しわっす

12月になった。今年もあとひと月。
タイトルの「しわっす」とは
師走」と「ちわっす」(「こんにちわっす」というくだけた挨拶のショートバージョン)を掛けたダジャレである。
12月になった瞬間にSNS上で急増する。

「しわっす」をリアルタイム検索(12月2日昼頃)

12月のはじめ、自分の中で三重県伊勢名物の赤福の朔日餅を思い出す。食べた経験は一度もないのだが、包装紙や付録に柿本人麻呂をもじった「火気の元火止まる」像の絵があるからだ。これがただのダジャレではなく、実は人丸信仰という民間信仰なのである。「火止まる」で防火の神、さらに「人産まる」で安産の神として祀られている。兵庫県明石市の柿本神社では「明石」と「開かし」で眼病平癒の神としても。(←最後の明石のはちょっと後付け感もあるが)。他の種類の人丸信仰もあるが割愛する。

ちなみに朔日餅とは別ルートで同じデザインの福札(千社札)は購入できるみたいだ。他の種類の福札も判じ絵になっていておもしろい。

人丸図:白隠(1686ー1769:江戸中期の禅僧)の文字絵
では
ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に嶋かくれゆく ふねをしぞ思ふ
という和歌で絵を描き
さらに
焼亡(じょうもう)は  かきの本(もと)まで  来たれども
あかしと云へは  爰(ここ)に火とまる
という句が添えられている。明石と言ったら(もしくは明石の歌を詠じたら)火が止まったということらしい。
さらに下のリンクの解説によると「安産」の神となったのは「人丸」と「懐妊(ひどまり)」とのつながりによる。そういう説もあるようだ。

明石では「焼亡は 柿の木まで 来たれども あかひとなれば そこで人丸」といった歌を門口に貼るという
「(山部)赤人」「赤火と」が掛かっていて、「垣の木」も掛かってるかもだとか。
2つのパターンがありそうだ。

名古屋での話は、白隠の歌とほぼ一致。「ここ」が「すぐ」になっていて微妙に違う

社会事林(明治44年)の「まじない」の項目の一部にもあった

社会事林(明治44年)の「まじない」の項目の一部

高津柿本神社(島根県益田市)では
我が家の垣のもとまで燃えきても高津と言えばすぐに人丸
らしい

高津町誌(昭和13年)


日本民俗学辞典(昭和10年)


芋蔓草紙(昭和3年)

他に色々調べていて、実はすごいことに気付いてしまったのだが、与太話として聞いて下さい。大正12年(1923)関東大震災の話です。焼け残った浅草寺一帯はピンポイントで焼失を免れたのですが。実はその近くの被官稲荷神社(こちらも免れた)のかたわらに江戸時代に存在していた人丸堂(明治維新後に廃される)の名残である粧太夫碑(柿本人麻呂歌碑)があったとか。

その碑の刻まれた和歌は・・・
ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島かくれゆく 船をしぞ思う
(実際は万葉仮名だけど)
偶然の一致が、ちょっと怖いんですけど。

もしかしたら防火の神の力か?なんては思いませんが、その事実を知った時はさすがに驚きました。
ちなみにこの事実に気付いたのはネットで浅草人丸堂の話を仕入れつつ、大正時代の出版物にも偶然行き当たったから。
高島米峰 著「人生小観」
大正15年(1926)

ただし、浅草寺の本堂はその後、東京大空襲(1945年)で消失。しかし、この時も助かって被官稲荷神社は現在、残っている。ちなみに浅草神社と二天門も。

浅草の人丸堂について
人丸堂のこと ─永野又次郎と文人たち(11)─
https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=NI30004121&elmid=Body&fname=001.pdf&loginflg=on&block_id=_323&once=true

「言掛」の説明の中に「人丸」の社の話あり
金沢庄三郎 著「日本文法講義」(明治末年)

金沢では地名の由来にも


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