ミスミさんの出張大作戦!(3/4)

「……ほんっとうに、申し訳ない」

「ははは、それはもう言わない約束ですよミスミさん」

 大きな荷物を背負ったカスガと仕事道具の入った鞄を下げたミスミは、それから間もなく車上の人となっていた。
 大地の箱舟は軽快に走り続け、今はウェナ諸島の海域を抜けようかというところだ。目指すメギストリス――プクランド大陸までは、もう少し時間がかかる。

「ちゃんとお賃金は前金で頂戴しましたし、こうして駅弁までご馳走していただいて。何の文句もありません」

 カスガはそう言いながら、手に持った弁当箱を掲げてみせた。
 ちなみに、それで3個目である。空になった弁当箱2つは、カスガの脇へきれいに積まれていた。
 カスガの健啖ぶりは、オーガの平均と比較しても上回っているらしい。

「それに、近々メギストリスとオルフェアの町には買い出しに行こうと思っていたんです。いい機会ですよ」

「そう言ってもらえると、アタシもありがたいよ……っとと、失礼」

「ああいえいえ、言葉はそれくらい砕けて頂いたほうが」

「いやいや、それを言うならアンタもそうだよ。他人行儀すぎやしないかい?」

「私は平生からこんな感じですよ」

 そう言って苦笑するカスガには、ミスミの目から見るとどうにも胡散臭さが漂う。 確かに取り繕ったようなそれではないため、素に近い口調ではあるのかもしれないが。
 ミスミの疑わしいものを見るような目つきに、カスガは笑顔のまま少したじろいだ。

「……まあ、まる君相手ならもう少し馴れ馴れしいですかね」

「それくらいのトーンでも、アタシは別に構やしないよ」

「では、そのうちに」

 本当に?という視線を向けると、それに気付いたカスガは手にした弁当箱をかき込むようにして視線を遮ってしまう。
 ミスミもそれで少しバツが悪くなり、目線を車窓へと向けた。
 こういうウザ絡みをするつもりは毛頭なかったのだが、カスガのまとっている独特の空気はそれを許してくれているように思えてしまうのだ。

 窓に映る島嶼部の青い風景は、あたかも飛ぶように過ぎてゆく。
 海の青と空の青が水平線で混じり合い、遠くに見える島の碧がかった薄青と溶けて、太陽の光がキラキラと輝く。
 島の姿がやがてまばらになり、一面の大海原の上を疾走する頃まで、ミスミはカスガと言葉をかわすことなく窓の外を眺めていた。

 ところが、その車窓を流れる景色の動きが突然ゆるやかになった。そして、完全に停止する。

「おや?」

「箱舟がこんなところで止まった……?おかしいね」

 ミスミとカスガが顔を見合わせた。二人と同様に、他の乗客も突然の異常に戸惑いを隠せないでいる。
 その疑問に答えるように、車内アナウンスが流れ始めた。

『お客様にお知らせします。運転士が線路上に不審物を発見したとのことです。確認のため一時停車いたします、しばらく席を立たずにお待ち下さい。繰り返します……』

「不審物……?」

 カスガはその言葉を耳にした瞬間に眉をひそめ、険しい表情になる。そして、空になった弁当箱をそそくさとしまい込んだ。
 そしてそのまま、懐をごそごそと探り始める。その妙な動きに、隣のミスミはすぐに気付いた。

「どうしたんだい?」

「いえ……すいません、お気になさらず。杞憂ならいいんですが」

「なんだい、説明しとくれ」

「こんな海上で不審物というと、ただの落とし物ではありません。流木が引っかかる可能性もなくはありませんが……考えられるのは、」

 カスガがそこまで説明した瞬間、箱舟に唐突な横揺れが加わった。同時に、車体の軋む音が響き渡る。
 腰を浮かせていた者はたまらず床に倒れ、腰掛けていたものも思わず手をついた。ミスミもたまらず服を詰め込んだ荷物の方へ倒れ込んでしまう。

「か、考えられるのは……!?」

「海賊か、魔物です。これは……魔物ですかね」

 カスガは揺れにも構わず立ち上がる。そのまま窓を強引に開け、前方の様子を見ようと身体を乗り出した。

「チッ、これは……!」

 うねる触腕、ヌラヌラとテカる皮膚。かすかに漂う特徴的な臭気を嗅ぐまでもなく、その正体は知れた。

「大王イカです!みなさん、窓を閉めて!車内に足が入り込むと一気に引きずり込まれます!」

 カスガの警告に、乗客から悲鳴が上がる。手近な窓を開けて潮風を楽しんでいた者たちは、慌ててそれらを閉めていった。
 ミスミは突然の事態に目を白黒させたが、カスガの的確な指示を聞いて落ち着きを取り戻す。

