つまりソイツもまた少しおじさんになった

小学生の頃、授業で「将来の設計図」を書かされたことがある。
僕はたしか、13歳で中学入学、部活に入って友達を作る。
18歳で高校を卒業して仕事をして、23歳くらいで結婚。
その後は幸せに暮らす。そんなような内容だったはずだ。

今日で僕は28歳になる。28歳ほぼ無職。
まだギリギリ若くないわけではないが、以前ほど若くはない。
ほぼ白紙の履歴書にただ1つ堂々と書き込むことができそうな空欄すら失いつつある。熟成したステキなオトナとやらなるには余分な雑菌ばかりが付着しているし、色気を纏うにはムショクが過ぎる。

28歳。
小学生の僕からすれば"その後は幸せに暮らす"という取るに足らないような
人生を送っているはずだった。
実際は取るに足らないどころか語るに落ちているし、腑には落ちない。

まだ10代だった頃、
25歳以降はなんとなく"その先は続かない"と思っていた。
何らかの物語が壮大に締めくくられエンドロールが流れるわけではなく、
飽きて電源を落としてからもう二度とプレイされなくなったゲームのように、そこまでにある程度の語られるべきことは語られ、何らかの悲劇と達成があり、何かしらの力で勝手に自意識の幕を降ろしてくれやしないかと思っていた。

数年前に実際に25歳を過ぎてみたが、
自分が勝手に"終わった人生"だと思っていても、
もちろん人生は勝手に終わってはくれなかった。
味のしなくなったガムがより味がしなくなったようなものだった。
味があった頃が何味であったのかすらも思い出せない。

10代の頃に感じたような、
"自分が主役ではないことを理解した上での主人公感"
"自分は特別ではないと既に理解していることの特別感"
なんてヒロイックで精神的な特別感が、
より目が悪くなるとか、虫歯に銀歯を詰めたとか、
肩が凝るようになったとか、顔に治らなそうなニキビ跡が残ったとか、
抗いようがなく、なんのドラマ性もない純粋な肉体的劣化によって
ただの老いて死ぬ生き物でしかないという事実に置き換えられていっただけだった。

その"精神的特別感"すら失いつつあった24歳になる前後くらい、
「将来の設計図」で言えば、"その後は幸せに暮らす"に
足を踏み入れた年齢になった頃から、
薄れていった"何かしら特別でありたい"という感情と変わるように、
頭の中に"普通の人"が湧いてくることがあった。

ソイツは常に僕と同じ年齢で、
顔には靄がかかっているが、僕よりも顔は良い。
シルエットも限りなく僕に近いが、背筋は僕より伸びていて、
身長は僕より2cmくらい高く、収入はもちろん僕より遥かに高い。

「将来の設計図」を概ね王道チャート通りにプレイし
"その後は幸せに暮らす"に辿り着いた人間だった。

一度ソイツの言葉が聞こえてしまうと、
"自分は幸せなので正しい"(あるいは正しいから幸せである)
と確信したその声は、ソイツ(≒普通の人)と僕とのズレを、
差異や乖離を、まざまざと悪意を持って指摘してきた。

チャート通り正しく生きていれば、今頃、
"その後は幸せに暮らす"くらいできたかもしれないと。
片眉を上げながら、あのベンツが買えたんですよ?
とでも言いそうな表情で。
本当はこの葡萄が甘いと思うんだろう?という顔をしている。

僕が今よりも少し若かった頃は、頭の中にいるソイツに煽られてよく顔を真っ赤にしていたものだが、28歳になる僕が冷静になってよくよく考えて見ると、頭の中にいるソイツには尊敬の念はあれど、憧れは1ミリもなかったのだ。

ソイツは俺ガイルを読んでも面白いと感じないし、
カリギュラ オーバードーズをプレイしても何も共感しないし、
ポケモンはやったとしても殿堂入りまでしかプレイしない。
そもそも大人になってからはあまりゲームもしていない。
Steamで勝手に推しゲーを贈られてもこない。

オトナはゲームをしないと思っているし、そんな時間もないと思っている。
(本当に時間がないわけではなく、それより優先すべきことがある状態を作ることがオトナだと思っている)
急に懐メロVOCALOID一人カラオケをして、炉心融解を熱唱し一人で勝手に恥ずかしくなったりもしない。
漠然とした形容しがたい焦りに駆られて急に料理にハマったりもしない。
チンチラがいかにモフモフな生き物であるかも知らない。

そんな奴は僕からしてみれば、
クソの欠片ほど面白くない人間だ。
到底友達になれるとは思えない。

僕に何かしらマイナスの側面がなければ巡り会えなかったものを
何一つ持ち合わせていない。
酸味も渋みもない葡萄は好きじゃない。
僕は自分の葡萄を羨ましがってると思いこんでいるソイツのその態度だけが気に食わなかっただけだ。

正しく、立派で、偉いと思うが、憧れはしないしなりたいとも思わないタイプの人種だった。
「素敵だし立派だとは思うけど、ちょっと僕にはあまり魅力的ではないかな」

そう思うと頭の中のソイツはつまらなそうな顔をして、
僕の頭の中よりずっと居心地の良い、普通の人間が暮らす世界に帰っていった。

たぶん近くにお気に入りのカフェがある東京のオフィスあたりか、
数年後に子供が出来るまでは彼女と住む予定のちょうといい広さの
自宅にでも帰ったのだろう。

ソイツは散々頭の中に湧いてきた割には、僕のことなど3日後には忘れて、
今頃は彼女か嫁の手料理を食っているかもしれないし、
別に行きたくもなかった会社の飲み会でくだを巻いているかもしれない。

でも、僕は一時期頭の中に居座っていたソイツのことを忘れないし、今でも時々思い出すし、なによりソイツの言葉に顔を真っ赤にしていた程度には若く、真っ当な感性を持っていた僕自身のことを忘れたくはなかった。

ただ1つ、価値観も生き方も何もかも違うのに、
僕にやいやい言ってきたかつて頭の中にいたソイツに、
唯一同じであろう価値観で僕からも言ってやりたい憎まれ口が一つある。

また歳を取ったな。
ざまあみやがれ

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