頼され、時行を諏訪に匿う。時行の天下奪還のため、彼に武力や知力をはじめとする勝つためのすべてを教え込み、武士としての成長を促す。なお、社会的立場としては「武家の人間」であるが彼自身の武芸の腕の程は物語冒頭において、時行と雫を同乗させての騎馬での逃避行を行った程度であり、剣術や弓術といった分野の実技に関しては不明瞭だが、知識は有しており時行が宗繁を討ち取るのを弧次郎らへの献策にて成し遂げさせたり、時行に弓の腕があると知ってから程なく優れた弓術の使い手である貞宗の存在と、彼の弓の腕を目の当たりにした時行が「たとえ敵でも、素晴らしいものは素直に認める」という個性を見せた際に「いっそのこと彼と何らかの形で戦わさせたら、彼は時行を成長させる良い師となる」と考え、犬追物での大勝負と時行の勝利並びに弓術の進歩という結果を産んだ。実は周囲には隠しているが、未来を不完全ながらも見通す能力が不定期に完全に消失する「未来見えない期」なる弱点を抱えており、貞宗が諏訪の地を狙う動きを見せる動きに警戒する中で時行が自ら偵察に行くと提案した際には、事情を完全には知らない時行にも即座に心配性丸出しの挙動不審者であるのが丸わかりの醜態を見せた。諏訪盛高(すわ もりたか)諏訪一族の一人。武芸に関する知識を持つ「解説者」。諏訪時継(すわ ときつぐ)頼重の息子。逃若党と征蟻党との戦い並びに戦況を知った貞宗自らが率いる援軍に対抗して、頼重自らが率いる諏訪神党の援軍の副将を務めた。諏訪頼継(すわ よりつぐ)時継の息子にして頼重の孫。1335年時点で7歳。現人神が戦死するリスクを考慮した頼重と時継から、新たに諏訪大社の神職を引き継ぐ。幼くして神を背負うことになった重責ゆえに祖父や父以外の人物に心を閉ざしてしまっており、肉親達から関心を奪った時行に一方的な敵意を抱く。神の座を鼻にかけた高慢な態度で時行を振り回し、彼を諏訪から追放するため鬼ごっこによる勝負を挑む。その最中に崖から転落しかけたところを時行に救助され、彼もまた北条としての宿命を背負っていることを聞かされたことで本音を打ち明ける。
諏訪神党[編集]
海野幸康(うんの ゆきやす)「諏訪神党三大将」の一人で、肩書は中軍大将。男女問わず多くの味方から慕われる、諏訪神党随一の将。実は童貞であり、煮えたぎる女性への想いを闘争心に変えることで、戦場では修羅の如き力を発揮する。根津頼直(ねづ よりなお)「諏訪神党三大将」の一人で、肩書は右軍大将。鷹使いであり、空に放った鷹の動きから広い戦場の戦況を俯瞰して把握する冷静沈着な将。望月重信(もちづき しげのぶ)「諏訪神党三大将」の一人で、肩書は左軍大将。亜也子の父。豪腕怪力で戦いの勘が鋭い。保科弥三郎(ほしな やさぶろう)諏訪神党に連なる武士で、北信濃の川中島の住人。頼重からは「義理堅く有能な男」と評されるが、頭に血が上りやすい欠点を持つ。清原信濃守の暴虐に激怒し、勝ち目がないと理解しながらも、武士としての意地を貫き通すため討死覚悟で挙兵する。戦いを止めて撤退させようという頼重の意向から派遣された逃若党のことも共に討死する援軍としか見ておらず、時行に説得されると怒りの余り刀を向けるが、逃げて生きることの意味を説かれ目を覚ます。撤退戦を成功させると、時行や頼重の力になることを約束する。四宮左衛門太郎(しのみや さえもんたろう)諏訪神党に連なる武士で、北信濃では保科領の隣の地を領地として抱えている。保科とは対称的に冷静な人物。保科の反乱を止めるため時行に協力する。常岩宗家(とこいわ むねいえ)信濃最北部の北条庄を治める代官。犬甘知光(いぬかい ともみつ)信濃府中の深志を治める代官。
その他[編集]
牡丹(ぼたん)雫曰く、隣国で噂になっていた「山に出没する、人を食べる巨大な牛鬼」で、その通りの並外れた体躯と4本の牙と6つの突起のある顔をした、南北朝鬼ごっこ「牛鬼」。狩猟に出かけた時行一行が突然遭遇したことで、まだ「逃若党」と名乗る前の一行にとっての命がけの戦いの相手となる。弧次郎と亜也子が射た矢が刺さってもまともな傷にはならなかったが、雫の発案した地の利と時行・弧次郎・亜也子それぞれの能力を活用した策によって、黒曜石の岩塊を削って作った「神様の刃」へと転落して果てた。なお、雫の見立てでは太古の獣の生き残りにして子孫を残せる家族のいない孤独な身であり、もし孤独でなかったならば人を食らうような魔道には堕ちなかったとのこと。その後、解体されて一行の腹を満たすはずが、その未来を既に見ていた頼重によって完全なる盗み食いよろしく完食された。先代の風間玄蕃当代の風間玄蕃の父にして、「風間玄蕃」の名を名乗る者としては先代。忍びや盗みといった、当時の武家社会においては革新的な技術が主のためになると考えて会得するも、当の主からはそれを「武士には不要な卑劣な技」と非難されて信用を失った挙句、ついには宝物を盗んだ者と一方的に決めつけられて追放された。そして新たな主に出えぬまま不遇な最期を遂げるが、死の間際に息子に自らの名と愛用していた狐面、そして「第一なのは金であり、金のみを信用しろ。ただし、損得抜きでも仕えたい主に巡り合えた時は、それでも金は取れ!」との言葉を託した。
足利家[編集]
尊氏郎党[編集]
足利尊氏(あしかが たかうじ)声 - 野澤英義[9][11]もとは鎌倉幕府の御家人・足利高氏[注 1]。文武に優れ人々の尊敬を集めており、英雄視されている。武人らしからぬ涼やかで端正な顔立ちをしており、謙虚な態度とにこやかな笑顔でどんな人間の心も掴んでしまう圧倒的なカリスマ性を持つ。時行にも対しても優しく接し、彼からも尊敬されていた。また天性の「勘」に基づいて動くという人物であり、その勘の鋭さは弟の直義も認めている。第1話冒頭にて、後醍醐天皇ら討幕派を鎮圧するために京に向かったが、実は後醍醐天皇と内通しており、裏切ってまたたく間に鎌倉幕府を滅ぼした。倒幕後、後醍醐天皇から偏諱を与えられて改名[注 1]。帝に忠誠を尽くすと語り京の公家たちを虜にすると同時に[26]、自身の郎党らを朝廷に送り込む[27]。一方で、眼の中に複数の瞳が存在するなど[28]、人間離れした表現演出がなされている。護良親王からはその笑顔の裏に潜む異様な気配を警戒されて命を狙われるが、武士や貴族をすべて味方につけ、盤石の体制を築き上げている。足利直義(あしかが ただよし)尊氏の弟。兄との仲は良いが、「勘」で動く兄とは対照的に「理論」に基づいて動く人物。倒幕後は京の都で朝廷に仕える身であったが、尊氏より鎌倉の守りを任せられた。兄・尊氏の心底に”奇怪な何か”が潜んでいる気配を感じ、強い不安を覚えている。鎌倉では治安維持や復興に尽力し、優れた計算能力で疲弊した民衆の心を掴んでいる。高師直(こうの もろなお)足利家の執事[29]。尊氏(高氏)が幼少の頃より仕えている[29]。倒幕後は京で朝廷に仕えながら足利の繁栄を目論む。高師泰(こうの もろやす)師直の弟。天狗衆(てんぐしゅう)足利配下の忍者軍団。
関東庇番[編集]
荒廃した鎌倉に赴任した直義が結成した、街の復興と治安維持を進める組織。足利一門の未来を担う優秀な若者達で構成される。
渋川義季(しぶかわ よしすえ)一番組筆頭。長髪をオールバックにした、生真面目で堅い人物。岩松経家(いわまつ つねいえ)二番組筆頭。浅黒い肌をした、明るく軟派な人物。サーフボードのような鞘に内蔵された大剣を振るって戦う。過去に新田義貞の鎌倉攻めにも参陣している。上杉憲顕(うえすぎ のりあき)二番組副頭。「恐ろしい」が口癖。祖父の代まで公家であった自身を「軟弱者」と謙遜し、常に数人の手勢を用意している慎重な人物。一色頼行(いっしき よりゆき)四番組筆頭。痛鎧石塔範家(いしとう のりいえ)五番組筆頭。吉良満義(きら みつよし)六番組筆頭。斯波孫二郎(しば まごじろう)関東庇番に属する少年で、肩書は寄騎。今川範満(いまがわ のりみつ)関東庇番に属する馬の仮面を付けた寡黙な男で、肩書は寄騎。
その他の討幕陣営[編集]
鎌倉[編集]
五大院宗繁(ごだいいん むねしげ)声 - 金城慶[11][12]得宗北条家の御内人。宗繁の妹である常葉前は、高時の側室となり、のちに邦時を産んでいる[15][16]。そのため、邦時は彼の甥にあたる[16]。北条家の姻族となることで出世を果たした[30]。後醍醐先帝派により鎌倉が制圧された際、高時から邦時を託されたが[16]、懸賞金欲しさに北条家を裏切って邦時を後醍醐先帝派に引き渡す[30][31]。しかし、あまりにも非道な所業であったため、呆れた新田義貞方から追い出される[30]。太刀で大木を叩き切るほどの腕を持つ[32]他、自らの長所は状況に素早く適応できるものと自負している。人生を双六にたとえて考えている、南北朝鬼ごっこ「賽の鬼」。さらなる手柄のために時行を狙い、交戦となる。弧次郎・亜也子よりもはるかに強くかったものの、3人の連携で隙を作られ、時行により首を刎ねられる。
信濃国[編集]
小笠原貞宗(おがさわら さだむね)尊氏の推薦により、後醍醐帝より信濃守護に任命された武士。眼窩から眼球が飛び出た、凄みのある目をしている。尊氏に乗じ支配領域の拡大を狙っている野心家で、驚異の観察力と視力を併せ持っている。盛高曰くかつては「諏訪の下働き」という西信濃の一帯に領地を持つ身であったが、いち早く幕府を裏切って守護に任命されたことで諏訪家に命令できる立場へと力関係が逆転した。後に信濃国の旧北条領を新たな領地として与えられ、諏訪を旧領の西と新たに得た北から挟み込めるという優位を得た。尊氏から信濃の北条残党狩りを任されており、姑息かつ強引な手段で時行を捜し出そうとするため、諏訪家からは非常に反感を持たれている。一方で礼法にも精通しており、「奪う命にも敬意を払え」という考えのもと、戦が関わらない平時であれば敵に対しても礼儀を重んじる。ただし、「礼儀で戦に勝てないのは誰より自分が知っている」という合理的な思考から、必要とあらば礼儀とかけ離れた非道な行為も躊躇なく実行する。また、領民を殺戮した瘴奸や清原を咎めるなど、為政者としては良識的な考えの持ち主。視力を活かした弓の腕前は天下随一で、帝からも絶賛を受けた熟練の武芸者。巫女の耳を射抜くなど品性に欠ける面を持つが、弓の美しさは本物であり、対立した時行もその技術を褒め称えた。身分を隠した時行と犬追物で勝負するが、実戦の中で逃げながらの攻撃に覚醒した時行の前に敗れ去る。しかし、その後も全く諦めることなく執拗に諏訪家に揺さぶりをかけてくる。市河助房(いちかわ すけふさ)信濃守護補佐役。貞宗の郎党ではなく北信濃に領地を持つ独立勢力であるため、貞宗からは「市河殿」と呼ばれている。耳が大きく、それに比例するように常人離れした聴覚を持つ、南北朝鬼ごっこ「順風耳鬼」。武芸に長けてはいるが、弓に関しては貞宗よりは下だという自覚はある。自身の聴力と貞宗の視力との連携によって、闇夜でも遠く離れた標的を射抜く高精度の狙撃が可能となる。直属の部下として、「五郎」、「彦八郎」、「瀬太郎」が存在する。瘴奸(しょうかん)悪党集団「征蟻党」(せいぎとう)の首領である入道姿の男。名前を何度も変えているらしく、本名は不明。貞宗の招きで小笠原家の傘下に入った。奪うことを生きがいとし、目の前で親を殺した子供を売り払い彼らの絶望を想いながら酒を飲むことを好む非道な人物。仏は存在しないと言い放つなど、信心も皆無である。野盗らしい悪辣さや暴力性を持つ一方で兵法にも通じ、優れた戦略眼を持ち合わせている。南北朝鬼ごっこ「鍼口鬼」。元は武家の生まれだが、嫡子相続の方針により領地を与えられず兄の召使いになることを強いられ出奔。居場所を求めて悪党に身を落とす。名を挙げるため大戦に参加するも敗戦し、共に戦った楠木正成から追っ手の来ないどこか遠い地へ落ち延びるよう勧められ、信濃に流れ着いた。諏訪領を狙う貞宗の依頼で国境の集落を荒らし回っていたところ、吹雪を軍師に迎えた逃若党と激突する。時行との一騎討ちで「鬼心仏刀」を決められ、意識が朦朧とする中、笑顔で逃げ続ける時行に「仏」の姿を見出し倒れる。そのまま失血死しかけるが、駆けつけた貞宗の援軍に救出され一命を取り留める。貞宗からは領民を虐殺したことを咎められながらも卓越した戦術眼を評価され、賊から足を洗うことを条件に所領を与えられ正式な小笠原家臣となった。死蝋(しろう)、白骨(びゃっこつ)、腐乱(ふらん)征蟻党幹部。瘴奸が長寿丸に敗れたのと時を同じくして、全員戦死。赤沢常興(あかざわ つねおき)小笠原家の副将。赤沢新三郎(あかざわ しんざぶろう)常興の弟。清原信濃守(きよはら しなののかみ)後醍醐天皇より新たに信濃国司に任ぜられた反北条派の公家。貞宗の直属の上司にあたる。自身の統治する信濃を「麻呂世界」と呼び、慣例を無視して領民に重税を課したり逆らう者を惨殺するなど、帝の威光を盾に理不尽な独裁を敷く。自信家で野心は強いが、戦術眼に乏しいにも関わらず適当な指示を出しては周囲を振り回すため、味方からも無能扱いされている。悪政に激怒した保科弥三郎が蜂起すると追撃を命じるが、失策を重ねたことにより保科を取り逃がし、さらに吹雪に殺されかけたことにより戦意を喪失する。和田米丸(わだ よねまる)清原信濃守配下の、国司領の番人を代々務める巨漢。内心では清原のことを見下しており、国司の権威と野心に乗じて信濃で成り上がることを目論んでいた。「声が大きい乱暴者の悪人」と人格面では散々な評価だが、それに見合うだけの武芸と強い統率力を持つ国司軍の要。南北朝鬼ごっこ「熾燃鬼軍団」国衙近衛を率いて保科党と対立するが、保科党と連携した弧次郎によって討ち取られる。米丸の死によって国司軍は弱体化を余儀なくされた。
朝廷・公家[編集]
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)足利高氏の協力を得て討幕を果たした天皇。鎌倉幕府に代わって天皇と公家が再び天下を治めることを願っており[26]、高氏の功を称賛する[33]。比類なき覇気とカリスマを備えた人物だが、能力が高すぎる故に凡人や弱者に対して配慮が及ばない欠点を持つ。鳴り物入りで開始した建武の新政は身内贔屓や現実に即さない政策から多くの武士達の不満を集め、一年と保たずに綻び始める。劇中では彼が何か発言をすると、配下の公卿が「帝が○○と仰せだ!」と叫ぶのが定番となっている。護良親王(もりよししんのう)後醍醐天皇の皇子として倒幕の指揮を執った、政権奪取の大功労者の一人。父譲りの利発聡明さと求心力を備え、武芸兵法まで極めた異色の皇子。尊氏の存在を危険視し命を狙うが、悉く失敗する。後醍醐政権で征夷大将軍に任命されたが、実の皇子より余所者の尊氏に惹かれた父帝によって切り捨てられ、たった2か月で将軍を解任された。西園寺公宗(さいおんじ きんむね)代々北条氏と縁深く、幕府健在時は京と鎌倉のパイプ役として権勢を誇った大納言。北条氏の滅亡により出世の道を絶たれたことから建武政権に不満を抱いており、北条泰家と共謀して後醍醐天皇の暗殺を計画。しかし弟の密告によって計画は失敗し、捕らえられ処刑される。北畠顕家(きたばたけ あきいえ)公家ながら武勇に秀で、三十三間堂の境内の先から隅にある軒下に何本も矢を当てた弓の名手。名和長年(なわ ながとし)、 結城親光(ゆうき ちかみつ)後醍醐天皇の側近。
その他の武将とその縁者[編集]
新田義貞(にった よしさだ)上野国の御家人。後醍醐天皇と通じた尊氏に呼応し、尊氏の子を擁して鎌倉を制圧した実行犯。戦場では無双する豪傑だが、頭の横には常時「?」マークが浮かんでおり、家臣たちからは「何も理解していないのではないか」と不安視されている。楠木正成(くすのき まさしげ)後醍醐天皇の重臣。小勢ながら巧みな軍略で鎌倉幕府の大軍を翻弄し、後醍醐天皇の天下取りの原動力となった「軍神」と評される武将。その本質は時行と同じ無類の逃げ上手であり、「逃げる事は生きる事」という信念を持つ。平時は過剰なまでに腰が低く、常に変顔をしながらヘコヘコと頭を下げ続けている挙動不審な人物。しかし、その実は様々な角度から相手を見ることによって相手の情報を立体的に把握し、いつでも逃げられるようにするための予備動作である。素性を隠しながら京に潜入した時行と偶然に出会い、逃げ上手という共通点に惹かれた彼から教えを乞われる。時行の正体を怪しみつつもあえて詮索はせず、自邸に招いて「弱者が強者に勝つ秘訣」を伝授した。多聞丸(たもんまる)正成の息子。佐々木道誉(ささき どうよ)尊氏の盟友である西国武士の実力者。婆娑羅にして教養人で稀代の策士。その腹黒さから常に顔に影がかかっており、日光に照らされても全く表情が読めない。魅摩(みま)道誉の娘。父譲りの婆娑羅で、露出の多い着物とツインテールの髪が特徴の少女。なお、当時としては珍しい名前だが史実においては道誉の身内に「ミま」なる人物が確認できるのみで、このような字であったかは定かではない。また、道誉の孫の「六郎左衛門」もしくは妻の「北」であるとの説が主流であり、娘とする解釈は珍しい。ただし、最晩年の書状に甲良荘尼子郷を「ミま」へ譲ると記してあることから道誉から「ミま」へのの愛情が深かったことは類推されており、これを反映してか親子仲は良好に描写されている。
用語・設定[編集]
南北朝鬼ごっこ時行と、彼の命を狙い迫り来る者との生死を賭けた攻防戦を鬼ごっこと称している。鬼に見立てられた者はそれぞれ伝説上の鬼の名前が冠され、異形のイメージで描かれる演出がなされる。神力(しんりき)武力や知力では測れない不思議な力。頼重の未来予知や諏訪湖の御神渡りもこの力によるもの。人の目が届かない領域にのみ存在できる力であり、文明の発達に伴い人の力が強まるほど、相対的に弱まっていく。南北朝時代は人と不思議が共存した最後の時代とされる。
系図[編集]
登場人物に関連する北条氏の系図
源頼朝 五大院宗繁 北条政子 常葉前 北条邦時 (政子の弟) (高時の五世の祖) (高時の高祖父) 北条時頼 北条時宗 北条貞時 北条高時 北条時行 (高時の正室) 北条泰家 (高家の高祖父) (高家の曾祖父) (高家の祖父) (高家の父) 名越高家 (守時の高祖父) (守時の曾祖父) (守時の祖父) (守時の父) 北条守時 (守時の妹) 足利高氏
赤地に太字が主人公、緑地が鎌倉幕府の歴代執権である。
本作に登場した人物のみ人名を表記し、未登場の人物は人名を表記せず括弧で記載した。
係累縁者が多数に上るため、本作に登場した人物とそれに関連する北条氏の男系の系図のみを記載した。そのため、母方の系図は省略している。
名越高家は、「北条高家」と表記されることも多いが、第1話での表記に準拠し「名越高家」と記載した。
足利高氏は、倒幕後に「足利尊氏」と改名する[注 1]。
源頼朝、北条政子、常葉前は、『週刊少年ジャンプ』54巻7号(2021年9号)に第2話とともに掲載された「解説上手の若君」の「図解! 北条家系図」にて人名が明記されたため記載した[15]。
北条時頼、北条時宗、北条貞時は、『週刊少年ジャンプ』54巻9号(2021年11号)に第4話とともに掲載された「解説上手の若君」の「南北朝鬼ごっこ列伝その壱――五大院宗繁」にて人名が明記されたため記載した[34]。
書誌情報[編集]
松井優征 『逃げ上手の若君』 集英社〈ジャンプ・コミックス〉、既刊7巻(2022年8月4日現在)
「滅亡1333」2021年7月2日発売[35]、ISBN 978-4-08-882710-0
「小笠原1333」2021年8月4日発売[36]、ISBN 978-4-08-882734-6
「悪党1334」2021年11月4日発売[37]、ISBN 978-4-08-882793-3
「生きたがり1334」2022年1月4日発売[38]、ISBN 978-4-08-883010-0
「問答1334」2022年4月4日発売[39]、ISBN 978-4-08-883073-5
「京1335」2022年6月3日発売[40]、ISBN 978-4-08-883184-8
「中先代1335」2022年8月4日発売[41]、ISBN 978-4-08-883198-5
足利尊氏
30の言語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![](https://assets.st-note.com/img/1691380839004-gW9suCeYdo.png)
「足利高氏」はこの項目へ転送されています。後に第3代古河公方となった足利高氏については「足利高基」をご覧ください。
足利 尊氏
![](https://assets.st-note.com/img/1691380859728-npsehsdz68.jpg)
絹本著色伝足利尊氏像(浄土寺蔵)
時代鎌倉時代末期 - 室町時代(南北朝時代)初期生誕嘉元3年7月27日(1305年8月18日)[注釈 1]死没延文3年4月30日(ユリウス暦1358年6月7日、先発グレゴリオ暦1358年6月15日)改名又太郎(幼名)→高氏→尊氏戒名等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿墓所京都府京都市北区萬年山等持院
神奈川県鎌倉市寶亀山長寿寺官位従五位上、鎮守府将軍、従四位下、左兵衛督、従三位、武蔵守、正三位、参議、征東将軍、従二位、権大納言、征夷大将軍、正二位、贈従一位、贈左大臣、贈太政大臣幕府鎌倉幕府→建武の新政→室町幕府初代征夷大将軍(在任:1338年 - 1358年)主君守邦親王(北条高時)→守邦親王(北条守時)→後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→後村上天皇[注釈 2]→後光厳天皇氏族河内源氏義国流足利氏(足利将軍家)父母父:足利貞氏、母:上杉清子兄弟高義、尊氏、直義、源淋(田摩御坊)[注釈 3]妻正室:北条守時の妹・赤橋登子
側室:加古基氏の娘、越前局ほか子竹若丸、直冬、義詮、基氏、鶴王、他テンプレートを表示
足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍[2](在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。
概要[編集]
河内源氏義国流足利氏本宗家の8代目棟梁。足利貞氏の次男として生まれる。歴代当主の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏(たかうじ)と名乗っていた。共に鎌倉幕府を打倒した新田義貞は同族である。正慶2年(1333年)に後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への反乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、高氏の名を尊氏(たかうじ)に改める。鎌倉時代の足利宗家当主の通字は「氏」であったため、室町幕府の将軍15人の中で唯一「義」の字が名に使われていない。
後醍醐天皇の新体制である建武の新政下で、公卿西園寺公宗の反乱計画発覚など政情不安が続く中、鎌倉方の残党北条時行が起こした中先代の乱により窮地に陥った弟・足利直義救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも鎌倉に留まり、恩賞を独自に配布した。これを独自の武家政権を樹立する構えと解釈した天皇との関係が悪化、建武の乱が勃発した。箱根・竹下の戦いでは大勝するが、第一次京都合戦および打出・豊島河原の戦いで敗北し、一時は九州に都落ちしたものの、光厳上皇が尊氏に対し新田義貞追討の院宣発給し、再び太宰府天満宮を拠点に上洛して京都を制圧。光明天皇践祚を支援し、光明天皇に征夷大将軍に補任され新たな武家政権(室町幕府)を開いた。一度は京に降った後醍醐天皇は、すぐ後、吉野に脱出し南朝を創始することになった。
幕府を開いてのち、是円・真恵兄弟らへの諮問のもと、その基本方針となる『建武式目』を発布。幕政の初期は隠退して、弟・足利直義が事実上の指導者となった。保守派で鎌倉幕府の伝統的法令を取り入れた直義に対して、尊氏の側近である執事高師直は建武政権の先進的法令を取り入れた革新的な改革を行った。後醍醐天皇の崩御後は、その菩提を弔うため天竜寺を建立した。その後、尊氏・師直派と直義派との間で観応の擾乱が起こった。師直・直義の死により乱は終息したが、その後も南朝や実子の足利直冬など反対勢力の打倒に奔走し、晩年には政治にも手腕を発揮して統治の安定に努めた。
勅撰歌人である武家歌人としても知られ、『新千載和歌集』は尊氏の執奏により後光厳天皇が撰進を命じたものであり、以後の勅撰和歌集は、二十一代集の最後の『新続古今和歌集』まですべて将軍の執奏によることとなった。
生涯[編集]
誕生と家督相続[編集]
尊氏は嘉元3年 (旧暦)(1305年)[3][注釈 1]、足利氏当主の貞氏の次男として生まれた[5]。確実な生誕地は不明で、足利氏の本貫(名字の根拠の地)である下野国足利荘(栃木県足利市)・上杉氏の本貫である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(京都府綾部市上杉)・鎌倉幕府の本拠地である相模国鎌倉(神奈川県鎌倉市)などの説がある[6]。日本史研究者の清水克行によれば、当時の足利氏は幕府の実質的支配者である北条得宗家と友好関係を保つため鎌倉に活動拠点を移していたため、鎌倉誕生説が2013年時点では最も有力な見解であるという[6]。
母は貞氏側室・上杉清子(兄に貞氏正室・北条顕時の娘が産んだ足利高義がいる)。後世に編纂された『難太平記』では尊氏が出生して産湯につかった際、2羽の山鳩が飛んできて1羽は尊氏の肩に止まり、1羽は柄杓に止まったという伝説を伝えている。元応元年(1319年)10月10日、15歳にして従五位下に叙し治部大輔に任ぜられる。また、同日に元服をし、得宗・北条高時の偏諱を賜り高氏(通称は又太郎)と名乗ったとされる[注釈 4]。足利氏の嫡男は「三郎」を名乗る決まりになっていたが、兄であり貞氏嫡男の高義の死後であるにも関わらず「又太郎」と名付けられたのは、高氏ではなく高義の遺児が家督を継承することを貞氏が望んでいたからであると考えられる[7]。15歳での叙爵は北条氏であれば得宗家・赤橋家に次ぎ、大仏家・金沢家と同格の待遇であり、北条氏以外の御家人に比べれば圧倒的に優遇されていた[8]。そして北条氏一族の有力者であった赤橋流北条氏の赤橋(北条)守時の妹・赤橋登子を正室に迎える。その後、守時は鎌倉幕府の執権となる。元弘元年/元徳3年(1331年)、父・貞氏が死去する。足利氏の家督は一旦は兄・高義が継いでいたが、父より先(高氏の元服以前)に亡くなっていたため、高氏が継ぐことになった。
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楠木正成の戦を描いた勝川春亭画「和州如意輪堂合戦」。右上方に足利尊氏が描かれている。
元弘の乱[編集]
詳細は「元弘の乱」を参照
元弘元年/元徳3年(1331年)、後醍醐天皇が2度目の倒幕を企図し、笠置で挙兵した(元弘の乱)。鎌倉幕府は高氏に派兵を命じ、高氏は天皇の拠る笠置と楠木正成の拠る下赤坂城の攻撃に参加する。このとき、父・貞氏の喪中であることを理由に出兵動員を辞退したが許されなかった。『太平記』は、このことから高氏が幕府に反感を持つようになったとする。また、足利氏は承久の乱で足利義氏が大将の1人として北条泰時を助けて勝利を導いて以来、対外的な戦いでは足利氏が大将を務めるのが嘉例とされ、幕府及び北条氏はその嘉例の再来を高氏に期待したもので、裏を返せば北条氏が足利氏に圧力を加えても決して滅ぼそうとはしなかった理由でもあった[8]。勝利に貢献した高氏の名声は高まったが、不本意な出陣だったためか、同年11月他の大将を置いて朝廷に挨拶もせずさっさと鎌倉へ戻っており、花園上皇を呆れさせている(『花園天皇宸記』)。
元弘の乱は結局失敗に終わり、倒幕計画に関わった貴族・僧侶が多数逮捕され、死刑・配流などの厳罰に処された。後醍醐天皇も廃位され、代わって持明院統の光厳天皇が践祚した。元弘2年/正慶元年(1332年)3月には後醍醐天皇は隠岐島に配流された。幕府は高氏の働きに、従五位上の位階を与えることで報いた(『花園天皇宸記』裏書)。
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正慶2年(元弘3年/西暦1333年)後醍醐天皇は隠岐を脱出して伯耆国船上山に籠城した。高氏は当時病中だったが再び幕命を受け、西国の討幕勢力を鎮圧するために名越高家とともに司令官として上洛した。このとき、高氏は妻・登子、嫡男・千寿王(のちの義詮)を同行しようとしたが、幕府は人質としてふたりを鎌倉に残留させている。
