哲学者と体癖

哲学者の体癖を書いてみます。

日本の永井均という哲学者をご存知でしょうか。永井均は9種が強く出ています。その理由として、〈私〉について一点集中で考えていますよね。こだわりの強さがすごいのが9種らしいです。顔は少しホームベース型で、開閉型に特徴的な幅の広い顔立ちをしています。

あとはツイッターで永井均をフォローしていますが、仲間意識とそれ以外の人の区別がすごいです。開閉型は愛憎型でもあり、そこも9種か10種の特徴が出ていますが、10種の、のもーんとした包容力のある感じではなく、厳しい感じが9種っぽいです。

9種は自閉的で、つまり自己への集中的なエネルギーが働いているので、〈私〉の哲学も体癖が関係しているのかな〜と思います。

ここらへんは特に書きたかったことで、哲学者の思想というのも体癖が、つまり身体的なところが大きく関わっているのではないか、ということです。

もっと言えば、哲学者だけではなく、人間の思想は体癖によるところがある、ということをよく思います。

例えばですが1種と2種はどちらも思考型ですが、1種は理系寄りで2種は文系寄りだという予想を立てています。

先の話に繫げると、ウィトゲンシュタインなんかは1種か2種で言ったら確実に1種でしょう。言語から考えるのは1種に特徴的なので、典型的な1種の哲学者だと思います。

ウィトゲンシュタインの有名な写真で、ウィトゲンシュタインが少し上を向いて考えてそうな、写真を見たことあるでしょうか。2種はうつ向き気味ですよね。

ウィトゲンシュタインの体癖には9種も入っていると思います。徹底的に言語とその意味を考える一点集中型、語り得るものと語り得ないものとの、オールオアナッシングな考え方も9種的です。

永井均がウィトゲンシュタインを研究していたのは、ウィトゲンシュタインとよく体癖が合うからだと思います。

ツイッターの議論でも、永井均のオールオアナッシングな議論を見れます。関係ないと言って切り捨てることがほとんどで、語る内容はほとんど同型の物事です。

永井均とウィトゲンシュタインの違いは、恐らく両者1種と9種を持っているんですが、ウィトゲンシュタインはメインが1種で、永井均はメインが9種なんですね。

どちらも地味な服を好んでいるはずです。そして9種の好きな服の色は恐らく茶色です。モノトーン系も好きらしいですが。茶色をよく着る人は9種の可能性高いと思います。

ファッションの色からも体癖を判断出来るのは面白いです。

話は戻って、2種の哲学者で有名なのは西田幾多郎です。鼻の下が長く、西田の文章は言葉で考えられているというより、イメージが先行しているというのは、読んでみると分かりますよね。だからこそ西田は分かりづらいw

でもイメージ先行だからこそ、今までにない観点を見せてくれるのだと思います。

2種の有名どころは、哲学者ではないですが、村上春樹です。鼻の下が長く、村上春樹の文章って漠然としていますよね。

あれは村上春樹自身もイメージが先行して、まだ整理し切れていないことを、イメージのまま文章にしているからだと思われます。

僕は体癖に6種を持っていて、確か心理学者のユングも6種を持っていたと思うのですが、ユングの文章は僕にはとても読みやすいです。6種の方お試しあれ。

ウィトゲンシュタインと西田や村上春樹の例で分かるのは、1種は割と理系的というか、論理的に考えることに長けていて、2.種はイメージが膨らむ文系的な傾向の考え方になると思います。

言語で論理的に考え、対象を精緻に捉えていく、ここでイメージ出来る哲学者はカントですよね。カントの純粋理性批判とかは理系的な哲学だな〜と思います。あとはフッサールとかも、論理や客観性重視で文系的な哲学ではなく、理系的な哲学ですよね。

こう考えていくと、哲学が身体的に限定されているものだと思いませんか?

あとはまだダラダラ続けてしまいますが、ニーチェとかは8種があると言われていますが、僕は実は6種も入っているんじゃないかと考えています。同情にこだわって、そこから意志を強く持ち抜け出そうとしていましたが、「ツァラトゥストラ」では結局最後まで葛藤していました。

「ツァラトゥストラ」の詩的な文章、文学的に優れたところも、作家に多い6種的だな〜と思いますし、ちょっと文体が散漫でもありますよね。ガチガチに固めた文章というより書き散らしている感があり、そこは体幹の弱い6種的な印象を受けます。

6種の代表的なジョジョ立ちですが、あれは体幹が弱いから、クネクネした立ち方になると思われます。

体幹が弱い方は揺らぎが得意ですが、そこも同情で苦しむ要素になるはずです。

ニーチェは統合失調症の疑いがありますが、ウィキペディアを見てもそれは明らかで、自分の前世はこんな偉人だった、という手紙を書いていて、統合失調症の典型的な症状の誇大妄想です。

6種は統合失調症が多いらしいです。ちなみにユングも統合失調症を疑われます。

ニーチェは中二病だと揶揄されることもありますが、強ち外れてない気がして、6種の人間が、永遠の思春期のようにずっと反抗的に生きていたのではないか、という気がするんですよね。

思春期の時は、みな多かれ少なかれ、ねじれを持つらしいです。

哲学者の体癖というテーマで書きましたが、かなりマニアックですよね。見る人いるのかな。ちなみに僕は6種と9種を持っています。服もモノトーンや茶色、地味なのも好きですね。

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