「大王イカだって……?いやいや、ちょっと……マジかい!?」

 箱舟への魔物の襲撃。なくはない話だが、まさか自分が当事者になろうとは思ってもみなかった、くらいには珍しいことだ。
 大王イカはその中でも襲撃例の多い魔物ではあるが、線路上にいさえしなければ箱舟が速度を落とさず走り抜けてやり過ごせることもあると聞く。
 だが今回は、既に相手が線路上を這いずっていたことがよろしくなかった。正面衝突しなかっただけマシと言えよう、運転士の視力に感謝である。

 ミスミは荷物を見やる。大地の箱舟がこんなところで横転でもしようものなら、せっかくの商品が台無しだ。……いや、それ以前に命も危うい。
 更に言えば、町から町への移動で何かしらの戦闘があるという認識もなく、今日のミスミは完全に手ぶらだ。もしものことがあっても荷物を守るために戦う準備など、この場で整えようもない。

「レンダーシア外海からはぐれ者が流れてくる事故は聞いたことがありますが……よりによってこの便に、ですか」

「……アンタ、武器は」

「ないですねぇ……。あ、いや、これだけは」

 そう言いながらカスガが懐から取り出したのは、先端に飾りのついたなんとも頼りない長さの棒であった。それはあたかも、子どもが遊びで振り回すような一品である。

「スティックかい……?こんなもん握って叩きつけるより、直接手で殴ったほうがマシなんじゃ……」

「いや、直接攻撃する前提なら実際そのとおりですよ。下手したら折れかねませんね、こんなものじゃ」

 しかし、殴ると言っても。
 相手がオーガよりも体格的に劣り、体力にも乏しいような種族であれば、それでもなんとかできたかもしれない。

 しかし、今回の相手は巨大なイカの魔物なのだ。

 如何に渾身の一撃であっても、そのしなやかで柔らかい体にはただ受け流されるだけだろう。
 また、恵まれた体格を誇るオーガよりもはるかに大きく重量もあり、なおかつ吸盤を使って態勢の維持も容易。となれば、ただの拳打でどうこうできるわけはない。
 少なくとも刃物がいる。あるいは、攻撃魔法が。

「アンタ、職は」

「僧侶ですが」

 その答えに、ミスミはさすがに頭を抱えた。ヤリどころか棍さえ持っていない僧侶が、この状況をどうにかできるわけがない。
 こうなれば乗客の中に、武芸に長けた人間が武器持ちで乗り込んでいてくれることを願うしか――

「荷物、少しだけ見ててもらっていいですか?」

 カスガは、そんなミスミへ声をかけた。いつもと変わらないトーン、そして気軽さで。

「へ……?」

「いえ、ちょっと行ってきます。すぐ済みますから」

「待ちな!丸腰のアンタが行ったって、何の解決にもならないだろ!」

 わけがわからない。この男は一体何を言っている?
 僧侶が単身、スティック1本だけ持って、いったい何ができるというのだ。

「丸腰以上――ですね」

 その言葉に、カスガは苦笑した。
 そして、少しズレてしまった帽子をかぶり直し、軽く腕まくりをする。

「とにかく今は、この荷物を守ることが私のお仕事ですので」

 そう言って、カスガはにっこりと微笑んだ。

 

「仕事は――十全にこなします」

 

 そんな言葉を残し、カスガは車両前方へ向かって駆け出したのだった。

 

 

 それから起きたことは、当時のミスミにはよくわからない。
 ただ、カスガは口にした言葉を違えることはなかった。

 駆け出していったカスガが機関室のあたりへ着いたと思しき数秒の後、大王イカはつんざくような悲鳴を上げた。
 そのまま箱舟へ絡みついていた触腕が一気に全て剥がれ落ち、大王イカの身体も海へと落ちる。
 海面をぷかぷかと浮かびながら魔瘴の霧へと化していく大王イカの姿は、乗り合わせた乗客全員が見つめていた。

 そしてしばらく後、まるでただトイレから帰ってきたかのように自然な振る舞いで、カスガは座席まで戻ってきたのであった。

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