高氏は京都への上洛途中、三河国八つ橋まで来たところで、幕府に謀反を起こすことを吉良貞義を含めた腹心に打ち明け、同意を得た。三河国で謀反の志を打ち明けた理由は、三河国が足利氏一族や被官が濃密に分布していたからであると考えられる[9]。その後海老名六郎季行を密かに船上山へ参候させ、後醍醐により討幕の密勅を受け取った。
高氏らは上洛し、名越高家が緒戦で戦死したことを踏まえ、4月29日、船上山と京都を繋ぐ山陰道の要衝であり、また千種忠顕軍が展開していた丹波国の篠村八幡宮(京都府亀岡市)で反幕府の兵を挙げた。諸国に多数の軍勢催促状を発し、播磨国の赤松円心、近江国の佐々木道誉らの反幕府勢力を糾合して入洛し、5月7日に六波羅探題を滅亡させた。この際、高氏は九州の薩摩国にまで催促状を出しているが、これは距離的に六波羅攻略のためでないのは明らかで、将来高氏自身が独立して政治を行う時のために九州の豪族を味方につけるのが目的であったと考えられる[9]。関東では、同時期に上野国の御家人である新田義貞を中心とした叛乱が起こり、鎌倉を制圧して幕府を滅亡に追い込んだ。この軍勢には、鎌倉からの脱出に成功した千寿王も参加している。一方で、高氏の庶長子・竹若丸は伯父に連れ出され、鎌倉を出たが、脱出に失敗して途中で北条の手の物に捕まり殺害されている。
高氏が倒幕を決意した原因は、『太平記』や『梅松論』に見えるように、亡父の法要を満足にできぬまま出兵させられたことが1番に挙げられる[7]。また足利氏は、建長2年(1250年)の閑院代理造営や、建治元年(1275年)の六条八幡宮造営などで、多額の費用を負担させられており、北条氏による足利氏への経済的要求は他の御家人と比較して突出していた[7]。加えて『吾妻鏡』には、足利義氏と結城朝光が書状の書式をめぐって争った際、義氏が足利氏を源氏一門として別格であると主張したのに対し、朝光は御家人としての立場は変わらないと主張し、その論争に仲裁に入った幕府は朝光の主張を正当なものとした、という記述がある。この裁定は、御家人の中に特別な存在を認めることは幕府(=北条氏)にとって得策ではなかったからである[7]。しかし逆に、この出来事を『吾妻鏡』に記したことは、『吾妻鏡』が「北条氏得宗政権を正当化する弁解状だった[10]」ように、こうした話を挿入すること自体に、北条氏が足利氏を特別視し、その立場に対する警戒心(足利氏を抑え込もうという意識)が現れているとも考えられる[7]。
建武の新政[編集]
鎌倉幕府の滅亡後、高氏は後醍醐天皇から勲功第一とされ、従四位下に叙され、鎮守府将軍・左兵衛督に任ぜられ、また30箇所の所領を与えられた。元弘3年/正慶2年(1333年)8月5日には従三位に昇叙、武蔵守を兼ねるとともに、天皇の諱「尊治」から偏諱を受け尊氏と改名した[注釈 5]。尊氏は建武政権では自らは要職には就かなかった一方、足利家の執事である高師直、その弟・師泰をはじめとする家臣を多数政権に送り込んでいる。これには、天皇が尊氏を敬遠したとする見方と、尊氏自身が政権と距離を置いたとする見方とがある。世人はこれを「尊氏なし」と称した。
正慶2年(元弘3年/1333年)、義良親王(のちの後村上天皇)が陸奥太守に、北畠顕家が鎮守府大将軍に任じられて陸奥国に駐屯することになると、尊氏も、成良親王を上野太守に擁立して直義とともに鎌倉に駐屯させている。また、鎌倉幕府滅亡に大きな戦功をあげながら父に疎まれ不遇であった護良親王は、尊氏をも敵視し政権の不安定要因となっていたが、建武元年(1334年)には父の命令で逮捕され、鎌倉の直義に預けられて幽閉の身となった。
中先代の乱[編集]
詳細は「中先代の乱」を参照
建武2年(1335年)信濃国で北条高時の遺児北条時行を擁立した北条氏残党の反乱である中先代の乱が起こり、時行の軍勢は鎌倉を一時占拠する。直義は鎌倉を脱出する際に独断で護良を殺害している。尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の官職を望んだが許されず、8月2日、天皇の許可を得ないまま4万の軍勢を率いて鎌倉に向かった。天皇はやむなく征東将軍の号を与えた。尊氏は直義の軍勢と合流し相模川の戦いで時行を駆逐して、8月19日には鎌倉を回復した。
建武の乱[編集]
詳細は「建武の乱」を参照
足利直義(尊氏の弟)の意向もあって尊氏はそのまま鎌倉に本拠を置き、独自に恩賞を与えはじめ、京都からの上洛の命令も拒んで、独自の武家政権創始の動きを見せはじめた。11月、尊氏は新田義貞を君側の奸であるとして天皇にその討伐を要請するが、天皇は逆に義貞に尊良親王をともなわせて尊氏討伐を命じた。さらに奥州からは北畠顕家も南下を始めており、尊氏は赦免を求めて隠居を宣言し寺にひきこもり断髪する[注釈 6]が、直義・師直などの足利方が各地で劣勢となると、尊氏は彼らを救うため天皇に叛旗を翻すことを決意し「直義が死ねば自分が生きていても無益である」と宣言し出馬する。12月、尊氏は新田軍を箱根・竹ノ下の戦いで破り、京都へ進軍を始めた。この間、尊氏は持明院統の光厳上皇と連絡を取り、叛乱の正統性を得る工作をしている。建武3年(1336年)正月、尊氏は入京を果たし、後醍醐天皇は比叡山へ退いた。しかしほどなくして奥州から上洛した北畠顕家と楠木正成・新田義貞の攻勢に晒される。1月30日の戦いで敗れた尊氏は篠村八幡宮に撤退して京都奪還を図る。この時の尊氏が京都周辺に止まって反撃の機会を狙っていたことは、九州の大友近江次郎に出兵と上洛を命じた尊氏の花押入りの2月4日付軍勢催促状(「筑後大友文書」)から推測できる。だが、2月11日に摂津国豊島河原の戦いで新田軍に大敗を喫したために戦略は崩壊する。尊氏は摂津国兵庫から播磨国室津に退き、赤松円心の進言を容れて京都を放棄して九州に下った。
九州への西下途上、長門国赤間関(山口県下関市)で少弐頼尚に迎えられ、筑前国宗像大社の宗像氏範の支援を受ける。建武3年(延元元年/1336年)宗像大社参拝後の3月初旬、筑前国多々良浜の戦いにおいて天皇方の菊池武敏らを破り、大友貞順(近江次郎)ら天皇方勢力を圧倒して勢力を立て直した尊氏は、京に向かう途中の鞆で光厳上皇の院宣を獲得し、西国の武士を急速に傘下に集めて再び東上した。5月25日の湊川の戦いで新田義貞・楠木正成の軍を破り、6月には京都を再び制圧した(延元の乱)。
尊氏は洛中をほぼ制圧したが、このころ再び遁世願望が頭を擡げ8月17日に「この世は夢であるから遁世したい。信心を私にください。今生の果報は総て直義に賜り直義が安寧に過ごせることを願う」という趣旨の願文を清水寺に納めている[注釈 7]。足利の勢力は、比叡山に逃れていた天皇の顔を立てる形での和議を申し入れた。和議に応じた後醍醐天皇は11月2日に光厳上皇の弟光明天皇に神器を譲った。その直後の11月7日、尊氏は、明法家(法学者)の是円(中原章賢)・真恵兄弟らへ諮問して『建武式目』十七条を定め、政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言したが、これは直義の意向が強く働いたものとされる。実質的には、このときをもって室町幕府の発足とする。尊氏は源頼朝と同じ権大納言に任じられ、自らを「鎌倉殿」と称した。一方、後醍醐天皇は12月に京を脱出して吉野(奈良県吉野郡吉野町)へ逃れ、光明に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して(北朝と南朝とのどちらが本物の三種の神器を保有していたかは不明)独自の朝廷(南朝)を樹立した。
観応の擾乱[編集]
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尊氏の墓(等持院)
足利尊氏邸跡・京都市中京区高倉通御池上ル東側
詳細は「観応の擾乱」を参照
暦応元年(1338年)、尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ[11]、室町幕府が名実ともに成立した。翌年、後醍醐天皇が吉野で崩御すると、尊氏は夢窓疎石に勧められ、「報恩謝徳」「怨霊納受」のため、また源頼朝の東大寺供養のように権威を誇示する一大デモンストレーションのため[7]に、光厳上皇の院宣で天龍寺造営を開始した。造営費を支弁するため、元へ天龍寺船が派遣されている。さらに、光厳上皇の院宣をもとに、諸国に安国寺と利生塔の建立をさせた。南朝との戦いは基本的に足利方が優位に戦いを進め、北畠顕家、新田義貞、楠木正成の遺児正行などが次々に戦死し、小田治久、結城親朝は南朝を離反して幕府に従ったほか、貞和4年(1348年)には高師直が吉野を攻め落として全山を焼き払うなどの戦果をあげている。
新政権において、尊氏は政務を直義に任せ自らは軍事指揮権と恩賞権を握り武士の棟梁として君臨した。佐藤進一はこの状態を、主従制的支配権を握る尊氏と統治権的支配権を所管する直義との両頭政治であり、鎌倉幕府以来、将軍が有していた権力の二元性が具現したものと評価した(「室町幕府論」『岩波講座日本歴史7』岩波書店、1963年)。しかし、二元化した権力は徐々に幕府内部の対立を呼び起こし、高師直らの反直義派と直義派の対立として現れていく。この対立はついに観応の擾乱と呼ばれる内部抗争に発展した。尊氏は当初、中立的立場を取っていた。貞和5年(1349年)、直義が師直を襲撃しようとするも師直側の反撃を受けた直義が逃げ込んだ尊氏邸を師直の兵が包囲し、直義の引退を求める事件が発生した。直義は出家し政務を退くこととなった。直義の排除には師直・尊氏の間で了解があり、積極的に意図されていたとする説もあるが、後の直義の言動より、直義の師直襲撃にも尊氏は言質を与えていたものと思われ、尊氏は優柔不断に直義にも師直にもいい顔をしていたとの説もある。
師直は直義に代わって政務を担当させるため尊氏の嫡男・義詮を鎌倉から呼び戻し、尊氏は代わりに次男・基氏を下して鎌倉公方とし、東国統治のための鎌倉府を設置した。直義の引退後、尊氏庶子で直義猶子の直冬が九州で直義派として勢力を拡大していたため、観応元年(1350年)、尊氏は直冬討伐のために中国地方へ遠征した。すると直義は京都を脱出して南朝に降伏し、桃井直常、畠山国清ら直義派の武将たちもこれに従った。直義の勢力が強大になると、義詮は劣勢となって京を脱出し、京に戻ろうとした尊氏も光明寺合戦や打出浜の戦いで敗れた。尊氏は高師直・師泰兄弟の出家・配流を条件に直義と和睦し、観応2年(正平6年/1351年)に和議が成立した。この交渉において尊氏は寵童饗庭氏直を代理人に立てたが、氏直には直義に「師直の殺害を許可する」旨を伝えるように尊氏は命じたという記録が残っている[注釈 8]。和睦後、師直兄弟とともに京に戻るが、この時尊氏は出家姿になってみすぼらしい二人と一緒に上洛するのは「見苦しい」と言って嫌い、彼らに行列の後ろから3里(約2km)ばかり離れてついてくるようにと指示を出していた(『観応二年日次記』)。師直ら高一族は尊氏に見捨てられたような形で、護送中に彼らを父の敵として恨んでいた上杉能憲により殺害された。
直義は、義詮の補佐として政務に復帰した。上記の通り、この一連の戦闘の勝者は直義、敗者は尊氏であり、尊氏の権威は大きく失墜してもおかしくないはずである。ところが尊氏は全く悪びれる様子もなく、むしろ以前より尊大に振る舞うようになる。論功行賞では尊氏派の武将の優先を直義に約束させ、高兄弟を滅ぼした上杉能憲の死罪を主張し、直義との交渉の末これを流罪にした。また、謁見に現れた直義派の細川顕氏を降参人扱いし、太刀を抜いて威すなどまるで勝者のように振る舞い、勝ち戦で上機嫌だった顕氏は尊氏の不思議な迫力に気圧され一転して恐怖に震えたという。そもそも尊氏は細かいことに拘らない性格だったが、今回の敗戦も尊氏と直義の戦いではなく、あくまで師直と直義の戦いだと、自分の都合のいいように考えていたようだ[12]。更に、直義の北条泰時を理想とする守旧的な政治は、幾度の戦乱を経て現実に即しているとは言い難かったため、尊氏派に宗旨替えする武将が続出し、敗者だった尊氏側が実際には優勢であるという情勢ができてゆく。このような情勢の中で、直義派の武将が殺害されたり襲撃されたりするなど事件が洛中で続発し、終には直義は政務から再び引退するに至る。
尊氏は佐々木道誉の謀反を名目に近江へ、義詮は赤松則祐の謀反を名目として播磨へ、京の東西へ出陣する形となったが、佐々木や赤松の謀反の真相は不明で(後に彼らは尊氏に帰順)、実際には尊氏はむしろ直義追討を企てて南朝と和睦交渉を行った。この動きに対して直義は京を放棄して北陸を経由して鎌倉へ逃亡した。尊氏と南朝の和睦は同年10月に成立し、これを正平一統という。この和睦によって尊氏は南朝から直義追討の綸旨を得たが、尊氏自身がかつて擁立した北朝の崇光天皇は廃されることになった。そして尊氏は直義を追って東海道を進み、薩埵峠の戦い (南北朝時代)(静岡県静岡市清水区)、相模国早川尻(神奈川県小田原市)の戦いなどで撃ち破り、直義を捕らえて鎌倉に幽閉した。直義は、観応3年(正平7年1352年)2月、高師直の一周忌に急死した。『太平記』の物語では、尊氏による毒殺の疑いを匂わせるように描かれた。
なお、観応の擾乱前夜の貞和5年(1349年)後半ごろから[13]、薨去数年前の文和4年(1355年)後半ごろまで[14]、尊氏は以前と違って将軍自ら政治を行い、嫡子の義詮と共同統治を行った[15]。通説では尊氏の政治は余り顧みられることがなかったが、21世紀初頭に入り、日本史研究者の森茂暁と亀田俊和はこの時期の尊氏・義詮の政治的手腕を高く評価している[16][17]。
晩年[編集]
尊氏が京を不在にしている間に南朝方との和睦は破られた。宗良親王・新田義興・義宗・北条時行などの南朝方から襲撃された尊氏は武蔵国へ退却するが、すぐさま反撃し関東の南朝勢力を破って鎌倉を奪還した(武蔵野合戦)。一方、畿内でも南朝勢力が義詮を破って京を占拠、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇と皇太子直仁親王を拉致し、更に尊氏は唯一無二の天皇となった後村上天皇により将軍を解任されたため、足利政権の正当性は失なわれるという危機が発生する。しかし近江へ逃れた義詮はすぐに京を奪還し(八幡の戦い)、佐々木道誉が後光厳天皇擁立に成功した為北朝が復活、足利政権も正当性を取り戻した。しかし今度は、佐々木道誉と対立して南朝に下った山名時氏と楠木正儀が京を襲撃して、義詮を破り京を占拠した。尊氏は義詮の救援要請をうけ京へ戻り義詮とともに京を奪還した。
文和3年(1354年)には直冬を奉じた旧直義派による京への大攻勢を受ける。翌年には尊氏は京を放棄するが、結局直冬を撃退して京を奪還した。この一連の合戦では神南での山名氏勢力との決戦から洛中の戦に到るまで道誉と則祐の補佐をうけた義詮の活躍が非常に大きかったが、最終的には東寺の直冬の本陣に尊氏の軍が自ら突撃して直冬を敗走させた。尊氏はこの際自ら直冬の首実検をしているが結局討ち漏らしている。
尊氏は島津師久の要請に応じて自ら直冬や畠山直顕、懐良親王の征西府の討伐を行なうために九州下向を企てるが、義詮に制止され果せなかった[18]。延文3年(1358年)4月30日、京都二条万里小路第(現在の京都市下京区)で薨去した[18]。死因は背中の腫れ物である[19]。 『後深心院関白記』によると延文3年(1358年)5月2日庚子の条に、尊氏の葬儀が真如寺 (京都市) で行われたとあり、5月6日甲辰の条の初七日からの中陰法要は、等持院において行われたことがわかる。 墓所は京都の等持院と鎌倉の長寿寺。これを反映して死後の尊氏は、京都では「等持院」、関東では「長寿院」と呼び表されている。 そして、尊氏の死から丁度百日後に、孫の義満が生まれている。
年表[編集]
和暦北朝[注釈 9]南朝[注釈 10]西暦月日
(旧暦)内容出典嘉元3年(後二条天皇)1305年7月27日生誕。 元応元年(後醍醐天皇)1319年10月10日従五位下治部大輔に叙任。公卿補任元応2年(後醍醐天皇)1320年9月5日治部大輔辞任。公卿補任元徳2年(後醍醐天皇)1330年6月18日嫡子義詮誕生。 正慶元年光厳天皇後醍醐天皇1332年6月6日従五位上に昇叙。公卿補任正慶2年光厳天皇後醍醐天皇1333年6月5日鎮守府将軍。内昇殿許される。 6月12日従四位下左兵衛督に昇叙転任。 8月5日従三位に昇叙し、武蔵守兼任。名を尊氏と改める。公卿補任 元弘の乱(~) 建武元年後醍醐天皇1334年1月5日正三位に昇叙。 9月4日参議に補任。左兵衛督如元。 建武2年後醍醐天皇1335年7-8月中先代の乱 8月9日征東将軍宣下。 8月30日従二位に昇叙。 1336年11月26日征東将軍を止む。 建武3年光明天皇後醍醐天皇1336年2月頃北朝方、多々良浜の戦い太平記5月25日北朝方、湊川の戦い太平記11月7日北朝方、建武式目制定。 11月26日北朝方、権大納言に転任。 暦応元年光明天皇後醍醐天皇1338年8月11日正二位に昇叙。征夷大将軍宣下。 暦応3年光明天皇後村上天皇1340年3月5日次男基氏誕生、兵庫に福海寺(福海興国禅寺)建立。 観応年間崇光天皇後村上天皇1350年
-51年 南朝方、観応の擾乱。征夷大将軍解任。 文和元年後村上天皇1352年2月26日弟直義死去。 延文3年後光厳天皇後村上天皇1358年4月30日死去。 6月3日贈従一位左大臣。 永徳元年後円融天皇長慶天皇1381年4月28日贈太政大臣。
人物[編集]
性格[編集]
性格の概観[編集]
尊氏の人間的な魅力を、個人的に親交のあった夢窓疎石が次の3点から説明している(『梅松論』)。
1つ、心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。
2つ、生まれつき慈悲深く、他人を恨むということを知らず、多くの仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。
3つ、心が広く、物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え、武具や馬などを人々に下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。
1つ目の戦場での勇猛さだが、ある戦場で矢が雨のように尊氏の頭上に降り注ぎ、近臣が危ないからと自重を促すと、「やはり」尊氏は笑って取り合わなかったという[20]。『源威集』でも、文和4年(1355年)の東寺合戦で危機的状況に陥った際、尊氏は「例の笑み」を浮かべ、「合戦で負ければそれでお終いなのだから、敵が近づいてきたら自害する時機だけを教えてくれればよい」と答え全く動揺することがなかった、という。『源威集』の著者は「たとえ鬼神が近づいてきたとしても、全く動揺する気配がない」と尊氏の胆力を褒めちぎっている。
2つ目の敵への寛容さも、畠山国清や斯波高経など一度敵方に走ったものでも、尊氏は降参すればこれを許容し、幕閣に迎えている。
3つ目の部下への気前の良さは、『梅松論』にある八朔の逸話によって窺い知ることができる。当時、旧暦の8月1日に贈答しあう風習が流行し、尊氏のもとには山のように贈り物が届けられた。しかし、尊氏は届いたそばから次々と人にあげてしまうので、結局その日の夕方には尊氏のもとに贈り物は何一つ残らなかったという。
こうした姿勢は戦場でも同様で、尊氏は戦場で功績を上げた者を見ると、即座に恩賞を約束するかな書きの下文(「軍陣の下文」と呼ばれる)を、相手に直接与えている。これは、すでに権利者のいる所領を再び別人に与えてしまう事例も発生し、後の史料には100年先まで紛争の種となり、尊氏の子孫たちを悩ましている例すらある(「御前落居記録」第18項)。それでも、戦場の下文がもつ即時性の効果は大きかった。また、佩用していた腰刀を直接家臣二人に与えた例や、自身が所用する軍扇[21] を与えたこともある[22]。こうした鷹揚で無頓着な尊氏を見聞きした家臣たちは、みな「命を忘れて死を争い、勇み戦うことを思わない者はいなかった」といい(『梅松論』)、これが尊氏最大の人間的魅力だった[23]。
一方、『梅松論』には、尊氏は合戦で苦戦した際、すぐ切腹すると言い出し周囲を慌てさせたり、後醍醐天皇に背いて朝敵となったことを悔やみ、一時は出家を宣言してしまうなどの記述もある。尊氏は正月の書き初めで、毎年「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」と書いたと伝えられる[20]。
歴史の表舞台に立った尊氏は、その性格ゆえに周囲の動向に振り回され傷つき、また自身も無意識に周囲を傷つけてしまう苦悩を背負うこととなった[24]。
家族関係 [編集]
正室であった赤橋登子所生(義詮・基氏・鶴王)以外の子に対して冷淡であったかのような見方がされているが、谷口研吾は、これは正室である登子の意向によるものであり、その背景として実家(赤橋流北条氏)という後ろ盾を失った彼女が自身とその子供たちを守るために他の女性の子供を排除せざるを得なかったからとする[25]。
双極性障害説とその批判[編集]
1960年代、歴史研究者の佐藤進一は尊氏を双極性障害(1960年代当時の呼称は躁鬱病)ではないかと推測していた[26]。
佐藤は、尊氏が中先代の乱の鎮圧に後醍醐天皇の許可なしに向かう途上で、既に後醍醐への反乱を計画していたと想定した[26]。そして、その後それにも関わらず尊氏は素直に後醍醐の召還命令に応じようとしたり、いざ後醍醐との戦いである建武の乱が発生すると鎌倉の浄光明寺に引きこもってしまったことなどを挙げ、その行動の矛盾点を指摘した[26]。佐藤は尊氏の行動を歯切れが悪いと批判し、その行動矛盾の理由について、天皇に反乱してはならないという日本古来の「番犬思想」とこの時代に舶来した儒学的易姓革命思想の板挟みになったことや、後醍醐との個人的親近感に基づく解釈などを取り上げている[27]。
さらに、佐藤は、尊氏の父の貞氏の発狂歴や、先祖の家時の自殺伝説(いわゆる置文伝説)、そして曾孫の義教の性格などを挙げ、足利将軍家の血筋を「異常な血統」と評している[26]。そして、尊氏の行動の複雑さは、双極性障害が遺伝的に受け継がれたものであると主張した[26]。
その後2010年代に、歴史研究者の呉座勇一は佐藤の説を強く否定し[28]、当時の史料に基づく限り、尊氏の行動は後醍醐への忠誠心と直義への兄弟愛で終始一貫しており、異常であるのはむしろ佐藤の不自然な想定の方であるとした[28]。
呉座はまず第一に、精神医学の専門家ではない者が十分な証拠もなしに「双極性障害は遺伝的なものである」「患者の行動は常人には理解できないほど異常である」と決めつけることは、現実の患者への差別・偏見を招く恐れがあり、慎重になるべきであるとする[28]。
第二に、佐藤が尊氏の行動に「番犬思想」として歯切れの悪さを感じるのは、佐藤ら戦後すぐの歴史研究者たちに政治的偏向による先入観がかかっていたからであると主張する[28]。実際には、史料的に尊氏が後醍醐への反乱を意図していたと確証するものはない[28]。むしろ、『梅松論』(14世紀半ば)は、中先代の乱参戦を「天下のため」「弟の直義を救うため」とし、建武の乱で引きこもりをやめて後醍醐に対峙したのも弟を救うためにやむを得ずとしており、呉座も『梅松論』説を支持する[28]。呉座の推測によれば、尊氏は天下や後醍醐のために良かれと思って独断で行動していたが、厳密な許可を得ずとも後醍醐は自分の行動を追認してくれるだろうと楽観視しており、そこに尊氏と後醍醐の行き違いがあったのだという[28]。つまり、佐藤の側に尊氏は当初から後醍醐への反乱を計画していたという先入観があるために、その行動が佐藤視点ではどっちつかずとして複雑に見えたのではないか、と主張した[28]。
二頭政治か否か[編集]
観応の擾乱前の室町幕府の政治体制については、幕府の九州探題(九州方面軍総指揮官)を務めた今川了俊の『難太平記』に、世人は尊氏を「弓矢の将軍」と称し、直義は「政道」を任されたとあることから、一般に、擾乱前は、軍事を担当とする足利尊氏と政治を担当する足利直義の二頭政治が取られていたという理解が定説となっている[29]。第二次世界大戦後、佐藤進一はこの説をさらに深化させ、尊氏は主従制的支配権(人を支配する権限)を、直義は統治的支配権(領域を支配する権限)を持っており、質的差異があったのではないか、と指摘した[30]。
これに対し、呉座勇一は、実際のところ幕府の運営のほとんどは直義を実質の最高権力者として行われており、「二頭政治」という呼び方では、両者の権限が拮抗していたかのような誤解を与えるのではないか、『難太平記』のも両者の関係にほころびが生じてからの描写であり、平時のものとは言い難い、と指摘した[29] (ただし、実際は『難太平記』に見えるように、建武3年の北条時行との箱根山合戦以来、尊氏は「天下」「御当家」を直義に譲り渡しており、この頃から尊氏と直義の間で役割の分担が確認されていた[7])。 亀田俊和も呉座に同意し、(足利義満の「室町殿」体制になぞらえて)下京三条坊門高倉に住む直義を中心とする「三条殿」体制と言って良いのではないか、とした[31]。また、亀田は室町幕府初期の政治体制は建武政権末期の政治体制(後醍醐天皇が恩賞を与え、その他おおよその政務は雑訴決断所が行う)と似通っていることを指摘し、尊氏は後醍醐天皇の施策を意識的に継承し、尊氏が後醍醐天皇の権限(恩賞給付能力、政体の新たな力を創造する能力)を、直義が雑訴決断所の権限(政治全般を行い、政体を保全する能力)を担当することになったのではないか、とした[30](ただし、尊氏や直義が理想としたのは建武政権ではなく、建武式目に見えるように「北条義時・北条泰時の執権政治」である[7])。
勅撰歌人[編集]
尊氏は、武将、政治家としてだけでなく、芸術家としても足跡を残している人物で、取り分け室町時代を代表する武家歌人として名高い[要出典]。
連歌については『菟玖波集』に68句が入集しており武家では道誉に次ぎ二番目に多く入集している。
専ら連歌に専念した道誉と異なり和歌についても足跡が多く、『続後拾遺和歌集』(正中3年(1326年))から『新続古今和歌集』(永享11年(1439年))まで、6種の勅撰集に計86首の和歌が入撰している[32]。幕府成立初期、観応の擾乱前の心境を詠んだものとして、『風雅和歌集』(貞和2年(1346年))では、「いそぢまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりに〈前大納言尊氏〉」とあって、50歳になっても(実際は『風雅和歌集』完成時まだ数え47歳)まだ自身に迷いのあることを嘆き遁世を願っており、尊氏の性格や当時の政局を窺える歌となっている[32]。
また、『新千載集』を企画し、勅撰集の武家による執奏という先例を打ち立てた[要出典]。
その他の芸能[編集]
源頼義父子が名人として知られていた笙を豊原龍秋から学び、後醍醐天皇の前でも笙を披露している(『続史愚抄』建武2年5月25日条)。後に後光厳天皇も尊氏に倣って龍秋から笙を学んだ(『園太暦』延文3年8月6・8・14日条)[33]。
地蔵菩薩を描いた絵画なども伝わっており、画才にも優れた人物だった。この他にも扇流しの元祖であるというエピソードもある。
信仰[編集]
真言宗においては第65代醍醐寺座主の三宝院賢俊を崇敬し、武家護持僧(祈祷の霊力で将軍を守護する僧)とした。賢俊は公卿日野俊光の子だったため、これが後の足利将軍家と日野家の縁戚関係の端緒となった。賢俊入滅にあたっては、その四十九日供養に、尊氏自ら筆を取って『理趣経』を写したが、この写本(醍醐寺蔵)は重要文化財に指定されている[34]。
天台宗においては、後醍醐天皇の側近の一人だった恵鎮房円観に帰依した。尊氏は、北条高時を鎮魂する寺社を作るようにという後醍醐の勅命を受け継いで鎌倉に宝戒寺を建立し、円観をその名目上の開山としている。円観はまた、史上最大の軍記物語『太平記』の原型である『原太平記』(散逸)の編纂を指揮した人物とみられている。
臨済宗においては、後醍醐天皇が抜擢した夢窓疎石に深く帰依し、後醍醐崩御後はその鎮魂のために天龍寺を建立させた。夢窓はまた世界的作庭家としても著名である。
真言律宗においては、後醍醐天皇の庇護を受けた浄土寺(広島県尾道市)を尊氏もまた庇護した。
また、京都の鞍馬山、奈良の信貴山と並ぶ、 日本三大毘沙門天のひとつである足利市の大岩毘沙門天を信仰していた。
愛用の武具[編集]
骨食(骨喰藤四郎)[編集]
詳細は「骨喰藤四郎」を参照
