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野球とは


野球は楽しいことではない

noteを読んでくださる方のなかには、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、僕にとって野球は、楽しいと感じて始めたことでもなければ、続けながら楽しいと感じてきたことでもありませんでした。

野球は修行

僕にとっての野球は、人生における修行のような捉え方でした。

ダメダメな自分にいつも気づかせてくれて、そのダメダメな自分を乗り越えていけてると感じやすい一番の手段だったと今は感じています。

だから、苦しいことや辛いと感じることの方が圧倒的に多くて、野球を始める前の僕なら、いつも思い切り泣いていたでしょうが、自分で始めたことだから、歯を食い縛りながら、自分を強く持っていなければと、弱い気持ちを無意識に封印していたんだと思います。

自分磨きの手段が仕事

僕にとっての仕事はお金を稼ぐことが一番ではありません。多分、この先もその感覚は変わらないだろうし、例えばその感覚を理解してくれる人との出会いがあったら、結婚も考えるかもしれません。

くらい、大切にしているのは、自分を磨く手段だということです。

いろんな人と話せば話すほど、僕なんてちっぽけと毎回感じますし、更に上と感じてるステージで自分を不安にさせて乗り越えてみたいなんてことも感じます。

お金を稼げるかどうかは、自分を磨き、自分という存在がわかることができるかという僕自身の経験からなる知見の積み重なった価値を発信していけるかということだと捉えています。

だから稼ぐことありきにはなりません。
話はそれますが、勝てるチーム作りも、売り上げのあるお店や会社組織作りも、勝つことや売り上げをあげることありきでは結果はついてこず、逆になるんじゃないかと感じています。大切にしなければならないのは、理想や目的を崩さずに追い求めることなんじゃないでしょうか。


スポーツトレーナーはもう1人の自分に寄り添えるために選んだ道

もう1人の自分と書くと誤解を生むかもしれませんが、僕と似た人の感覚なら心の底から共感できます。

チームのなかで、また施設や組織のなかで、自分の気持ちを十分に伝えきれずに不安や悩みを抱えられてる方のお力になりたい。

そして、心健やかに感じられるような関わり方ができるスポーツトレーナーでありたいと思います。

高校生の頃、スポーツトレーナーを志してから今日に至るまでの漠然としていた自分を、言葉にするのならば、こういうことなのかなと感じているところです。

僕と似たような人とは

僕は夏場に「あつい!」とか
冬に「さみ~」とか
仕事から帰って来て「つかれた~」と、言える人間ではありません。

こういうことを、弱音と捉えて自分の感情に蓋をしてしまう人間です。

学生時代から、野球をしてきた時も、学校生活でも、それ以外でも、僕は自分の心の声を外には漏らさないように押し殺して生活してきました。

そういうタイプの人の感覚には共感できる自分でありたいなと思っています。

そしてそういうタイプの人は、チームや組織の末端で涼しい顔して取り組んでいたり、作ったポジティブな自分を発信しながら取り組んでいたりするものです。僕がそうですから(苦笑)


僕にとっては、野球という競技も、スポーツトレーナーという職業も、僕の生き方を彩る存在です。
「楽しい」かという価値観で物事を選択したことがあまりないので正直わかりません。
「楽しい」=「怠けてる」みたいな感覚があります。
あえて言うのであれば、「充実してる」=「心が踊る」や「心弾む」みたいな感覚を大切にしているでしょうか。
その“充実感”とは、修行のような感覚で、乗り越えていけてる自分がいるかどうかです。
だから間違いなく、ディズニーランドで遊ぶよりも、僕にとって働いている時間はワクワクする、スリリングな時間なわけです。

僕の活動に関心を持っていただきご支援いただける方はよろしくお願いします。一人でも多くの人が心が弾むような生活が送れるように悩み事をひとつひとつ丁寧に対応していきたいと思います。がんばります!!