なんだかなあ、と思う時に出るお気持ちnote 令和4年8月

 昔どこかで聞いた話から始めよう。

 「教会を作っている」と言う職人の話だ。
 サグラダファミリアの建設をしている職人に、「あなたは何を作っているのですか?」と問うと、具体的なことは答えずに「教会を作っている」と答えたのだそうだ。そりゃあその職人は教会の一部の何かの彫刻とか作っていたんだろうけど、そう答えるのではなく、自分をサグラダファミリアという歴史のなかに置いて、教会を作っているという全体を答えることが素晴らしいのだ、というような話だ。まああんまり納得できないような気もするが、その納得できなさを含めてなんとなく印象に残っている話だ。

 さて、フォロワー諸賢のみなさまはご存知の通り、私はこの二か月半滋賀という前私未踏の地に身を置き、実習という名目のもとで工場労働者として生産活動に従事していたのだが……前段の話を踏まえるなら私が工場で何をしていたかと問われた時には、なんたらの製品のなんたらという部品の何かの工程を担当していた、と言わずに「会社を作っていた」とでも言うべきなのだろうか。
 まあ一応老舗と言えなくもない歴史のある会社なわけだし、その歴史の全体の中に身を置いて、その一部として会社を紡いでいくようなあり方を志向するというのもまあ一つの捉え方なのだろう。

 最近少し思ったのだけど、もしかしたら私の引き出しの手前の方にはこういう美談風に物事をまとめたり安直に自己啓発につなげたりする語り方が入っているのかもしれない。工場実習であなたは何をしましたか?に対して「会社を作っていました」はぼちぼちいいカマし方なような気がするし。
 んでまあ冒頭でも言ったように私はこの話には全然納得していない。自己啓発に関わる文句ももちろん全く受け入れていない。

 でもね、引き出しの取り出しやすいとこに入ってるのよ。というかテキトーに投げ捨てた結果机上に放置されているだけかもしれない。
 誰か私を助けてください、そう思うことにします。

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