尊氏は、足利氏重代の薙刀である骨食(ほねかみ)を愛刀としていた[35]。この武具は本阿弥家の鑑定では、鎌倉時代の藤四郎吉光の作とされる[35]。
『梅松論』下に、延元元年/建武3年3月2日(1336年4月13日)の多々良浜の戦いに臨む尊氏の武具について、「将軍其日は筑後入道妙恵が、頼尚を以進上申たりし赤地の錦の御直垂に、唐綾威の御鎧に、御剣二あり。一は御重代の骨食也。重藤の御弓に上矢をさゝる。御馬は黒粕毛、是は宗像の大宮司が昨日進上申たりしなり」[36]とあるのが、足利氏の骨食(骨喰)についての古い記述である[35]。
また、同時代史料である『常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到』(鎌田妙長、長享元年)に、長享元年(1487年)9月12日、第9代将軍足利義尚が六角高頼征伐のため近江国坂本に出陣した際、小者に「御長刀ほねかみと申す御重代をかつ」がせていたとあることから、骨食が薙刀であったこと、尊氏以降は足利将軍家重代の武器として伝えられていたこと、「ほねかみ」と訓まれていたことなどがわかる[35]。
のち大脇差に磨り上げられ、骨喰(ほねばみ)として知られるようになり、大友家・豊臣家・徳川家・大日本帝国政府などの手を経て、大正末期に豊国神社の所有となり、旧国宝(現在の重要文化財)に指定されている[35]。
備前長船兼光[編集]
詳細は「備前長船兼光」を参照
前記の『梅松論』より時代が下るものの、第8代将軍足利義政の同朋衆だった能阿弥の『能阿弥本銘尽』(現存最古の写本は文明15年(1483年)成立)によれば、尊氏は京都へ上洛する途上、長船派の刀工の兼光を取り立て、屋敷を与えたという [37]。備前長船兼光の作品は、後世には最上大業物の一つに数えられるほど斬れ味の良い刀である[38]。
なお、世間的に流布している説では、建武の乱で九州落ちする尊氏を支援するため兼光が名刀を献上したとか[37]、兼光が尊氏に献上した刀は甲冑をも両断する名刀「兜割り」であったとか伝えられるが[38]、前者は『備陽国志』・後者は『備前軍記』など近世以降の文献に現れる物語である[37][38]。
白糸褄取威大鎧[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380855304-VTFqKOicJz.jpg)
白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜。
白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜は、足利尊氏が篠村八幡宮に奉納したとの伝承を持つ鎧だが、明治末期、京都からアメリカに流出した。メトロポリタン美術館所蔵[39]。
評価[編集]
第二次世界大戦までの評価[編集]
足利尊氏木像(等持院)
尊氏を逆賊とする評価は、江戸時代に徳川光圀が創始した水戸学に始まる。水戸学は朱子学名分論の影響を強く受けており、皇統の正統性を重視していた。そのため、正統な天皇(後醍醐天皇)を放逐した尊氏は逆賊として否定的に描かれることとなった。水戸学に発する尊氏観はその後も継承され、尊王思想が高まった幕末期には尊皇攘夷論者によって等持院の尊氏・義詮・義満3代の木像が梟首される事件も発生している(足利三代木像梟首事件)。
1934年(昭和9年)、斎藤実内閣の商工大臣であった中島久万吉男爵は、足利尊氏を再評価すべきという過去の文章を発掘されて野党からの政権批判の材料とされ、大臣職を辞任した。(「中島久万吉」項目参照。)
第二次世界大戦後の評価[編集]
森茂暁は、一次史料による実証的分析を通して、尊氏が数多くの発給文書を残していることを指摘し、尊氏が鎌倉将軍とは違って最高指導者としての親裁権を活用し、動乱の苦難と産みの苦しみを乗り越えて室町幕府のおおよその骨格を形作った人物であると述べた[40]。そして、南北朝の動乱の群像でも最も中心的な役割を果たした存在とし、南北朝時代は現代に繋がる日本文化の原型とされるのであるから、その時代の骨格を作った尊氏は「日本文化の実質的な開創者の一人といっても過言ではない」と評した[41]。
亀田俊和は、『源威集』で、観応の擾乱後の尊氏が「征夷大将軍の名に恥じない立派な大将」として書かれているとし、武家故実に詳しい武田信武の8年前の兵装を記憶していてそれを評価した描写を取り上げ、尊氏のカリスマが高かったのは、単に経済的利益給与に気前が良かっただけではなく、こうした部下への細やかな観察と適切な評価にも優れていたことも特長なのでないか、とした[42]。そして、室町幕府がまがりなりにも200年以上続く長期政権となったのは、尊氏が「諸政策の恩賞化」によって、「努力が報われる政治」を行ったことが主な理由なのではないか、とした[43]。また、観応の擾乱前の尊氏は政治的に無気力だったのに、40代半ばに擾乱を乗り越えてからは積極的に政務に参与しているという劇的な変化を指摘した[44]。そして、たとえ何歳になっても人間は努力すれば必ず変わることが出来るという、勇気づけられる好例なのではないか、とした[44]。
作家からの評価[編集]
今東光は『毒舌日本史』[要ページ番号]で、子孫が困るほど気前が良い人物であるとし、戦国時代に生まれていれば上杉謙信や武田信玄よりも器量は上で織田信長と対抗できるとも評している。また、尊氏の天下を認めようとしなかった後醍醐天皇を暗に批判している。
歴史小説家の海音寺潮五郎は「武将列伝」で、井沢元彦は「逆説の日本史」で、後醍醐天皇にとどめを刺さなかった点や内部抗争の処理に失敗した点を突き、「人柄が良くカリスマは高いが、組織の運営能力の点では源頼朝や徳川家康に劣っている」「戦争には強いが政治的センスはまるでない」と評価している。
伝説・創作[編集]
置文伝説[編集]
今川貞世(了俊)の『難太平記』(応永9年(1402年))によれば、足利氏の先祖である源義家は、置文(一種の遺書)に、自分は七代の孫に生まれ変わり、天下を取るだろうと予言したという[45]。ところが、その七代目にあたる足利家時(尊氏と同じく足利頼氏側室の上杉氏の子)は、自分の世には天下を取ることが出来ないことを悟り、自分の寿命を縮めることと引き替えに、子孫3代のうちに足利家が天下を取ることを祈願して自刃し、その孫がまさに尊氏であるとされる[45]。貞世自身の証言によれば、貞世は尊氏と直義の前でこの置文を拝見した経験があり、尊氏兄弟は「今天下を取る事ただこの発願(ほつがん)なりけり」と言ったという[45]。
足利氏の有力武将の証言というだけあって、かつては信頼の置ける話とされ、足利氏には代々天下を取る野望が有り、その使命感に駆られて、尊氏は北条高時や後醍醐天皇への離反を繰り返し、ついに天下を牛耳ったのだと説明されることがあった[45]。
この説に疑問を提起したのは、大正・昭和期の研究者である中村直勝である[46]。観応元年(1350年)もしくはその翌年に書かれたと思われる直義の書状に、「故報国寺殿」(家時)が「心仏」(高師氏)に与えたという遺書を閲覧し感激したとある[46]。直義の書簡の宛先は高師秋(師直の従兄弟)であるから、家時の書状は代々高一族が保管していたと見られ、しかも直義がその存在を知ったのは後醍醐との対決から15年も後のことである[46]。したがって、家時の書状の存在自体は確実であるが、これを足利氏の天下取りの動機に求めることはできない、という[46]。
佐藤進一は、さらに、建武の乱が発生した時の貞世は11歳に過ぎないことを指摘し、仮にもし貞世が尊氏・直義の眼前で家時置文なるものを見たという証言が本当であるとしても、それは幕府が成立した後のことであろうから、やはり天下取りの動機の史料的根拠としては弱いとしている[47]。
20世紀末からは、動機の根拠どころか、家時の書状の内容自体が、はたして『難太平記』の言うように天下取りを指示したものかどうか、疑問視されるようになった[48]。川合康によれば、足利氏が源氏嫡流と見なされるようになったのは、幕府が成立した後の工作の結果であり、貞世が語る義家・家時の伝説もその「源氏嫡流工作」の一環であるという[48]。細川重男によれば、これは2016年時点での有力説である[48]。
尊氏の肖像[編集]
従来尊氏像とされてきた騎馬武者像
![](https://assets.st-note.com/img/1691380849730-rMZymem2bu.jpg)
京都国立博物館所蔵の「騎馬武者像(重要文化財)[49]」は、京都守屋家の旧蔵だったことから、現在でも他の尊氏像と区別する必要もあって「守屋家本」とも呼ばれる。本像は江戸時代に松平定信編纂の『集古十種』で、尊氏の肖像として初めて紹介され、その後1920年(大正9年)に歴史学者の黒板勝美が論文の中で改めて尊氏像という説を発表したことで定着した。しかし、1937年(昭和12年)に美術史家の谷信一が早くもこの説に疑問を呈しており、1968年(昭和43年)にも、古文書学者の荻野三七彦が尊氏像説を否定する論考を発表している。それらの論拠とは、主に以下のようなものである。
出陣時の整った姿ではなく、兜のない髻の解けたざんばら髪の頭、折れた矢、抜き身の状態の刀など、征夷大将軍という武将として最高位の人物を描いたにしては、あまりにも荒々しすぎる。
こうした動きがあることから、2000年代頃から学校の歴史教科書では尊氏像として掲載されなくなり、「騎馬武者像」として掲載されるにとどまっている[53]。
反面、『梅松論』における多々良浜の戦いに臨む尊氏の出で立ちが本像に近く、京都に凱旋した尊氏がこの時の姿を画工に描かせたという記録が残る[54] ことから、やはり尊氏像で正しいとする意見もある[55]。『太平記』によると、尊氏は後醍醐天皇へ叛旗を翻す直前に寺に籠もって元結を切り落としたといい、「騎馬武者像」の「一束切」のざんばら髪は、その後翻意して挙兵した際の姿を髣髴とさせるものではあり、その点をもって尊氏像と見なされてきたと考えられている。『太平記』では挙兵の際に味方の武士たちがみな尊氏にならって元結を切り落とした逸話も伝えている。
鎌倉時代に藤原隆信が描いたとされる神護寺三像のうちの「伝平重盛像」は、平重盛を描いたものと考えられてきたが、1995年に美術史家の米倉迪夫や歴史学者の黒田日出男らによって尊氏像であるとの説が提示された。すぐさま美術史家から、画風や様式が南北朝期に下るものではないとする反論が出て論争になったが、近年は総じて新説が認められる傾向にある。
その他、広島県尾道市の浄土寺に尊氏を描いたと伝える束帯姿の肖像画(右最上部に掲示)が所蔵されており、京都市の天龍寺にも室町時代後期に描かれたとされる束帯姿の絹本着色「足利尊氏肖像画」が伝わっている。また、守屋家本とは異なる騎馬姿の尊氏像が神奈川県立歴史博物館にあり、「征夷大将軍源朝臣尊氏卿」と明記された江戸時代後期の肖像画が現存している。
2017年、栃木県立博物館研究員らによって、尊氏を描いたものとされる肖像画が発見され[56] 、個人蔵の絹本着色、束帯姿の肖像画が同博物館で公開された。この肖像画は「天神(菅原道真)絵賛」として伝来していたもので、原本ではなく室町時代中期に複製されたものであると推測される。同肖像画には臨済宗大覚寺派の僧伯英徳儁による讃が付され、そこには尊氏を指す「長寿寺殿」の業績が記されている[57]。
江戸時代に描かれた錦絵には、歌川国芳の「太平記兵庫合戦」(兵庫福海寺で尊氏を探す白藤彦七郎[58])、歌川芳虎の「太平記合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)、橋本周延の「足利尊氏兵庫合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)等がある。
尊氏の木像は、大分県国東市の安国寺(重要文化財)のものが最も古い。面貌表現が写実的で理想化が少なく、尊氏の生前か死後間もなく造像されたと見られる。尊氏の木像というと、足利氏の菩提寺である京都市北区の等持院のものがよく知られている。こちらは体部の表現にやや時代が下る造形が見られるものの、頭部は安国寺木像や浄土寺肖像と共通する図様で造られており、中世を下らない時期の作品と考えられる。他には、静岡県静岡市の清見寺(文明17年(1485年)以前の作)、京都市右京区の天龍寺(16世紀の作)、栃木県さくら市の龍光寺(寛文6年(1666年)の再興像)、神奈川県鎌倉市の長寿寺(元禄2年(1689年)の再興像)、栃木県足利市の鑁阿寺(江戸時代・19世紀の作)、同市の善徳寺、同県真岡市の能仁寺などに所蔵されている。また、現代になって作られた銅像が足利市鑁阿寺参道と京都府綾部市安国寺町に設置されている。
系譜[編集]
父:足利貞氏
母:上杉清子
異母兄:足利高義
弟:足利直義
正室:赤橋登子
側室:加古六郎基氏の女(『尊卑分脈』)
男子:竹若丸(長男とされる)
側室?(『太平記』では「越前局」とするが未詳)
男子:足利直冬
その他生母不明の子女
表示足利尊氏の系譜
偏諱を与えた人物[編集]
(補足)
「尊」の字は前述の通り、元々後醍醐天皇(名は尊治)から1字を与えられたものであり、これを与えられた饗庭尊宣、吉良尊義の両名に関しては、尊氏から破格の待遇を受けていたことがうかがえる。
吉見尊頼(吉見義世の子、のち渋川直頼の猶子となり渋川義宗を称す)の「尊」に関しては尊氏から受けたものというよりは、尊氏と同じく後醍醐天皇から1字を受けたものと推測される。
関連作品[編集]
小説
吉川英治『私本太平記(全13巻)』毎日新聞社、1959年~1962年。講談社からは、「吉川英治歴史時代文庫」の一環として、全7巻にて1990年2月~同年4月の間に発刊。
山岡荘八『新太平記(全5巻)』講談社、1971年~1972年。また、1986年8月~同年11月の間に「山岡荘八歴史文庫」の一環として全5巻で発刊。
大森隆司『足利尊氏:室町幕府を開いた男(上)(下)』下野新聞社、1989年6月。
村上元三『足利尊氏(上)(下)』(徳間文庫)徳間書店、1991年4月。
童門冬二『足利尊氏』富士見書房、1994年12月。
杉本苑子『風の群像(上)(下)』日本経済新聞社 1997年6月。
桜田晋也『足利尊氏』祥伝社、1999年9月 ※1988年角川書店発刊の「足利高氏」の改訂版として発刊。
森村誠一『太平記(1)~(6)』(角川文庫)角川書店、2004年12月ー2005年2月
テレビドラマ
マスコット
舞台
楠木正成
22の言語版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![](https://assets.st-note.com/img/1691380839228-dzOPbfMaGr.png)
「楠公」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「楠公 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
楠木 正成
![](https://assets.st-note.com/img/1691380860931-0FeV2Xu4Zk.jpg)
時代鎌倉時代末期 - 南北朝時代生誕永仁2年(1294年)?[注釈 1]死没延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)改名伝・多聞丸(幼名)→正成別名通称:兵衛尉、左衛門尉、判官、河内判官
尊称:大楠公神号南木明神墓所観心寺官位兵衛尉、左衛門少尉、検非違使、河内守・摂津守[注釈 2]、河内国・摂津国・和泉国・守護(『梅松論』)、従五位下、記録所寄人、従五位上、贈正一位主君後醍醐天皇氏族楠木氏(称橘氏)父母父:楠木正遠?(諸説あり)兄弟俊親(正俊)?、正成、正季妻不明子正行、正時、正儀テンプレートを表示
楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行、正時、正儀。
元弘の乱(1331年 - 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。建武の元勲の1人。
南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」(『太平記』、儒学思想上最高の英雄・名将)、「多聞天王の化生(けしょう)」(『太平記評判秘伝理尽鈔』、「軍神の化身」の意)、「日本開闢以来の名将」(江島為信『古今軍理問答』)と称された[4]。『太平記』では奇想天外な策と智謀に長けた「不敵」(無敵)の戦術家としての活躍が印象的に描かれるが、それは正成の軍才のごく限定された一面に過ぎず、史実では刀を振るえば電撃戦を得意とし六波羅探題を震撼させた猛将であり(『楠木合戦注文』『道平公記』)、築城・籠城技術を発展させ軽歩兵・ゲリラ戦・情報戦・心理戦を戦に導入した革新的な軍事思想家であり(楠木流軍学の祖)、そして畿内にいながらにして日本列島の戦乱全体を俯瞰・左右した不世出の戦略家だった(『梅松論』『国史大辞典』)。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。また、湊川神社の主祭神となった。
戦前までは、正成の忠臣としての側面のみが過剰に評価されていた。しかし、2000年前後以降は、何か一つの側面に縛られるような人間ではなく、武将・官僚・商人など、多面的な顔と才能を持つ人物であったことが明らかになってきている。
生涯[編集]
出自[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380854250-FqJmGVFPPu.jpg)
自称[編集]
建武2年(1335年)8月25日、『法華経』の写経を完了し、奥書に「橘朝臣正成」と自著していることから、遅くともこの時期までには橘氏の後裔を自称していた[原文 1]。
河内の土豪説[編集]
『太平記』巻第三「主上御夢の事 付けたり 楠が事」には、楠木正成は河内金剛山の西、大阪府南河内郡千早赤阪村に居館を構えていたとある[5][6]。
楠木氏は橘氏の後裔とされる[7]。正成の母は、橘遠保の末裔橘盛仲の娘。また、任官には源平藤橘の姓が必要であるため、楠木氏は橘氏を借りたとする説もある[7][8]。『太平記』巻第三には、楠木氏は橘諸兄の後裔と書かれており、楠木氏と関係の深い久米田寺の隣の古墳は橘諸兄の墓といわれ、楠木氏は橘氏を礼拝する豪族であったともいわれる[7]。
また『観世系図』によれば、観阿弥の母は河内玉櫛荘の橘正遠(正成の父・楠木正遠)の娘すなわち正成の姉妹という記録があり、この玉櫛荘を正成の出身地とする推定もある[9]。
得宗被官・御家人説[編集]
得能弘一が楠木氏駿河国出身説を提唱し(「楠木正成の出自に関する一考察」『神道学』128)、筧雅博、新井孝重も楠木氏の出自は駿河国とした[7][10][11][12]。かつてはこの説が定説とされていた。筧雅博はその理由として、以下を挙げている。
楠木正成の地元である河内の金剛山西麓から観心寺荘一帯に「楠木」の字(あざ)はない。
鎌倉幕府が正応6年(1293年)7月に駿河国の荘園入江荘のうち長崎郷の一部と楠木村を鶴岡八幡宮に寄進したと言う記録があり、楠木村に北条得宗被官の楠木氏が居住したと想定できる。
観心寺荘の地頭だった安達氏は、弘安8年(1285年)に入江荘と深い関係にある鎌倉幕府の有力御家人長崎氏に霜月騒動で滅ぼされ、同荘は得宗家に組み込まれたとみられる。それゆえ出自が長崎氏と同郷の楠木氏が観心寺荘に移ったのではないかと想定できる[注釈 3]。
『鎌倉将軍家譜』によれば、元享2年(1322年)には、北条高時の命を受けた正成が摂津国の淀川河口に居を据える渡辺党を討ち、次いで紀伊国の安田庄司を殺し、さらに南大和の越智氏を撃滅したという。この際、安田庄司の旧領は正成に与えられた(ただし、史料の正確性は後述のようにかなり低い)。
楠木正成を攻める鎌倉幕府の大軍が京都を埋めた元弘3年(正慶2年、1333年)閏2月の公家二条道平の日記である『後光明照院関白記』(『道平公記』)に くすの木の ねはかまくらに成ものを 枝をきりにと 何の出るらん という落首が記録されている[13]、この落首は「楠木氏の出身は鎌倉(東国の得宗家)にあるのに、枝(正成)を切りになぜ出かけるのか」という意とされ、河内へ出軍する幕府軍を嘲笑したものとされる[7]。
網野善彦は、楠木氏はもともと武蔵国御家人で北条氏の被官(御内人)で、霜月騒動で安達氏の支配下にあった河内国観心寺は得宗領となり、得宗被官の楠木氏が代官として河内に移ったと推定した[14]。正成は幼少時に観心寺で仏典を学んだと伝わる[10]。
また『吾妻鏡』には、楠木氏が玉井、忍(おし)、岡部、滝瀬ら武蔵猪俣党とならぶ将軍随兵と記されている[15]。ただし、この楠木氏が正成と同族であるとする根拠は無い。
森田康之助は、弘安8年(1285年)1月29日付の常陸国国府での下文に「(常陸)国司代左近太夫将監橘朝臣」とあり、『楠嘉兵衛本楠木氏系図』には正成の父・正康は左近太夫であると記されているため、何かしら関係がある可能性を示した[16]。
しかし、林羅山の『京都将軍家譜』『鎌倉将軍家譜』、浅井了意の『本朝将軍記』、馬場信意の『南朝太平記』、『高野春秋編年輯録』、『紀伊続風土記』など、楠木氏得宗被官説の根拠として使われるものの大半は『太平記評判秘伝理尽鈔』の影響下にあり、その信憑性には疑問が残る[17]。
また、河内国石川郡太子町に「楠木」の小字があることが堀内和明によって発見されたため、駿河国出身であるという説も成立しない可能性がある[17]。
悪党・非御家人説[編集]
永仁3年(1295年)、東大寺領播磨大部荘が雑掌(請負代官)でありながら年貢を送らず罷免された垂水左衛門尉繁晶の一味として楠河内入道がおり、黒田俊雄はこの河内楠一族を正成の父と推定し、正成の出自は悪党的な荘官武士ではないかとした[18]。
林屋辰三郎は河内楠氏が散所民の長であったとした[19][20]。兵藤裕己はこの説を有力とし、正成の行為も悪党的行為であるとした[20]。
元徳3年(1331年)9月、六波羅探題は正成が後醍醐天皇から与えられた和泉国若松荘を「悪党楠木兵衛尉跡」として没収した[10]。網野善彦は、この時の正成は、若松荘の所有を主張していた内大臣僧正道祐から何らかの職を得ていたとする[21]。このことから、正成が反関東の非御家人集団とみなす説がある[10][22]。佐藤和彦によれば、楠木氏は摂津から大和への交通の要衝玉櫛荘を支配し、近隣の和田(にぎた)氏、橋本氏らは同族で、楠木氏は摂津から伊賀にいたる土豪と商業や婚姻によって結びついていた[22]。また植村清二はこの「兵衛尉」官職名から幕府御家人とした[23]。しかし、森田康之助は、高柳光寿の主張を踏襲する形で、「兵衛尉」は御家人でなくても名乗ることができ、むしろ兵衛尉を名乗っていることから正成は御家人ではなかったと述べた[16]。
正成を非御家人とみなす説について新井孝重は、楠木氏が「鎌倉武士のイメージと大きく異なるゆえに、もともと鎌倉幕府と関係のない、畿内の非御家人だろうと考えられてきた」が、「畿内のように交通と商業が盛んなところであれば、どこに暮らす武士であっても、生活のしかたに御家人と非御家人の違いはないとみたほうがよい。だから楠木氏その存在のしかたを理由に非御家人でなければならない、ということにはならない」と述べている[24]。
挙兵以前[編集]
元亨2年(1322年)、正成は得宗・北条高時の命により、摂津国の要衝淀川河口に居する渡辺党を討ち、紀伊国安田庄司湯浅氏を殺害し、南大和の越智氏を撃滅している[25]。
この一連の状況は『高野春秋編年輯録』に詳しい[25]。渡辺党を討った正成は高野山領を通過して紀伊安田へと向かい、安田荘を攻撃した[12]。安田庄司は湯浅一族であり、当時湯浅氏は高野山との相論に負けて紀伊国阿弖河荘(阿瀬川荘)を没収されており、この正成の攻撃は没収地の差押さえであったとされる[12]。その結果、正成は幕府から得宗領となった阿弖河荘を与えられた[14][25]。
その後、正成は越智氏の討伐へと向かった。越智氏は幕府に根成柿の所領を没収され、さらには北条高時が興じる闘犬の飼料供出まで求められ、憤った越智邦永が自領で六波羅の役人を殺害するに至った[25]。六波羅北方は討手として奉行人斎藤利行、小串範行らを二度にわたって派遣したが、そのゲリラ戦に手痛い敗北を喫していた[26]。そのため、六波羅は正成を起用し、彼は越智氏を討つことに成功した[12]。
新井孝重は、正成が渡辺党、湯浅氏、越智氏といった反逆武装民を討滅したことは非常に興味深いと述べている[26]。また、一連の軍事行動を否定する積極的な根拠は見いだせず、これらは本当にあったと考えている[25]。新井は、得宗被官であった正成が反逆武装民を討つのは当然の行為であると指摘し、この当時はまだ鎌倉幕府に忠実な「番犬」として畿内ににらみを利かせていたとしている[12]。
正成による渡辺党、湯浅氏、越智氏の討滅に六波羅は感嘆の声を上げ、そして怖れたといい、世間の人々にもその強烈な印象を与えた[12]。当時、畿内では悪党が幕府への反逆、合戦を繰り返し、その支配に揺らぎが生じていた[12]。幕府は安藤氏の乱で手を焼かされており、合戦の名人である正成が悪党のエネルギーを吸収し、いずれ反逆した場合への不安を抱いたとされる[27]。
ただし、前述のように『高野春秋編年輯録』、『紀伊続風土記』などの楠木氏得宗被官説の根拠として用いられる史料の大半は『太平記評判秘伝理尽鈔』の影響下にあり、その信憑性には疑問が残る[17]。
また、楠木氏は河内金剛山の辰砂採掘を生業とし、交通を抑える武装商人の面貌を備えており、それによって軍資金を調達していた可能性がある[28]。
加えて、正成は磯長の聖徳太子廟や四天王寺で六波羅方と戦闘を行なっているが、中世の鉱山労働者は太子信仰と深く結びついており、彼ら自身も「タイシ」と呼ばれたといい、辰砂を採掘していた可能性のある正成も太子信仰と関連があったと考えられる[28]。
挙兵から鎌倉幕府滅亡まで[編集]
後醍醐天皇に与する[編集]
その後、正成は得宗被官でありながら後醍醐天皇の倒幕計画に加担するようになった[14]。後醍醐天皇と正成を仲介したのは真言密教僧文観と醍醐寺報恩院道祐とされる[14][29]。ほか、伊賀兼光の関係も指摘されている。
元徳3年(1331年)2月、後醍醐天皇が道祐に与えた和泉若松荘を正成は所領として得た[14]。しかし、同年4月に倒幕計画が幕府側に知られると、8月に後醍醐天皇は笠置山に逃げ、その地で挙兵した(元弘の乱)。なお、正成はこのとき笠置山に参向している[30]。『増鏡』によると天皇側は前もって正成を頼りにしていたという[29]。正成は得宗被官から一転したため、鎌倉幕府からは「悪党楠兵衛尉」として追及を受けた[14]。同年9月、六波羅探題は正成の所領和泉国若松荘を「悪党楠木兵衛尉跡」として没収した[10]。
赤坂城の戦い[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380849727-A8C6zBc8WN.jpg)
赤坂城の戦い(大楠公一代絵巻、楠妣庵観音寺蔵)
詳細は「赤坂城の戦い」を参照
9月、笠置山の戦いで敗北した後醍醐天皇らは捕えられ、残る正成は赤坂城(下赤坂城)にて幕府軍と戦った(赤坂城の戦い)。幕府軍は当初、一日で決戦をつけることができると判断し、すぐさま攻撃を開始した[31]。
だが、正成は寡兵ながらもその攻撃によく耐えた。敵が城に接近すれば弓矢で応戦し、その上城外の塀で奇襲を仕掛けた[31]。敵が堀に手を掛ければ、城壁の四方に吊るされていた偽りの塀を切って落として敵兵を退け、上から大木や大石を投げ落とした[32][33]。これに対し、敵が楯を用意して攻めれば、塀に近づいた兵に熱湯をかけて追い払った[34]。正成のこれらの一連の攻撃により、幕府軍の城攻めは手詰まりに陥った[34]。
新井孝重は、一土豪に過ぎない正成に関東から上洛した軍勢が束になって攻撃を仕掛けたことに注目している[35]。単なる悪党の蜂起であるならばこれほどの大軍勢の投入は有り得ず、正成の尋常ならざる実力の証左であるとしている[35]。正成はかつて幕府に反逆した武士を次々に討伐した合戦の名人であり、鎌倉は明らかに正成を大いなる脅威と認識していたと考えられる[36]。
