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君はなんのゲームをするのか
この世界にはたくさんのゲームが存在する。
学歴のゲーム、資本主義のゲーム、権力のゲーム、幸せのゲーム、ただのテレビゲーム…
このうち自分がどのゲームをしているのかを明確にしていないと、方向性を見失い、"迷い"が生じる。
経済的に発展していない国の場合、なんのゲームをすればいいかはある程度決まっている。"資本主義のゲーム"だ。
お金がないと死んでしまう、お金があると安全な暮らしができる。
生きるために必要だからこそ、資本主義のゲーム一択になる。
でも、たとえば、日本社会はどうだろう。
僕はただの日本の大学生だが、ベトナムで1日1,000円払えば快適な暮らしができてしまう。
1日1,000円は月にすると30,000円だが、3万円をリモートワークで稼ぐなんてかなり難易度が低い。今の自分にとってはほぼ確実にいけると言える。
つまり、資本主義のゲームを勝ち抜く意味があまりなくなってきているのである。
もちろんお金が増えれば、できる経験の量は増える。
安いホステルばかりに泊まっているよりも、たまには超高級ホテルに泊まってみた方が見える世界の幅は広がるだろう。(その逆も然りだが)
ただお金を稼ぐことに人生の大部分を投下してしまっては本末転倒ではないだろうか。死ぬ直前に、もっと仕事の量を減らせばよかったと答える人の数がいかに多いことか。
資本主義のゲームを勝ち抜く方法は存在する。起業家になること、そして投資すること。
でも、言葉にすると簡単だが、その道中は病んで死んでもおかしくない状態になる人だっている。お金を追って死んでしまっては元も子もない。
要は、自分は人生においてどのゲームをすることが理にかなっているのか、常に明確化することが迷いを減らす上でも、後悔のない人生を送る上でも、重要だと思う。
アヤワスカのゲーム
対して僕がしたいと思っているゲームは"アヤワスカのゲーム"である。
世界一周中に南米ペルーで受けた儀式で、いくつか自分の人生のピースを見つけた。
それらを達成するために人生を生きていく、というのが僕のアヤワスカのゲームだ。
昨日の記事でも書いたが、人の感情は日に日に変わってしまう。資本主義のゲームをしていたかと思えば、いや、幸せのゲームが大事だとなり、また違う人の影響で資本主義のゲームに逆戻りしたり…
その迷いの時間が楽しかったりもするのだが、時に辛かったりもする。迷っている間に他の人はコツコツ自分のゲームの中でレベル上げをしており、気づいたら大きな差がついてしまうことに焦りを感じることもあるだろう。
だから、自分はなんのゲームをしているのか、これだけはしっかりと押さえておく必要があるだろう。
自分はなんのゲームをしているのか、意識に留めておくために必要なのは、"拠り所"だと思う。
本の著者でもいい、近くにいる人でもいい、神様でもいい、アヤワスカでもいい、なんでもいいから根拠のある拠り所を持ち合わせていることが、長期にわたって同じゲームを頑張れる原動力になると思う。
そしてその拠り所への想いが強ければ強いほど、効力は大きくなっていく。
でもぶっちゃけ、本の著書とか、近くにいる人とか、日々変わっていって新しいものに目移りしてしまうものだと思う。ので、全人類宗教を信じるか、アワヤスカに行くかするのが僕はいいと思う。
ペルーへ行こう。
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