近年のテレビ局の戦略に関する仮説および近未来社会に関する妄想
うまいタイトルが思い浮かばなかったので仰々しくなったが、昨夜遅く一杯やりながら「義母と娘のブルース」謹賀新年スペシャルの録画を観ていて、ひどく内容が良かったので、メモを取りながら視聴していた。
ちょっとそのメモを列挙しようと思う。
どれもこれも超ホットな話題であり、それが物語として非常に自然に語られ、構成され、見事なストーリー展開となって見る者に訴える「何か」を印象として残す。
「義母と娘のブルース」には原作(マンガ)があるようだが、それにしても1クール(通常13週間)のテレビドラマとして企画・構成し、視聴率を取るほどの完成度にするのは、並大抵のことではない。
そして年明けに放送された、この新年スペシャルのクオリティの高さはなんだ?あまりにも不自然なほど「良すぎる」ドラマだ。
年末年始は芸能界特有の事情もあってドラマを一気に放送するのかも知れないが、「全話一挙放送」とはやり過ぎの感がある。
昨日・今日と「ノーサイド・ゲーム」が全話一挙放送となっていて、私は先月開発したPukiWiki用プラグインの記事原稿が進まないままである。←
個人的にテレビドラマを見る趣味も時間もないが、その中でも前述した「義母と娘のブルース」、「ノーサイド・ゲーム」、そして「下町ロケット」に「陸王」は時間がある限り視聴したが、どれも非常に良く出来た、素晴らしいドラマだと思う。
そう、不自然なほどに。
前置きが長くなったが、私の仮説はこうだ。
要するに、ネットによって報道番組やワイドショーはSNSのネタにされ、信用されなくなったために、マスコミとして信用が失墜したまま、それが回復出来ないでいる。
信用を失ったマスコミ(テレビ局)はYouTubeやNetflix等のネット動画に勝てず、視聴率も低下したままであるので(広告収入が減少しているので)、その他の番組制作に予算が回せなくなっている。
ゆえに、バラエティ番組は予算配分のプライオリティが下げられていて、質が低下していると思われる。
これではますますネット動画から視聴者を取り戻せないので、ドラマ制作に重点を置いて視聴率を回復させ、ネットでのTVer(一週間以内の番組無料配信)のほか、テレビ局各局が展開している有料動画配信とDVDやBlu-ray等のコンテンツ販売で稼ごうとしているのではないだろうか。
以降、私の勝手な妄想を綴る
かつての固定電話や公衆電話が携帯やスマホの登場と普及によってその存在価値を大きく失ったように、5G通信網が整備される頃になると、電波を飛ばして各家庭でそれを受像するテレビは、同じように存在価値を失って行くと思われる。
もう、すでに若い世代ほどテレビ離れを起こしている。
その時、現在の巨大な既存マスコミや、古くからある大企業や銀行といった会社組織は、現在と同様に「価値あるモノ」として存在し続けるだろうか?
同時に、将来的に従来の(本来的な意味での)マス・コミュニケーションを事実上失うとすれば、ますます個人のネットリテラシー(情報の取捨選択と理解・発信)が、より重要となる時代になるだろう。
考えたくもないが、SNSやYouTube等でのフォロワー数や「いいね」の数が、正しい情報の判断基準となる時代が来るのかも知れない。
・・・ますます本は読まれなくなり、知性は二極化されて失われ、非論理的で感情的な人間だらけの社会になりそうな気がする。
私はクリエーターではなく栗イーターですが、サポートをいただければ書籍代や保守系勉強会(セミナー)の参加費に充て、さらに勉強して得られた知見を記事としてフィードバックします。