しかし、赤坂城は急造の城であるため、長期戦は不可能と考えた楠木正成は、同年10月21日夜に赤坂城に自ら火を放ち、幕府軍に城を奪わせた[14]。鎌倉幕府は赤坂城の大穴に見分けのつかない焼死体を20-30体発見し、これを楠木正成とその一族と思い込んで同年11月に関東へ帰陣した。
赤坂城には阿弖河荘の旧主湯浅宗藤(湯浅孫六入道定仏)が幕府によって配置され、その旧領である正成の領地を与えられた[25]。一方、正成は赤坂城の落城後、しばらく行方をくらました。同年末、後醍醐方の護良親王から左衛門尉を与えられた[14]。
赤坂城の奪還、和泉・河内の制圧[編集]
元弘2年/元徳4年(1332年)4月3日[37](12月とする説もある[38])、正成は湯浅宗藤の依る赤坂城を襲撃した。正成は赤坂城内に兵糧が少なく、湯浅宗藤が領地の阿弖河荘から人夫5、6百人に兵糧を持ち込ませ、夜陰に乗じて城に運び入れることを聞きつけ、その道中を襲って兵糧を奪い、自分の兵と人夫やその警護の兵とを入れ替え、空になった俵に武器を仕込んだ[37]。楠木軍は難なく城内に入ると、俵から武器を取り出して鬨の声を上げ、城外の軍勢もまた同時に城の木戸を破った[37]。これにより、湯浅宗藤は一戦も交えることなく降伏し、正成は赤坂城を奪い返した[14][37]。
楠木勢は湯浅氏を引き入れたことで勢いづき、瞬く間に和泉・河内を制圧し、一大勢力となった。そして、5月17日には摂津の住吉・天王寺に進攻し、渡部橋より南側に布陣した[37]。京には和泉・河内の両国から早馬が矢継ぎ早に送られ、正成が京に攻め込む可能性があると知らせたため、洛中は大騒ぎとなった[37]。このため、六波羅探題は隅田・高橋を南北六波羅の軍奉行とし、5月20日に京から5千の軍勢を派遣した[37]。
5月21日、六波羅軍は渡部橋まで進んだが、渡部橋の南側に楠木軍は300騎しかおらず、兵らは我先にと川を渡ろうとした[37]。だがこれは正成の策略で、前日に主力軍は住吉、天王寺付近に隠して 2,000余騎の軍勢を三手に分けており、わざと敵に橋を渡らせてから流れの深みに追い込み、一気に雌雄を決すという作戦であった[37]。正成は敵の陣形がばらけたところで三方から攻め立て、大混乱に陥った敵は大勢が討たれ、残りは命からがら京へと逃げ帰った[37]。
「坂東一の弓取り」宇都宮との駆け引き[編集]
その後、六波羅は隅田、高橋の敗北を見て、武勇で誉れ高い宇都宮高綱(のち公綱)に正成討伐を命じ、7月19日に宇都宮は京を出発した[37]。宇都宮は天王寺に布陣したが、その軍勢は600-700騎ほどであった[37]。
和田孫三郎は正成に戦うことを進言したが、正成は宇都宮が坂東一の弓取りであること、そして紀清両党の強さを「戦場で命を捨てることは、塵や芥よりも軽いもの」と評してその武勇を恐れ、「良将戦わずして勝つ」と述べた[37]。その後、夜にあちこちの山で松明を燃やし、宇都宮がいつ攻めてくるのかわからないような不安に陥らせ、三日三晩これを行った[37]。
7月27日夜半、宇都宮がついに兵を京へ引くと、翌朝には正成が天王寺に入れ替わる形で入った[37]。正成は天王寺に進出してからその勢いをさらに増したが、庶民に迷惑をかけてはならぬと部下には命じており、すべての将兵に礼を以て接したため、その勢いはさらに強大となった[37]。
8月3日、楠木正成は住吉神社に馬3頭を献上し、翌日には天王寺に太刀と鎧一領、馬を奉納した[39]。
千早城の戦い[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380854223-9qjHnwKAKg.jpg)
千早城合戦図(長梯子の計の場面が描かれている。湊川神社蔵、歌川芳員画)
詳細は「千早城の戦い」を参照
やがて、北条高時は畿内で反幕府勢力が台頭していることを知り、9月20日に30万余騎の追討軍を東国から派遣した[40]。これに対し、正成は河内国の赤坂城の詰めの城として、千早城をその背後の山上に築いた。正成は金剛山一帯に点々と要塞を築きその総指揮所として千早城を活用し、千早城、上赤坂城、下赤坂城の3城を以て幕府に立ち向かうことにした。
元弘3年/正慶2年(1333年)2月以降、正成は赤坂城や金剛山中腹に築いた千早城で幕府の大軍と対峙し、ゲリラ戦法や落石攻撃、火計などを駆使して幕府の大軍を相手に一歩も引かず奮戦した(千早城の戦い)[41]。正成は後醍醐天皇が隠岐島に流罪となっている間、大和国(奈良県)の吉野などで戦った護良親王とともに幕府勢力に果敢に立ち向かい、同年閏2月に後醍醐天皇は隠岐を脱出した[41]。
幕府の軍勢が千早城に釘付けになっている間、正成らの活躍に触発されて各地に倒幕の機運が広がり、赤松円心ら反幕勢力が挙兵した。5月7日には足利高氏(のち尊氏)が六波羅を攻め落とし、京から幕府勢力は掃滅された。5月10日、六波羅陥落の報が千早城を包囲していた幕府軍にも伝わり、包囲軍は撤退し、楠木軍の勝利に終わった[42]。
そして、5月22日に新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼしたが、その挙兵は正成の奮戦に起因するものであった。正成の討伐にあたって膨大な軍資金が必要となった幕府はその調達のため、新田荘に対して6万貫もの軍資金をわずか5日で納入するように迫り、その過酷な取り立てに耐え切れなくなった義貞が幕吏を殺害・投獄して反旗を翻したのである[43][44]。
正成は後醍醐天皇が京へ凱旋する際、6月2日に兵庫で出迎え、道中警護についた[45]。天皇が兵庫を出発して以降、正成はその行列の先陣を務め、その後陣には畿内の軍勢7千騎を引き連れていた[45]。
建武の新政[編集]
足利方との戦い[編集]
後醍醐天皇の建武の新政が始まると、正成は記録所寄人、雑訴決断所奉行人、検非違使、河内・和泉の守護、河内守(国司)となる[14]。また、そのほかにも河内新開荘、土佐安芸荘、出羽屋代荘、常陸瓜連など多くの所領を与えられた[14]。正成は建武の新政において後醍醐天皇の絶大な信任を受け、結城親光、名和長年、千種忠顕とあわせて「三木一草」と併称され[14]、「朝恩に誇った」とされる[46]。
だが、建武元年(1334年)冬、正成が北条氏残党を討つために京を離れた直後、護良親王が謀反の嫌疑で捕縛され、足利尊氏に引き渡された。その直後、正成は建武政権の役職の多くを辞職したとされることから、正成は護良親王の有力与力であったと見られている。
建武2年(1335年)、中先代の乱を討伐に向かった尊氏が、鎌倉で新政に離反した。追討の命を受けた義貞は12月に箱根・竹ノ下の戦いで尊氏に敗れて京へと戻り、これを追う尊氏は京へ迫った。
だが、翌年1月13日に北畠顕家が近江坂本に到着すると、正成は義貞や顕家と合流し、連携を取って反撃を仕掛けた。28日、正成は義貞、顕家、名和長年、千種忠顕らと共に京都へ総攻撃を仕掛ける[注釈 4]。この合戦は30日まで続いた[47]。この合戦の結果、尊氏は京都を追われ、後醍醐帝が京都を奪還する。
合戦は正成の策略と奇襲によって後醍醐帝らの勝利に終わり、京都の奪還には成功したものの、尊氏、直義兄弟ら、足利軍の主要な武将の首級を挙げることはできなかった。敗走する足利軍は丹波を経由して摂津まで逃れたが、2月11日に正成は義貞、顕家とともに摂津豊島河原(大阪府池田市・箕面市)の戦い(豊島河原合戦)で足利方を京から九州へ駆逐する。
朝廷との確執[編集]
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『梅松論』には、後醍醐帝の軍勢が足利軍を京都より駆逐したことに前後して、正成が新田義貞を誅伐して、その首を手土産に足利尊氏と和睦するべきだと天皇に奏上したという話がある[48]。その根拠として、確かに鎌倉を直接攻め落としたのは新田義貞だが、鎌倉幕府倒幕は足利尊氏の貢献によるところが大きい[48]。さらに義貞には人望、徳がないが、足利尊氏は多くの諸将からの人望が篤い、九州に尊氏が落ち延びる際、多くの武将が随行していったことは尊氏に徳があり、義貞に徳がないことの証である[48]、というものであった。
正成のこの提案は、『梅松論』にしか記載されておらず、事実かどうかは不明である[49]。しかし、歴戦の武将であり、ゲリラ戦で相手を翻弄する手段を得意とし洞察力に長けた正成は純粋に武将としての器量として、義貞よりも尊氏を高く評価していた[50]。加えて、義貞と正成は、相性があまりよくなかったといわれる[49]。義貞は京都の軍勢を構成する寺社の衆徒や、その他畿内の武士達とは関係が薄く、『太平記』などに描かれる義貞は、鎌倉武士こそを理想の武士とする傾向があり、彼らへの理解に乏しかった。河内国などを拠点に活動する正成は、この点において、義貞と肌が合わなかったと考えられる[49]。一方で、尊氏は寺社への所領寄進などを義貞よりも遥かに多く行っていて、寺社勢力や畿内の武士との人脈も多かった。義貞よりも尊氏の方が理解できる、尊氏の方に徳があると正成が判断してもおかしくはないと考えられている[49]。
この提案は、天皇側近の公家達には訝しがられ、また鼻で笑われただけであり[51]、にべもなく却下されてしまった[48]。
義貞は、播磨国の白旗城に篭城する足利方の赤松則村(円心)を攻めている間に時間を空費し、延元元年/建武3年(1336年)4月に尊氏は多々良浜の戦いで九州を制覇して態勢を立て直すと、京都奪還をめざして東進をはじめた。尊氏は高師直らと博多を発ち、備後国の鞆津を経て、四国で細川氏・土岐氏・河野氏らの率いる船隊と合流して海路を東進し、その軍勢は10万を越していた。一方、義貞の軍勢はその数を日ごとに減らし、5月13日に兵庫(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)に到着した時には2万騎を切っていた[52]。
兵庫への下向と決戦前夜[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380854931-6cxU4wqaxm.jpg)
絶望的な状況下、義貞の麾下で京都を出て戦うよう出陣を命じられ、5月16日には正成は京から兵庫に下向した[53]。
『太平記』西源院本によれば、後醍醐や公卿に「京中で尊氏を迎え撃つべき」という自身の進言が聞き入れられなかったことに対し、「討死せよとの勅命を下していただきたい」と発言しており、開き直った正成の悲痛な言葉や不満を伝えている[54]。
道中、正成は息子の正行に「今生にて汝の顔を見るのも今日が最後かと思う」と述べ、桜井の宿から河内へ帰した[53]。これが有名な楠木父子が訣別する桜井の別れであるが、史実であるかどうかは不明である。
『梅松論』には、正成が兵庫に下向する途中、尼崎において「今度は正成、和泉・河内両国の守護として勅命を蒙り軍勢を催すに、親類一族なほ以て難渋の色有る斯くの如し。況や国人土民等においておや。是則ち天下君を背けること明らけし。然間正成存命無益なり。最前に命を落とすべき(足利勢を迎え撃つため、正成は和泉や河内の守護として勅命により軍勢を催しても、親類・一族でさえ難色を示す。ましてや一般の国人・土民はついてきません。天下が天皇に背を向けたことは明確です。正成の存命は無益ですので、激しく戦って死にましょう)。」という旨を後醍醐に上奏したことが記されている[54]。尊氏との戦争の勝敗が人心にあると考えていた正成は、世の中の人々が天皇や建武政権に背を向け、民衆の支持を得られていない状況では、敗北は必至であると考えていた[54]。
24日、正成は兵庫に到着し、義貞の軍勢と合流した。正成は義貞と合流したのち会見し、義貞に朝廷における議論の経過を説明した[53][55]。
『太平記』によると、その夜、義貞と正成は酌み交わし、それぞれの胸の内を吐露した[53]。義貞は先の戦で尊氏相手に連敗を喫したことを恥じており、「尊氏が大軍を率いて迫ってくるこの時にさらに逃げたとあっては笑い者にされる。かくなる上は、勝敗など度外視して一戦を挑みたい」と内情を発露した[55]。義貞は鎌倉を攻め落とすという大功を成し遂げたため、その期待から尊氏討伐における天皇方総大将という過重な重荷を担わされた。そのため、ずっと常に世間の注目を受けていて、それを酷く気にせざるを得ず、箱根竹下での敗北、播磨攻めへの遅参、白旗城攻略の失敗などについて、義貞は強い自責の念を感じていた[56]。
正成はこの義貞の心中の吐露に対して、「他者の謗りなど気にせず、退くべき時は退くべきであるのが良将の成すべきことである。北条高時を滅ぼし、尊氏を九州に追いやったのは義貞の武徳によるものだから、誰も侮るものはいない」といい、玉砕覚悟の義貞を慰めると同時にたしなめた[56]。正成の説得で義貞の顔色は良くなり、夜を通しての彼らの物語に数杯の酒が興を添えた、と『太平記』は語っている[53]。
しかし、正成は周囲の悪評や恥にばかり固執して勝敗を度外視した一戦を挑もうとする義貞の頑迷さに、同情したが同時に落胆もしたのではないか、と峰岸純夫は分析している[57]。いずれにせよ、正成にとっては義貞と酌み交わした夜が最後の夜となった。
湊川の戦いと最期[編集]
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湊川の戦いにおける布陣
詳細は「湊川の戦い」を参照
25日の辰刻(午前8時頃)、楠木・新田連合軍は足利軍と海を挟んで湊川で対峙した(湊川の戦い)。
山本隆志によれば、『梅松論』などから判断する限り、実際のこの戦いはそこまで大きな兵力差があった訳ではなく、細川定禅が率いる水軍の揺動と、それに乗った義貞の失策、その機をうまく突いて新田軍と楠木軍を分断させた足利兄弟の戦術的勝利という面が大きいという[58]。
戦いに敗北した正成は、弟の楠木正季と刺し違えて最期を遂げたと伝わる[59]。正成と正季の死に関しては『太平記』(二)巻第十六「正成兄弟討死事」に述べられている[59]。敗走して手勢の少なくなった楠木勢73人は民家に駆け込み、六間の客殿に二列に並んで座り十念を唱えながら自害したという[59]。死に際に正成は正季に九界のうちどこに行くことを願うか問うと、正季は「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候へ」と答えたという[59]。これはのちの「七生報国」の語の由来になった。
死後・子孫[編集]
南北朝時代[編集]
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湊川神社にある墓碑(嗚呼忠臣楠子之墓)
湊川で自害した正成の首は足利方に回収され、六条河原に梟首された[60]。だが、正成の首を見た人々は、延元元年/建武3年(1336年)初頭にも偽の首が掲げられたこともあって、その首が本物か疑ったという[60]。その後、尊氏は残された家族を気遣い、正成の首を故郷である河内に送り返した[60]。
息子の正行(後世「小楠公」と称される)を筆頭に、正時、正儀らも正成と同じく南朝方として戦い、正行と正時は四條畷の戦いで激戦の末に戦死している。正儀は南朝の参議に登りつめ、(橘氏出身の自称は怪しいとはいえ)約400年ぶりの橘氏公卿となっている。孫の正勝は南北朝合一(明徳の和約)後も北朝に降らず、応永の乱で反幕府側として参戦し、その時の傷が元で死亡している。伝説では、正勝は「虚無」という普化宗の高僧となり、虚無僧や尺八を広めたとされる。また、彼らの子孫も後南朝に属して、北朝を擁する室町幕府と戦った。
その後[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380859722-YdL6JZ8nHV.jpg)
大阪府南河内郡千早赤阪村・南木神社所蔵の楠木正成木像。同社は1337年(延元2年)に後醍醐天皇により創建されたと伝わり、正成を祀る最古の神社である。
南北朝の争いが北朝側の勝利に終わると、南朝側に尽くして死んだ正成は朝敵とされてしまった。だが、永禄2年(1559年)11月20日、正成の子孫と称した楠木正虎が朝敵の赦免を嘆願し、正親町天皇の勅免を受けて正成と楠木氏は朝敵でなくなった[原文 2]。ただし、この時点では「先祖である朝敵・正成の非を子孫が深く悔いたから」許されたという形式になっており、正成に非があるとする汚名の返上にまでは至らなかった[原文 2]。
楠木氏嫡流と言われた伊勢楠木氏は、伊勢国の金場(亀山市関町金場)や楠城を根城とする北勢四十八家楠氏として土豪になり、 また第2代当主正重が千子村正の門下に入って刀工になるなど細々と活動を行っていた[61]。 しかし、第7代当主楠木正具が1576年天王寺の戦いで戦死、次いで第8代当主楠木正盛(盛信とも)が1584年小牧・長久手の戦い加賀野井城で戦死したことで絶えた[61]。 刀工としては正重のほか千子正真、坂倉正利、雲林院政盛など千子派の名工を輩出し大いに栄えた[61]。 木俣氏(木俣守勝など。維新後は木俣男爵家)は伊勢楠木氏の傍系[62](ただし、守勝の後を養子が継いだ為、血筋では繋がっていない)。またアラビア石油創業者山下太郎[63]や、伊勢高楠家(仏教学者高楠順次郎が婿入りした家)が第7代当主正具の後裔を称する[64]。
明治政府は、南朝の功臣の子孫にも爵位を授けるため、正成の子孫を探した。正成の末裔を自称する氏族は全国各地に数多く存在したが、直系の子孫であるかという確かな根拠は確認することができなかった。このため、新田氏、菊池氏、名和氏の子孫等は男爵に叙せられたが、楠木氏には爵位が与えられなかった。その後、下記の大楠公600年祭を前後して楠木氏の子孫が確認され、湊川神社内に楠木同族会が組織されて現在に至っている。初代会長は、伊勢楠木氏傍系子孫とされるアラビア石油創業者の山下太郎である[63]。
年表[編集]
比較をわかりやすくするため、より歴史的事実に近いと思われる記述と、『太平記』によって世間に流布している記述を並列して示す。『太平記』が出典である場合、「出典」欄には巻数から記す。『太平記』章名は原則として天正本、そのため流布本と違う場合がある。『太平記』は月日の錯誤が多く、特に元弘2年(1332年)の正成再挙兵を8ヶ月も前倒ししている。ただし、元弘の乱の始期と終期(鎌倉幕府滅亡)、正成の命日は他の文献と一致する。
和暦西暦日付[注釈 5]内容『太平記』出典元亨2年1322年不明北条高時・六波羅の命で渡辺右衛門尉・保田荘司・越智四郎討伐。保田荘を得る。『鎌倉将軍家譜』[原文 3]
『高野春秋編年輯録』[66]不明不明後醍醐天皇主宰宋学研究会に入り、乱の前から知遇・信任を得る(?)『増鏡』[原文 4]
自筆の書体[注釈 6]など元徳2年1330年9月17日世良親王薨去。遺言で臨川寺へ若松荘寄贈。正成が荘の管理に関わる(?)『臨川寺領等目録』[注釈 7]元弘元年/元徳3年1331年8月27日後醍醐天皇が倒幕のため笠置山に入城。元弘の乱開始。『法隆寺別当次第』[原文 5][注釈 8]
巻3「先帝笠置臨幸の事」[69]8月末笠置山上で後醍醐天皇と初めて邂逅する。巻3「先帝笠置臨幸の事」[69]9月11日赤坂城の戦い。正成挙兵の報が六波羅探題に届く。巻3「六波羅勢笠置を責むる事」[70]9月14日赤坂城の戦いが遅くともこの日までに開始。幕府本軍未着、小規模な攻城戦。『和田文書』[71]9月和泉国守護代、臨川寺若松荘を「悪党楠木兵衛尉」領とし、年貢等没収。『臨川寺領等目録』[注釈 7]9月尊良親王と大塔宮(護良親王)が笠置山から下赤坂城に逃げる。『増鏡』[原文 6]9月27日笠置山陥落、後醍醐天皇捕縛。正成の下赤坂城が最後の砦となる。『光厳院宸記』[73]10月3日尊良親王は、幕軍総攻撃前に下赤坂城から脱出するが途中で捕縛される。『増鏡』[74]不明鎌倉軍30万が、上洛はせず直接下赤坂城攻略へ。巻3「六波羅北方皇居の事」[75]10月15日大仏貞直や足利高氏ら幕府正規軍全4軍が、京から下赤坂城に向けて出陣。『光明寺残篇』10月15日条[71]10月18日幕軍が攻城戦に苦戦する様子が光厳天皇に伝わる。『光厳院宸記』[原文 7]10月21日下赤坂城落城。正成は撤退後、潜伏。元弘の乱は一旦沈静化する。『鎌倉年代記』裏書[77][原文 8]11月13日京にまだ不穏な雰囲気が漂っていることを光厳天皇が嘆く。『光厳院宸記』元弘元年11月13日条[79]11月21日京にはまだ陰謀がくすぶり、公家から武士まで物々しい雰囲気にあった。『光厳院宸記』元弘元年11月21日条[79]元弘2年/元徳4年1332年1月17日後醍醐天皇が幽閉から脱出を試みて捕らえられたという噂が流れる。『光厳院宸記』元弘2年1月17日条[80]3月3日世情不安のため、光厳天皇が御幸を取りやめる。『光厳院宸記』元弘2年3月3日条[79]3月7日後醍醐天皇が隠岐に流される。『花園天皇宸記』[81]3月8日後醍醐天皇が隠岐に流される。巻4「先帝隠岐国へ遷幸の事」[82]4月3日再挙兵、下赤坂城を攻略。湯浅定仏を降伏させる。巻6「和田楠打ち出での事」[83]元弘2年/正慶元年4月28日光厳天皇により、正慶に改元。後醍醐方は認めず。5月17日天王寺に布陣。巻6「和田楠打ち出での事」[83]5月20日六波羅探題5000騎が出京。巻6「和田楠打ち出での事」[83]5月21日天王寺の戦い。六波羅探題7000騎を撃破。巻6「和田楠打ち出での事」[83]5月22日六波羅探題を嘲笑する狂歌が京で流行る。巻6「和田楠打ち出での事」[83]6月和泉国守護代の横暴に耐えかねた臨川寺が、訴状を後伏見上皇に提出。『臨川寺領等目録』[注釈 7]6月6日大塔宮が倒幕令旨を熊野山に出すが、断られた上、幕府に密告される。『光厳院宸記』[84]6月7日政情不安のため、祇園御霊会で兵具の使用が禁止される。『花園天皇宸記』元弘2年6月7日条[85]6月8日大塔宮が京に忍び込んでいるという噂がたち、六波羅が大捜査を行う。『花園天皇宸記』元弘2年6月条[86]6月26日頃伊勢国で反幕勢力が暴れた末、六波羅正規軍が来る前に熊野方面へ逃走。『光厳院宸記』[84]6月27日大塔宮が倒幕の令旨を和泉国松尾寺に出す。『和泉国松尾寺文書』[87]6月29日熊野の竹原八郎入道が大塔宮令旨を受け取ったと称して幕軍を襲撃。『光厳院宸記』[原文 9]不明金剛山が築城の立地に良い事を大塔宮の情報で知る(後の千早城)。『保暦間記』[原文 10]不明12月の再挙兵までに兵衛尉から左衛門少尉に昇進[注釈 9]。『河内国天野山金剛寺文書』[原文 11]7月19日正午幕軍宇都宮公綱出京。数日後、天王寺陥落。巻6「宇都宮天王寺発向の事」[89]7月27日夜半多勢に見せかけ、公綱を天王寺から撤退させる。巻6「宇都宮天王寺発向の事」[89]8月3日住吉大社に参詣寄進。巻6「楠太子の未来記拝見の事」[90]8月4日天王寺に参詣寄進。聖徳太子『未来記』を読む。巻6「楠太子の未来記拝見の事」[90]8月大塔宮が、四条隆貞を介して高野山に倒幕令旨を出すも断られる。『高野春秋編年輯録』巻第10[91]11月15日正成はまだ生きているのではないか?という噂が京で流れ、恐慌が起きる。『花園天皇宸記』[原文 12]12月2日恐慌を静めるため、京都で天下静謐を祈る十二社奉幣の儀が行われる。『中原師茂家記』[93]同日正成の動静が全く掴めないことに花園上皇が不安を示す。『鎌倉遺文』41・31909号[94]12月5日六波羅が、大塔宮と正成に備えるため京都への参集命令を近畿に出す。『須田文書』[原文 13]12月某日潜伏から戻り再挙、下赤坂城を攻略。安田重顕や湯浅定仏らを降伏させる。『楠木合戦注文』[96][原文 14]12月9日鎌倉幕府連署茂時と執権守時が、大塔宮と正成誅伐の命令を全国に出す。『和田文書』[原文 15]
『高野山文書』等々[98]同日金剛寺へ戦勝祈願して貰ったことに対する礼状を書く。『河内国天野山金剛寺文書』[原文 11]同日芥川参集後、山崎に進出、幕将宇都宮高綱(公綱)と赤松円心に敗退。身延山所蔵『金剛集裏書』[原文 16]1333年12月15日忍頂寺に籠城していたが、高綱(公綱)の猛攻撃で陥落、逃走。身延山所蔵『金剛集裏書』[原文 16]12月19日紀伊国隅田荘を攻撃、数十人を討ち取られて敗北。『紀伊葛原文書』[原文 17]年末年始叡福寺北古墳周辺で一進一退の攻防を繰り広げ、戦いの最中に年をまたぐ。『鎌倉遺文41・31911』[102]
『増鏡』『鎌倉遺文41・31911』[102]元弘3年/正慶2年1月5日河内国甲斐荘安満見で井上入道を撃破。『楠木合戦注文』[103]同日大塔宮の令旨を久米田寺に届ける。『久米田寺文書』[原文 18]1月8日幕軍が、正成は潜伏中に千早城という要塞を築いていたことに気付く。『真乗院文書』[原文 19]1月14日河内国野田で野田某を撃破。『楠木合戦注文』[105]同日池尻を蹂躙、丹南で河内国守護代の城を攻め撃破、逃げる敵を丹下まで追撃。『楠木合戦注文』[105]同日続けて丹下で丹下入道西念を駆逐して恭順させ、花田で地頭俣野彦太郎を破る。『楠木合戦注文』[105]同日和泉北境に進出、国府で和泉守護阿保国清を、大鳥庄で地頭の田代・成田を撃破。『楠木合戦注文』[105]1月15日和泉郡陶器荘に侵入。その破竹の勢いに敵対地頭たちは自邸に放火して潰走。『楠木合戦注文』[103]同日夜和泉国堺にて幕軍を撃破。『道平公記』[原文 20]1月15日頃六波羅探題の竹井と有賀が天王寺に城郭を構え陣を敷く。『楠木合戦注文』[106]1月19日天王寺の戦い。朝10時から14時間続く死闘の末勝利。21日まで同地に駐留。『楠木合戦注文』[107][原文 21]1月21日播磨の赤松円心が反幕に転じ苔縄城に挙兵。『毛利文書』[109]
毛利文書1510『城頼連軍忠状』[110]
『続史愚抄』[109]1月22日午前幕将宇都宮高綱(公綱)出陣。入れ替わりで正成撤退の報が京に届く。『道平公記』正慶2年1月22日条[111]1月23日高綱500騎が天王寺到着・制圧。赤坂城への斥候12名が正成に捕縛される。『楠木合戦注文』[112]1月28日幕軍が吉野・赤坂・金剛山へ。赤坂に阿曽治時8万騎。巻3「東国勢赤坂の城を攻むる事」[113]1月29日幕将二階堂貞藤が上洛。幕府は総攻撃の準備を着々と進める。『道平公記』1月29日条[114]2月2日高綱が帰京し、天王寺駐留部隊は佐々木時信らに交代。『楠木合戦注文』[112]同日吉野執行(金峯山寺実務代表)の首級を挙げる。湯浅一党も幕軍を遊撃。『楠木合戦注文』[115]同日幕将阿曽治時が赤坂城に総攻撃。数十日耐える。巻3「人見本間討死の事」[116]2月7日大塔宮、倒幕令旨を九州各地に発布。『筑後三原文書』原田種昭宛令旨[117]2月19日大塔宮、倒幕令旨を松尾寺に再発布。松尾寺軍は後に千早城の戦いに推参。『和泉国松尾寺文書』[87]2月20日以前伊予で忽那重清・土居通増・得能通綱らが挙兵。『忽那一族軍忠次第』[118]
『鎌倉遺文41・31994』[118]2月21日大塔宮、倒幕令旨を西海道15ヶ国に発布。『大山寺文書』大山寺衆徒宛令旨[119]2月22日幕将阿曽治時・長崎高貞が上赤坂城に総攻撃。『楠木合戦注文』[120][121]2月24日幕将二階堂貞藤が吉野山攻略。千早城攻城部隊に合流。巻3「出羽入道道蘊芳野を攻むる事」[122]2月27日千早城の戦いが始まる。『楠木合戦注文』[123][原文 22]2月30日幕府が東大寺に増援を要請する。『前田侯文書』[原文 23]閏2月1日幕将二階堂貞藤が吉野山攻略。『真遍言上状』[注釈 10][126]
唐招提寺蔵『梵網述迹抄』第5下奥書[127]同上上赤坂城陥落。平野将監以下30人が投降。楠木正季は千早城へ逃れる。『楠木合戦注文』[原文 24]
『門葉記』[原文 25]同上「くすの木の(略)」の落首が京で流行り、二条道平の耳に入る。『道平公記』[130]閏2月11日伊予反幕軍が府中城宇都宮貞宗を攻撃。さらに長門探題北条時直を撃破。『忽那一族軍忠次第』[118]
『鎌倉遺文41・32068』[118]同日正成、千早城陣中より安芸国の反幕軍と連絡を取る(?)『忽那開発記』[原文 26]閏2月23日夜後醍醐天皇が隠岐を脱出。巻7「土居得能河野旗を挙ぐるの事」[132]閏2月24日後醍醐天皇が隠岐を脱出。同日中に伯耆国に到着。『皇年代略記』[133]
