サンタさんへ

#サンタさんへ #家族

結婚して子どもができたら、男と女ではなくて父と母であってほしい。
私は誰かの子どもでしかあったことがないので、親の気持ちは分からない。
でもそのようには思わない。父と母は人間で、子どもがうまれたことで、いきなり自分の生活より子ども優先の生活にすることはそんなに簡単じゃないだろう。

私が世の親や養育者の人たちにお願いできるなら、きみ達のせいで自分が犠牲になったと子どもたちに言わないでほしい。ということ。
思っててもいいから、言わないで、行動で伝えないでほしい。
親から否定されたり、言葉を含む暴力を受けて育った私たちのようなおとなが増えてほしくないと思っているから。

簡潔にいうと上記のことを伝えたいのだけど、そう思う理由を以下に書く。私の個人的な体験談なので興味のある人は読んでみてください。

私は日頃、母から、
「誰のおかげで生活できてると思ってるの」「大きくなったら育ててもらった恩を返して」「あんたにどれだけお金がかかってると思ってるの」「あんたたちがいるから離婚はしないけど」「あんたたちが18になったら離婚する」

など言われて育った。

不登校児だった私は出席日数の関係から私立の高校にしか進学できず、公立校より学費がかさんだこともあり「学費・お金」のことについてはとことん言われた。だからなのか、私は今でもお金に多大に執着している。

母が毎日いつでもこんな風に怒鳴ったり、機嫌が悪かったりしたわけではなく、一緒に日用品や洋服の買い物に出かけたりもした。私にも弟にも必要なものはおおよそ買い与えられていた。

すべては機嫌次第だと私も弟も感じていた。

機嫌をとるのは簡単ではなかったけど、怒鳴られたりするよりマシだったので、言う通りにした。しかし恐怖から、率先して母の近くにいて、あれこれ家事をしたり話し相手になったりした。自分の部屋で寝ていようものならとても落ち着けないのだ、いつドアが開けられ怒鳴られたり叩かれたり、もしかしてまた家から閉め出されたりするかと思うと。

ただ弟はそんなことなかった。弟は家事手伝いこそほとんどしなかったが、規則正しく学校へ行っており、少し父の仕事を手伝ったり、怒られるようなことがなかった。

私この機嫌を伺う行為は小さい頃からしていたことだが、中学生から高校生の学校へ行かなかった時期はエスカレートしていたと思う。しかし当時はエスカレートしていることにまったく気づいていなかった。私の中で、とにかく機嫌を損ねないことが一番、私の気が休まらないとか私の精神的疲労はまったく優先されない。

私がこの行為によって疲れ果てていることに気づいてからは、なんとか休むために部屋にいる時間を増やそうと頑張っても怖くていてもたってもいられなくなっていた。結局、登校しなくても家にいるだけで精神がヘトヘトになるので、登校なんてできないの悪循環だった。

短大2年の夏に私は人生で初めて精神病棟に入院した。隔離病棟ではなかったので入院している約1ヶ月そこから短大へ通った。入院期間中、主治医や看護師さんやカウンセラーの先生と話して、卒業後家を出ることを決めた。それが私の回復に良いと言う判断だった。母は私の入院も反対していたし、入院してからもお見舞いは父と一緒に1、2回来ただろうか。(衣類などを持ってきてくれるのは父か伯母だった。)家を出ることを伝えると母は激怒し主治医との面談に来ることはなかった。

短大を卒業後、同級生とルームシェアを開始した。
家を出てもうすぐ2年になる。

私はこの2年、実は何をしていたかあまり覚えていない。経験したアルバイトくらいは覚えているけど、いつしていたとか、どうやって生活していたかとかの記憶がほとんどない。実家にいる頃よりずいぶん息がしやすくなった今でも私は、実家のことが忘れられずにいる。母から受けた言葉が脳裏をよぎっては涙がでるし、時には発狂しそうになる。はやく逃れたいと思うほど意識する。母から甘い言葉をかけられたり、周りの人たちから「子どもが可愛くない親なんていないよ」「親御さんだって心配してるよ」などと言われる度に親不孝者だと自分自身で責め立てる。罪悪感にかられ帰省すると、たちまち具合が悪くなったり口論になったりして、「帰らなければよかった」と後悔する。それを繰り返している。

私みたいなおとながこれ以上増えませんように。

サンタさんへのお願いごと。

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