『哲学者と体癖2』

 哲学者の体癖についてまた書きます。個人的にハマっています。
今回は体癖と惹かれる思想について書こうと思います。

 体癖論では9種と10種が直観型と言われている。そしてこれは僕の解釈なんですが、7種と8種は経験型。6種は観念型と言っていいと思います。

 7種と8種が経験型であることは、以前にMBTIと体癖論を合わせて考える時に書いているのですが、わざわざ探して読む人もいないかもしれないので、再度。
 7種と8種は身体ががっしりしていて、格闘技向きの身体を持っている。1種2種が思考型で頭脳を主軸に使うのに対して、7種8種は筋肉を使うのに得手がいい。5種の人は筋肉を使うというよりは、運動全般が得意な身体をしている。
 7種8種は筋肉を使うのに得手がいいのは、身体全体を使い物事と対峙していく体験型へ繋がっていて、つまりそれは経験型の体癖を持っていると言える。
 6種の人はスピリチュアルなものだったり、ヨガに得手がよかったり、宗教的な物事、瞑想、トランス状態に入るのが得意だったりする。

 哲学者って色んな哲学者がいて、体癖もけっこう色んな体癖を持つ人がいると思うのですが、ここまで書いていてすでに分かるのが、6種の人の考え、趣味嗜好に7種8種の人ってついていけなさそうですよね。別に7種8種の人が頭が悪いなんて言いたいのではなく、意味の分からない領域なんだと思います。
 っていうのも、7種8種体癖の人が経験を軸に生きているなら、事実的な事柄を捉えて生きていくわけで、6種の人の観念的だったりする、宗教的な考えとかって相性が悪いですよね。実際に目や耳を通した経験を主軸にしている人が、神だとか、涅槃だとか、解脱だとか、悟りだとか言われてもピンとこないと思います。
 僕はけっこうネットの哲学掲示板的なところで、哲学的な話をすることがあるのですが、この断絶というか、相性の悪さはけっこうひどいですね。
 7種8種からすると、6種のスピリチュアルな感覚は掴めないのですが、6種からすると、7種8種の体癖がよく出ているの文章というのは、とてもつまらなく感じることが多々ある。
 これも考えてみると当たり前なんですが、普段から宗教的なことや観念的なこと、形而上的なこと等に関心がある人が、社会的なこととか経済的なこととか、あまり興味を持てないですよね。志向がもう事実的なところにないのですから。

 これでもどっちのタイプの哲学者も本当にいて、例えばマルクスなんかは思い切り武将タイプの、つまり7種8種的な体癖を持っていて、だから6種体癖を持つ僕は、手を出そうと思えないです。それが偉大な思想であることは理解出来るし、むしろ社会主義的な社会になったらいいな~、とも思うのですが、マルクスの文章を読もうとは思えない。勉強という体でならいいけど、勉強なので面白くはないです。
 まだ7種8種体癖を持つ哲学者はいますが、例えばカントやフッサールですね。それもそのはずで、彼らは経験を考えに考えてますので、思想が経験的な、事実に即したもの、無機質なくらいの文体ですよね。なのでカントやフッサールの文章は6種の僕には得手が悪いです。
 ちなみにドイツには基本7種8種の体癖を持つ人は多いとされています。そしてどちらかというと8種だったと思います。

 それでこれも前の記事で書いたのですが、フランス現代思想、比喩をバリバリ使う思想は直観型の人が多い。9種10種です。直観から入るから比喩を使うというか。ドイツでもいてハイデガーは10種です。

 最初のテーマに戻るんですが、簡単にまとめると、経験型の7種8種は直観型の9種10種の思想に惹かれる。そして直観型は幻想的な6種の思想に惹かれる。直観型の思想は比喩を使い表現しようとする、その詩的な世界は幻想的な6種の思想と相性がいい。経験型の7種8種は恐らく、その経験の根本にある直観に惹かれるので、9種10種の思想に惹かれるのだと思います。だけど、その幻想的な世界はその直観を軽く超えているので、7種8種にはもはや訳が分からない、という事態になっているのだと思います。

 フッサールは経験を軸にしていて、ハイデガーの直観を軸にした思想は理解し難かったと思うが、それでも惹かれるところがあったから、ハイデガーを教授に推薦したのだと思う。これが観念的なことに終始する思想を持っている人だったら、当然推薦なんて出来なかったはずだ。

 これをもっと具体例を出していくと、ニーチェはキェルケゴールは6種を持っている。ニーチェは8種的なところがあったけど、私は6種なんじゃないかと思っている。キェルケゴールは言わずもがな宗教的なことを論じていたし、ニーチェはキリスト教を批判したり、「神は死んだ」とか言ったけど、永劫回帰や、超人、運命愛、等、それらはまるで宗教のような話だった。確かに理論的に語ったとは思うけど、テーマは宗教的でかなり6種的な思想だったのではないかと思う。

 そしてフランス現代思想を思い返すと、ハイデガーはフランスではないが直観型の10種でもろニーチェを論じているし、恐らく9種のフーコーもニーチェを研究し影響を受けている。そしてそのハイデガーを研究したのがデリダ(10種)やレヴィナス(10種)だったりするから、直観型の9種10種はかなり6種からの影響を受けている。

 実存主義はキェルケゴールからも影響を受けているが、キェルケゴールも6種的な思想を持っていて、実存主義はサルトルやハイデガーレヴィナス等だから、ここでもまた6種が直観型の思想に通じている。

 実存主義はかなり文学的な、心理的な描写をするのに相性がよく、そこらへんも実存主義が直観型から入っていることが考えられる。そしてその源流は6種的なところにある。

 6種から9種10種への影響をバーっと書いていきましたが、当然経験的なことが生きている思想の道もあって、経験的なこと7種8種の人たちと相性がいいのは論理的なことや客観的なことだ。これはフッサールがフレーゲの影響があることと、論理実証主義が経験命題のみを扱ったこと、等々、英米の分析哲学では、直観よりも経験の方が相性がいいだろう。

 しかし当のウィトゲンシュタインは1種と9種が強く、6種的なショーペンハウアーやニーチェに対して肯定的なことを述べていた。

 体癖によって惹かれる思想はありますが、納得出来るというか、自分がこれは本当にそう思うし、読んでいて面白いな~、と思うのは、自分の体癖と同じ体癖の哲学者の本を読んでる時です。

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