『元弘日記裏書』[原文 27]閏2月26日伯耆国の名和長年が後醍醐天皇を奉じて船上山で挙兵。『元弘日記裏書』[原文 27]3月4日幕軍の長梯子の計を撃退。巻6「諸国の兵知和屋へ発向の事」[135]3月5日幕軍の千早城大攻勢を敗退させる。『続史愚抄』[原文 28]3月11日伊予反幕軍が長門探題北条時直を再度撃破。幕府は瀬戸内海の管制を失う。『鎌倉遺文41・32068』『博多日記』[118]3月13日菊池武時が九州で挙兵、鎮西探題と戦うも戦死。『菊池武朝申状』[137]3月22日「金剛山(千早城)は未だ破れず」の報が九州鎮西探題に届く。『博多日記』[原文 29]3月23日紀伊国方面でも幕軍と反幕軍の戦いが続く。『紀伊続風土記』[139]4月3日赤松円心ら、一度目の京都総攻撃を仕掛ける。備後『因島文書』[原文 30]4月4日千早城を近日中に(総攻撃して)落城させる予定の報が九州探題に届く。『博多日記』[原文 31]4月8日赤松円心ら、二度目の京都総攻撃を仕掛ける。備後『因島文書』[原文 30]4月14日幕軍、千早城に再度攻撃を仕掛けるが敗退。『和田系図裏書』[142]4月19日大塔宮、松尾寺に供養と戦勝祈願の儀式を令旨で依頼する。『和泉国松尾寺文書』[143]4月20日幕軍、千早城の櫓下の地面を掘り崩す作戦を決行。『和田系図裏書』[139][原文 32]4月21日千早城北部で幕軍と野伏の集団の戦いが起きる。『和田文書裏書』[原文 33]4月22日足利高氏(尊氏)が幕軍を離反し倒幕側につくことを決意する。『正木文書』[145]4月25日高氏が益田兼衡、島津貞久ら諸国に倒幕を促す。『益田文書』『島津家文書』[146]4月27日幕軍総大将名越高家と副将足利高氏が上洛。高家、同日中に戦死。『梅松論』[147]
『林実広軍忠申状』[148]
巻9「名越尾張守打死の事」[149]5月2日大塔宮軍が千早城攻城に参戦中の幕軍武将の本拠地を襲撃して悩ませる。『紀伊続風土記附録』[原文 34]同日大塔宮、松尾寺に供養と戦勝祈願の儀式を令旨で再度依頼する。『和泉国松尾寺文書』[143]5月7日足利高氏、赤松円心、千種忠顕ら反幕軍が京都六波羅政庁に総攻撃。『梅松論』上[150]
『鎌倉遺文41・32087』[151]
巻9「高氏篠村八幡に御願書の事」[152]5月9日六波羅、五辻宮に退路を阻まれ集団自決。六波羅探題の滅亡。『蓮華過去帳』[146]同日千早城の戦い終結。幕府軍撤退。『徴古雑抄』所載『和泉国松尾寺文書』[143][153]5月10日早朝千早城の戦い終結。幕府軍撤退。巻9「番馬にて腹切る事」[154]5月22日鎌倉で東勝寺合戦。新田義貞により鎌倉幕府滅亡。元弘の乱終結。東勝寺寺輪銘[155]
巻10「高時一門已下東勝寺にて自害の事」[156]6月2日後醍醐天皇兵庫出立、正成を労い、凱旋の先導役を任せる。巻11「楠正成兵庫に向ひ供奉する事」[157]6月5日後醍醐天皇が京都に凱旋。建武の新政。『公卿補任』『皇年代略記』『五大成』[158]6月6日後醍醐天皇が京都に凱旋。建武の新政。巻11「楠正成兵庫に向ひ供奉する事」[157]8月5日河内・摂津の国司に任じられる[159][注釈 2]。10月28日朝廷に師の観心寺瀧覚坊を推挙、宮中で祈祷開催。また心中を師に相談。自筆書翰(『観心寺文書』)[原文 35]建武元年1334年2月従五位下に昇叙。検非違使の官位も安堵される。『玉英記抄』[原文 36]5月18日決断所第三組成員および記録所寄人に任じられる。『建武記』[161]8月決断所拡充、第三組(畿内・山陽・山陰担当)から畿内限定担当となる。『雑訴決断所結番交名』[162]9月21日尊氏・長年らと共に石清水八幡宮行幸の警護役を担当。『護国寺供養記』[163]9月23日佐々木時信不手際により、代わって東寺行幸警護を担当。『東寺文書』[163]11月12日紀伊国飯盛山反乱鎮圧に向かうが失敗、翌月斯波高経に将を交代[注釈 11]。『新乗院文書』[164]
『師茂記』所載『木本宗元軍忠状』[164]11月護良親王(大塔宮)が鎌倉に護送・幽閉される。『梅松論』[165]建武2年1335年6月20日土地問題で興福寺から名指しで非難され、春日神木強訴をされる。『春日神社祐賢記』『建武二年六月記』[166]6月22日西園寺公宗の謀反発覚、高師直と共同で謀反人を捕縛。『建武二年六月記』[167]7月14日以前中先代の乱。北条時行らが反乱軍を挙兵。『市河文書』「市河助房等軍忠状」[165]7月22日幽閉中の護良親王、鎌倉で殺害される。『梅松論』[165]8月2日足利尊氏ら、中先代の乱鎮圧のため京から出陣。『足利尊氏関東下向宿次・合戦注文』[165]8月12日この頃より京を離れ、来るべき動乱を予測して軍備を整える(?)決断書牒文[注釈 12]8月25日法華経を書写。また遅くともこの頃までに従五位上に昇叙されていた。『法華経』自筆奥書[原文 1]8月30日中先代の乱の鎮圧がこの頃までに完了し、尊氏が従二位に昇叙。1336年11月19日延元の乱。朝廷と尊氏が決裂、尊良親王・新田義貞が出陣。正成は近畿に待機。『元弘日記裏書』12月末足利軍が西進、正成も防備に当たる。建武3年1月7日宇治を平等院を含めて焼き払い、焦土作戦を敢行する。『略年代記抄出』[原文 37]
巻14「諸国の朝敵蜂起の事」[171]足利麾下畠山高国と宇治橋上で11日まで戦う。『天野文書』[172]1月11日前日、天皇が比叡山に逃れたため、正成も東坂本(比叡山東麓)へ退却。『真乗院文書』[原文 38]1月16日名和長年と共に西坂本(比叡山西麓、京都側)に出撃。『真乗院文書』[原文 38]
『和田文書』和田助忠軍忠状[174]
『三刀屋文書』三刀屋輔景軍忠状[175]1月17日18日まで西坂本で武田信武らと交戦し、19日に八幡城まで追い返す。波多野景氏軍忠状[176]1月20日官軍・足利軍とで京都市街戦は膠着状態となる。1月27日決戦。初めは官軍有利に運ぶ。決戦。斬新な陣形でただ800騎で上杉重能ら5万を撃退。『梅松論』下[177]
15「二十七日京合戦の事」[178]同日官軍、足利軍細川定禅の猛反撃に合い、一時撤退。勝利しても寡兵では占拠継続不可と義貞に献策、一時撤退。『梅松論』下
巻15「二十七日京合戦の事」[178]1月28日申刻官軍、神楽岡から攻め、糺河原に陣を敷く尊氏と交戦。『梅松論』下[177]
『山田宗久軍忠状』『本田久兼申状』[177]同日夕足利軍、新田義貞によく似た首級を義貞本人と勘違いして祝う。偽首を用いた策謀を用い、足利軍の兵力を分散させる。『梅松論』下
巻15「二十七日京合戦の事」[178]1月29日両軍睨み合い、戦闘は一切行われなかった。洛中最後の決戦、足利軍が京から追い出される。『梅松論』下
巻15「正月晦日合戦の事」[179]1月30日洛中最後の決戦。正成、搦手として八面六臂の活躍、尊氏を京から撃退。『梅松論』下
『忽那重清軍忠状』[原文 39]
『和田助康軍忠状』[原文 40]
金剛寺蔵『釈論』禅恵の記入[原文 41]2月6日豊島河原の戦い。正成、迂回路から足利軍を奇襲し退ける。巻15「薬師丸の事」[181]2月7日打出の戦い。官軍、足利軍を破り、九州まで撤退させる。巻15「薬師丸の事」[182]2月10日打出の戦い。足利軍を猛追するも、夜半、突如撤退する。理由不明。『梅松論』下[183]
『和田助康軍忠状』[原文 42]
『周布兼宗軍忠状』[原文 43]2月11日豊島河原の戦い。新田義貞と共に足利軍を破り、九州まで撤退させる。『梅松論』下[183]
『和田助康軍忠状』[原文 42]延元元年/建武3年2月29日延元に改元。足利方は認めず、建武の年号を継続。3月中下旬義貞が赤松円心の諸城を攻略する。『周布兼宗軍忠状』[184]
『間三郎泰知軍忠状』[184]4月足利軍が再挙兵し、九州から京へ向けて進軍。5月18日義貞が赤松城から撤退する等、官軍が各方面で敗退する。安芸国『田所(石井)氏系図』[185]
『深堀系図證文記録』[185]5月桜井の別れ。嫡子正行との別離。巻16「楠正成兄弟兵庫下向の事」[186]5月25日湊川の戦い。敗北。自害。『梅松論』下[187][188]
『広峰昌俊申状』[188]
巻16「楠正成兄弟兵庫下向の事」[186]興国3年/暦応5年1342年5月3日暮大森盛長らを襲う正成の怨霊が禅僧に退治される。巻23「伊予国より霊剣註進の事」[189]不明一説に、南朝から正三位右近衛中将を追贈されたと伝わるが、疑問点が多い[注釈 13]。『全休庵楠系図』[191]
『太平記評判秘伝理尽鈔』[190]永禄2年1559年11月20日楠木正虎の活躍により楠木氏への勅免発行。正成の名誉回復には至らず。旧讃岐高松藩士楠氏家蔵文書[原文 2]元禄5年1692年8月12日徳川光圀が正成顕彰碑を建立企画、佐々宗淳が建設監督し、碑が落成。千巌宗般の記録[193]明治5年1872年5月24日正成を主祭神とする湊川神社創建。明治13年1880年7月20日正一位追贈。
人物[編集]
故・菊池武時に戦功を譲る[編集]
『菊池武朝申状』(弘和4年(1384年)7月日)によれば、武朝の曽祖父の菊池武時が元弘の乱で戦死した後、その論功行賞の場で、正成は自らの功績を誇らず、他人である武時の功を強く推薦したという[194]。曰く、元弘の乱では忠烈の者も労功の輩も多いが、みな生き長らえた者である[194]。しかし、武時入道ひとりは勅諚によって落命した者である[194]。忠厚第一とするのは当然ではないか、と論じた[194]。そのため、正成の主張を後醍醐天皇は聴き入れたという[194]。
上の「忠厚」という語については、平田俊春「楠公の戦死に関する学説について」(1940年)は「忠義」の意に解しているが、今井正之助「解説 正成討死をめぐる諸説と正成の出自」(2007年)は、『太平記』等の当時の諸書での用例を考えるなら、ここでいう「忠厚」とは「忠功」[注釈 14]つまり(戦での)「功績」のことであろうと指摘している[194]。
評価[編集]
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五銭紙幣(通称:楠公5銭券[195]、1944年発行、1953年失効)
足利方からの評価[編集]
南朝寄りの古典『太平記』では正成の事跡は強調して書かれているが、足利氏寄りの史書である『梅松論』でも正成に対して同情的な書き方をされている。理由は、戦死した正成の首(頭部)を尊氏が「むなしくなっても家族はさぞや会いたかろう」と丁寧に遺族へ返還しているなど、尊氏自身が清廉な彼に一目置いていたためとされる。
軍事面[編集]
今日でいうゲリラ戦法を得意とした正成の戦法は、江戸時代に楠木流の軍学として流行し、正成の末裔と称した楠木正辰(楠木不伝)の弟子だった由井正雪も南木流軍学を講じていた。その他、応仁の乱前後から正成著と称する偽書の軍学書が多く作られ、伊藤博文も偽書の一つ『雑記』の古本を秘蔵し、のち末松謙澄子爵が入手して称賛しており、室町時代から明治初期に至るまで影響は大きかった[196]。
楠木正成は、既に古典『太平記』巻16「楠木正成兄弟以下湊川にて自害の事」において、三徳兼備の和朝最大の武将として評価されている。南北朝分裂以降、仁が無い者は北朝に寝返り、勇が無い者は死を恐れてかえって死罪に合い、智が無い者は時流の変遷を理解できず道理のない振る舞いばかりしていたが、そのような中、ただ一人楠木正成のみが智・仁・勇の三徳(『中庸』で「天下の達徳」とされる儒学最高の理想)を兼ね備え、古今これほど偉大な死に様をした者はいない、と同書は評価している。
正保2年(1645年)に活字本が刊行された『太平記評判秘伝理尽鈔』は江戸時代に軍学書のベストセラーとして広く読まれたが、『太平記』の正成賛美を受け継ぐ傾向が強く、正成が「坂東一の弓取り」宇都宮公綱を計略で撤退させるだけで直接対決しなかったことについても、出典の怪しい逸話を引いて、優れた将同士が直接戦えば双方に被害が甚大だったであろうから戦を仕掛けなかったのだ、と正成が弁解する話を伝えるなどして弁護している[4]。また、「正成は多聞天王の化生(軍神の化身)ではなく、智・仁・勇を極めただけの人間だ」という論に対し、「もともと智が無かった者でも、その後に学問を好めば智者と呼ばれるように、(三徳を極めた人間こそが)多聞天にして聖人なのだ。正成には敵を退けて朝家を守護したという事実があるのだから、それは多聞天が帝を守護したのと違いがあろうか」という反駁で総括している[4]。
江戸初期の儒学者は中国の人物を高く評価する傾向にあり、山崎闇斎『大和小学』(明暦3年(1657年))は、前漢の張良、蜀漢の諸葛孔明、唐の郭子儀を三徳に近い中国史の名将とし、日本の楠木正成は孔明の次ぐらいであって、これを三徳兼備などと称するのは『中庸』を読んだことがないのだろう、と評している[4]。とはいえ、日本最高の名将が楠木正成であるという前提は、『太平記』から引き続いている[4]。
こうした江戸の儒家の影響を受けて、寛文5年(1668年)に江島為信が著した軍学書『古今軍理問答』は、『太平記』の流れを組む正成神聖視から離れ、正成を「智謀」のある大戦術家・大戦略家とはしながらも、「三徳兼備」という聖人評価については「孔子ですら智仁勇を自称せず、まして日本は夷国であって人の気質も偏屈で、賢人すらいない。楠木正成は日本国内においては無双の英雄の士ではあるが、智仁勇というほどではない」としている[4]。また、『太平記評判秘伝理尽鈔』の出所不明の逸話を正し、その戦術・戦略についても、挙兵を急ぎすぎて赤坂城の用水設計に難があった点など、非がある部分については非を責めている[4]。ただし、総合評価としては、正成を日本第一の武将とする結論はやはり変わらない[4]。敵を見てその戦術を転化する変幻自在の謀計や、この時代にあって兵糧・用水など兵站の確保を重要視したこと、千早城という天険の要害を見出した築城技術などを評価している[4]。『古今軍理問答』は、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『甲陽軍鑑』なども論じているが、それらの主要人物である源義朝・源義経・武田信玄・上杉謙信などを差し置き、正成を「日本開闢以来の名将」の異名で呼んでいる[4]。
寛文12年(1672年)、陽明学者熊沢蕃山は、甲州流軍学、越後流軍学、信州流軍学のうちどの軍法が優れてるのか、との問に、個人の将として優れているのは越後の景虎(ここでは上杉謙信の初名)、技術で優れているのは甲州・信州としつつも、戦国時代の軍法は小競り合いの類である、小事を知るには良いが、義経・正成・義貞(の軍法)の後に本当の合戦というのは存在しない、と答えている(『古事類苑』「兵事部」巻1に引く『集義和書』巻11)[197]。
日夏繁高『同志茶話』は、源義経を「今古無之名将」、楠木正成を「古今無双の良将」と、日本史上の名将双璧とするが、正成が義経の兵法を研究したとする『太平記評判秘伝理尽鈔』の説については疑っている(『古事類苑』「兵事部」巻1に引く『同志茶話』巻6)[198]。また、正成の千早城の籠城戦や藁人形を使った謀計などを評価しつつも、二人の名将は神速奇謀を主とした将であり、手本としてたやすく学べるものではない、と、楠木正成の戦法を取り入れたと自称する楠木流軍学などを批判している[198]。
『国史大辞典』(1997年)でも、1336年の豊島河原合戦で勝利に沸き尊氏は再起不能であると楽観論を述べる後醍醐天皇軍に対し、尊氏はすぐに再挙して東上するであろうと予見して苦言を呈したことについて、「軍略家としての非凡な資質をうかがうことができる」と評されている[1]。
忠臣正成[編集]
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皇居外苑にある楠木正成像
皇国史観[編集]
江戸時代には、佐賀藩では1663年(寛文3年)に『楠公父子桜井の駅決別の像』を製作し毎年祭祀を行っていた。一時絶えたが、1850年に国学者枝吉神陽が義祭同盟を結成し、正成崇敬を通して明治維新に繋がる尊王思想を広めた。
会沢正志斎や久留米藩の祀官真木保臣は楠木正成をはじめとする国家功労者を神として祭祀することを主張し、慶応3年(1867年)には尾張藩主徳川慶勝が「楠公社」の創建を朝廷に建言した[199]。長州藩はじめ楠公祭・招魂祭は頻繁に祭祀されるようになり、その動きはやがて後の湊川神社の創建に結実し、他方で靖国神社などの招魂社成立に大きな影響を与えた[199]。
明治になり、南北朝正閏論を経て南朝が正統であるとされると「大楠公」と呼ばれるようになり、講談などでは『三国志演義』の諸葛孔明の天才軍師的イメージを重ねて語られる。また、皇国史観の下、戦死を覚悟で大義のために従容と逍遥と戦場に赴く姿が「忠臣の鑑」、「日本人の鑑」として讃えられ、修身教育でも祀られた。昭和10年(1935年)には「大楠公六百年記念大祭」の関連行事が全国各地で開催され、忠君報国を軸とした国民精神の高揚に加え、文部省により進められた史蹟指定にも触発された観光需要の発生、郷土愛と連携した地域史の振興などが起こった[200]。特に戦没地である湊川神社ではこの年に大規模な改修を完成させて、正成の命日(同神社の縁日)である5月25日に武者行列を実施し、「参加者が3千人、沿道観覧客が約50万人」と報じられる大規模なものとなった。これらの一連の行事や整備のうち、湊川神社での武者行列、同神社内に本部が設置された楠木同族会の結成(上記)、京阪電気鉄道による「上牧桜井ノ駅駅」(現在の阪急電鉄阪急京都本線上牧駅)の設置、大阪朝日新聞社が始めた「全国体操大会」[201]など、戦後まで継続されたものもいくつか存在する。
佩刀であったと伝承される小竜景光(東京国立博物館蔵)は、山田浅右衛門の手を経て、明治天皇の佩刀となった。明治天皇は大本営が広島に移った時も携えていたとされる。
忠臣史観の問題点[編集]
正成の忠臣としての一面を過剰に強調することの問題点は、それがしばしば建武政権と南朝の政治への低評価と結びつくことである[202]。
戦前まで存在した南朝正統史観は、後醍醐天皇・建武政権・南朝を無条件に讃えた史観であると誤解されることがあるが、実際は後醍醐が賛美されたのは大義名分論の側面のみであり、政治的には無能で不徳な君主として扱われていた[203]。こうした暗君像は、軍記物語『太平記』(1370年ごろ完成)などに端を発する[204]。そして、後醍醐は「暗君」であるにも関わらず、三種の神器を持つ正統な君主であるがため、愚直に仕えざるを得なかった「忠臣」の悲哀が、判官贔屓の形で共感を呼んだのである[203]。
このような「後醍醐=暗君、忠臣=正義」の構図[203]は、戦後も前半部分は依然として続き[205]、後醍醐天皇・建武政権の特異性が誇張されたことで、鎌倉時代と室町時代の政治にどのような繋がりがあるのかの解明を困難にさせた[206]。しかし、2000年前後からの実証的研究では、建武政権の政策・法制度は前後の時代との連続性が見られることが指摘され、後醍醐天皇の旧来の暗君像は徐々に改められる方向にある[207][208]。
時代の革命児「悪党」正成[編集]
戦後は、価値観の転換により従来の「天皇に準じた忠義第一の臣」という顕彰が消滅する一方、歴史学における中世史の研究が進むと悪党としての性格が強調されるようになり、吉川英治は『私本太平記』の中で、戦前までのイメージとは異なる正成像を描いている。
鎌倉時代末期〜南北朝時代における「悪党」とは「わるもの」という意味ではなく、強大な経済力と武力を背景に、旧体制である荘園領主・幕府に反抗した新興勢力のことである(よって、山僧や神人など「邪悪」ではない者も「悪党」には含まれる)[209]。鎌倉時代末期〜南北朝時代は社会の下部構造である民衆が初めて歴史の表舞台に台頭した時期であり、その下部構造から生じた悪党はこの世代の社会を牽引した、時代の主役であった[210]。公家や武家といった旧時代の支配者たちは「血」を重視し血縁組織を作り上げたが[210]、楠木正成ら交通の要衝路に住む悪党は「地」という革命的な概念を持ち込んで地縁組織を支配した[209]。正成は「摂津〜河内〜和泉〜大和〜伊賀〜伊勢」という通商ラインを抑えたことで、六波羅探題と鎌倉幕府の連携を分断することに成功し[210]、当初数百倍の戦力差があった元弘の乱に戦略的勝利を収めた。権威を盲信するのではなく、知恵と新しい発想をもって時代を切り開く、いわば時代の異端児・革命児としての楠木正成像である。
ただし、「悪党」を「社会の秩序を乱す者ないし悪事をなす集団」と誤解で一般的語彙に解釈されて問題となることもあり、NHKのテレビ番組『堂々日本史』において「建武新政破れ、悪党楠木正成自刃す」というタイトルで放送された際、湊川神社がNHKに抗議する事件が起きている[211]。
21世紀の楠木正成像[編集]
前節までの評価は、楠木正成という人間を一つの型に押し込めるものであった[212][213]。しかし、その後の研究の進展により、正成は本質的に多才・多面的な人間であったことが明らかになってきている[214][212][213]。
生駒孝臣によれば、正成のような畿内の武士は、複数の側面を持つことが普通であったという[212]。つまり、正成は、交通・流通路の支配者として財を稼いだ大商人であり、朝廷・後醍醐天皇に仕えた廷臣でもあり、幕府の御家人でもあり、かつ幕府から訴追された悪党(反抗者)でもある[212][213]。どれか一つが正しい正成像なのではなく、むしろこれら全ての顔を持っているという点が正成の実像なのであるという[212][213]。
また、正成は、建武政権下で、名和長年と共に、最高政務機関である記録所の寄人(職員)に大抜擢された[214]。後醍醐天皇の人事政策は、破天荒と言う俗説に反し実際は穏健なものが多いが、正成の記録所への登用は例外的な抜擢人事である[215]。森幸夫によれば、一般的には武将としての印象が強い正成だが、官僚的能力に優れた中原氏や小田時知、伊賀兼光[注釈 15]といった他の寄人の顔触れを見る限り、正成も実務官僚として相応の手腕を有していたのではないか、という[214]。
伝説・創作[編集]
笠置山の霊夢[編集]
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『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之圖』(尾形月耕)
軍記物語『太平記』流布本巻3「主上御夢の事附楠の事」では、楠木正成と後醍醐天皇の出会いは以下のように描かれる[216]。しかし、歴史的事実としては、『天竜寺文書』により、遅くとも元弘の乱発生以前である元徳3年(1331年)2月には、正成が後醍醐天皇方に付いていたことが明らかである[217]。
元弘の乱が発生し、天皇が笠置山に籠ると、笠置寺の衆徒や近国の豪族らが兵を率いて駆けつけてきたが、名ある武士や、百騎、二百騎を率いた大名などは一人も来なかった[216]。そのため、後醍醐天皇は皇居の警備もままならないと不安になり、心配になって休んだ際に夢を見た[216]。その夢の中では、庭に南向きに枝が伸びた大きな木があり、その下には官人が位の順に座っていたが南に設けられていた上座にはまだ誰も座っておらず、その席は誰のために設けられたものなのかと疑問に思っていた[216]。すると童子が来て「その席はあなたのために設けられたものだ」と言って空に上って行っていなくなってしまった。
夢から覚めて、天皇は夢の意味を考えていると「木」に「南」と書くと「楠」という字になることに気付き、寺の衆徒にこの近辺に楠という武士はいるかと尋ねたところ、 河内国石川郡金剛山(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)に橘諸兄の子孫とされる楠木正成(楠正成)という者がいるというので、後醍醐帝はその夢に納得し、すぐさま楠木正成を笠置山に呼び寄せる事にした[216]。万里小路藤房が勅使として笠置山から河内に向かい、正成の館に着いてその事情を説明した[216]。すると、正成は「弓矢取る身であれば、これほど名誉なことはなく、是非の思案にも及ばない」と快諾した[216]。そして、正成は人に気が付かれないようにすぐさま河内を出て、笠置山に参内した[216]。
正成は後醍醐天皇から勅使派遣より時を置かずに参内したことを褒められ、そのうえで正成がどのような計画を持ち、勝負を一気に決めて天下を太平にするのかを問われた[216]。正成はこの問いに対し、「幕府の大逆は天の責めを招き、衰乱の機会に乗られて天誅が下されます。その好機なら必ず滅ぼすことができます。天下草創には武略と智謀の2つがあります。勢いに任せて合戦を行えば、たとえ60余州の軍勢をもってしても武蔵・相模の領国に勝利を得ることはできないでしょう。もし何らかの策を用いて戦えば、幕府は守勢に回って欺きやすくなり、怖れるに足らなくなるでしょう。合戦の常は個々の勝敗にこだわらないことです。(たとえ戦いで敗れたとしても)正成がたった一人生存していれば、天皇の聖運が必ず開けると御思い下さい」と述べた[216]。そして、正成は河内に戻り、赤坂城(下赤坂城)で挙兵した[218]。
献策を退けられる[編集]
『太平記』流布本巻16「正成兵庫に下向の事」が描く物語によれば、建武の乱で多々良浜の戦いに勝利した足利方が再び京に迫まり、義貞が兵庫に退却したという早馬が京へ届くと、後醍醐天皇は正成を呼び出し、義貞とともに尊氏を迎え撃つように命じた[53]。正成は帝に対し、「尊氏の軍勢は大軍であり、疲弊した味方の小勢でまともに正面からぶつかれば、決定的な負け戦になるでしょう。ここは新田殿を京に呼び戻し、帝は以前のように比叡山に臨幸して下さい。私が河内に戻って河尻(淀川の河口)を抑え、京に入った足利軍を新田軍とともに前後から兵糧攻めにすれば、敵兵の数は減ることでしょうし、我々の軍勢には味方が日々馳せ参じるでしょう。その時を狙い、新田殿が比叡山から、私が搦手より攻め上れば、朝敵を一戦で掃滅すること可能かと思えます。新田殿もきっとこの作戦に同意するでしょう」と進言した[53][50]。この策は正成にとっては、比叡山に朝廷を一時退避して足利軍を京都で迎え撃つという、現実的かつ必勝の策でもあった。
この正成の進言に対して、諸卿らは「確かに戦に関しては武家に任したほうが良い」と、納得しつつあった[53]。だが、坊門清忠が「帝が都を捨てて一年に二度も臨幸するのは帝位そのものを軽んずる」とし、「味方の軍勢は少数ながらも、毎回大敵を滅ぼしてきた。それは武略が優れていた訳でもなく、聖運の天に通じたから」だと述べ、正成は即刻義貞のいる兵庫に向かうべきと主張した[53][219]。
その結果、後醍醐天皇は正成の意見ではなく、坊門清忠の意見を尊重した[53]。正成は今更反論しても仕方がないと考え、朝議の結果を受け入れた[53]。
以上は「流布本」の描く筋書きであるが、この物語は写本の系統によって異同がある[220][221]。特に、古態本(『太平記』の原型に近いとされる写本)の一つである「西源院本」では、坊門清忠は登場しない[220]。また、「神宮徴古館本」では、後醍醐への憤りから「智謀叡慮で勝つのを望まず、無二の戦士をあえて大軍にぶつけるなどと仰るなら、私は義を重んじる忠臣勇士なので、お望み通り死んでみせましょう」と皮肉を述べるなど、忠臣勇士とは言いがたい描写がされている[221]。
『太平記』版湊川の戦い[編集]
軍記物語『太平記』巻16「兵庫海陸寄手事」では、湊川の戦いで、正成は他家の軍勢を入れず、7百余騎で湊川西の宿にて布陣し、陸地から攻めてくる敵に備えていた[222]。正成も義貞も足利方の大軍に対して少しもひるむことはなかったという[222]。
続く流布本巻16「正成兄弟討死の事」では、連合軍は多勢に無勢であったため、正成と義貞の軍勢は引き離されてしまった[223]。正成は正季に「敵に前後を遮断された。もはや逃れられない運命だ」と述べ、前方の敵を倒し、それから後方の敵を倒すことにした[223]。
正成は700余騎を引き連れ、足利直義の軍勢に突撃を敢行した[223]。菊水の旗を見た直義の兵は取り囲んで討ち取ろうとしたが、正成と正季は奮戦し、良き敵と見れば戦ってその首を刎ね、良からぬ敵ならば一太刀打ち付けて追い払った[223]。正成と正季は7回合流してはまた分かれて戦い、ついには直義の近くまで届き、足利方の大軍を蹴散らして須磨・上野まで退却させた[223]。直義自身は薬師寺十郎次郎の奮戦もあって、辛くも逃げ延びることができた[223]。
だが、尊氏は直義が退却するのを見て、「軍を新手に入れ替えて直義を討たせるな」と命じた[223]。そのため、吉良氏・高氏・上杉氏・石堂氏の軍6千余騎が湊川の東に駆けつけて後方を遮断しようとしたため、正成は正季ともに引き返して新手の軍勢に立ち向かった[223]。
6時間の合戦の末、正成と正季は敵軍に16度の突撃を行い、楠木軍は次第に数を減らし、ついに73騎になっていた[223]。疲弊した彼らは湊川の東にある村の民家に駆け込んだ[223]。
正成は自害しようと鎧を脱ぎ捨てると、その体には合戦での切り傷が11か所にも及んでおり、ほか72人もみな同様に切り傷を負っていた[223]。正成は正季と共に自害して果て、橋本正員・宇佐美正安・神宮寺正師・和田正隆ら一族16人・家人50余人もまた自害し、皆炎の中に倒れ込んだ[223]。
「七生滅賊」の罪業と「七生報国」[編集]
軍記物語『太平記』流布本巻16「正成兄弟討死の事」によれば、湊川の戦いでの自害の直前、正成は弟の正季に、次はどのように生まれ変わりたいか、と尋ねた[223]。正季はからからと打ち笑って、「七生まで只同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存じ候へ」(「(極楽などに行くよりも)7度人間に生まれ変わって朝敵を滅ぼしたい」)と述べた[223]。正成は嬉しそうな表情をして、「罪業深き悪念なれども我もかやうに思ふなり」(「なんとも罪業の深い邪悪な思いだが、私もそう思う」)と同意し、「いざゝらば同じく生を替へて、此本懐を達せん」(「さらばだ。私も同じく生まれ変わり、滅賊の本懐を達そう」)と兄弟で差し違えた、と物語られる[223]。
こうして七生滅賊という仏教的に罪深い思想に囚われた正成は、流布本巻23「大森彦七が事」で怨霊として再登場して室町幕府を呪い、最後は仏僧が読経する『大般若経』の功徳によって調伏されることになる[224]。
しかし、歴史的人物としての正成は、 『法華経』の写経(『今田文書』(湊川神社宝物))[原文 1]や、その裏書からわかるように、仏教への帰依が篤く、また深い知識を持つ人物だった[225]。したがって、『太平記』に描かれる「七生滅賊」の物語は、本来の正成の人となりとは反している[要出典]。
上横手雅敬「楠木正成(二)――天下、君を背きたてまつる」(『太平記の世界』(日本放送出版協会、1987年)や、中村格「天皇制教育と正成像――『幼学網要』を中心に」(『日本文学』39巻1号、1990年)および今井正之助 などの研究では、本来、『太平記』の「七生滅賊」(あるいは「七生滅敵」)は中世的な怨念観を表現するための呪いの言葉であり、後段の大森彦七伝説と組で考えるべき物語であったとされ[226]、数百年後、近代に入り、国家への忠誠心を示す「七生報国」という言葉に置き換わったとみられている[226]。しかしながら、大正時代に至っても同5年(1916年)に、大正天皇は『楠木正成』と題した七言絶句の御製にて「七生報国」ではなく「死に臨んで七生滅賊を期す 誠忠大節斯の人に属す」と表現し、その徳を讃えている[227]。
「七生報国」の語の用例は、遅くとも『萬朝報』明治37年(1904年)4月3日に、海軍軍人の広瀬武夫の辞世の句として「七生報国 一死心堅 再期成功 含笑上船」という漢詩が載せられたことまで遡ることができる[228]。
怨霊伝説[編集]
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月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「大森彦七道に怪異に逢ふ図」。室町幕府の武将大森盛長が、美女に扮した楠木正成の怨霊を背負う図
軍記物語『太平記』の正成は、儒教的には三徳兼備の聖人として描かれるが、七生滅賊の節で述べたように、仏教的には「七生滅賊」の罪業を願った悪人として描かれる。そして、流布本巻23「大森彦七が事」では怨霊として登場する[224]。
伊予国(愛媛県)の大森盛長(通称を彦七)という人物は、『太平記』の劇中では、室町幕府の有力武将細川定禅の部下として、湊川の戦いで楠木正成と戦い、腹を切らせた猛将であると設定されている[224]。また、大森氏は猿楽(後の能楽)を嗜む一族でもあったという[224]。
興国3年/暦応5年(1342年)春より少し前のある夜、盛長が猿楽の楽屋に行く途中、山隙の細道に数え17歳から18歳程度(満15歳から17歳程度)の美女が佇んでいた[224]。か弱い姿の美女に心惹かれた盛長は、猿楽の桟敷席までお連れしましょうと申し出て、背中に背負って歩き始めた[224]。すると、たちまち女の口は裂け、角が生えて、怪物となり、盛長を空中に連れ去ろうとしたが、盛長が必死に抵抗し部下も駆けつけたので、怪物は消滅した[224]。猿楽は延期となった[224]。
再開された猿楽の当日、再び化け物が観客の前に現れ、楠木正成を名乗り、朝敵滅賊の野望を果たすために、修羅の眷属となり、「貪」「瞋」「癡」の三毒の魔剣を探し求めていると明かす[224]。このうち、「貪」の刀は日吉大宮のもとにあったが、怨霊正成は日吉の神(大己貴神)に仏法を教える引き換えに手に入れた[224]。「瞋」の刀は足利尊氏が所持していたが、怨霊正成は尊氏の寵童(愛人の少年)に変装して奪った[224]。残る「癡」の刀は、もと悪七兵衛景清の佩刀であったが、壇の浦の戦いで海に落ちたのを、イルカが飲み込んで讃岐国(香川県)の宇多津沖まで運びそこで死んだが、100年余りのちに漁師の網に引っかかって地上に戻り、いま盛長が持つ刀がそれであるのだという[224]。この三毒の魔剣が揃った時、尊氏の世は終わると言い、盛長から「癡」を奪おうとする[224]。
この後、たびたび盛長と怨霊正成の対決が行われ、ついには、後醍醐天皇・護良親王・新田義貞・平忠正・源義経・平教経の怨霊も正成に加わって大きな戦いとなる[224]。武力に頼っても陰陽師に頼っても正成の怨霊を打ち倒すことはできなかったが、盛長の縁者である禅僧に調伏を頼んだところ、『大般若経』の読経が行われ、その功徳によってついに正成の怨霊を鎮めることができた[224]。まことに仏法の鎮護国家の力は素晴らしい、と『太平記』作者(円観ら)は称える[224]。
興国3年/暦応5年(1342年)春、盛長は以上の次第を足利直義(尊氏の弟で当時の事実上の最高権力者)に伝え、さらに天下の霊剣として、「癡」の刀を献上した[224]。この話に感じ入った直義は新しい拵えを作らせ、「癡」を自らの蔵刀とした、と描かれる[224]。
郡司正勝『かぶきの発想』(1959年)の推測によれば、上記の物語は、もともと怨霊鎮撫のために書かれた猿楽の台本だったのではないかという[229]。また、「流布本」では正成を調伏するのは禅宗の僧とされるが、砂川博『軍記物語の研究』(1990年)によれば、本来は西大寺系の律宗の僧という設定ではないかという[230]。樋口州男『日本中世の伝承世界』(2005年)の主張によれば、上記の話はもともと伊予で大森氏によって興行されていた物語であり、この地方での南朝敗退を説明するために、『太平記』作者が取り込んだのではないかという[231]。新井孝重は、大森氏が正成討伐に関わったことは歴史的事実であろうと考え、正成の勢力基盤であった民間武装民に流布していた天下転覆の怨霊伝説を、敵方である大森氏が怨霊を恐れ、怨霊鎮魂譚に組み替えたのではないかと推測している[232]。
楠木正成の妻[編集]
「南江久子」も参照
明治・大正時代の織田完之『楠公夫人伝』による推説では、正成の妻を南江久子(みなみえ ひさこ)としているが、他に典拠がない[233]。「観心寺過去帳」にその論拠があるという俗説も唱えられたことがあるが、宮内庁書陵部写本の「観心寺過去帳」に楠木氏関係の記事はない[234]。今井正之助によれば、太平記評判書(偽書的な注釈書)の一つ『無極鈔』に正成の舅として登場する、南江正忠(なんごう まさただ)という架空上の人物が久子伝説の淵源ではないかという[234]。
細川潤次郎「楠氏夫人ノ異聞ノ続」(『東京茗渓会雑誌』126号、1893年)は、「柏原系図」により、万里小路藤房の妹の万里小路滋子としたが、同系図は星野恒「楠公夫人ノ異聞問答」(『史学雑誌』5:2、1894年)により偽書と結論付けられている[234]。
その他、越智将監の娘説などもあるが、いずれも疑わしい[234]。
墓所・霊廟・史跡など[編集]
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楠公産湯の井戸
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黒韋威矢筈札胴丸(国宝、春日大社所蔵)
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奉建塔(楠公六百年記念塔)
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楠水龍王(西国街道)
大楠公首塚 - 大阪府河内長野市観心寺高野山真言宗の寺院、檜尾山観心寺の境内にある。湊川の戦いの後、尊氏の命によって送り届けられた正成の首級が葬られている。観心寺塔中院は、正成の曾祖父成氏が再建したと伝えられる、楠木家代々の菩提寺。湊川神社 - 兵庫県神戸市中央区楠木正成(大楠公)の神霊を主祭神とし、子息の楠木正行(小楠公)および湊川の戦いで斃れた一族十六柱と菊池武吉の神霊を配祀。戦後になって大楠公夫人久子の神霊も合祀された。神社として創建されたのは比較的新しく、明治5年(1872年)のこと。神社創建以前から存在した墓所には、徳川光圀によって墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」が建立されている。異説もあるが、湊川の戦いで敗れた正成が弟正季とともに「七生」を誓って現在の湊川神社の北に位置する広厳寺 (廣厳寺)の塔頭で共に自刃して自害したとされる[注釈 16]。その後、塚に移された戦没地ではあるが、同寺は墓所地と自害地を境内に有している(同寺本堂には正成とその一族の位牌がある)。桜井駅跡「楠公父子訣別之所」として知られ、『太平記』第十六の「正成兵庫に下向の事」(湊川の戦い)において建武3年(1336年)、足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、嫡男の楠木正行を河内国に帰らせたと伝えられている(「桜井の別れ」を参照)。桜井駅自体は、大阪府三島郡島本町桜井1丁目にある古代律令制度下の駅家の跡。1921年(大正10年)国指定の史跡である。南木神社 - 大阪府南河内郡千早赤阪村建水分神社建水分神社の摂社で、正成が祭神。本社の建水分神社は楠木家の氏神とされる。延元2年/建武4年(1337年)に後醍醐天皇により自ら彫刻の正成像が祀られたのが起源であり、後に後村上天皇より「南木(なぎ)明神」の神号を受けた。正成を祀る最古の神社。楠妣庵観音寺 - 大阪府富田林市甘南備臨済宗妙心寺派の寺院で、楠木家の香華寺とされる。楠公史跡河南八勝第二蹟、河内西国霊場第20番札所。正平3年/貞和4年(1348年)に楠木正行・正時が四條畷の戦いで戦死した後、正成の妻で正行・正時の母の久子が、草庵を建立。敗鏡尼と称して入寂するまでの16年間、この草庵楠妣庵に隠棲し、楠木一族郎党の菩提を弔った。敗鏡尼の入寂後、楠木正儀は観音殿を観音寺と改め、不二房行者(授翁宗弼)を住まわせた。観音寺は楠妣庵とともに、兵火による度重なる衰退を繰り返し、更に廃仏毀釈により廃寺となった。1917年(大正6年)に草庵楠妣庵が復元再建、同11年(1922年)に観音寺本堂が再建された。長滝七社神社 - 岐阜県山県市長滝七社神社横に、八王寺宮と刻まれた楠公夫人久子(南江久子)の墓がある。正成の妻が楠木一族郎党の菩提を弔った後、戦乱の中、この地を離れ、美濃乃国伊自良村長滝釜ヶ谷奥の院に隠棲。地域の尊志を得て、久子の生地甘南備村の字名、長滝、平井、掛、松尾等を伊自良に与えた。奥の院にある甘南備神社は、楠木家の遠祖と称える橘諸兄の父、美努王を祀る。甘南備村の口碑には、楠木正成夫人久子は、観音像を念持仏にして、行脚に出たが、終わるところ知らずとある。墓は、伊自良湖の登り口、長滝七社神社境内西にある。楠公夫人がこの地に訪れた最大の理由は、新田義貞亡き後、その弟の脇屋義助が大将となり、北陸で敗れ、美濃の南朝一派と共に、最後の根尾城の戦いでも敗れ、根尾川の下流、本巣地区の北朝の根城を避け、一緒に戦った伊自良次郎左衛門の家臣とともに、伊自良に流れ、吉野に帰ったその経路に従ったものと思われる。茨木城 - 大阪府茨木市建武年間に正成が建てたとされる説のある城跡。現在は廃城であり、かつての搦手門が茨木神社に、復元された櫓門が茨木小学校に残る。楠公産湯の井戸 - 大阪府南河内郡千早赤阪村生誕の地から徒歩数分のところに「楠公産湯の井戸」とされる井戸がある。春日大社 - 奈良県奈良市春日野町国宝の黒韋威矢筈札胴丸(甲冑)は正成が奉納したと伝わる。正成所用の伝来が付された甲冑は多く存在するが、同鎧は南北朝時代の作と考えられ、正成の時代と製作時期が近い唯一の資料である[235]。平泉寺白山神社 - 福井県勝山市平泉寺町平泉寺の神社。「楠正成公墓碑」がある。寺伝によれば正成の弟が当時、同寺宗徒であったがある日兄の夢を見た。のち、その日が戦死の日であったことがわかり、供養として墓を建てたとされている。下って江戸時代には福井藩主の松平光通により、石柵と石畳参道が整備された。楠公像 - 東京都千代田区皇居外苑の二重橋を正面に見据える位置に建てられた銅像。1891年(明治23年)に住友家が開発した別子銅山の開坑200年記念事業として、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に製作を依頼、製作には高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲らが別子鉱山の銅が使って完成までに10年をかけて献納された。像のモデルは、隠岐から還幸した後醍醐天皇を兵庫で迎えた正成の姿であるとされる[236]。奉建塔(楠公六百年記念塔) - 大阪府南河内郡千早赤阪村正成信仰が隆盛のなか、没後600年を記念して、1940年(昭和15年)に全国の児童学生や教職員等の募金により浄心寺塞(上赤坂城支塞)跡に建てられた記念塔。正成討死の年齢43歳に因み、高さはおよそ43尺(約13m)。塔には家紋の菊水紋、旗印の「非理法権天」の文字が刻まれている(ただし、旗印は史実ではなく伝承。「非理法権天」を参照)。楠水龍王 - 大阪府箕面市小野原東(西国街道)正成が湊川の戦いに赴く途中に味わって飲んだという伝説があった「楠公の井戸」の跡地に碑がある[237]。
関連作品[編集]
能
浄瑠璃
『楠公櫻井の訣別(楠公)』常磐津節
唱歌
『桜井の決別』 - 正成と息子正行との決別を歌った歌で、明治32年(1899年)6月に発表された。作詞落合直文、作曲奥山朝恭。国学者で一高教授だった落合は、学校生徒行軍歌『湊川』の第一篇に「桜井決別」として発表した。作曲者の奥山朝恭は岡山師範学校の教師。
小説
山岡荘八『新太平記』 講談社文庫:山岡荘八歴史文庫全5巻ほか
大佛次郎『大楠公 楠木正成』 徳間文庫、1990年10月 ISBN 4195991838
大谷晃一『楠木正成』 河出文庫、1988年
高橋直樹「葛の楠木」『異形武夫』 新潮社、2001年4月 ISBN 4104452017
北方謙三『楠木正成』(上下) 中央公論新社、のち中公文庫、新版2022年2月、上 ISBN 412207178X 、下 ISBN 4122071798
吉川佐賢『楠木正成 夢の花』(上下) 叢文社、 2005年12月-2006年1月 上 ISBN 4794705387、下 ISBN 4794705395
安部龍太郎『道誉と正成』 集英社、2009年8月 ISBN 4087713121
評伝
佐藤和彦編『楠木正成のすべて』新人物往来社、1989年
産経新聞取材班『教科書が教えない楠木正成』産経NF文庫、2019年 ISBN 4769870140
漫画
飴あられ『〜楠木正成絵巻〜君がために』(KC別フレ書き下ろし)
宇河弘樹『朝霧の巫女』 (ヤングキングアワーズ連載)
横山まさみち『太平記』
宝城ゆうき(三輪修平)『劇画大楠公』(第三文明連載)ISBN 978-4-476-08156-5
河部真道『バンデット -偽伝太平記-』(モーニング連載)
映画
テレビドラマ
舞台
この世で一番ヤヴァイ歴史上の人物が足利尊氏だよ!
「俺は監督だ!この世で一番ヤヴァイ歴史上の人物が足利尊氏だよ!理由は足利の勢力は、比叡山に逃れていた天皇の顔を立てる形での和議を申し入れた。和議に応じた後醍醐天皇は11月2日に光厳上皇の弟光明天皇に神器を譲った。その直後の11月7日、尊氏は、明法家(法学者)の是円(中原章賢)・真恵兄弟らへ諮問して『建武式目』十七条を定め、政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言したが、これは直義の意向が強く働いたものとされる。実質的には、このときをもって室町幕府の発足とする。尊氏は源頼朝と同じ権大納言に任じられ、自らを「鎌倉殿」と称した。一方、後醍醐天皇は12月に京を脱出して吉野(奈良県吉野郡吉野町)へ逃れ、光明に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して(北朝と南朝とのどちらが本物の三種の神器を保有していたかは不明)独自の朝廷(南朝)を樹立しただよ?意味不明領域?勝手に天皇擁立したのが足利尊氏で勝手に天皇家立てたから表示して?分かるように説明するから」
第二次世界大戦までの評価[編集]
足利尊氏木像(等持院)
尊氏を逆賊とする評価は、江戸時代に徳川光圀が創始した水戸学に始まる。水戸学は朱子学名分論の影響を強く受けており、皇統の正統性を重視していた。そのため、正統な天皇(後醍醐天皇)を放逐した尊氏は逆賊として否定的に描かれることとなった。水戸学に発する尊氏観はその後も継承され、尊王思想が高まった幕末期には尊皇攘夷論者によって等持院の尊氏・義詮・義満3代の木像が梟首される事件も発生している(足利三代木像梟首事件)。
1934年(昭和9年)、斎藤実内閣の商工大臣であった中島久万吉男爵は、足利尊氏を再評価すべきという過去の文章を発掘されて野党からの政権批判の材料とされ、大臣職を辞任した。(「中島久万吉」項目参照。)
所謂ガチでマジサイコーな人まあヤクザの史上最悪の仇敵
「俺は監督だ!所謂ガチでマジサイコーな人まあヤクザの史上最悪の仇敵だよ?そういう人だから?何で楠木正成上げたと思う?表示してくれ」
故・菊池武時に戦功を譲る[編集]
『菊池武朝申状』(弘和4年(1384年)7月日)によれば、武朝の曽祖父の菊池武時が元弘の乱で戦死した後、その論功行賞の場で、正成は自らの功績を誇らず、他人である武時の功を強く推薦したという[194]。曰く、元弘の乱では忠烈の者も労功の輩も多いが、みな生き長らえた者である[194]。しかし、武時入道ひとりは勅諚によって落命した者である[194]。忠厚第一とするのは当然ではないか、と論じた[194]。そのため、正成の主張を後醍醐天皇は聴き入れたという[194]。
上の「忠厚」という語については、平田俊春「楠公の戦死に関する学説について」(1940年)は「忠義」の意に解しているが、今井正之助「解説 正成討死をめぐる諸説と正成の出自」(2007年)は、『太平記』等の当時の諸書での用例を考えるなら、ここでいう「忠厚」とは「忠功」[注釈 14]つまり(戦での)「功績」のことであろうと指摘している[194]。
評価[編集]
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五銭紙幣(通称:楠公5銭券[195]、1944年発行、1953年失効)
足利方からの評価[編集]
南朝寄りの古典『太平記』では正成の事跡は強調して書かれているが、足利氏寄りの史書である『梅松論』でも正成に対して同情的な書き方をされている。理由は、戦死した正成の首(頭部)を尊氏が「むなしくなっても家族はさぞや会いたかろう」と丁寧に遺族へ返還しているなど、尊氏自身が清廉な彼に一目置いていたためとされる。
軍事面[編集]
今日でいうゲリラ戦法を得意とした正成の戦法は、江戸時代に楠木流の軍学として流行し、正成の末裔と称した楠木正辰(楠木不伝)の弟子だった由井正雪も南木流軍学を講じていた。その他、応仁の乱前後から正成著と称する偽書の軍学書が多く作られ、伊藤博文も偽書の一つ『雑記』の古本を秘蔵し、のち末松謙澄子爵が入手して称賛しており、室町時代から明治初期に至るまで影響は大きかった[196]。
楠木正成は、既に古典『太平記』巻16「楠木正成兄弟以下湊川にて自害の事」において、三徳兼備の和朝最大の武将として評価されている。南北朝分裂以降、仁が無い者は北朝に寝返り、勇が無い者は死を恐れてかえって死罪に合い、智が無い者は時流の変遷を理解できず道理のない振る舞いばかりしていたが、そのような中、ただ一人楠木正成のみが智・仁・勇の三徳(『中庸』で「天下の達徳」とされる儒学最高の理想)を兼ね備え、古今これほど偉大な死に様をした者はいない、と同書は評価している。
正保2年(1645年)に活字本が刊行された『太平記評判秘伝理尽鈔』は江戸時代に軍学書のベストセラーとして広く読まれたが、『太平記』の正成賛美を受け継ぐ傾向が強く、正成が「坂東一の弓取り」宇都宮公綱を計略で撤退させるだけで直接対決しなかったことについても、出典の怪しい逸話を引いて、優れた将同士が直接戦えば双方に被害が甚大だったであろうから戦を仕掛けなかったのだ、と正成が弁解する話を伝えるなどして弁護している[4]。また、「正成は多聞天王の化生(軍神の化身)ではなく、智・仁・勇を極めただけの人間だ」という論に対し、「もともと智が無かった者でも、その後に学問を好めば智者と呼ばれるように、(三徳を極めた人間こそが)多聞天にして聖人なのだ。正成には敵を退けて朝家を守護したという事実があるのだから、それは多聞天が帝を守護したのと違いがあろうか」という反駁で総括している[4]。
江戸初期の儒学者は中国の人物を高く評価する傾向にあり、山崎闇斎『大和小学』(明暦3年(1657年))は、前漢の張良、蜀漢の諸葛孔明、唐の郭子儀を三徳に近い中国史の名将とし、日本の楠木正成は孔明の次ぐらいであって、これを三徳兼備などと称するのは『中庸』を読んだことがないのだろう、と評している[4]。とはいえ、日本最高の名将が楠木正成であるという前提は、『太平記』から引き続いている[4]。
こうした江戸の儒家の影響を受けて、寛文5年(1668年)に江島為信が著した軍学書『古今軍理問答』は、『太平記』の流れを組む正成神聖視から離れ、正成を「智謀」のある大戦術家・大戦略家とはしながらも、「三徳兼備」という聖人評価については「孔子ですら智仁勇を自称せず、まして日本は夷国であって人の気質も偏屈で、賢人すらいない。楠木正成は日本国内においては無双の英雄の士ではあるが、智仁勇というほどではない」としている[4]。また、『太平記評判秘伝理尽鈔』の出所不明の逸話を正し、その戦術・戦略についても、挙兵を急ぎすぎて赤坂城の用水設計に難があった点など、非がある部分については非を責めている[4]。ただし、総合評価としては、正成を日本第一の武将とする結論はやはり変わらない[4]。敵を見てその戦術を転化する変幻自在の謀計や、この時代にあって兵糧・用水など兵站の確保を重要視したこと、千早城という天険の要害を見出した築城技術などを評価している[4]。『古今軍理問答』は、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『甲陽軍鑑』なども論じているが、それらの主要人物である源義朝・源義経・武田信玄・上杉謙信などを差し置き、正成を「日本開闢以来の名将」の異名で呼んでいる[4]。
寛文12年(1672年)、陽明学者熊沢蕃山は、甲州流軍学、越後流軍学、信州流軍学のうちどの軍法が優れてるのか、との問に、個人の将として優れているのは越後の景虎(ここでは上杉謙信の初名)、技術で優れているのは甲州・信州としつつも、戦国時代の軍法は小競り合いの類である、小事を知るには良いが、義経・正成・義貞(の軍法)の後に本当の合戦というのは存在しない、と答えている(『古事類苑』「兵事部」巻1に引く『集義和書』巻11)[197]。
日夏繁高『同志茶話』は、源義経を「今古無之名将」、楠木正成を「古今無双の良将」と、日本史上の名将双璧とするが、正成が義経の兵法を研究したとする『太平記評判秘伝理尽鈔』の説については疑っている(『古事類苑』「兵事部」巻1に引く『同志茶話』巻6)[198]。また、正成の千早城の籠城戦や藁人形を使った謀計などを評価しつつも、二人の名将は神速奇謀を主とした将であり、手本としてたやすく学べるものではない、と、楠木正成の戦法を取り入れたと自称する楠木流軍学などを批判している[198]。
『国史大辞典』(1997年)でも、1336年の豊島河原合戦で勝利に沸き尊氏は再起不能であると楽観論を述べる後醍醐天皇軍に対し、尊氏はすぐに再挙して東上するであろうと予見して苦言を呈したことについて、「軍略家としての非凡な資質をうかがうことができる」と評されている[1]。
忠臣正成[編集]
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皇居外苑にある楠木正成像
皇国史観[編集]
江戸時代には、佐賀藩では1663年(寛文3年)に『楠公父子桜井の駅決別の像』を製作し毎年祭祀を行っていた。一時絶えたが、1850年に国学者枝吉神陽が義祭同盟を結成し、正成崇敬を通して明治維新に繋がる尊王思想を広めた。
会沢正志斎や久留米藩の祀官真木保臣は楠木正成をはじめとする国家功労者を神として祭祀することを主張し、慶応3年(1867年)には尾張藩主徳川慶勝が「楠公社」の創建を朝廷に建言した[199]。長州藩はじめ楠公祭・招魂祭は頻繁に祭祀されるようになり、その動きはやがて後の湊川神社の創建に結実し、他方で靖国神社などの招魂社成立に大きな影響を与えた[199]。
明治になり、南北朝正閏論を経て南朝が正統であるとされると「大楠公」と呼ばれるようになり、講談などでは『三国志演義』の諸葛孔明の天才軍師的イメージを重ねて語られる。また、皇国史観の下、戦死を覚悟で大義のために従容と逍遥と戦場に赴く姿が「忠臣の鑑」、「日本人の鑑」として讃えられ、修身教育でも祀られた。昭和10年(1935年)には「大楠公六百年記念大祭」の関連行事が全国各地で開催され、忠君報国を軸とした国民精神の高揚に加え、文部省により進められた史蹟指定にも触発された観光需要の発生、郷土愛と連携した地域史の振興などが起こった[200]。特に戦没地である湊川神社ではこの年に大規模な改修を完成させて、正成の命日(同神社の縁日)である5月25日に武者行列を実施し、「参加者が3千人、沿道観覧客が約50万人」と報じられる大規模なものとなった。これらの一連の行事や整備のうち、湊川神社での武者行列、同神社内に本部が設置された楠木同族会の結成(上記)、京阪電気鉄道による「上牧桜井ノ駅駅」(現在の阪急電鉄阪急京都本線上牧駅)の設置、大阪朝日新聞社が始めた「全国体操大会」[201]など、戦後まで継続されたものもいくつか存在する。
佩刀であったと伝承される小竜景光(東京国立博物館蔵)は、山田浅右衛門の手を経て、明治天皇の佩刀となった。明治天皇は大本営が広島に移った時も携えていたとされる。
忠臣史観の問題点[編集]
正成の忠臣としての一面を過剰に強調することの問題点は、それがしばしば建武政権と南朝の政治への低評価と結びつくことである[202]。
戦前まで存在した南朝正統史観は、後醍醐天皇・建武政権・南朝を無条件に讃えた史観であると誤解されることがあるが、実際は後醍醐が賛美されたのは大義名分論の側面のみであり、政治的には無能で不徳な君主として扱われていた[203]。こうした暗君像は、軍記物語『太平記』(1370年ごろ完成)などに端を発する[204]。そして、後醍醐は「暗君」であるにも関わらず、三種の神器を持つ正統な君主であるがため、愚直に仕えざるを得なかった「忠臣」の悲哀が、判官贔屓の形で共感を呼んだのである[203]。
このような「後醍醐=暗君、忠臣=正義」の構図[203]は、戦後も前半部分は依然として続き[205]、後醍醐天皇・建武政権の特異性が誇張されたことで、鎌倉時代と室町時代の政治にどのような繋がりがあるのかの解明を困難にさせた[206]。しかし、2000年前後からの実証的研究では、建武政権の政策・法制度は前後の時代との連続性が見られることが指摘され、後醍醐天皇の旧来の暗君像は徐々に改められる方向にある[207][208]。
時代の革命児「悪党」正成[編集]
戦後は、価値観の転換により従来の「天皇に準じた忠義第一の臣」という顕彰が消滅する一方、歴史学における中世史の研究が進むと悪党としての性格が強調されるようになり、吉川英治は『私本太平記』の中で、戦前までのイメージとは異なる正成像を描いている。
鎌倉時代末期〜南北朝時代における「悪党」とは「わるもの」という意味ではなく、強大な経済力と武力を背景に、旧体制である荘園領主・幕府に反抗した新興勢力のことである(よって、山僧や神人など「邪悪」ではない者も「悪党」には含まれる)[209]。鎌倉時代末期〜南北朝時代は社会の下部構造である民衆が初めて歴史の表舞台に台頭した時期であり、その下部構造から生じた悪党はこの世代の社会を牽引した、時代の主役であった[210]。公家や武家といった旧時代の支配者たちは「血」を重視し血縁組織を作り上げたが[210]、楠木正成ら交通の要衝路に住む悪党は「地」という革命的な概念を持ち込んで地縁組織を支配した[209]。正成は「摂津〜河内〜和泉〜大和〜伊賀〜伊勢」という通商ラインを抑えたことで、六波羅探題と鎌倉幕府の連携を分断することに成功し[210]、当初数百倍の戦力差があった元弘の乱に戦略的勝利を収めた。権威を盲信するのではなく、知恵と新しい発想をもって時代を切り開く、いわば時代の異端児・革命児としての楠木正成像である。
ただし、「悪党」を「社会の秩序を乱す者ないし悪事をなす集団」と誤解で一般的語彙に解釈されて問題となることもあり、NHKのテレビ番組『堂々日本史』において「建武新政破れ、悪党楠木正成自刃す」というタイトルで放送された際、湊川神社がNHKに抗議する事件が起きている[211]。
21世紀の楠木正成像[編集]
前節までの評価は、楠木正成という人間を一つの型に押し込めるものであった[212][213]。しかし、その後の研究の進展により、正成は本質的に多才・多面的な人間であったことが明らかになってきている[214][212][213]。
生駒孝臣によれば、正成のような畿内の武士は、複数の側面を持つことが普通であったという[212]。つまり、正成は、交通・流通路の支配者として財を稼いだ大商人であり、朝廷・後醍醐天皇に仕えた廷臣でもあり、幕府の御家人でもあり、かつ幕府から訴追された悪党(反抗者)でもある[212][213]。どれか一つが正しい正成像なのではなく、むしろこれら全ての顔を持っているという点が正成の実像なのであるという[212][213]。
また、正成は、建武政権下で、名和長年と共に、最高政務機関である記録所の寄人(職員)に大抜擢された[214]。後醍醐天皇の人事政策は、破天荒と言う俗説に反し実際は穏健なものが多いが、正成の記録所への登用は例外的な抜擢人事である[215]。森幸夫によれば、一般的には武将としての印象が強い正成だが、官僚的能力に優れた中原氏や小田時知、伊賀兼光[注釈 15]といった他の寄人の顔触れを見る限り、正成も実務官僚として相応の手腕を有していたのではないか、という[214]。
伝説・創作[編集]
笠置山の霊夢[編集]
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『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之圖』(尾形月耕)
軍記物語『太平記』流布本巻3「主上御夢の事附楠の事」では、楠木正成と後醍醐天皇の出会いは以下のように描かれる[216]。しかし、歴史的事実としては、『天竜寺文書』により、遅くとも元弘の乱発生以前である元徳3年(1331年)2月には、正成が後醍醐天皇方に付いていたことが明らかである[217]。
元弘の乱が発生し、天皇が笠置山に籠ると、笠置寺の衆徒や近国の豪族らが兵を率いて駆けつけてきたが、名ある武士や、百騎、二百騎を率いた大名などは一人も来なかった[216]。そのため、後醍醐天皇は皇居の警備もままならないと不安になり、心配になって休んだ際に夢を見た[216]。その夢の中では、庭に南向きに枝が伸びた大きな木があり、その下には官人が位の順に座っていたが南に設けられていた上座にはまだ誰も座っておらず、その席は誰のために設けられたものなのかと疑問に思っていた[216]。すると童子が来て「その席はあなたのために設けられたものだ」と言って空に上って行っていなくなってしまった。
夢から覚めて、天皇は夢の意味を考えていると「木」に「南」と書くと「楠」という字になることに気付き、寺の衆徒にこの近辺に楠という武士はいるかと尋ねたところ、 河内国石川郡金剛山(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)に橘諸兄の子孫とされる楠木正成(楠正成)という者がいるというので、後醍醐帝はその夢に納得し、すぐさま楠木正成を笠置山に呼び寄せる事にした[216]。万里小路藤房が勅使として笠置山から河内に向かい、正成の館に着いてその事情を説明した[216]。すると、正成は「弓矢取る身であれば、これほど名誉なことはなく、是非の思案にも及ばない」と快諾した[216]。そして、正成は人に気が付かれないようにすぐさま河内を出て、笠置山に参内した[216]。
正成は後醍醐天皇から勅使派遣より時を置かずに参内したことを褒められ、そのうえで正成がどのような計画を持ち、勝負を一気に決めて天下を太平にするのかを問われた[216]。正成はこの問いに対し、「幕府の大逆は天の責めを招き、衰乱の機会に乗られて天誅が下されます。その好機なら必ず滅ぼすことができます。天下草創には武略と智謀の2つがあります。勢いに任せて合戦を行えば、たとえ60余州の軍勢をもってしても武蔵・相模の領国に勝利を得ることはできないでしょう。もし何らかの策を用いて戦えば、幕府は守勢に回って欺きやすくなり、怖れるに足らなくなるでしょう。合戦の常は個々の勝敗にこだわらないことです。(たとえ戦いで敗れたとしても)正成がたった一人生存していれば、天皇の聖運が必ず開けると御思い下さい」と述べた[216]。そして、正成は河内に戻り、赤坂城(下赤坂城)で挙兵した[218]。
献策を退けられる[編集]
『太平記』流布本巻16「正成兵庫に下向の事」が描く物語によれば、建武の乱で多々良浜の戦いに勝利した足利方が再び京に迫まり、義貞が兵庫に退却したという早馬が京へ届くと、後醍醐天皇は正成を呼び出し、義貞とともに尊氏を迎え撃つように命じた[53]。正成は帝に対し、「尊氏の軍勢は大軍であり、疲弊した味方の小勢でまともに正面からぶつかれば、決定的な負け戦になるでしょう。ここは新田殿を京に呼び戻し、帝は以前のように比叡山に臨幸して下さい。私が河内に戻って河尻(淀川の河口)を抑え、京に入った足利軍を新田軍とともに前後から兵糧攻めにすれば、敵兵の数は減ることでしょうし、我々の軍勢には味方が日々馳せ参じるでしょう。その時を狙い、新田殿が比叡山から、私が搦手より攻め上れば、朝敵を一戦で掃滅すること可能かと思えます。新田殿もきっとこの作戦に同意するでしょう」と進言した[53][50]。この策は正成にとっては、比叡山に朝廷を一時退避して足利軍を京都で迎え撃つという、現実的かつ必勝の策でもあった。
この正成の進言に対して、諸卿らは「確かに戦に関しては武家に任したほうが良い」と、納得しつつあった[53]。だが、坊門清忠が「帝が都を捨てて一年に二度も臨幸するのは帝位そのものを軽んずる」とし、「味方の軍勢は少数ながらも、毎回大敵を滅ぼしてきた。それは武略が優れていた訳でもなく、聖運の天に通じたから」だと述べ、正成は即刻義貞のいる兵庫に向かうべきと主張した[53][219]。
その結果、後醍醐天皇は正成の意見ではなく、坊門清忠の意見を尊重した[53]。正成は今更反論しても仕方がないと考え、朝議の結果を受け入れた[53]。
以上は「流布本」の描く筋書きであるが、この物語は写本の系統によって異同がある[220][221]。特に、古態本(『太平記』の原型に近いとされる写本)の一つである「西源院本」では、坊門清忠は登場しない[220]。また、「神宮徴古館本」では、後醍醐への憤りから「智謀叡慮で勝つのを望まず、無二の戦士をあえて大軍にぶつけるなどと仰るなら、私は義を重んじる忠臣勇士なので、お望み通り死んでみせましょう」と皮肉を述べるなど、忠臣勇士とは言いがたい描写がされている[221]。
『太平記』版湊川の戦い[編集]
軍記物語『太平記』巻16「兵庫海陸寄手事」では、湊川の戦いで、正成は他家の軍勢を入れず、7百余騎で湊川西の宿にて布陣し、陸地から攻めてくる敵に備えていた[222]。正成も義貞も足利方の大軍に対して少しもひるむことはなかったという[222]。
続く流布本巻16「正成兄弟討死の事」では、連合軍は多勢に無勢であったため、正成と義貞の軍勢は引き離されてしまった[223]。正成は正季に「敵に前後を遮断された。もはや逃れられない運命だ」と述べ、前方の敵を倒し、それから後方の敵を倒すことにした[223]。
正成は700余騎を引き連れ、足利直義の軍勢に突撃を敢行した[223]。菊水の旗を見た直義の兵は取り囲んで討ち取ろうとしたが、正成と正季は奮戦し、良き敵と見れば戦ってその首を刎ね、良からぬ敵ならば一太刀打ち付けて追い払った[223]。正成と正季は7回合流してはまた分かれて戦い、ついには直義の近くまで届き、足利方の大軍を蹴散らして須磨・上野まで退却させた[223]。直義自身は薬師寺十郎次郎の奮戦もあって、辛くも逃げ延びることができた[223]。
だが、尊氏は直義が退却するのを見て、「軍を新手に入れ替えて直義を討たせるな」と命じた[223]。そのため、吉良氏・高氏・上杉氏・石堂氏の軍6千余騎が湊川の東に駆けつけて後方を遮断しようとしたため、正成は正季ともに引き返して新手の軍勢に立ち向かった[223]。
6時間の合戦の末、正成と正季は敵軍に16度の突撃を行い、楠木軍は次第に数を減らし、ついに73騎になっていた[223]。疲弊した彼らは湊川の東にある村の民家に駆け込んだ[223]。
正成は自害しようと鎧を脱ぎ捨てると、その体には合戦での切り傷が11か所にも及んでおり、ほか72人もみな同様に切り傷を負っていた[223]。正成は正季と共に自害して果て、橋本正員・宇佐美正安・神宮寺正師・和田正隆ら一族16人・家人50余人もまた自害し、皆炎の中に倒れ込んだ[223]。
「七生滅賊」の罪業と「七生報国」[編集]
軍記物語『太平記』流布本巻16「正成兄弟討死の事」によれば、湊川の戦いでの自害の直前、正成は弟の正季に、次はどのように生まれ変わりたいか、と尋ねた[223]。正季はからからと打ち笑って、「七生まで只同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存じ候へ」(「(極楽などに行くよりも)7度人間に生まれ変わって朝敵を滅ぼしたい」)と述べた[223]。正成は嬉しそうな表情をして、「罪業深き悪念なれども我もかやうに思ふなり」(「なんとも罪業の深い邪悪な思いだが、私もそう思う」)と同意し、「いざゝらば同じく生を替へて、此本懐を達せん」(「さらばだ。私も同じく生まれ変わり、滅賊の本懐を達そう」)と兄弟で差し違えた、と物語られる[223]。
こうして七生滅賊という仏教的に罪深い思想に囚われた正成は、流布本巻23「大森彦七が事」で怨霊として再登場して室町幕府を呪い、最後は仏僧が読経する『大般若経』の功徳によって調伏されることになる[224]。
しかし、歴史的人物としての正成は、 『法華経』の写経(『今田文書』(湊川神社宝物))[原文 1]や、その裏書からわかるように、仏教への帰依が篤く、また深い知識を持つ人物だった[225]。したがって、『太平記』に描かれる「七生滅賊」の物語は、本来の正成の人となりとは反している[要出典]。
上横手雅敬「楠木正成(二)――天下、君を背きたてまつる」(『太平記の世界』(日本放送出版協会、1987年)や、中村格「天皇制教育と正成像――『幼学網要』を中心に」(『日本文学』39巻1号、1990年)および今井正之助 などの研究では、本来、『太平記』の「七生滅賊」(あるいは「七生滅敵」)は中世的な怨念観を表現するための呪いの言葉であり、後段の大森彦七伝説と組で考えるべき物語であったとされ[226]、数百年後、近代に入り、国家への忠誠心を示す「七生報国」という言葉に置き換わったとみられている[226]。しかしながら、大正時代に至っても同5年(1916年)に、大正天皇は『楠木正成』と題した七言絶句の御製にて「七生報国」ではなく「死に臨んで七生滅賊を期す 誠忠大節斯の人に属す」と表現し、その徳を讃えている[227]。
「七生報国」の語の用例は、遅くとも『萬朝報』明治37年(1904年)4月3日に、海軍軍人の広瀬武夫の辞世の句として「七生報国 一死心堅 再期成功 含笑上船」という漢詩が載せられたことまで遡ることができる[228]。
怨霊伝説[編集]
![](https://assets.st-note.com/img/1691380854950-oc3b1EyqvB.jpg)
月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「大森彦七道に怪異に逢ふ図」。室町幕府の武将大森盛長が、美女に扮した楠木正成の怨霊を背負う図
軍記物語『太平記』の正成は、儒教的には三徳兼備の聖人として描かれるが、七生滅賊の節で述べたように、仏教的には「七生滅賊」の罪業を願った悪人として描かれる。そして、流布本巻23「大森彦七が事」では怨霊として登場する[224]。
伊予国(愛媛県)の大森盛長(通称を彦七)という人物は、『太平記』の劇中では、室町幕府の有力武将細川定禅の部下として、湊川の戦いで楠木正成と戦い、腹を切らせた猛将であると設定されている[224]。また、大森氏は猿楽(後の能楽)を嗜む一族でもあったという[224]。
興国3年/暦応5年(1342年)春より少し前のある夜、盛長が猿楽の楽屋に行く途中、山隙の細道に数え17歳から18歳程度(満15歳から17歳程度)の美女が佇んでいた[224]。か弱い姿の美女に心惹かれた盛長は、猿楽の桟敷席までお連れしましょうと申し出て、背中に背負って歩き始めた[224]。すると、たちまち女の口は裂け、角が生えて、怪物となり、盛長を空中に連れ去ろうとしたが、盛長が必死に抵抗し部下も駆けつけたので、怪物は消滅した[224]。猿楽は延期となった[224]。
再開された猿楽の当日、再び化け物が観客の前に現れ、楠木正成を名乗り、朝敵滅賊の野望を果たすために、修羅の眷属となり、「貪」「瞋」「癡」の三毒の魔剣を探し求めていると明かす[224]。このうち、「貪」の刀は日吉大宮のもとにあったが、怨霊正成は日吉の神(大己貴神)に仏法を教える引き換えに手に入れた[224]。「瞋」の刀は足利尊氏が所持していたが、怨霊正成は尊氏の寵童(愛人の少年)に変装して奪った[224]。残る「癡」の刀は、もと悪七兵衛景清の佩刀であったが、壇の浦の戦いで海に落ちたのを、イルカが飲み込んで讃岐国(香川県)の宇多津沖まで運びそこで死んだが、100年余りのちに漁師の網に引っかかって地上に戻り、いま盛長が持つ刀がそれであるのだという[224]。この三毒の魔剣が揃った時、尊氏の世は終わると言い、盛長から「癡」を奪おうとする[224]。
この後、たびたび盛長と怨霊正成の対決が行われ、ついには、後醍醐天皇・護良親王・新田義貞・平忠正・源義経・平教経の怨霊も正成に加わって大きな戦いとなる[224]。武力に頼っても陰陽師に頼っても正成の怨霊を打ち倒すことはできなかったが、盛長の縁者である禅僧に調伏を頼んだところ、『大般若経』の読経が行われ、その功徳によってついに正成の怨霊を鎮めることができた[224]。まことに仏法の鎮護国家の力は素晴らしい、と『太平記』作者(円観ら)は称える[224]。
興国3年/暦応5年(1342年)春、盛長は以上の次第を足利直義(尊氏の弟で当時の事実上の最高権力者)に伝え、さらに天下の霊剣として、「癡」の刀を献上した[224]。この話に感じ入った直義は新しい拵えを作らせ、「癡」を自らの蔵刀とした、と描かれる[224]。
郡司正勝『かぶきの発想』(1959年)の推測によれば、上記の物語は、もともと怨霊鎮撫のために書かれた猿楽の台本だったのではないかという[229]。また、「流布本」では正成を調伏するのは禅宗の僧とされるが、砂川博『軍記物語の研究』(1990年)によれば、本来は西大寺系の律宗の僧という設定ではないかという[230]。樋口州男『日本中世の伝承世界』(2005年)の主張によれば、上記の話はもともと伊予で大森氏によって興行されていた物語であり、この地方での南朝敗退を説明するために、『太平記』作者が取り込んだのではないかという[231]。新井孝重は、大森氏が正成討伐に関わったことは歴史的事実であろうと考え、正成の勢力基盤であった民間武装民に流布していた天下転覆の怨霊伝説を、敵方である大森氏が怨霊を恐れ、怨霊鎮魂譚に組み替えたのではないかと推測している[232]。
そんなこの世で一番ヤヴァイ歴史上の人物と戦ったのが楠木正成だよ?
「俺は監督だ!そんなこの世で一番ヤヴァイ歴史上の人物と戦ったのが楠木正成だよ?南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」(『太平記』、儒学思想上最高の英雄・名将)、「多聞天王の化生(けしょう)」(『太平記評判秘伝理尽鈔』、「軍神の化身」の意)、「日本開闢以来の名将」(江島為信『古今軍理問答』)と称された[4]。『太平記』では奇想天外な策と智謀に長けた「不敵」(無敵)の戦術家としての活躍が印象的に描かれるが、それは正成の軍才のごく限定された一面に過ぎず、史実では刀を振るえば電撃戦を得意とし六波羅探題を震撼させた猛将であり(『楠木合戦注文』『道平公記』)、築城・籠城技術を発展させ軽歩兵・ゲリラ戦・情報戦・心理戦を戦に導入した革新的な軍事思想家であり(楠木流軍学の祖)、そして畿内にいながらにして日本列島の戦乱全体を俯瞰・左右した不世出の戦略家だった(『梅松論』『国史大辞典』)だよ?だから英雄なの?それを表示」
足利尊氏(あしかが たかうじ)声 - 野澤英義[9][11]もとは鎌倉幕府の御家人・足利高氏[注 1]。文武に優れ人々の尊敬を集めており、英雄視されている。武人らしからぬ涼やかで端正な顔立ちをしており、謙虚な態度とにこやかな笑顔でどんな人間の心も掴んでしまう圧倒的なカリスマ性を持つ。時行にも対しても優しく接し、彼からも尊敬されていた。また天性の「勘」に基づいて動くという人物であり、その勘の鋭さは弟の直義も認めている。第1話冒頭にて、後醍醐天皇ら討幕派を鎮圧するために京に向かったが、実は後醍醐天皇と内通しており、裏切ってまたたく間に鎌倉幕府を滅ぼした。倒幕後、後醍醐天皇から偏諱を与えられて改名[注 1]。帝に忠誠を尽くすと語り京の公家たちを虜にすると同時に[26]、自身の郎党らを朝廷に送り込む[27]。一方で、眼の中に複数の瞳が存在するなど[28]、人間離れした表現演出がなされている。護良親王からはその笑顔の裏に潜む異様な気配を警戒されて命を狙われるが、武士や貴族をすべて味方につけ、盤石の体制を築き上げている。
楠木正成(くすのき まさしげ)後醍醐天皇の重臣。小勢ながら巧みな軍略で鎌倉幕府の大軍を翻弄し、後醍醐天皇の天下取りの原動力となった「軍神」と評される武将。その本質は時行と同じ無類の逃げ上手であり、「逃げる事は生きる事」という信念を持つ。平時は過剰なまでに腰が低く、常に変顔をしながらヘコヘコと頭を下げ続けている挙動不審な人物。しかし、その実は様々な角度から相手を見ることによって相手の情報を立体的に把握し、いつでも逃げられるようにするための予備動作である。素性を隠しながら京に潜入した時行と偶然に出会い、逃げ上手という共通点に惹かれた彼から教えを乞われる。時行の正体を怪しみつつもあえて詮索はせず、自邸に招いて「弱者が強者に勝つ秘訣」を伝授した。
「俺は監督だ!松井優弥は本物の勇者だ!永遠の本物の勇者だ!核爆弾クラスのメガンテだ!『暗殺教室』に『魔人探偵脳噛ネウロ』足しただけ。要はギャグマンガだよ?足利尊氏も楠木正成もギャグマンガ感覚だよ?表示してくれ松井優弥は本物の勇者だ!永遠の本物の勇者だ!」
脳噛ネウロ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「ネウロ」はこの項目へ転送されています。このキャラクターが主人公として登場する漫画作品については「魔人探偵脳噛ネウロ」をご覧ください。
魔人探偵脳噛ネウロ > 魔人探偵脳噛ネウロの登場人物 > 脳噛ネウロ
脳噛ネウロ(のうがみ ねうろ)は『魔人探偵脳噛ネウロ』に登場する架空のキャラクターで、本作の主人公。アニメ・ドラマCDにおける声優は子安武人。
プロフィール[編集]
身長:188~220cm
体重:65~120kg
年齢:地上の言語では表記不能
人物[編集]
『謎』(正確には「謎」を解いた時にのみ発生するという特殊なエネルギー)を唯一の栄養源とする突然変異種の魔人。絶えず脳髄の空腹を抱え、本来の住処であった魔界の謎を喰い尽くした後、その飢えを永遠に満たすことのできる『究極の謎』を求めて地上に降り立った。地上に来てまもなく桂木弥子と出会い、『地上で目立ってしまうのは魔人のマナーに反する』として、彼女を隠れ蓑に選んで謎を探し始める。
地上で目立つのを避けるため、弥子を探偵に仕立て上げ自分の推理を全て弥子の手柄にさせ、自身は助手と称している。普段は長身痩躯で端正な顔立ちの男性の姿をしているが、真の姿は捩れた角に鳥類の如き頭部と腕を持った怪人で、能力使用時や謎の気配を見つけて嬉しくなった時にはその姿に戻る。特定の対象に向かって指を指す時は人差し指ではなく中指で指す癖がある。
一人称は「我が輩」、傲岸不遜で自他共に認めるドS。助手を演じる際は自分のことを「僕」と呼ぶ礼儀正しい好青年として振る舞う。助手演技のままで、弥子に毒舌やデリカシーのない発言をすることが多々ある。弥子や吾代を虐めて遊ぶのが趣味だが、彼らは「奴隷」「道具」というだけあって自身の「所有物」であり、それなりに愛着を持っている様子である。基本的に、自身の正体を知っている者には敬語を使わない。後に笹塚に正体を知られるが、既に敬語会話が慣れているとして継続している。
地上に来た当初は人間を格下の存在、あるいは単なる食糧源としか見なしていなかった。だが、アヤ・エイジアの事件をきっかけに人間の可能性に興味を持ち始め、次第に人間を「究極の謎」を作り出す可能性を秘めた種族であるとして大いに評価するようになる。自分を殺そうと工夫を凝らし、人間離れした姿に変貌してゆく怪盗Xには感動すら抱き、数々の事件を通して観察力を研ぎ澄ましていく弥子にも期待を寄せている。
人間を遥かに凌駕する頭脳を持ち、地上のあらゆる知識を吸収している。本来その身体は一億度以上の業火にも耐え[1]、「核弾頭を使っても殺せない」と自称する程の強度を持ち、さらに腕などを両断されても切断面を合わせればその場で元通りになるという、常識を超えた生命力を誇っていた。しかし地上においては人間にとって酸素に相当する瘴気が不足するために、その強靭な体も弱る一方であり謎を喰って得た魔力で普段から強化することでそれをしのいでいるという。しかも魔界能力の使用等によって魔力を消費したりダメージの蓄積が増えたりすればそれもかなわなくなり、加速的に弱体化する。魔界ではほとんど眠らなかったらしいが、地上に来た現在では睡眠が必要になっており、弱るごとにその時間も長くなる。
早坂編の頃には既に弱体化がみられていたが、それでもXを難なく倒すほどであった。HAL編では魔力の消耗によりかつてないほどに弱体化し、絶体絶命の危機を迎えるも、HALの謎喰いに成功してほぼ全快する。しかし、シックスと敵対後は、敵の作戦で魔力の消耗を強いられ、再び弱体化し始め、致命的な不安材料を抱えることになる。
『謎』(先述の、固有名詞である)以外の問題を解いても栄養にはならず腹もふくれない。加えて、シックスとの最終決戦へとつながる一連の事件を通じて、謎は本人が心から望んだ悪意の中で生まれた「天然もの」でなければならないという結論に至り、シックスがネウロのために多数の人間を脅し殺し合わせて作らせた謎を「養殖」として認めなかった。その上で、種を確立するために人間を滅ぼそうとしているシックスら「新しい血族」にははっきりとした敵意を初めて示し、謎を確保するためその「畑」である人間を守る行動をとっている。
魔界での詳しい素性は明かされることなく完結したが、ゼラによれば「魔界でその名を恐れられた上級魔人」であったという。
氏名の由来は、作者が苗字に「脳」という言葉を入れたかったことから、劇作家の鴻上尚史からヒントを得て「脳噛」とし、名前は神経細胞を示すニューロン(Neuron)から付けた。作中でもHALに、「名前通りに、ニューロン(脳細胞)の申し子」と評されている。
また、『こち亀』が大好きらしく、「読んだことがない」と言っていた割には「真の化け物は誰なのか教えてやろう」と言って殺せんせーと「浅草物語」の名シーンを再現したり、「秋本治のような人間こそ真の化け物だと吾輩は思うぞ」と殺せんせーに向かって言っていた(これに対し殺せんせーは「ははは、違いねぇ!」と村瀬そっくりの顔つきで言っていた)。弥子に『こち亀』を全巻買わせたとのこと[2]。
『ジャンプアルティメットスターズ』のネウロの「コマ相性」にムヒョがおり、ムヒョとは互いに仲が良いらしい。
結末[編集]
原作・アニメ共に形や経緯こそ違うが、最後は弥子の前に姿を現している。
原作[編集]
シックスとの決着後は更に魔力を消耗したため魔界に帰ろうかどうか迷うが弥子の説得で諭され、彼女に「留守は任せたぞ、相棒」と初めて彼女を奴隷ではなく対等の存在として扱った直後、ゼラの口から魔界へと帰っていった。そして3年後、飛行機に乗っていた弥子の前に再び姿を現す。
アニメ[編集]
南米の遺跡にてXに捕らわれた弥子を救出すべく、Xに挑むが自身の体の弱体化のせいもあって圧倒的なXの力を前に瀕死の重傷を負うが、魔界への入り口が開いたことで瘴気に触れて復活し、逆に今度はXを完膚なきまでに叩きのめす。崩れる遺跡から脱出後、Xを連れて帰ると決意する弥子に自分が弥子を選んだ理由を彼女に伝え、魔界の門を閉じるために門に向かって飛び立ち姿を消す。事件後、探偵事務所を閉める準備をする弥子の前に再び姿を現す。
魔界777ツ能力(まかいななひゃくななじゅうななつどうぐ)[編集]
犯行現場の捜査や犯人への制裁、時には単なる娯楽の目的でネウロが用いる数々の奇妙な道具(能力)。魔界のアイテムや生物を呼び出して用いる。本作品を盛り上げる重要なアイテムである。いずれも強力な道具であるが、使用の際は魔力を消費する(尚、本編のイメージカットで消費する魔力量が数値化されている場面がある)。
魔界の凝視虫(イビルフライデー)口から目玉の形をした魔界の虫を大量に放出し、現場を探索させる。読みきり版でも類似の魔界能力が登場しており、「魔界の千里眼(イビルフォーカス)」と呼称されている。異次元の侵略者(イビルスクリプト)体の一部もしくは全身をデータ化し、パソコンなどのモニターに直接手を入れてハッキングを行う。ハッキング中は全くの無防備になる上、ハッキング中にプログラムなどに攻撃されるとそのダメージは現実世界に戻ってもフィードバックされる。HAL編途中よりデザインが変更されている。断面への投擲(イビルジャベリン)物体を切断せず、刃先から発せられるソナーにより通過した物質の材料を解析する槍。無気力な幻灯機(イビルブラインド)対象者の周囲10mにおける存在の解像度を大幅に下げ、極端に目立たなくさせる(レーダーにも映らなくなる)。本来は暗殺用の能力。事務所獲得時、空母突入時、シックスのアジト襲撃時の3回使用した。魔界の追尾蟲(イビルストーカー)特定した人物を追跡する魔界の虫。アンモナイトに数個の眼球や羽が付いたような形状をしている。拷問楽器「妖謡・魔」(イビルストリンガー)弦のない弦楽器と蝙蝠に似た弾き手の形をしている。寄生対象の痛覚神経を引きずり出して弦とし、それを弾いて宿主の脳内に直に騒音と激痛を味わわせる。糸田と庵治川に対して使用。卑焼け線照射器(イビルロウビーム)篠原に使用。対象者の網膜に、特定の映像(篠原に対しては、無数の目から見られている映像)を焼き付ける。毒入り消毒液(イビルキャンセラー)ネウロの口から噴出する液体。この液を被った者は周りから見えなくなるが、同じ液を被った者同士なら互いが見える。ただし視覚しか消せない為、足音や話し声などで気付かれる可能性がある。無気力な幻灯機の同類であるが、持続時間が長い為、追跡行動に向いている道具。孔雀色の絵の具(イビルコクーン)背中に一塗りするだけで癒し(卑し)ムードに包まれる絵の具。目潰し目薬(イビルドロップ)目に注して瞬きをすると破壊光線を発射できる目薬。実際には使用していない。『ジャンプアルティメットスターズ』ではネウロ/弥子のガード崩し攻撃になっている。生まない女王様(イビルバジャー)芋虫に女性器と乳房を組み合わせたような醜悪なデザインの、とても偏食な魔界の虫。胃に寄生し、それぞれ特定の食べ物だけを求めるよう脳に働きかける。デイビットに使用し、納豆を食い続けないと呼吸困難になる体質にしてしまった。なお、アニメ版では使用していない。単行本5巻のおまけによれば、本来「生まない女王様」は誤植で、正式な名称は「産まない女王蟻」であったのだが、「どうせもう出番はないから」との理由で修正されなかったという。追尾蟲の追尾蟲(イビルステッカー)魔界の追尾蟲に対応した受信機。対象者が近くに居ると反応が強くなってステッカーを張った部分が立つ。間違っても中指の腹に貼ってはいけない。虚栄の兜(イビルフルフェイス)警察からの逃走に使用。仮面のような物から発せられるただの煙幕。泥の指輪(イビルディバーシー)魔力が込められた髪留め型の魔界電池で、ネウロとあかねちゃんが使用している。これを付けた事によりあかねちゃんの活動時間や髪の色は思いのままとなり、この能力で一時的に弥子と合体し、「弥かねちゃん」になれる。ただし、長時間合体状態でいると徐々に髪と土台の力関係が逆転し、最終的には2人の人格が入れ替わってしまう。またネウロの場合、普段身に着けることでほんの僅かずつだが魔力を回復させ、緊急時には噛み砕く事で蓄えられた魔力を一気に補充する事も出来るが、その場合「泥の指輪」自体が失われる為、その後の魔力回復は鈍くなる。色はネウロの物が黄色で、あかねちゃんの物は人肉色(地上で言うピンク色)。禁断の退屈(イビルステーション)ネウロが魔界から持ってきたゲーム機。化け物だらけの魔界の様子を再現できる。ネウロがやっていたのは地上のゲームには無いジャンルだが、恋愛シミュレーションに近いらしい。地獄の地獄耳(イビルバタフライ)耳でできた蝶の形をした、魔界の盗聴器。親機を対象の部屋の壁に設置し、子機を耳につければ拾った会話を囁いてくれる。しかし子機は時折気紛れでくしゃみをし、それと共に脳まで貫くかのような巨大な針が飛び出すので耳につけている間は常に警戒しなければならない。理性の媚薬(イビルアンプル)飲むと脳内の伝達物質の回転速度が2倍になる液体。理性的逆上(イビルファンブル)『理性の媚薬』の強化版。ネウロ曰く魔人用で、人間が接種すると脳が耐え切れず、高い知恵熱におかされる。デザインは「脳のホムンクルス(体性感覚)」の図によく似ている。醜い姿見(イビルリフレクター)光ではなく物体を反射する、巨大な鏡。敵の飛び道具を跳ね返す能力により、朝永率いるHAL銃犯罪部隊をまとめて倒す。デザインは『白雪姫』に登場する魔法の鏡。惰性の超特急5(イビルレイピッド)機関車のような魔界の乗り物。1秒でマッハまで加速する為、普通の人間が乗り込むとGに負けて体が引き千切れる。そのため実際には使用されなかった。城壁の苔(イビルサラウンダー)魔界の植物。金属を餌としている為、外敵に狙われるとそれを護る性質を持つ。車内に侵入しようとしたHALの兵隊たちに対して使用した。硫酸の粉雪(イビルブリザード)雪だるまのような形をした本体から雪を降らせ、触れたものを溶かしてしまう。番外編で登場した。足音の化石(イビルセンティピード)池谷の事件で使用。いつも誰かに踏まれてきた大地の嘆きを、大地に代わって訴える魔界の靴。靴で出来た百足のような形をしており、特定の人間がその現場に来た回数を靴の足跡で示す。花と悪夢(イビルラベンダー)怪盗Xに使用。自らの手をラベンダーの花弁の形を模したドリルに変え、攻撃対象を一撃で貫く。その瞬間に人間の掌のような花弁が大きく開花する。アニメでは最終話で怪盗Xに使用した。銀の被雷針(イビルプレッシャー)怪盗Xに使用。後頭部から巨大なスタンガンの怪物を召喚し、魔界の電流を浴びせる。素直な二枚舌(イビルテイスター)舌に着けると、『甘さ』と『塩辛さ』、『辛さ』と『苦さ』があべこべになる魔界の舌。拒食の工兵隊(イビルカーペンター)DR戦で使用。工具を模した大柄な骸骨姿の工兵と、その統制下にある小型の工兵集団からなる部隊。小型の工兵達は大型の背骨の部分に埋め込まれた形で格納されている。激痛の翼(イビルトーチャラー)DR戦で使用。3対の翼を持った怪物の姿をしている。「ネウロのお気に入りの能力で、使用者の最もしたい事」を察して動く。DRに深手を負わせた。手掘りの土竜(イビルガントレット)頭に篭手が付いたモグラを模した拘束具。地面から出現し、対象者を拘束する。テラ戦で使用。透け透けの鎧(イビルサーフェイサー)対象物またはその一部をコーティングして保護する。作中では、自爆したテラの頭部をコーティングした。治癒の失速(イビルストール)身に着けて長時間動かなければ、空気中の魔力をかき集め、魔力を徐々に回復させる肩掛け。ただし立ったり歩いたりする程度でも集めた魔力が散ってしまい回復速度が大幅に鈍る為、回復に専念するためには殆ど寝たきりを余儀なくされる。ネウロ曰く、「病院の点滴のようなもの」で、本当の緊急時にしか使わないらしい。射手の弛緩(イビルスリンガー)バネ状の巨大パチンコ。弥子を「シックス」達から逃がすために使用。作中では最後に使用された能力。普遍の亜空(イビルディメンジョン)単行本のおまけ漫画で登場。いわゆるタイムマシーン。弥子曰く「設定無視」の代物。
ドラマCDの作中で使用した魔界777ツ能力[編集]
ドラマCDオリジナルの能力。音声のみの紹介であるため、漢字表記は不明。
イビルターンテーブルドラマCD第1弾に登場。魔界生物の断末魔を聞くのが好きな、呪われた鼓膜の塊。何故か煙を放出している。録音と逆再生が可能で、さらには再生スピードも変える事が出来る。イビルデスオペレッタドラマCD第1弾に登場。魔界に生息する巻貝の一種で、対象の耳に差し込むと救いを求める声を一生叫び続ける。イビルキャスティングドラマCD第2弾に登場。魔界の漁に使われる網で、捕らえた獲物を5秒で溶かす。イビルサイレンサードラマCD第2弾に登場。声以外の雑音を全て吸収する。
アニメで使用した魔界777ツ能力[編集]
アニメオリジナルの能力。
幻覚色眼鏡(イビルイリュージョン)大きな傘のような形をした道具。劇中で解説されなかったため詳細は不明。相手に幻覚を見せる事ができる。幻覚喜劇(イビルコメディ)ゴーグルの様な形をした道具で相手の目に装着して使用する。相手に幻覚を見せるのは幻覚色眼鏡と同様だが、なぜか笑いが止まらなくなる。銃弾から作ったような描写がある。ワタルに対して使用。魔界の水蟲(イビルインソール)魔界の中敷。全身ピンク色で中年女性の様な姿をしている。靴の中の雑菌を繁殖させる事で、汗のDNAや足紋を調べる事ができる。魔界偽称(イビルフィクショネス)イヤリング大の、小人のように手足が生えた小さな虫状の道具。耳につける(噛みつかせる)ことで身分を偽れる。ただし使用してから30分経過すると耳を食いちぎり、体内に侵入して内臓を食い尽くす。伐採前歯(イビルチェーンソー)自らの手をチェーンソーの様に変化させる。真栗一茂に使用。原作でも同様の描写があるものの能力であるという記述は無く、単なる魔力による幻覚ともとれるものであった。アニメ化の際に能力として名称がつけられた。異次元の裏窓(イビルウインドウ)幻覚色眼鏡や幻覚喜劇と同じく、幻覚を見せる能力。架空の存在の幻覚を呼び出す際に使われる。本編では窓の中から幻覚の竜が出てきた。他の能力と違い、景色まで変える事は出来ない。
ゲーム中で使用した魔界777ツ能力[編集]
ゲームオリジナルの能力。 双方ともアドベンチャーゲームというジャンルであり殆どがテキストで表現されているため、言及されているもの以外は外見は不明。
『魔人探偵脳噛ネウロ ネウロと弥子の美食三昧 推理つき グルメ&ミステリー』に登場する魔界777ツ能力
魔界端末(イビルスクリーン)画面下に表示されるアイコンを使い、人と会話をしたり、事件の現場等を調べたりすることができる。また、今までの出来事が書かれた「日記」、調べることにより見つかった「グルメ」が登録されている「弥子ブログ」、事件で手に入れた証拠、今まで出会った人物の情報が登録されている「捜査ファイル」を閲覧することもできる。夢幻の盛装(イビルコスチューム)第2話で使用。ネウロと弥子がコスプレする際に使用した。本来は、姿を変え相手を油断させて暗殺するための能力。狂気の圧縮機(イビルプレッサー)第2話で使用。魔界端末のA.B.X.Yボタンを同時に押すことにより、対象を薄っぺらくしてしまう。過度な愛情(イビルピアレント)第3話で使用。愛のあるビンタを食らわせる。だが、多少過剰なところが玉にキズ。暗い情念の足跡(イビルトラッキング)第4話で使用。特定の人物が過去に歩き回った足跡全てを浮かび上がらせる事が出来る。本来は好意を寄せる相手の行動パターンを特定し、待ち伏せするための能力。
『魔人探偵脳噛ネウロ バトルだヨ! 犯人集合!』に登場する魔界777ツ能力
狩る紅葉(イビルハンド)目のついた手の外見をしている。室内を調べることができ、物質の内側なども対応している。邪悪な透過光(イビルストロボ)これから発せられる光を浴びると一定時間他人の視界が透過し、見えていても目に入らなくなる。また、ガラス等光が透過できるものを通過できるようになる。愚鈍な糸操人形(イビルマリオネット)世界で最も醜く、それでいて誰にでも似ているような気がする人形。この人形に自らの行動を正確に真似されたとき、人は人としての尊厳を失い抵抗する気力を失ってしまう。愚鈍なる狗臭(イビルワンフット)5メートル歩くたびに電柱や壁に自分や他人の臭いを付ける。いわゆるマーキング。魅惑的な毒前酒(イビルアペリティブ)毒物を好んで食らう魔界生物。毒が使われたかを判別できる。焦熱の泥濘(イビルスプリンクラー)詳しい効果は不明。無礼者の怨楽隊(イビルオーケストラ)人間の怨念を糸口として魂の神経を引きずり出し弦にする。奏でることで、情人なら耐えられないほどの苦痛と恍惚を味わう。
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魔帝7ツ兵器(まていななつどうぐ)[編集]
魔界でも数人しか使用できないらしいという、強力な能力。威力も消費魔力ともに通常の魔界777ツ能力とは桁違いである。
深海の蒸発(イビルアクア)魔界王の大砲型護身兵器。数十メートル程の巨大な主砲と数メートル程の複数の副砲からなる。地上では威力が落ちている。デザインは古代魚アランダスピスに似ている。対篚口戦にて使用。スフィンクスが率いる多数の洗脳兵たちを一撃で蹴散らした。単行本のおまけ絵で、ネウロの必殺技「イビルアクア」小Pで発動できるとある。アニメ版では主砲の部分に人を入れて運ぶことも出来る。朽ちる世界樹(イビルツリー)巨大な樹木を生やし、周囲を破壊し尽くす。また、ビルの瓦礫を受け止めたり、根でネウロのダミーを作るなど、破壊以外にも柔軟な対応が可能である。七兵器で使用頻度最多。大塚やテラ戦にて使用した。初披露時は、HALの謎で満腹状態だったため、魔力消費を気にせずあっさり使用された。テラ戦では、人質を守るために使わざるを得ず、魔力を消耗するという、敵の思惑通りの作戦にはまってしまった。アニメ版では、龍の顔のような物がでていて、原作とはデザインが少し異なる。国を喰う土地(イビルマッド)街ひとつを簡単に壊す事のできる頑強な泥巨人(ゴーレム)。全長149メートルもの巨体を誇る。DR戦で使用。「拒食の工作兵(イビルカーペンター)」でこの兵器を解体し、川の決壊した部分を塞き止める為に使用している。攻撃ではなく、人間を守るために身を削って魔力を消費するという行為であり、敵の思惑である。飛んで虫に入る火(イビルファイヤー)スズメバチなど色々な虫を合成したような姿で、ネウロを乗せて空中へ飛ぶ事ができる。超音速移動兵器。シックスとの最終決戦において、亜音速のステルス爆撃機B-2 に追いつくために使用した。この速度でも出力不足。二次元の刃(イビルメタル)ネウロ最強の魔界能力・魔帝兵器。指先に乗る程度の大きさで、ロウソクの炎のような流線型のフォルムの「剣」。「斬る」という過程がなく「斬った」という結果のみを造り出す。一度発動すれば魔界王でも防げず、魔界・人間界問わずあらゆる物を切断できる。召喚に非常に時間がかかる上、召還していられる時間は全兵器中もっとも短く、莫大な魔力を消費するなど欠点も多い。シックスとの最終決戦にて使用。シックスの(文字通り)鋼の身体を切り裂いたが、代償に干からびるほどの魔力を消費し、ネウロの髪は全て白くなってしまった。さらに、それでもシックスを殺し切れず、決着は別の手段でつくことになる。
その他[編集]
作者絡みで「暗殺教室」のスピンオフである「殺せんせーQ!」にゲスト出演を果たしている。
アニメでは、第11話にて殺せんせーに魔王の座を引き継ぐ元魔王として出演した。声は同じく子安武人が演じている。 原作では最終回にて「異世界に住む強力な魔人」として、イメージカットで1コマのみ登場した。
殺せんせー(ころせんせー)
本作品の主人公。「殺せんせー」は茅野が「殺すことができない先生」という意味でつけたニックネーム。月の7割を爆破して常時三日月の状態にしたと自ら語った上で、「1年後に地球を爆破する」と宣言している。報酬100億円の暗殺対象となっており、夏休みの普久間島での暗殺の結果から、集団で暗殺に成功した場合は総額が300億円に増額されている。
ある女性(後述)との約束で椚ヶ丘中学校3年E組の担任と授業を受け持つことになり、英会話(イリーナ)と体育(烏間)を除く全教科を担当。授業中はアカデミックドレスを着用し、三日月が刺繍された巨大なネクタイを着けている。丸顔で何本もの触手を持つ正体不明の生物で見た目はタコに近く、自画像もタコであり、自身もタコをネタにしたギャグを持っている。巨乳好きであり、女子大生と仲良くなる妄想をするなど、一般的な成人男性のような性的嗜好をしている。E組の気になる女子ランキングをメモしたり、自身が提案した暗殺肝試しで吊り橋効果で男女のカップル化を目論んだりするほど下世話な発想の持ち主。
初登校時に「生まれも育ちも地球」、イトナとシロの最初の襲来時には「人工的に作られた生物」と語り、自分が殺される日までは何も話さないとしていたが、正体を晒した茅野が仇として襲撃してきた際に過去の事情を明かしている。
普段はニヤリとした表情を浮かべているが、やましい事情があったり、人体に有害な物質を飲んだりした際にはごく稀に無表情になることがある。作者曰く、顔色は「完全フリー」であり、普通の時は黄色[注 3]、相手を完全にナメているときは黄と緑の縞模様、生徒の回答が正解なら明るい朱色、間違いなら暗い紫色、並の怒りは真っ赤でこめかみに怒りのマークが浮かび、それを超えた怒りの時は真っ黒など感情によって変化し、一部分の色を変えて○や×などの記号や数字、人間の顔を表示することもできる。皮膚は粘液で覆われており、衝撃から身を守る、ネバネバにして動きを止める、周囲の水を固めて浸透圧を調整する、さらには噴出した粘液で暗殺用の成分が入った弾丸も止めるなど、用途は多岐に渡る。普段は視認できないが鼻と耳もあり、目と鼻と耳の穴の位置は地図記号の茶畑、または約物の「∴(ゆえに/すなわち)」のように並んでいる。笑い声は「ヌルフフフ」で、狼狽したり驚いたりするときには、「にゅやッ!」という独特の奇声を発する。
体は炭素化合物と珪素化合物のハイブリッド結合で出来ており、そのため生活品などの無機物も食べる[10]が、基本的に食の嗜好は人間と同じで、グルメやバカンスの目的で休み時間にマッハ20(=24480km/h)で世界中を飛び回ることもあり、奇行をスクープされたこともある。劇毒物を飲んでも死なず、鉛の銃弾を受けても体内で全て溶かしてしまう。国が開発した対先生用の特殊な物質で触手にダメージを与えることが可能だが数秒で再生・回復し、月に一度脱皮して抜け殻は奥の手として囮や防護壁などに利用される。しかしこの再生・脱皮はかなりのエネルギーを消耗するため行った直後は動きが鈍くなる。また、「マッハの風圧や特殊な圧力光線を浴びると体がダイラタント挙動を起こす」、「湿気の強い場所にいたり水に触れたりすると身体が水分を吸収してふやけ動きが鈍くなる」などの弱点が存在する。さらに、ネクタイの真下には急所である心臓が存在し、そこに攻撃を当てれば一発で絶命する。常日頃「自分は絶対に殺されない」という自信があるが、自らの能力を過信するあまりにドジを踏むことも多く、そのような時の反応速度は人並みになるなど、メンタル面で実力が著しく変わる短所もある。
普段は慇懃無礼な口調ながらも物腰が柔らかく、E組の生徒たちに対しても基本的に丁寧な態度で接し一人一人への気遣いも見せる。加えて授業も分かりやすく、全教科を担当できる知識を活かして、生徒それぞれの得意・不得意に合わせた問題の作成が可能。しかし、体育だけは自身の身体能力を基準とした無茶な動きを要求するため不評であり、烏間に任せている。
生徒に対しては立派な暗殺者になるための教育を兼ねている場合もあり、基本的に寛容だが、卑劣な手段を用いる者・慢心から他者に迷惑をかける者・命を顧みず危険なことをする者に対してはド怒り状態になって憤慨し、ドスのきいた声色で忠告する。また、自分の教え子に対して危害を加える人間にも激しい怒りを見せ、必要に応じては触手を用いて制裁を下している。また、生徒たちのことを学ぶため、校外でも貪欲に生徒たちの様子を観察し、時には変装して何らかのアドバイスをすることもあるが、明らかにプライバシーの侵害とも取れる行動も多い。教師にあるまじき行為の認識や羞恥心を有しており、理性が本能に負けたりすると真っ赤になり触手で顔を隠して恥ずかしがる。
趣味は暗殺者への報復としての「手入れ」で、対象は人の心身・物品にまでおよぶ。どんなに精密な作業も一瞬のうちにやってのけることができ、暗殺決行中に攻撃を避けながら手入れすることもたびたびある。学校から支払われる教師としての給与のみで生活しており、その食や生徒らに対する「手入れ」へのこだわりにより月末は金欠状態になることがある。国家機密の存在でありながら人間に変装して行動することが多々あるが、怪しまれながらも周囲には人外だと気付かれていない。
正体は、様々なスキルを駆使して多くの暗殺をこなしてきた「死神」という通り名を持つ殺し屋であった人間の男性。月が爆発する2年前のある日に、仕事の最中に自身の唯一の弟子(E組が遭遇した「死神」)に裏切られて、柳沢が主任を務める研究所に「明晰な頭脳に強靭な肉体を持ち、戸籍も無いため死んでも文句を言われない存在」という理由からモルモットとして捕らわれ、そこで人体で反物質を生成する研究の被験体とされた結果、異形になってしまった。そこでE組の前担任である雪村あぐりと出会い、徐々に彼女と心を通わせていった。その後、月で同じ実験をしていたマウスが月ごと爆発したことで、柳沢が自身を始末しようした際に、反物質の力を開放して全身異形の姿となり、暴走および脱走を図る。しかし、彼を止めようとしたあぐりが巻き込まれて致命傷を負ってしまい、自身の体を誰かを助けるために変化させなかったことを強く後悔した。そして、彼女の最後の言葉を実行するため『弱くなりたい』と願い、現在の姿となって、E組の前に現れた。トレードマークであるアカデミックドレスは、変異する際に潜んでいた山で見つけたカラムシの糸を編み込み、炭で染めて自作した物で、ネクタイは自体「出会って一年の記念日」としてあぐりからプレゼントされたものだった。三日月のマークは後から自分で刺繍している。
最終決戦において、二代目と柳沢に生徒を巻き込んだ攻撃を庇わせて、ダメージを蓄積された上単身立ち向かった茅野を惨殺されかけたことで、ド怒りの黒を超える「全ての感情」を乗せた「純白の光」の段階に到達し、全ての力を乗せたエネルギー波の砲撃により二代目を攻撃し柳沢を余波で吹き飛ばし、二代目に言葉をかけた後対触手ナイフの一刺しで別れを告げた。
後に茅野の蘇生手術を成功させ残りの力も使い果たし、最期は生徒たちの手によって地面に押さえられ、28人全員の出席を取った後、渚の対触手ナイフにネクタイごと心臓を貫かれ消滅した。
消滅前に生徒一人一人に卒業アルバムとアドバイスブックを残しており、生徒たちはそれぞれそのアドバイスを参考に後に順調に志望の進路へ進んでいる。E組の意向で墓は作られず、成功報酬300億円の一部で購入された旧校舎周辺の裏山が、「二人(殺せんせーとあぐり)がいつでもいるところ、皆がいつでも帰ってこれる場所」として使われ、元E組生徒によって定期的に手入れが行われている。
潮田 渚(しおた なぎさ)
演 - 山田涼介
出席番号11番。本作品の語り部であり、実質的な主人公[11]。ピッグテールのような水色の髪型[注 4]をしている少年。
自他共に認めるド草食であり、基本的に器量の良い性格の持ち主。殺せんせーを追い詰めて暗殺する過程で観察力を養い、常に殺せんせーの特徴や弱点をメモしている。身長が低いことが最大の悩みで、賞金を手に入れたら「身長を買いたい」と望んでいる。また、同級生の女子からも女性と見られるほど少女然とした容姿の持ち主でもあり、女装をすると男子に好まれるほどの魅力を持つ美少女になる。しかし当人の精神面は男であり、女子のように扱われることは嫌がっている。同級生や先生をはじめ、基本的に他者からは下の名前で呼ばれているが、これは両親が離縁しているためと、「母と決別した後、父方の名字に戻っても違和感が無いように」するためであると後に判明した。
母である広海からは歪んだ愛情によって生き方や進路・外見を強制されているが憎もうとせず、彼女を危機から救った際に自分の思いのたけを明かし、進路についても文化祭での対話で了承を得た。また、夫婦不仲を堪えかねて妻と離縁した父とは今でも良好な関係を保っている。
成績不振からE組に落とされるが、それ以上に元同級生たちや元担任の大野から掌を返すように見放され、期待も警戒もされず誰にも認識すらされなくなった自分に絶望。劣等感から自身の命さえも軽視してしまうが、それでいて認められた人間が気にくわないという嫉妬の感情も持っている。良くも悪くも一目置かれている殺せんせーを当初は羨んでいたが、殺せんせーへの自爆テロ未遂を経て、劣等感は以前よりは少なくなった。肝心なところでスペルミスを犯す癖があるが、一学期期末テストの英語で学年6位を取っており、二学期期末テストでは総合14位を取っている。
運動能力や戦闘力は高くはないが、鷹岡が見せしめとして提案した対決戦では、烏間から腕利きの生徒として選ばれ「本物の戦闘用ナイフ」を手に取り戦い、周囲の予想以上の暗殺力をもって勝利を収めるなど、「殺気を隠し、自然な体運びで対象に近付く才能」「殺気で相手を怯ませる才能」「『本番』に物怖じしない才能」など暗殺の才能に非常に長けているということが証明される。華奢な印象をかもしだす細身で小柄な容姿も相手を油断させ、才能の発揮に役立っている。暗殺の才能をロヴロも高く評価し、夏休みに特別講師として訪れた彼により猫騙しを応用した必殺技を伝授され、鷹岡に仕掛けられた復讐戦でも再び勝利している。上述した家庭事情に加え「死神」との戦いを経たことで「意識の波長」をハッキリと感じ取れるようになり、完璧とはいえないが死神のスキルの一つであるクラップスタナーを身につけるなど、暗殺に適した数々の才能・技能を持っていることに一時期強い戸惑いを抱くが、母親を殺し屋から守った後に「誰かを守るために使いたい」と考えるようになる。このときから持つようになった暗殺の才能の使い道も相まって、殺せんせーの過去を知った際には殺せんせー暗殺の任務への迷いを経て、イリーナの言葉を機に任務を遂行する以外の選択肢で恩師の命を救う方法を、同様に暗殺の任務に迷いを抱える生徒たちと共に模索しようとする。その過程でE組以前からの擦れ違いを抱えていたカルマと仲違いするものの、サバイバルゲームを通じた語り合いで和解、互いに呼び捨てで呼び合うようになる。
高校受験では、椚ヶ丘以上の難関校である『蛍雪大学付属高校』を受験。結果は補欠合格であったが、繰り上げ合格となる。また、この時期と前後して大学進学後の進路についても改めて考えるようになるが、さくらの言葉により自分が「教師」としての殺せんせーに憧れていたことに気付く。その後、殺せんせーとの最後の面談において「殺せんせーみたいな教師になりたい」と教師を目指す決意を明らかにする。
最終暗殺計画の発動により政府に拘束された際には、烏間の言葉の真意を悟り、自分たちがこれからどうすべきかをE組一同に提案する。脱出後は、広海の了承を得て最終ミッションに臨み、ホウジョウにクラップスタナーを決めるなどの活躍を見せた。最後は一同了承の下、自らの要望で殺せんせーに止めを刺した。後に離縁していた両親は復縁し、一家での生活も取り戻している。
7年後は不良校の「市立極楽高等学校」の教育実習生となっているが、身長は160cmと1cmしか伸びず、外見も髪を切った以外はほとんど変化していない。その見た目から不良たちに舐められていたが、番長の「殺すぞ」という言葉でスイッチが入って豹変し、一瞬で番長の背後をとって喉元に中指を突きつけて不良たちを驚愕させ、E組で培った力を生かして教師への道を進む姿が描かれている場面で物語は終わる。『卒業アルバムの時間』では、その後教育実習での実績を買われ、裏で手を回されてそのまま「市立極楽高等学校」に就職している。また、學峯からも手腕を見込まれて講師のスカウトを受けている。
実写映画版では短髪でナヨナヨした言動をとる少年になっており、B組に幼馴染の斎藤綾香がいる設定が追加されている
足利尊氏が脳噛ネウロで楠木正成が殺せんせーで北条時行が潮田渚なだけ
「俺は監督だ!足利尊氏が脳噛ネウロで楠木正成が殺せんせーで北条時行が潮田渚なだけ松井優弥は本物の勇者だ!永遠の本物の勇者だ!文芸部指摘してやれ」
「文芸部です。歴史背景調べたんですか?危険な題材です。南北朝時代は天皇が二つに分かれたから南北朝時代です。宮内庁にどう言い訳するんですか?現在でも南北朝時代問題解決してません。政治絡みます。逃げられない題材です。何で北条時行?必然性お願いいたします。『花の慶次 -雲のかなたに-』は隆慶一郎の歴史小説です。ある程度は脚色可能です。編集部で『逃げ上手の若君』は誰が文芸担当?歴史扱うんです。原作者が必要です。面白い事実があります。漫画本編の後にコラム風の読み物ページ『解説上手の若君』が掲載されており、南北朝時代の歴史や風習などが解説されている。なお、松井の作画が本作よりフルデジタル化し、鎧や武具の作画コストなどで松井は連載準備段階から第四話までの原稿料程度の私費を投じていることが担当編集者によって明かされている。松井優弥が資料を私費で買ってる?これどういう事ですか?それやるのは編集の仕事です。この時点で編集すら機能してない。ギャグマンガになるのは必然です」
「広告担当だ!俺は集英社がどうなろうが知らんだけだ!M&Aで有効に使わせてもらうだけ」
「俺は監督だ心の指紋 メイキング サマーウォーズ エンドオブワールド ドゥームズデイ プロジェクトの応用まで来た!キャラクターの髪の色変えたりエロ足した光瀬なぐもと大西さおりは敢えて付けない理由は少女漫画ヒロインだからエロの可能最大限に広める為だ!少女漫画=児童文学=ラノベなんだから手が届くキャラクターにしないと永久不滅なハーレム維持できないんだ。少女漫画でも理屈は同じだし結局のところ見たいのは3~9歳の美幼女の裸でSEX大乱交なのよ?BLもそこがないと辛いだけなの?その転の後だ!結末へと転がっていく」
「プロデューサーだ!スポンサーには邪魔な木下グループの排除の手順も教えた」
「スポンサーだ!助かるよ?木下グループはマジで目の上のたん瘤だったがそれを利益に変えてくれて助かるよ」
「広告担当だ!排除の理由が『グレンタイザーU』です。たまたまです」
「スポンサーだ!この態度だよ!大概の奴は努力しましただの当然の結果ですだの御満悦な態度取るんだ!それで行き着く先は宮崎駿と鈴木敏夫の夜逃げで特殊詐欺だ!庵野秀明夜逃げで特殊詐欺だよ!冗談抜きで反吐が出る..............................................................................とは言え後僅かだ!最低でも一週間以内か?それくらいは目算入れよう?後はお前ら?やることないからな?」
「広告担当だ!後僅かです。」
「俺は監督だ!こうしてタイムボカンシリーズは続くの」
是非とも『心の指紋』読んでもらえればありがたいです。 これはまだプロットタイプですので有料化の際はサービスします